28 よく描けた似顔絵?
「……藤乃さん?」
突然聞こえる、声。画面に集中しすぎていて、慧の接近に気がつかなかった。
「け、慧先輩、あっ」
驚いて肩が跳ね、勢いで、手から携帯が滑って跳ねる。床に落としかけたそれを、慧が器用にキャッチした。
「すみません、ありがとうございます」
「はい、危なかったね」
手から手へ。受け渡すときに、慧に画面を見ようという積極的な意識はなかっただろう。ただ、画面はまだ明るくて、彼の視界に入ったのだ。そしてそこには、ちょうど、私の見ていた画面が写っていた。
「……?」
慧の視線が画面を見て、私の顔を見る。見比べるような視線は、そこがちょうど、「小松原藤乃」を紹介する部分だったから。
画面には大きく、私の名前と、イラストが載っている。
「ごめん、見えちゃった」
軽い謝罪と、柔らかな笑顔。携帯の程よい重みが、私の手のひらに戻ってくる。
「よく描けた似顔絵だね。誰かに描いてもらったの?」
よく描けた似顔絵。
私のイラストとして載せられているのは、素晴らしくデフォルメされた、しかし確かに私の特徴をよく押さえたものだった。
「えっと……」
私は、迷った。
本当のことを話すとしたら、その相手は、慧以外ありえない。次点で兄だが、兄に話すなら、慧にだって話したい。
話して、相談したい。そんな気持ちもある。
それにしても、私の今考えていることは、現実離れしすぎていると思う。説明するには複雑すぎて、どこから手をつけたらいいのかわからない。
「とりあえず、そんなところに立ってないで、中に入ったら?」
「……はい」
逡巡しているうちに、慧に促され、私は定位置に移動する。カウンターの中に入り、慧の隣へ。腕と腕が触れ合わないくらいの微妙な距離が、私達のいつもの位置関係だ。
「藤乃さんが難しい顔をして立ってたから、何かあったのかって心配しちゃったよ」
「いえ、すみません」
話すなら、今だ。
そう思う慧の問いかけはあっても、私はもう一歩、踏み出せないでいた。慧に「そんなのおかしい」と否定されたり、理解されなかったりしたら、きっと私は、傷つくだろう。
「そういえばさ」
私の歯切れの悪さを、どう解釈してくれたのだろう。慧はそれぞれの問いかけを追及することなく、それとなく話題を変えてくれる。
落胆と、安堵。もやっとしたような微妙な気持ちが、胸に広がる。
「藤乃さんがよく借りていく系統の本、あるじゃない。俺、読んでみたんだよね」
「読んでみた?」
聞こえなかったわけじゃない。ただ、驚いて、復唱してしまった。私がこの図書館でよく借りていく系統の本なんて、ひとつしか思い当たらない。
そしてそれは、男性が進んで読むような本ではない。
戸惑う私の目の前に差し出されたのは、私が一度借りたことのある、美麗な表紙の本であった。美男美女の絵とともに、咲き乱れる可憐な花。
「これ、読んだんですか?」
「読んだよ」
「どうして……」
私も慧の好んで読む本はよく知っている。写真集であったり、古典の名作であったり、あるいは新書であったり。わりに何でも読む印象はあるが、こうしたライトな文章はあまり読んでいない。
「どうしてって、藤乃さんが読んでたからだよ。好きなひとの好きなものは、やっぱり気になるでしょう」
「……はい、まあ」
私が水族館について行ったのだって、慧が好きだと言うなら、好きになれるかもしれないと思ったからだ。図書室が好きになったように。慧の言いたいことは、たぶん、そういうこと。
「面白かった。この手のお話で、女性が主人公のものって、今まで読んで来なかったんだけど。力で押すわけでもなく、主人公が一生懸命になるのが、新鮮なのかなって思ったよ」
ぱらぱらとページをめくりながら、そう評する。その慧の横顔を眺めていた私は、不意に、はっとした。
慧がこの本を読んだのなら、私が話したいことも、多少の理解を示してもらえるのではないか。少なくとも、乙女ゲームとか、悪役令嬢とか、そういった言葉はわかってもらえる。
これはきっと、慧に打ち明けろということなのだと、私は思った。まるで導かれたようにタイミングが合うということは、あるものだ。
「慧先輩、実は、相談したいことがあって」
「……相談?」
本から視線を上げ、こちらを見る。レンズ越しの慧の目は、今日も優しく光っている。
「はい。信じてもらえないようなというか、私自身も、まだ信じられないような話なんですが」
否定されたら怖い、という恐れが、前置きを長くする。すると、慧は頬を緩めた。まろやかなえくぼ。
「藤乃さんが真面目に話してるのに、俺が信じないと思う?」
「え……」
それは、あまりに率直な言い方だった。
