8.未知の食べ物それは寿司
店内を張り巡るコンベア上を皿が流れる。白米と魚介が一口大に仕上げられている。なるほどこれが回転寿司屋か。
なかなか賑わうお昼時。俺たち四人は店員さんに案内されるがままテーブル席に座った。
「おおっ、注文する前から料理が回っているぞ! ニホンノオモテナシ、トテモスゴイ」
「め、めがまわる」
正面に座るキールとリズは、瞳を輝かせて寿司を観察していた。さすがに感激しすぎだと思う。
「レンさん、今日はありがとうございます。お寿司は初めてですけど、みんなと一緒なら、きっとなんでも美味しいです」
俺の隣に座るアリシアが丁寧に言う。誰かさんと違って実にしとやかな反応だ。いやはや癒されます。
「アリシアには世話になってるからな。それにあのみぞおち突き。新たな一面が見られてよかったよ」
「いえ、あれはその……こほん、ところで、この白い布はなんですか?」
せきでごまかすアリシア。テーブル上の包み紙に入った物体を指す。おしぼり、とかいう謎説明をしてたな店員は。
「きっとあれだな、顔の汗とかふくやつだ。日本人はみんなきれい好きらしいからな」
「わー、さすがですね。そうなると、この蛇口は」
「寿司は手で食うのが通らしい。ここで指先を清めるんだろう」
着目したのはテーブル横に設置された蛇口。さすが日本式。席を立たずに手を洗えるなんて。
日本語で『注意! 熱湯が出ます!』と書いてある。あいにく全く読めないが、よく流せとでも記してあるのだろう。
「なんて書いてあるんでしょうか?」
「分からん。けど俺はやるぜ。まず指先をセットして、この黒いボタンを押せば水が、っ!?」
あつい。指が燃えそうだ。手を引きそうになるが寸前でこらえた。
まさか熱湯で消毒とは。日本人の魂は尊敬に値する。これも道を極めるためだ。死ぬ気で歯を食いしばれ俺。
「どうしたんですか!? 顔に脂汗を浮かべ、手はがくがく震え、目には涙をたたえてますけど!?」
「のおおお……よ、よしこんなもんか熱い。アリシアもやってみないか?」
「わ、私はいいです。おしぼりがありますから」
アリシアは遠慮がちに言うと、おしぼりで手を拭き始めた。今さらだけどそっちが正解に思えた。
ふと正面を見てみれば、キールが小皿を前に慌てふためいている。なにごとですか一体。
「み、見るのだレンよ! 緑色のジャムだ! 日本人は魚にジャムを付けて食べるのか!」
「……不可思議」
リズも少々びっくりしていた。ほとんど無表情だから分かりにくい。
それは俺でも知ってる。ワサビだ。抜けるような辛さらしい。開けた小袋にも書いてあるんだが。
「気付いたか」
「む……?」
「そのジャムを口一杯にほおばってから、寿司を食べるのが日本式だ。キールほどの人物なら知ってたよな?」
「そっ、そんなものは常識だぞ! あむっ……まったく、わたしをばかにするのもほどほど……に」
あ、ワサビを一気食いしたキールの表情が徐々にゆがみ始めてる。
「ん、んんんんー!!」
口を押さえ悲鳴をあげて走り去るキール。意外な反応だった。鬼の目にも涙ってやつかな。
一方のリズは動じることもせず、器用に箸を使いワサビをぱくぱくと口に運んでいた。
「刺激的」
「そ、そうか」
味覚音痴な子である。寿司を食べなさい。
その後は何事もなく、しいて言えば戻ったキールに殴られたくらいで、楽しく食事を終わらせることができた。
テーブルには皿が三十枚くらい。とても美味かった。日本人ありがとう。会計のため全員でレジまで向かう。
「アリシアとリズは、先に出てていいぞ。外の空気が吸いたくなったろ?」
「え、いいんですか? ありがとうございます! ごちそうさまでした。リズちゃん、行こっ」
「……レン、ごちそうさま、ありがと」
丁寧に頭を下げた二人は、手を繋いで店から出ていった。すっかり仲良しになってるな。
その流れに乗じるかのように、キールも自然に出入口を抜けた。すかさず追って肩をつかむ。
