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Take On Me   作者: マン太


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25/42

25.涙

「じゃあ、行ってくる…」


 亜貴(あき)は元気なくそう言い残すと、真琴(まこと)の運転で新天地の視察へと向かった。そこで母方の祖母とも会い、一泊してくるらしい。

 玄関先で二人を見送り、振り返ると背後に立っていた(たける)と視線がぶつかった。

 強い眼差し。

 その視線にいたたまれず、先に口を開く。


「な、今日はなにか予定、あるのか? なければさ、一緒に映画でも──」


 観るかと言いかけた俺の頬に、なぜかほろりと涙が零れた。

 昨日から涙腺がおかしくなっているらしい。岳を見るたび、涙が溢れそうになる。

 今朝だって朝食を食べに顔を見せた岳を見た途端、涙がこぼれそうになって、慌てて既に切り終えて置いてあった玉ねぎの所為にしたくらいだ。


「って、なんだ? はは、変だよな。やっぱ、止めよ。こんなんじゃ、映画どころじゃねぇって。俺、自分の部屋片付けてくる…」


 来週にはここを引き払うことになるだろう。式も来週には行うと言っていた。


 いよいよだ。


 そう思うと、余計に涙が込み上げてきてしまうのだ。


 ったく。ガキじゃねぇんだから。


 ぐいと目の端を拭ったところで、その手首を掴まれた。見れば岳がこちらを強い眼差しで見下ろしている。


「岳…?」


 もう一方の手が腰を引き寄せた。岳との距離が一層近くなる。


「たけ──」


 もう一度、名前を呼びかけた所で唇を塞がれた。

 俺は胸を押し返そうと試みたが、徒労に終わる。それに、本気で押し返したかった訳でもない。

 岳は掴んだ手首を離し、両腕で俺を抱きしめてきた。


 岳──。


 俺も岳の背にしがみつく。

 もう何も考えられなくなっていた。


+++


 正直、抱くつもりはなかった。

 もう、これきりなのだ。今、そんなことをしては別れがたくなるだけ。

 そう思ってはいたのだが、大和(やまと)の落した涙に負けた。

 いや、大和だけの所為だけではなく、結局の所、岳自身もそうしたかったのだ。涙は引き金になったに過ぎない。

 初めて心から好きだと思える相手の全てを、記憶にとどめておきたかった。

 恥ずかしいと何度も口にする大和。それを(なだ)めて触れて行った。

 岳のする行為にひとつひとつ、素直に反応が返ってくる。それは見ていて嬉しくなる光景だった。

 それまで何人かのパートナーはいたが、特定の相手は作っていない。

 相手の素性も調べ、後腐れなく付き合える相手のみ。プロもいれば慣れた素人もいた。

 そこに愛情はなかった。ただの生理現象の解消の相手に過ぎない。相手もそれは承知していて、今が楽しければそれでいいというものばかりだった。

 身体はそれでも良かったが、心はちっとも満たされない。

 それでも大学生の頃、一人だけ、まともに付き合った奴がいた。

 線も細くいかにも手折れそうな青年。色も白く容姿は女子と見紛うばかり。そんな奴が同時期に山岳部に入ってきたのだ。

 聞けば同じ学年だという。初めて相対した時の印象は面倒臭そうな奴、だった。

 いずれは辞めるだろうと、そう高を括っていたのだが意外に根性があり、結局、大学を卒業するまできっちり部活動に参加していた。

 そいつが入部して数ヶ月後。

 好きだと告白してきたのだ。その頃にはすっかり岳は自身の性的志向を自覚していて。

 迷う事なく付き合いだした。自分も好きだと思えたからだ。

 四年間ずっと一緒で。しかし、それも卒業間近になり別れの気配が漂い。

 岳は山岳カメラマンを目指し上京することに。奴はイギリスに留学すると言った。まだまだ学びたい世界があるからと。

