19―1.例え心から望まなくても
事務所からの物音で目が覚めました。
時計の針が示すのは朝の六時。便利屋は開店前ですし、レンさんが起きるには早すぎます。
泥棒だと大変なので事務所まで向かいます。こっそり室内を覗いてみると、レンさんの背中が見えました。
(レンさん?)
外行きの服装です。だらだらするのが好きなレンさんが、こんな時間に出かけるなんて。
いつもは一声かけてくれるのに、今日は置き手紙さえありません。なんだか変な雰囲気です。
(どうしたんだろう)
戸締まりを済ませて出ていくレンさん。呼びかける機会を逃してしまいました。
少し迷って追おうと決めます。違和感が気のせいだといいのですが。パジャマ姿だとか気にしてはいられません。
(……ちょっと寒い)
早朝の景色は霧模様でした。急ぎ足で進みます。冷たい空気を何度も肺に取り込みながら。
やがてレンさんは路地裏に入ります。道の向こうにも人の姿が確認できました。ぼんやり見えた待ち合わせ相手は、
(人形、さん?)
廃洋館で会った人形の一人でした。ドール君とは服の色やたたずまいが違っています。
二人のやり取りは聞こえません。会話の内容が気になり始めた時、レンさんが優しい動作で右腕を高く上げました。
(……え)
レンさんの右手に顕現されたもの――雪を思わす純白色の大鎌。そこに在るはずのない武器。
レンさんの能力は炎のはずなのに。私の戸惑いをよそに、大鎌は静かに下ろされました。
「ひ……っ」
こぼれかけた悲鳴を、とっさに口を押さえてこらえます。
斬られた人形。音もなく失われた姿。繋がっていた存在が薄霧のように消えていく光景。
(うそ……っ、なんで)
乱れる心音。息が詰まる感覚。どうして。みんなに優しいはずのレンさんがあんなこと。
人形だって生きていたのに。命があるだけでいいのに。ぬけがらも残らないで終わるなんて。
「レンさんっ!」
全力を出した呼びかけ。レンさんは大鎌を消して振り返りました。
「アリシアか。こんな所でなにしてるんだ?」
普段と変わらない表情と喋り方。だからこそ迷いに支配されました。苦悩してくれる姿を望んでいたのに。
「どうして……レンさんが、なんの罪もない人形さんを、殺すなんて」
「……そうだよな。びっくりさせてごめんな。理由があったんだ」
私の隣に並ぶレンさん。いくら安心したくても、心の弦は張り詰めていくばかりでした。
命はかけがえのないもの。私たちを支えてくれるもの。死ぬことで生まれる意味なんて、
「……そんなの、絶対ありません。生きるより大切なことなんて、なんにもないはずです」
私の存在を認めてくれた人が、自らの手で人形の灯を消失させた。
なによりも目を背けたい現実。あたたかい心を持っているレンさんが、私は大好きなのに。
「人形たちの意思なんだ。つらいことだけど、ドール君も送ってあげなきゃならない」
「っ……」
困惑する心。答えを待ちますが、私の意識はゆるやかに失われ始めました。居眠りを思わせる心地よさと共に。
(え……)
ゆらりと景色が揺らぎ、自分の体が倒れていきます。かろうじて視界は残されたまま。
意識のかけらの中で見たのは、レンさんが支えてくれる姿。そこには確かに、いつも感じている安心がありました。
―――――
アリシアが眠りに落ちた。たぶんこいつの仕業だろう。気の利く真似をしてくれたと感じた。
「眠らせたのか?」
『まあね。一人の方が行動しやすいだろ?』
「お気づかいどうも」
話しかける。俺の影から別れるように現れたのは白髪の少年。生神と呼ばれている存在。
生神の目的は、迷える魂を死後の世界に導くこと。純白の大鎌で斬るだけで痛みもなくあの世に送れる。
けど生神は単独じゃ実行できない。だから俺が協力している。ともすると沈みがちな気分をごまかしながら。
『どうした? 表情が暗いように見えるけど』
「いや、なんでもない。お前は気楽でいいな」
人形たちを送り出す。ドール君とも相談して決めたことだけど、実行するのは精神的にきつかった。
言い出したのがドール君だとしても、人形たちが願うとしても、絶えず心は揺れ続けている。
『まあね。じゃないと生神は務まらないし。嫌ならやめようか?』
「いや、みんなの願いだ。最後まで手伝うよ」
アリシアは強く反対していた。生きることを大切に考えていた。だから隠して計画を進めてきた。
アリシアの考えは好きだ。いつだって賛成したい。だけど今回ばかりは、確定された命の期限に従うことしかできなかった。
―――――
聞こえ始めた小鳥のさえずり。カーテンの隙間から差し込むのは明るい朝日でした。
目を開ければ普段通りの寝室。時刻は七時。忘れがたい光景は夢だったのでしょうか。
しかし、私のひたいに残るのは濡れタオル。たぶんレンさんがしぼってくれたもの。幻覚だと思いたかったのに。
(やっぱり、夢じゃなかったんだ!)
慌てて上半身を起こします。間に合うかもしれません。レンさんの間違いを止めないと。
生きていれば幾千の可能性があります。死は全てを断ち切ること。果てに待つのは後悔だけ。
誰もいない事務所を走り、体当たりで玄関を開けます。途端、なにか固いものにぶつかって扉が急停止しました。
「うぐぐぐ……」
「え、は、ハルさん!?」
玄関先には、ひたいを押さえうずくまるハルさんの姿。扉を打撃させた私のせいでした。
「ご、ごめんなさいあの、つい急いでて! レンさんを止めなきゃいけなくて!」
「急用……みたいですね。なにがあったのですか?」
涙目ながらも気づかってくれるハルさん。手当てしたいですがそうも言ってられません。
レンさんの向かった場所には心当たりがありました。多くの人形たちが暮らしている場所。リズちゃんと会えた廃洋館の中。
目をそらすのは終わりです。レンさんが何を思って行動しているのか、きちんと向き合いたいと思います。




