12話 武人の誇りを腰に提げて 上
Ⅰ
プレオは一人、ナイトの隊舎に忍び込んでいた。屋根の上を這って、たどり着いたのは四番隊の執務室……、フィガロの姿はなく、ユーノスが一人、横向きに眠っていた。
「よう」
プレオは背面から静かに声をかけるが、ユーノスは起きない。
こんなことでパレスの警備が務まるのかと、心配になる。
「おい、起きろ。坊ちゃん」
プレオが少し声を大きくすると、ユーノスは気づいたようだが、わずかに目を開けるだけで、体を起こす気配はない。
「フィガロ、さま……?」
ユーノスは寝ぼけながら言う。
「違う。プレオだ。ガキの頃、近所に住んでた」
ユーノスは寝返りをうち、プレオの顔を確かめると、飛び起きる。
「小さいソルジャー!」
「小さい言うな」
プレオはユーノスの頭に優しくチョップを入れる。
「馴れ馴れしい。なんでお前がここに」
「だから、話したかったんだ。オレとお前は、ガキの頃、一緒に遊んでた。覚えてないか?」
「子どもの頃……」
ユーノスは布団の上で思い出そうとする。
「思い出せ。朝顔の種をくれただろ? オレは蜩を捕まえてやった」
「あ」
ユーノスの頭に、誰かからもらった虫がよい声で鳴くので、半紙で作った箱に入れて、アイラに聞かせた記憶が浮かんだ。
その誰かは、痩せて日焼けもしていたが、木登りや宙返りなどが得意で、いつのまにか、会うことがなくなっていた。
「お前だったのか」
「オレも、坊ちゃんのこと、パレスの近くで見かけたことはあったが、近くで話すまで忘れてた。昔はもっと、普段でも……、さっきみたいにぼうっとしてた」
「変わったんだよ、生きていくために」
ユーノスは自分の白い羅に触れる。
プレオには、やっと繕っていた面が取れて、本当のユーノスと再会できたような気がした。
「聞いてくれ、オレだって偉くなったんだ。ケンカで一番になって、スリもしてた。けど、こんなんじゃいつまでもこんなままだって思って、ソルジャーに志願した。それから数字も覚えた」
プレオは頬に熱を持って語る。
「百まではお前が教えてくれただろ? だから、千も万も、ちょっとで分かったんだ。それで、他の奴らに自慢して」
そのとき、戸が開いた。
話に夢中になっていて、プレオも気づかなかった。
自分の部屋として入ってきたフィガロは、啞然とする。
かわいがっている部下が、まだ袴もつけないで布団の上にいるのに、見知らぬ薄汚れた少年が、得意げな声を上げている。
フィガロは自分が羽織っていた上衣をユーノスに投げる。
腰に提げている刀の鞘に手をかける。
プレオもまた、どこからか短刀を出し、構える。
「君、資格もないのにここに上がったね」
「だから何だ。入られたくないなら相応の対策をしろ」
フィガロは刀を更に抜こうとする。
「デピュティ!」
ユーノスは声を張る。
棟全体に聞こえるような、怒号にもとれる声であったが、姿は、フィガロの羽織りを肩にかけて、襟を握りしめている。
「この者の身分は僕が知っています。お許しを」
ユーノスはフィガロに片膝をつく。
「君が招くはずもない」
「招いてはいませんが、その……」
「何か見られたらどうするつもり? 君が一番に、切り捨てるべきだったんだよ」
ユーノスは唾を飲み込む。
「いいえ、今は共にレディ・フレアをお守りする勤めにあります。フレアさまは、仲間内での争いを好まれません」
フィガロは、恐怖に耐えているようなユーノスと、未だ冷静にフィガロを狙っているプレオを見比べる。
二人の話は聞こえなかったが、この若い二人が何か共謀したとして、フィガロに潰せないわけがない。
「……出ていけ」
フィガロが言うと、プレオは舌打ちして姿を消した。
執務室には再び、ユーノスとフィガロが二人きりになった。
フィガロはいつものように、ユーノスに近寄る。
ユーノスはその場に腰を落とす。
「……大丈夫、君には怒っていないよ」
フィガロは目線を合わせようと、ユーノスの前に片膝をつく。
それがユーノスには恐ろしかった。
