幼なじみの君へ
第一章 君へ
あのときからわかっていた。止められない想いに。
俺、野崎真哉は不愉快な目覚ましの音に起こされた。別に気分が悪いわけでもないのに体を起こすのが億劫に感じる。
しかしそう言っていられるほど猶予ある生活を送っているわけでもないので気だるくベッドから降りる。
15分で支度を済まし、玄関を出た。ちょうど見覚えある顔が二つ、通るときだった。
そうだ、この時間はこいつらがここ通る時間だった。ミスったな。
心の中で舌打ちをしていると案の定、一人が俺に気づいた。
「あ、真哉!いいタイミングだったね、おはよ」
彼女は黒崎奏子。俺の幼なじみ。
「奏子、バッドタイミングの間違いだろ、俺たちの朝の時間を邪魔されたんだぜ?」
そういうこの男は加藤雅憲。俺の悪友。奏子の、彼氏。
「邪魔もなにも偶然だっつーの。誰が好んでお前らと一緒に学校行こうとするか」
嘘は言ってないが、俺の本音は伝わってないだろう。いや、伝わっていても困るが。
とりあえず学校へと足を向かわせる。俺の目覚めきれないテンションとは裏腹に、天気は快晴だった。まさに、初夏。
こんなに苦しいのなら、奏子に恋する想いもこの皐月の風に流されればいいのに――
柄にもなくそう思った。
この恋がつらくなったのは二年前の九月。まだ暑く、でも少し秋が薫るころ。
奏子への気持ちもただの淡い恋心だった。告白する勇気もなく、だけど諦められるほど簡単な恋でもなかった。
俺は雅憲と廊下を歩いていた。
「真哉」
高めの丸い声。すぐに俺の耳に入ってきた。
「何?」
自分の目に声の主をうつす。いつもの奏子だった。
「明日の放課後さあ、勉強見てくれない?」
「今日じゃなくて?別にいつでもいいけど」
「ごめん今日は担任に受験のことで呼ばれてて。進路指導室いかなきゃ…」
「ふーん、そっか。了解」
「よろしく!あ、ごめん雅くん、引き止めちゃって」
隣にいる雅憲に声をかける。
「全然いいよー。いってらっしゃい、進路指導室でしょ?」
「うん、じゃね真哉、雅くん」
そう行って去っていく奏子。俺も歩いていた方向に向きなおす。少しだけ遅れて雅憲も歩きだす。
運命が動いたのは突然だった。いや、突然すぎた。
「なあ真哉」
雅憲が不意に喋りはじめた。そして何もためらうことなく俺に告げた。
「俺、奏子ちゃんのこと好きだから」
それは、突然の告白だった。そのときの俺には告白ということもすぐには理解できなかった。
「今、何て…」
俺は、ただただ怖かった。雅憲の言葉が俺を傷つけるかのように思えた。
「奏子ちゃんのこと好きだから」
表情を変えず繰り返す雅憲。いつのまにか足は止まっていた。
「中一のころからずっと。いきなりだけど今日奏子ちゃんに告白するつもり」
さらに俺のまわりの空気は固まった。
「告白…するのか」
つまり奏子と雅憲が付き合うかもしれないということ。そう思うと醜い感情が現れた。
嫉妬。それはただ純に奏子を想っていただけだった俺には感じたことがないものだった。ただ、どれだけ嫉妬を感じても雅憲が奏子に告白するということは変えられないものだとわかっていた。
雅憲のことだ、俺が奏子のことが好きなことなんてわかっていたはず。奏子のことを好きなら尚更。それでも気持ちを伝えるという雅憲の決心は絶対にやわなものではない。そんなこいつの気持ちをただ嫉妬を感じてるだけの俺にどうして変えることができるだろうか。
「雅…」
震えないよう、懸命に強がった声。
「何?」
もう雅憲の顔を見れなかった。
「行ってこいよ、進路指導室だろ?」
「……ああ」
雅憲の走る靴音がやけに耳についた。
そこから先、記憶はあまりない。気づいたら帰路についていた。そしてまた雅憲の言葉がよみがえる。
―俺、奏子ちゃんのこと好きだから
そう口にだせた雅憲の勇気が美しかった。俺はただの臆病者だから。幼なじみという関係に甘えていた。恋人という特別を手に入れることより、その不確かな絆も失うのが怖かったんだ。
これは罰。恐怖に負けて臆病になった、罰。現状は昨日から何も変わっていないけれど希望をもつ気にはなれなかった。
突然、肩をたたかれる。振り返ると今世界で一番会いたくて、一番会いたくなかった彼女がいた。
「真哉、今帰り?いつもより遅いね」
笑顔の君は、なにを想っているのだろう。
「ああ、なんかぼーっと歩いてたから…」