 岳が強く引き留めれば別の道もあったのかもしれないが、そこまでするつもりはなかった。

 そこで奴とは別れた。

 それ以来、まともな付き合いはしていない。

 すっかり心もすさみかけた頃、大和と出会った。

 初めて見た時、コツメカワウソだなと思った。幼い頃、母がお守りにくれたぬいぐるみ。

 目が小さくくりくりとしていて、愛嬌がある顔だ。小柄でちょろちょろ動く姿が正にそれで。笑えて仕方なかった。

 ちょっと変わった奴だが、前向きで打たれ強い。亜貴の攻撃にもまったくひるまなかった。

 大和と一緒に過ごし笑っているうちに、いつの間にか惹かれている自分に気が付いた。

 見た目はごく普通。取り立てて目立つわけでもなく、探せばどこにでもいそうな顔だ。

 けれど、彼を得たことで岳の人生に彩りが再び加わったのだ。

 学生の頃とは違う、もっと温かで心から愉しめる時間。大和といるとそれを得られた。

 初めて得た充足感。

 まるで暗闇の中で見つけた光の様で。


 大和といたい。この先もずっと──。


 しかし、現実はそうは行かなかった。

 父親に跡はお前が継げ、そういわれた時、大和とこれ以上は関われないと思った。

 自分が跡を継げば、周囲にいるものにも影響を及ぼす。

 同じ道のものならまだしも、大和は一般人だ。これ以上関われば今まで以上に危険な目に遭うこともあるだろう。頬や頭に切り傷程度で済まないことも出てくる。

 それは避けたかった。

 自分が一般人に戻るなら、大和と生きる道もあっただろう。

 しかし、継ぐと決めた今はそうはいかない。亜貴同様、大和もこちらに引きずり込む訳にはいかなかった。


 なのに。


『好きだ』


 そう言われ、もう何も考えられなくなった。


 今、この時だけでいい。


 初めて心から好きになった人を腕に抱きしめたかった。


+++


「…岳。お前、意地が悪い…」


 ベッドの中、岳の腕の中で大和が上目使いに睨んでくる。

 大和には悪いが、可愛くて食べてしまいたいほどだった。岳は頬にかかった髪を避けてやりながら。


「どうしてだ? 優しくしただろう?」


「…しすぎだっての。じらして楽しんでんじゃねぇよっ! こっちはどうにかなりそうで、必死だったってのに…っ!」


 顔を真っ赤にして悪態をついてきた。

 どうやら、全てが初めてだったらしい。後で聞けば男女の間でのそれも、経験がなく。

 キスがせいぜいだったと語った。

 その他は日々生きる事に忙しく、そんな時間がなかったのだとか。

 確かに誰かと付き合うのには金も時間もかかる。その両方がなかったのだと言った。


「良かったならいいだろ?」


 耳元に唇を寄せてそう返せば、ぼっと首筋まで赤くなる。そんな姿を見れば、欲求を止められるはずもなく。

 まして、これで大和に触れることはもうないのだ。

 岳は肩を揺らして笑うと、大和を抱き寄せた。

 あれから、ろくに食事らしい食事も取らず、ただ抱き合っていた。

 流石に夕刻も近くなって、体力に限界が来て。簡単な食事を取ると、二人でシャワーを浴びて、再びベッドに潜り込んだ。

 そうして、今。

 時刻はまだ深夜に近い。岳は大和が目覚めたのをいいことに、そのまま首筋にキスを落としだす。


「ちょ、なに? まだ、やんのか?」


 ひるむ大和に岳は笑みを浮かべて見せると。


「…しっかり記憶に刻みたいんだ」


 そういえば、もう大和は抵抗しなかった。

 ゆるゆると腕を伸ばし、岳の背を抱くと耳元で。


「今は、それ。忘れようぜ…」


 その言葉に悲しみを抑えて笑むと。


「…ああ」


 二度と会えない。


 その未来を今、この時だけは封印した。

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