「……申し訳ありません」
「君の優しさが、誰かを救うときがくる。君は僕が守ってあげるからね」
ユーノスにはフィガロの思考が分からない。
Ⅱ
昼からの番にユーノスは十数分遅れてきた。
誰からも責められていないのに、一人で必死そうに謝るのを、フレアが止めさせる。
「何か事情があったのでしょうから怒らないわ。私はシルビアさまほど短気じゃなくてよ。おほほほほほほ」
フレアは何かにつけてシルビアの悪口を言いたくて仕方がないのだ。
フレアが高笑いするのと一緒に、アルザも笑う。
「遅刻なんて誰にでもあることだ。誰か一人くらい遅刻してもいいように、仲間がいるんだからな。俺が遅刻したときはお前に頼むぞ! ふはははははははは」
ユーノスは訳が分からなくて、大人しくフレアとアルザに許されることにした。
「ではそろそろ、プレオも戻ってきたかしら?」
フレアが声を張るが、応える気配はない。
「仕方ないわね。ではユーノスさま」
「はい?」
シフォンが小さく「きゃっ」と悲鳴を漏らす。
「シフォンを今から、デイジィさまへ贈るお菓子を買いに行かせるから、護衛について行ってくださる? ついでにアドバイスもしてあげてちょうだい。あなたなら任せられるわ」
「え?」
新たな任務に、ユーノスは驚く。
シフォンは興奮してじたばたする。
「シフォン、ちゃんとなさいな。シルビアさまから頼まれたようなものよ」
フレアは表現をうまくごまかしつつ、シフォンの背を叩く。
ユーノスは、盗み聞いた手紙の内容と照らし合わせて、そのことだ、と思い、気を引き締める。
「かしこまりました。シルビアさまにもデイジィさまにもお気に召すようなお菓子を手に入れて参りましょう」
シフォンは頬を赤くしながら、小さく「はい」と答える。
「よろしい。いってらっしゃい」
フレア、スピア、ソルテラおじさん、アルザはほほえましく、ユーノスにエスコートされるシフォンを見送る。
Ⅲ
幼少期から一緒に育ってきたも同然の、素直で、いつもにこにこして、フレアの味方でいてくれる大事なシフォンを楽しい買い物へ行かせて、フレアはこれまで披露したこともない、冷徹な顔を、残った面々に見せた。
「ユーノスさまはそんなことをしないでしょうけれど」
フレアは扇を開き、口元を隠す。
「ソルテラ、」
ソルテラはもう叱られたような顔になる。
「かわいそうだけれど、あなたには一つお頼み事があるの」
「はい」
ソルテラおじさんはかしこまって正座する。
「そこにいるあなたの後輩、アルザをよく見張っておいて、何かしでかそうとしたらすぐ私に報告なさい。いい? テリオスさまではなくてよ」
「……へ? なんで?」
フレアは一息つく。
「私がここの主だからよ」
アルザが口笛を吹く。
「かっこいいねぇ。さすが、ホライズ卿の孫娘」
「今はそれでいいわ。ところで、あなたは何者?」
フレアはアルザに尋ねる。
アルザはまた踊るように答える。
「何者でもないさ、ただの、普通の、そこらへんの男だ」
「お手紙、ご覧になったでしょう? 私たちに気づかれないように」
「おや」
「気づかれないようにしていたのが私には視えたわ」
アルザは笑う。
「許しとくれよ、国防のためなんだ」
「国? 国なんて、あんなお手紙で潰れるわけないわ。潰れるとすればウィステリア家の覇権だけ」
「大黒柱が倒れたら家人は困るだろう?」
「他の柱が全部折れるのでもない限り、そうすぐに崩れはしないわ。つまり、私とお父さまがいれば大丈夫なの」
「随分な自信だな」
「当然よ。あなたも武人ならそう思うでしょう? 太政大臣なんて、いくらでも代えが利く。エンペラーをお守りする剣と、それを握る者がいれば充分よ」
「わかった、わかった。ヘッドにはそう報告しておくよ」
「あなた、今朝私に跪いたのをお忘れ?」
「はいはい。レディ・フレアさまには忠誠をお誓いしますよ」
アルザは少しも反省する様子もない。
スピアは彼にひどく腹を立てたが、フレア以上に言うこともないので、黙っている。




