雨だれ
過去に投稿していた作品の再掲になります。
ぼくはベットの中で目を覚ました。
ぴた、ぱた、ぴた、ぽちゃん……
灰色に薄明るい室内。
ぼくと、ママの家。
外は暗く、少しだけ明るい。
雨が降っているのだ。
熱く重いからだ。ママはどこへ行ったのだろうか? 僕は今日、高熱を出して学校を休んだ。ママとぼくの住むアパート。ママと僕だけが住むアパート。高熱を出したぼくのためにママは仕事を休んだ
夕方、少しうとうとして、目が覚めたら、ママがいなかった。
ぼくは、ボーっとしながら雨音を聞く。
優しい音が、絶え間なくぼくの中に入り込んでくる。
静かに静かに……。
どのくらいそうしていただろうか?
ぼくは、部屋の中がさっきより暗くなっているのに気付いた。
窓からさす外の明かりも、もう、限りなく闇に近くなっている。
影が伸び、その影のなかは……完全なる闇。
機械的な雨音だけを残して、その音からは優しさが消えていく。
影の中から、その闇の中から、さらに深い闇が体を持ち上げる。
部屋の中を弄るように、焼けただれ、ドロドロと腐り、溶けていく手が這い出す。そして頭……。ほとんど毛が抜け落ちた頭。肉が溶け筋肉が赤い筋を見せ、眼球だけがきょろきょろと彷徨う。その目とて、見えているのか? 焦点が定まってはいない。
いや、きっと見えてなどいないのだ。だって、手が見えない何かを探るようにあたりを這う。
そいつは、手に力を込めると、がばぁぁぁ、と、闇の中から全身を現した。
(たすけて! たすけて! ママ)
ぼくにはわかった。
(死神!)
奴はぼくをさらいに来たんだ。
ぼくが、びょうじゃくだから。
すぐに熱を出して学校を休むんだ。
ママはいつも、ぼくが熱を出すと、小さなため息をついてかいしゃに電話をかける。
電話が終わると、ぼくににっこりと笑いかける。
ママにはぼくしかいないんだって。
ぼくにだって、ママしかいない。
闇の中からその全身を露わにした死神は、天井に着くほど大きくて、ちょっとねこぜになっている。
死神の指先から、じゅうじゅうと溶けだした肉片が床にしみをつくる。
死神は片足を大きく上げると、勢いをつけて振り下ろした。
どぉぉぉぉぉぉぉんんん……。
生きるものをその足の裏で踏みつぶして、自分と同じ肉片にしようとしているんだ。
どぉぉぉぉぉぉぉんんん……。
今度はぼくのすぐそばに足が振り下ろされる。
ぼくは起き上がると、毛布を体に巻きつけてベットの隅に丸くなる。
どぉぉぉぉぉぉぉんんん……。
どぉぉぉぉぉぉぉんんん……。
恐怖。ぼくはもう、身動きすら取れない。
かみさま、たすけて────!
ぱちん。
とたんに、あたりが明るくなった。
部屋の入り口にママが立っていてた。
「……ひでくん、起きてたの?」
片手で電気のスイッチを押して、もう一方は買い物袋を提げて立っていた。
全身がしっとりとして、雨の匂いがママの体から漂ってきた。
ふと気づくと、あの優しい雨音が、いまも部屋の中に聞こえている。
毛布をかぶって、ベットの隅に丸くなっているぼくを見ると、かけよってくる。
「ごめんね。ひでくんよく寝ていたから、お買い物に行ってきたの。めがさめたら一人で不安だったのね?……ごめんね」
ママは、きゅっと、ぼくを抱いてくれた。
「ひでくんが元気になるように、おいしいご飯を作るからね。あとね、ひでくんの大好きな、メロンを買ってきたんだよ。丸いのだよ。ご飯食べたら、一緒に食べようね?」
ぼくの顔を覗き込みながら、わしわしわし、と、頭を混ぜてくれた。
ぼくはほっとして、ことん、と、ベットに倒れる。
「ご飯ができたら、起こしてあげるからね、もう少し寝る?」
ママが聞いたので
「うん」
と、僕は答える。
ママの体がキラキラと光を残して台所へと消えていく。
ママが連れてきた光が、死神を闇の中え返していった。
もう、この部屋には暗闇はない。
優しい雨音と、薄明り。
ぼくは目を閉じると、雨だれの子守唄を聴きながら、眠りに落ちた。
2014/6/30 投稿作品でした。ショパンの「雨だれ」を弾きながらイメージした作品です。





