第100話 無重力空間(ヌル・ポインタ)の静寂と、聖女による不可視ノードの看破
【担当:キース】
脆弱な頭脳で我が肉体を使いこなせるかな?
開戦だ。
魔王城の深部へと続く、禍々しい扉を抜けた直後。
勇者一行は、唐突に「上下の感覚」を喪失した。
「……っ!? な、なんだぁ!?」
先頭を歩いていたガルドが、足場を失い、宙に向かって手足をバタつかせる。
彼らが足を踏み入れた部屋は、入った瞬間に背後の扉が消滅し、同時に「床」も「天井」も「壁」も、全てが闇の中に溶けて消えてしまったのだ。
「全員、動くな!! 迎撃態勢をとれ!!」
慎也の鋭い号令が、パニックになりかけた空間を引き締める。
無重力の暗闇の中、彼らは咄嗟に互いの背中を合わせるようにして、全方位を警戒する球状の陣形を組んだ。
ガルドが大斧を構え、暗闇を睨みつける。ナイルとミナが両脇を固め、エリスが即座に防御結界を展開する。慎也は杖を握りしめ、いつ全方位から魔法の暴雨や不可視の魔物が襲い掛かってきても即座にカウンター(例外処理)を叩き込めるよう、極限まで魔力を練り上げた。
……1分経過。
……5分経過。
……10分経過。
何もない。
襲撃はおろか、風の音一つ、魔力の気配一つしない。
あるのは、自分たちの荒い呼吸と、ドクン、ドクンという心臓の音だけだった。
「……ハァ、ハァ……リーダー。いつ来るんだ……?」
ガルドの額から、大粒の汗が「上」へ向かってフワリと浮き上がる。
見えない敵の強襲に備え、120%の力で警戒し続けるという行為は、実際に戦闘を行うよりも遥かに精神と体力を削り取る。ミナの握る鞭も、緊張で小刻みに震えていた。
「……警戒を解け」
慎也は、ゆっくりと杖を下ろした。
「キースライン様……?」
「敵の強襲はない。これだけ待って何も起きないのが、その証明だ」
慎也はここで初めて、腰の聖剣を静かに抜き放った。
そして、暗闇の彼方へ向けて、探りを入れるように蒼い剣圧(斬撃)を飛ばす。
シュラァァァッ!!
だが、放たれた斬撃は、壁にぶつかる音も光の反射も起こさず、ただ虚空へと吸い込まれて「消失」した。
「……エラー(反響)すら返ってこないか。完全に外部から隔離された『未割り当てのメモリ空間』だな」
慎也は剣を鞘に戻し、忌々しそうに眼鏡(伊達)の位置を直した。
「我々を警戒させ、恐怖を煽り、自滅するまで無駄なスタミナを消費させる。そして最後は餓死を待つ。……これが、この部屋のトラップの全容だ」
「そ、そんな……! じゃあどうすりゃいいんだよ! 攻撃も届かねぇのに!」
焦るガルドを制し、慎也は腕を組んだ。
「……焦るな。論理的に考えろ。この『重力を消し、空間を隔離する』という物理法則を無視した特大のバグを維持するには、莫大なサーバーリソース(魔力)が必要不可欠だ」
慎也の視線が、暗闇の中を鋭く巡る。
「これほどの出力を、魔王城の奥底から遠隔で垂れ流し続けるなど非効率の極み。必ず、この近辺に隠れて省エネで空間を維持している『中継器』か、術者本人がいるはずだ」
「……!」
その言葉に、エリスがハッと顔を上げた。
「エリス。貴様の高感度な『魔力探知』の出番だ。目は開けるな。視覚という不確かなインターフェースを捨て、空間の魔力の『淀み(トラフィック)』だけを探り当てろ」
「はい……っ!!」
エリスは杖を胸に抱き、静かに目を閉じた。
慎也のロジックが、暗闇で迷子になっていた彼女の力に「明確な的」を与えた。彼女は自らの感覚を研ぎ澄まし、波一つない無の空間に、極細の魔力の糸を這わせていく。
……数秒の、深い集中。
「……見つけました」
エリスが目を開き、斜め上方の「何もない空間」をビシッと指差した。
「あそこです! 何もないはずなのに、そこだけ僅かに魔力が『吸い込まれて』います!」
「上出来だ。ナイル、ミナ! 座標は示されたぞ!」
「了解っス!!」
「行くよ、ナイル!」
足場のない無重力空間。だが、彼らには肉体という「質量」がある。
「ガルド! 壁になれ!」
「おうよ!!」
ガルドが空中で巨体を丸め、強固な足場となる。
ナイルとミナが、そのガルドの背中を全力で蹴り飛ばした。作用と反作用の法則により、二人の体はエリスが指し示した暗闇の一点へと、弾丸のように真っ直ぐに射出される。
「そこだァァッ!!」
ミナの鞭が虚空の「何か」に巻き付き、ナイルの短剣が、見えない装甲の隙間へと深々と突き刺さった。
ギャアァァァァァッ!!
何もない空間から、周囲の闇と同化して潜んでいた巨大な「隠れガーゴイル」が、緑色の血を噴き出しながら姿を現した。空間を維持していた制御ノードの破壊だ。
パリンッ……!!
ガーゴイルが絶命した瞬間、空間に走っていた見えないプログラム(結界)が粉々に砕け散った。
唐突に「重力」と「景色」が戻り、一行は石畳の床へとドサリと着地する。
「……ふぅ。見事なデバッグ作業だったな、お前たち」
慎也は、埃を払いながら仲間たちを見渡した。
「エリスの探知がなけりゃ、一生あのまま空中に浮いてたぜ……」
ガルドが冷や汗を拭い、エリスに親指を立てる。エリスは照れくさそうに、しかし誇らしげに微笑んだ。
状況観察からの論理的な推理。そして、聖女の感知能力と前衛の物理演算(反動利用)の完璧な連携。
決して一人では抜け出せなかった無限ループの密室を、勇者一行は「システム(パーティー)」としての完全な結束によって打ち破ったのだった。
【総統通達】
読者諸君。我だ。
あの優男(慎也)め、相変わらず理屈っぽい戦い方をしていたな。我ならば一撃で粉砕していただろうに。
まあよい。今回の話に少しでも心が動いたならば、【ブックマーク】および、下部の【★★★★★】にて、我への忠誠を示せ。
良い評価は、次なる戦い(執筆)への糧となる。期待しているぞ。