「俺は藤乃さんを信じるよ」
肩に入っていた力が、ふっと抜けた。
こんな風に力強く言ってもらえたら、何を話しても、大丈夫な気がする。たとえそれが夢よりも夢みたいな話でも、真剣に受け止めてもらえそうだ。
「さっき見えた、私の似顔絵があるじゃないですか」
「うん、あったね。よく描けてた」
「あのサイトを、もう一度、見ていただきたいんです」
私はポケットから、携帯を取り出した。ロックを解除すれば、画面は先ほど見ていたゲームの紹介ページのまま、である。
そのまま慧に手渡すと、彼は受け取りながら、戸惑った顔をする。
「いいの? 見ても」
「構いません。というか、見ていただきたいです」
私があれこれと説明しなくても、答えは画面に書いてある。
「……そう? じゃあ、失礼して」
慧はそのまま、手元の画面に目を落とす。画面から発せられる光が、彼のレンズに反射している。
「それにしても、よく描けた似顔絵だと思うな。藤乃さんの特徴を完璧に捉えていて、可愛い」
呟く慧の指先が、画面をスクロールする。口数が少なくなり、眉間に皺が寄る。「ん?」と声を上げる。画面を行きつ戻りつしているのが、その指先から察せられる。眼鏡を持ち上げて調整し、画面に顔を近づける。
その食い入るような眼差しは、彼が私と同じような発想をしたことを示している。
「藤乃さん、これって……」
慧が差し出す携帯を、受け取る。画面の最下部まで表示されている。慧はこの紹介ページを、最後まで読み通したのだ。
「えっと……何か、つきまとわれてるの? その、ストーカー、とか」
「ああ……」
私の名前と、よく似た似顔絵。通う学園の名前、周囲の人々の名前や似顔絵。ゲームの紹介という形を取ってはいるものの、そこには明らかに私を含めた周囲の人々の個人的な情報が、細部まで載っている。
慧の心配も、もっとも。しかし私は、首を左右に振る。
「違います。そういった、犯罪的なことに巻き込まれたわけではなくって」
「それなら、いいんだけど……?」
「実は今日、聞いてしまったことがあって」
切り出すと、慧の視線が、先を促すようにこちらを見る。私は言葉を選びながら、早苗のことと、彼女の先程の発言を伝えた。
「それで彼女は、『ゲームの脇役なんだから、脇役らしく振る舞えばいい』って、私のことを」
「藤乃さんを、ゲームの脇役、って?」
慧は怪訝そうに復唱する。怪訝そうではあるが、小馬鹿にするような調子はない。彼は彼なりに、事態を噛み砕こうとしてくれている。
「……なんか、まるでここが、ゲームの中みたいな言い方だね」
「そうなんです。だから気になって調べたら、本当に、こういうサイトがあって」
「そう……」
そして、沈黙。
続く言葉がすぐに見出せないのは、私も同じ。ぱたぱたと軽い音がするのは、慧が指先を軽くカウンターに当てて、立てている。
そうして暫く考えたあと、軽い音が止み、代わりに慧が話す。
「とりあえずそのゲーム、実在するなら、買ってみる?」
「……そっか、そうですね」
はっとして、私は頷いた。簡単なことなのに、もやもやしていて、思い浮かばなかった。
この何ともいえない気分も、実物を見れば、はっきりするだろう。
「どこで買えるか、山口に聞かなくっちゃ」
「山口さんに? そういうの、詳しいの?」
詳しいも何も、何か取り寄せたいときには、山口や侍女に頼むのが常だ。
「彼に頼まないと、手に入りませんから」
「そんなに通なんだ、すごいね」
「はい。……?」
どことなく噛み合わない会話を、疑問に思った。
「あんなに凛とした人がゲーマーだなんて、意外だな」
「ゲーマー、ですか?」
「え、だからわざわざ頼むんでしょ?」
ゲーマーという言葉は、わかる。ゲームをよくする人のことだ。
「ゲーマーって、山口が、ですよね?」
「そう。だから、買ってもらうんだよね?」
「いえ、買い物はいつも、山口や侍女に頼むので……」
互いにきょとんとした顔を見合わせ、沈黙。
「あー……なるほどね」
慧の声のトーンから、私は察した。多分私の今の発言は、例の「常識的でない」ものだったのだ。
「ごめんなさい」
「どうして?」
「また、常識的じゃないことを言ってしまったんだなって、思って……」
一般常識を学ぶと決めた矢先に、すぐこれだ。いささか落ち込む私の肩を、微笑んだ慧が励ますように叩いてくれる。
「だから勉強するんでしょう? 構わないよ、それなら一般的……というか、よくやる、ものの買い方を教えるから」
慧はポケットから携帯を取り出し、画面に触れた。
「ほら、見て」
促され、画面を覗き込む。肩が触れ合うほど近寄ると、いつもの、甘く爽やかな慧の香りがした。




