第25話 焦り~Side白~
テストが返却された数日後。
「遥、ちょっと話があるわ」
帰宅早々、母に呼び出される。
リビングに入ると、母がテーブルの前に座っていた。ショートボブの黒髪、あたしと似た顔立ち。いつもこの時間はパートのはずなのに、今日は珍しく休みらしい。
母は週3、4日、書店でパートをしている。昔は正社員で事務の仕事をしてたらしいけど、姉が生まれて育児に専念するために退職したって聞いた。あたしが小学校に入ってから、また働き始めた。だから、こうやってわざわざ休みを取って待ってるってことは……。
テーブルを見ると、お茶を淹れたカップが二つ。エプロン姿の母。
そして、成績順位表。
……やばい。
「見たわよ。総合10位」
母の声は穏やかだったけど、少し疲れた感じがした。いつもなら笑顔で「おかえり」って言ってくれるのに、今日は違う。
いつもは2位。それが10位。
母の顔を見られない。
「数学78点、英語82点……」
母の指が、赤いマーカーで囲まれた点数をなぞる。その指が少し震えているような気がした。
「遥、これは何?」
怒ってるわけじゃなさそうだ。顔を見ればわかる。でも、がっかりしてるのは確かだ。むしろその方が辛い。
「……ごめんなさい」
言い訳なんてできない。勉強をサボったのは事実だから。黒澤との制作に夢中になって、問題集を開く時間が減ってた。定期テストの前日も、ペン入れ作業を優先してしまった。
母はあたしをじっと見て、それからゆっくりと目を閉じた。深呼吸をしてから、もう一度目を開ける。
「このままだと進路に響くわよ。ちゃんと勉強しなさい」
「……はい」
母が顔を伏せて、お茶のカップを両手で包む。湯気が立ち上る。
「夏休み中、毎日ちゃんと勉強する時間を作りなさい。遊んでばかりいないようにね」
「……はい」
あたしの心臓が嫌な音を立てた。
……ちゃんと勉強する時間。
頭の中で計算する。まともに勉強するなら、午前中3時間、午後も3時間くらい?夕飯とお風呂で2時間。
……創作の時間が、ほとんどない。
母が少し間を置いて、カップから顔を上げた。
「……それと、遥」
「……はい」
「あんた、最近何か趣味に没頭してるようだけど。何やってるの?夜遅くまで起きてるでしょ?」
心臓が止まりそうになった。
……バレた?
エロ漫画描いてるって、言えるわけない。
「え、えっと……」
顔が真っ赤になる。言葉が出てこない。
母がじっと見てくる。でも、怒ってるんじゃない。心配してる顔だ。
「別に……その……」
母が小さく笑って、首を横に振る。
「……まあ、いいわ。言いたくないなら無理には聞かないけど」
カップを置いて、あたしの手を軽く握る。温かい。
「ほどほどにね。勉強もちゃんとしなさい。お母さん、遥のこと信じてるから」
「……はい」
助かった……でも、信じてるって言われて、余計に罪悪感が増した。
自室に戻って、ベッドに倒れ込む。
やばい。
頭の中で計算する。
ちゃんと勉強するなら、午前中3時間、午後3時間。
夕飯とお風呂で2時間。
……創作に使える時間、1~2時間?
タブレットを開く。
第2作『雨宿りの君へ』。
現在12ページ完成。
目標24ページ。
残り12ページ。
締切8月末。あと3週間。
……このペースじゃ、間に合わない。
スマホを取り出して、黒澤にメッセージを送る。
『成績のこと母さんに言われた
毎日勉強しろって
やばい』
すぐに返信が来た。
『俺も
父さんに呼び出された
午前は塾、午後も自習、門限10時』
『時間ほとんどないわね』
『ああ』
『どうする?』
返事が来ない。
あたしもどうしたらいいかわからない。
スマホを置いて、タブレットに視線を戻す。
Pixivの販売記録のページを開く。
「6月のコミティア:4冊」
……たった4冊。
あの日のこと、思い出す。隣のサークルには完売の札が貼られてた。お客さんが次々と本を買っていくのを、あたしはただ見てるだけだった。
何が違ったんだろう。
本のクオリティ?線の丁寧さ?構図の迫力?
それとも、宣伝不足?Twitterでのサンプル公開が少なかった?タグの使い方が間違ってた?
答えは出ない。
でも、諦めたくない。
黒澤と作った作品。二人で話し合って決めたストーリー。あたしが何度も描き直したキャラクターデザイン。黒澤が徹夜で書き上げたセリフ。
6月のコミティアで見た、プロレベルの作品に近づきたい。あの線の美しさ、構図の迫力、ストーリーの深さ。
あたしたちの作品も、いつかあのレベルに。
……両立、しなきゃ。
成績も維持して、創作も続けて。
スケジュール帳を引き寄せる。
勉強時間。
制作時間。
睡眠時間。
計算する。
……睡眠削れば……?
いや、それじゃ勉強にも支障が。
どうしよう。
窓の外を見る。夏の青空。
スマホが震える。
黒澤からのメッセージ。
『相談したい』
『あたしも』
『明日、白石の家いい?
16時に』
『いいよ
わかった』
画面を閉じる。
タブレットの画面に、未完成の原稿が映っている。
主人公の女の子が、傘を差し出すシーン。まだ下書きの段階。背景も描いてない。表情も、まだ納得いってない。
窓の外を見る。夏の青空が広がっている。
今年の夏は、去年とは違う。
創作がある。黒澤がいる。目標がある。
でも、その分、失うものもある。時間。成績。母の信頼。
あたしは、ちゃんとできるんだろうか。
深呼吸をする。
とりあえず、明日。黒澤と話そう。
それまでは、できることをやるしかない。