平静を装う俺は、前を向いて奏子から目をそらす。
「それより奏子」
「ん?」
なにもかも、もう後戻りはできないと感じた。
「雅と…どーするの?」
一瞬の間が空く。まるで触れてはいけない話題だったかのように。
「…だ、誰にきいたの?」
気のせいか奏子の声が震えた。
「雅本人から。奏子んとこ行く前に宣言された」
「あ、そうなんだ」
俺は必死で話が流されないように握りしめた。
「それで?どーするの」
かすかな光を期待して。
だけど、現実はやっぱり残酷なものだった。
「付き合う…ことにした」
そのとき奏子の顔は絶対に見なかった。きっと幸せそうな顔をしていたろうから。
「……そっか。奏子」
「なに?」
この気持ちも、溢れそうな涙も必死に強がって、隠して、果たして俺はどこに行くのだろう。
「雅はすっげいいやつだから。よかったな」
「うん、ありがとう」
“ありがとう”人を癒すはずのその言葉が、切なく痛かった。
単純だった君への想い。それは変化していく関係に揺らいだ。それでも、想いを忘れることだけは何よりも苦しくて、幸せそうな顔を見る覚悟もなくて、だけどその顔を奪う勇気もなかった。だから、愛し続ける。君が誰を見つめていても、誰の隣にいても、君の幸せを願って、笑顔でいることを祈って愛し続ける。これが前にも後ろにも進めない、臆病な選択と言われてもかまわない。ただひたすらに願うから。
君と別れて、自分の部屋に入った途端、とめどなく流れた涙に誓った。
それから二年が経った。君への気持ちは悲しくなるほど朽ちていなくて、まさに狂うほど愛しかった。あのときの誓いに嘘はないけれど、心の隅の隅で小さく願っている。だけどその願いは君を悲しませるから、気づかないふりをする。こうして自分を隠して偽って、俺は歩いていかなくちゃならない。それが俺の正義だった。そうして事件は起こった。
放課後の学校。学校内は変に静まり返っていて、グラウンドの声が響く。不思議と廊下を歩くと寂しくなる。
職員室で先生と少し話した後、鞄をとりに教室に戻った。ドアを開けると、奏子が窓の外を眺めていた。
「か…奏子?」
完全に予想外の存在に動揺した。
「あ、真哉。偶然」
「な、にしてんの?」
「雅憲をね、待ってる。委員会あったんだって」
仄かな笑顔がちくりと痛かった。いい加減慣れたと思っていたのに。
「ふーん。相変わらず仲がいいね」
「そんなことないよ!この間も信じらんないことするし、色々真哉を見習ってほしいよー」
君のその無邪気な発言が愛しくて、ともに苦しかった。もし、俺が奏子を諦められたらこんな気持ちにはならないのだろうか。だけど当然そんな道はありえないから、きっとずっと思っていくのだろう。それが俺の「普通」だ。
鞄をとりに、自分の席に向う。
「まあまあ、独り身の俺にとってはそんなのものろけに聞こえるけどな。雅は雅でいいとこあるんだし、お前もあいつにすごい愛されてるし、それでいいだろ?」
なにがきっかけだったか、俺には分からなかった。
「真哉は…やさしいよね」
震えた奏子の声。思わず振り向いた。
「奏子……」
君が泣いていた。その瞳から、一粒一粒泪を落として。
「あれ…、なんで泣いてんだろ、私…。ご、めん、真哉…」
ポロポロポロポロ、溢れ出す。その華奢な肩を抱きしめたかった。
「どうしたの」
表情を変えず問いかける俺。
「ちが、うよ、なんでもな、い」
「どうした」
もう一度強く言った。
下を向いていた奏子が俺を見た。
「真哉…あ、のね」
「うん」
奏子の泣き顔だけは見たくなかった。
「最近、雅憲が、変なの。いつも難しい顔して。私が話しかけたら、普通の、雅憲になる、んだけど、どうしたのって聞いてもなんでもないって。私、信用されてないの?」
「私、意味ないのかなあって思ったら悲しくなっちゃって、最近雅憲の顔見るのが不安になってきてたの。そしたらさっき真哉に愛されてるって言われて、なんかすごいつらく」
もう我慢できなかった。
雅憲は絶対に馬鹿なことはしてないだろうけど、奏子を泣かせた。それは事実だった。それだけは許せなかった。あいつだから許せなかった。ずっと知られてはいけないと思ってきた。隠し通すことが正しいと思ってきた。だけど、今だけは。伝われ、俺の想い。
君の唇に、口付けた。
教室の窓際、カーテンが風になびいた。
奏子が俺の腕の中にいる。
ごめん、
君のことが好きすぎた。




