23話 ヒュース、怒りと、そして
レイミアがヒュースの元へ向かう少し前のこと。
自室にて。ヒュースは鋭い瞳で書類に目を通すと、それを乱雑にテーブルに叩きつけた。
「想像はしていたが……胸糞悪いな」
ヒュースの魔力が乱れ、窓ガラスがピキピキと音を立てる。
レイミアが今まで神殿でどのような扱いをされてきたのかがびっしりと書かれている書類を読み終わったヒュースは、おおよそのことは想像できていたというのに、改めてその報告を受けると怒りがぶり返した。
「レイミア……」
レイミアが嫁いできた次の日、ヒュースは部下に頼んでレイミアのことを調べさせた。
どんな経緯で神殿に行くことになったのか、神殿での生活はどのようなものだったのか。
大方の予想はできたが、正式に神殿に抗議するならば、詳細を知っておく必要があったからだ。
ヒュースが奥歯を噛みしめると、同時にコンコンと扉を叩く音に意識が部屋に響く。
ヒュースが返事をする前に入ってきたのは、「入るぜ〜」と緩く言い放ったレオだった。
「……って、うおっ!! 何でこんなに魔力漏れてんだよ!! つーか殺気……!」
「私は今お前に構ってられるほど冷静ではない。大したようじゃないなら出て行け」
「馬鹿かよ。こんなお前を放っておいたらこの屋敷がどうなるか! ……せっかくここの暮らしに慣れてきたのに、屋敷が壊れるなんてことになったらレイミアちゃん、どんな顔すっかな」
「………………」
レオのそんな声がけは、今のヒュースにはどんな言葉よりも響いたらしい。
レイミアを傷つけたくないとするヒュースは、肩を上下させるように大きく息を吸い、そして吐き出すと、椅子へと腰掛けた。
「……で、何のようだ」
「いや、大した用じゃねぇよ。今朝レイミアちゃんが言霊を使ってくれたおかげで、かなりの数の魔物が森の奥に行ったから、一応その報告に来ただけだ。むしろ、お前はどうしたんだよ?」
「………………これを読め」
先程テーブルに叩きつけた書類の束を、ヒュースは乱雑にレオに手渡した。
口頭で説明するのも苛立ちが再起しそうなので、この方法を取ったのである。
見る見るうちに額に青筋を立てるレオに、ヒュースは「おい」と声を掛けた。
「お前も魔力漏れてるぞ。抑えろ」
「……っ、悪い……こんなの、ヒュースが怒らないわけねぇよな」
──ほぼ毎日、一食だけの食事。その内容も粗末なもので、廃棄する予定のパンに、具が残っていないスープ。
神殿内の清掃はレイミアの仕事とされており、少しでも汚れが残っていたら神殿内のすべての掃除のやり直しを命じられていたらしい。
蹴る殴るはなかったものの、汚水をかけられ、罵詈雑言を浴びせられ、レイミアの意見や懇願は何一つ通らなかった。
毎日毎日加護なし聖女だと罵られ、役立たず、神殿の恥だと言われていたと、書類には書いてあった。
「……ああ、今目の前に神殿の者たちがいたら、迷わずに殺すくらいには腹が立って仕方がないな」
「……それはやめとけよ、って言いたいとこだが……まあ、分からんでもない。あんなに良い子に、よくこんな仕打ちを……」
ヒュースがレイミアのことを婚約者として──未来の最愛の妻として大切に思っていることを知っているレオは、書類をテーブルに置きながら、ヒュースの表情を見やる。
冷静さを取り出したからなのか、パッと見は涼しく見えるヒュース。
しかし付き合いの長いレオには、ふつふつと込み上げてくる怒りを必死に抑えているだけなことは容易に想像できた。
それに、ヒュースはこのクールそうな見た目とは裏腹に、割と攻撃的な性格だ。
レイミアが受けてきた仕打ちを正確に知ってしまった上で、何もしないとは思えなかった。
「……んで、どうするんだよ、これから」
「レイミアが受けてきた仕打ちを正式に問題にする。神殿に抗議文を出したところで事実無根だと躱されるのは目に見えているから、最短ルートで攻める。……陛下に、この報告書を見ていただく」