「ごちになるぞレンよ」
「待てや金持ち。たしかにおごろうとは思ってたが、せめて財布を出す仕草くらいはしなさい」
「ふっ、冗談の通じない男だなきみは」
やれやれと肩をすくめるキール。冗談になってないから。世の中の揉め事の大半は金のせいだから。
そんなやり取りの最中、後ろからぐっと肩をつかまれる。でかい腕だと瞬時に判断できた。
振り返る。身長百九十センチ越えのムキムキ黒人が立っていた。どこの国の軍人さんですか。
「オ客サン。オアイソ、マダデスヨネ?」
「おあいそ?」
意味不明な単語を口にした筋肉男。どうやら店員らしい。爽やかな笑顔が威圧的なんですが。
おあいそってなんだろう。今日のおすすめメニューとかかな。だとしたら腹八分目だからもう食いたくない。
「や、大丈夫だ。おあいそとやらに金を出すつもりはない」
「食イ逃ゲ、デスカ?」
「食い逃げ? なんでだよ。おあいそは拒否すると言ってるだけだ。問題でもあるのか?」
「オゥ、ココジャ狭イデス。殴ルノデ表ニ出テモラエマスカー?」
「わっ! なにすんだ! はなせこらぁ!」
筋肉男は、俺をひょいっとかつぎ上げると店の外に出た。どんだけおあいそ食わせたいんだよ強引すぎだろ。
キールは楽しそうに笑ってた。長い付き合いだからすぐに分かった。あれはおあいその意味を知ってる時の笑顔だ。
―――――
結局俺は誤解が解けるまで、筋肉男の殺人パンチを五分間も避け続けるはめになった。
アリシアが店員に説明してくれたから助かった。いくら俺でもあんな拳くらったら即入院だわ。
「なあキール。おあいその意味を知ってたんなら、教えてくれてもよかったと思うぞ」
「わさびのおかえしだ。だが、さすがレンと言うべきか、とても見事な回避だったぞ」
「そいつはどうも」
帰り道を歩きながらの、ちっとも嬉しくない賞賛だった。でも料金はタダになった。筋肉男とも少し親しくなれたし。
やがて分かれ道に差し掛かった。キールとリズの自宅は別方向にある。ここらで解散か。
「今日は楽しかったぞ。また行こうではないか。今度はわたしがおごるからなっ」
「……美味でした」
「あいよ。今度は筋肉のいないとこにするぞ」
「キールさん、リズちゃん、ありがとうございました。気を付けて帰ってくださいね」
挨拶を交わして別れる。楽しく喋りながら帰っていくキールとリズ。関係は良好みたいだな。よかったよかった。
「じゃ、帰ろうか」
「はいっ」
家に向かう。いい一日になった。熱湯に耐えたり殴られたりしたのも思い出になるだろう。
秋の天気は変わりやすい。晴れていた空は曇りがちになり、過ぎ去る風もいくらか冷たくなっていた。
「うう……なんだか冷えてきましたね。寒いのは苦手です」
「あー貧乳だもんな」
「関係なくないですか!? えと、手袋を持ってきたつもりが、忘れてしまったみたいなんです。だから、その」
かすかに頬を赤く染めながら、アリシアは静かに右手を差し出す。
「よかったら、手、つなぎませんか? あたたかい方が好きなので」
「……おお、初めてだな。アリシアから甘えてくれたのは」
「ち、違いますよ! 本当に寒いだけで! い、嫌だったら、あきらめます……けど」
地面に落とされるアリシアの視線。ゆるやかな金髪が、弱い秋風にさらさらと流れていた。
無言のまま、アリシアの手を取った。少し冷えたあたたかい手。どちらからでもなく歩き始める。
「たまには、こういうのもいいもんだな。いつもありがとうな」
「……レンさんのおかげです。これからも、側にいてもいいですか?」
「了解です、お嬢様」
慣れた関係のはずなのに、なんだか無性に照れくさくなって、普段は言えないようなことを口にする俺たち。
生きる中で出会えた特別な存在。季節は変わるけど、二人の時間はできるだけ長く、少しでも一緒に。
アリシアの髪を飾っている、よく似合う赤いリボンは、静かな歩調に合わせて小さく揺れていた。