「……! ヒュース、本気だな」
ヒュースは公爵家の当主として、国王と深い面識がある。
便りを出すなり直談判するなり、色々と方法はあるが、予定等を考えると一番早いのは便りだろうか。
「けど、陛下は対処してくれるのか? こう言っちゃあれだが……神殿内のことは神殿で片付けろって言うんじゃあ……」
「レイミアがただの聖女ならそうかもしれないな」
「そうか! レイミアちゃんは世界で唯一の言霊聖女……! そんな貴重な子にこの仕打ちは……陛下も見逃せないな」
「ああ、それに──」
レイミアが何故、最近まで言霊の加護が目覚めなかったのか。
ヒュースはその答えに、確信を持っていた。
「神殿での酷い扱いのせいで、レイミアの加護が発動しなかった可能性が高い」
「…………!?」
「何を言っても否定され、罵られてきたんだ。レイミアはきっと、その現状に諦めて、自分の意見を何も言わなくなったんだろう。言霊の加護は言葉と意志、魔力が全て噛み合ったときに発動する能力だと聞いたことがある。……つまり、神殿の奴らのせいで、レイミアの加護が発動しなかったと考えるのはおかしな話じゃない」
……となると、神殿で暮らす人間たちの罪は重い。
ただの虐めでは済まされない。
彼ら彼女らの行いは、世界で唯一の言霊聖女の発現を邪魔するものだったのかもしれないのだから。
ヒュースからしてみれば、レイミアが言霊聖女であることは彼女の一部でしかないし、そこはさほど重要視していないのだが。
それでも、国王にはレイミアが言霊聖女であることを強く話した方が良いのは間違いないだろう。
神殿の者たち──特に先頭を切ってレイミアを虐めたアドリエンヌと、ずっと見て見ぬふりをしてきた神殿長には、それなりの罰を受けてもらわねければ、気が収まりそうになかった。
「……レイミアは優しい。もしかしたら過去のことだから構わないと、そう思っているかもしれないが、私は許せそうにない。それに……」
「…………このことは、レイミアちゃんには?」
「話すさ。彼女から、神殿での扱いを確認する必要もある。……言うのは辛いかもしれないがな。──それでも、神殿内の者たちは罰せられるべきだ。そうじゃないと、過去のレイミアがあまりに可哀想だ」
伏し目がちにそう呟いたヒュースに、レオはコクリと頷くだけで何も言わなかった。
もうここまで来たら口を出すべきではないと思ったから。
「ま、なるようになるだろ。とにかく、レイミアちゃんのことなんだからしっかり話を──」
──コンコン。
その時、レオの言葉を遮るようにしてノックの音が部屋に響いた。
その聞き心地の良い声は、レイミアのものだ。
「レイミア、入っていい」
「失礼いたします。……あっ、レオさんがいらっしゃったんですね。申し訳ありません。お邪魔をしてしまって……」
「いや、邪魔なのはレオだから問題ない」
「正直過ぎるな、おい」
いつものヒュースとレオのやり取りに、口元に手をやって小さく笑うレイミア。
ヒュースが「どうしたんだ?」と改めて問いかければ、レイミアはやや緊張した面持ちで唇を震わせた。
「今日って……どこかのタイミングでお話することって可能ですか……?」
「……! ああ。レイミアからの誘いならいくらでも時間を作る。……だがこのあと商談でな。話は夜でも構わないだろうか?」
「はい。もちろんです。ありがとうございます……!」
用件はそれだけだったようで、レイミアはレオもいるからか、駆け足で部屋から去っていった。
「なんかレイミアちゃん、顔赤くなかったか……?」
レイミアが一世一代の告白をしようだなんて考えているとは夢にも思わないヒュースは、さらっと呟いたレオに「風邪じゃなければ良いがな」と心配を孕んだ声で答えたのだった。




