名前が欲しい
鈴を背に乗せたイナトはとてつもない速さで、滑走し始めた。風の抵抗で、鈴の体はグッと後ろへと持っていかれる。間一髪で、毛にしがみ付き落ちるという最悪な状態には至らなかったが、想像している以上に獣に乗るという行為は危険かつしんどいらしい。もう下ろしてほしいと鈴は半泣きでイナトにしがみ付いた。
「イナト、落ちるから、もう少しゆっくり!!」
「んんッ!?」
必死で毛にしがみ付いていた手がブルブルと限界を訴え震え始めた頃。イナトは鈴の声でスピードを落とした。太い足を地面へとつけ完全に動きが停止する。先を行っていたはずのノアとグレンはいつの間にか追い越していたようで、後方からこちらへと走って来ていた。
「いきなり追い抜かされて、驚きました」
走ってきたノアがハァッとハァッと呼吸を整えつつ苦笑いを浮かべた。
「すまなんだ主よ」
シュンッと耳をたらすイナトの頭を撫でる。
「早すぎて吃驚したけど、背中に乗せてもらえて助かったから謝らないで。でも、もう少しゆっくり歩いてくれるとありがたいです」
「ではまだ乗っていてくれるのか!!」
キラキラと目を光らせ喜ぶイナトに、良ければ乗せてと鈴が頷く。嬉しそうに大きな尻尾を振るイナトの頭をヨシヨシと撫でていると下からグレンが見上げてくる。
「俺たちも、歩くスピードを考えてなかった。すまなかった」
「僕も先急いでしまって……。言い訳がましいですが、すいません」
二人はそれぞれ、イナトの様に落ち込んだ様子で頭を下げる。鈴自身さほど気にしていなかった事だったので、謝る二人にマゴマゴとどうしようかと変な動きを繰り返した。
「そんな深刻そうにしないでください……全然気にしてませんし!!」
ブンブンッと首を振り見上げてきた二人に笑みを向けた。
「お風呂、入りたい気持ちは良く分かります」
グッと親指を立て、なので速く行きましょうと言い足した。ノアもグレンもポカーンと見上げていたが、二人は互いの顔を見合いフッと笑った。
「そうだな、血みどろな姿でずっと居たくないしな」
「そうですそうです。今の姿を見たら、多分モンスターと同じくらい怖がられると思います」
結構ホラーに仕上がっていると思うと鈴は自分の服を見下ろした。気になる所は拭いはしたが全身モンスターの血でグチャグチャになっている。今の姿を町民が見れば、きっと卒倒するだろう。
「確かにそうですね」
ノアは全員や自身の姿を見て、クスリと笑った。それを見てグレンも鈴も笑みを浮かべた。サァッと優しい風がふき、全員が歩き始めた。
「のぉ人の子よ」
先ほどと違い、ゆっくりと振り落とされる心配のないスピードで進む鈴の横へ精霊が近寄る。彼はジーッとイナトの背に視線を向けた。
「わしも乗ってみたい」
まさかの要求に鈴は目をパチクリとさせた。私は別にいいけど、イナトはどうだろうかと前を向いた。
「イナトいい??」
「あぁ良いぞ、乗るが良い」
精霊はわーいッと若干棒読みの歓声をあげ鈴の前に座った。振り落とされないように精霊の体を抱き寄せると、彼は鈴にもたれかる。
「人の子よ、名を聞いておらなんだ」
「……あぁそういえば、名前言ってませんでしたね。改めて、鈴です」
チラリと鈴へ視線を向けた精霊はフーンッと聞いたわりにそっけない返事を返した。
「なぁリンよ」
「なんですか??」
「……わしも名がほしい」
精霊は小さく遠慮がちに、自分の体を落ちないように抱きかかえてくれていた鈴の腕に触れた。そっぽを向いていた彼の視線が再び鈴へと移る。
精霊などに名を与えるという事は、場合によっては主従関係が成立する。今の鈴とイナトの様にだ。主従関係を結んだものは、魂も結ばれる。鈴がもし何らかの理由で命を落とせば、イナトも死ぬ。重々しい関係をこれ以上増やしたくないというのが鈴の考えだ。
本当はイナトとも契約なんてしたくなかった。命が自分自身のものだけでないのはかなり怖い事だ。自分が死ねば一緒にイナトも死ぬ。イナトの命も握っているといっても過言ではない、かなりの責任を感じる。
本当は裸足逃げ出したい思いだ。今その様な状況であるのに、彼の命も預かるなんて到底無理だった。しかし、精霊はフッと笑い不安そうな鈴の手をポンポンッと叩くように撫でた。
「なぁに、名前がほしいだけだ。主従関係は結ばん、それはワシがせんと誓う。そもそも、雷獣の後は尺だ」
「なんだそれは聞き捨てならん」
ムッとした様に、イナトが顔を精霊の方へと向けた。向けられた彼はツーンッとそっぽを向いていた。
「良き者と契約したもんじゃ。お手付でなければワシが契約を結んだというもの……。諦めたんじゃ、名を貰っても罰はあたらまい。何か良い名はないだろうか??」
「そういうことなら……えっと、そうですね」
名前がほしいという精霊のため、鈴はンーッと眉間に皺を寄せた。何か良い名前はないだろうかと辺りをキョロキョロしていると、ふと彼の紅色の髪に視線が向いた。
「紅なんてどうでしょうか??」
「コウ??」
キョトンとする精霊に、肯定するように頷いた。
「くれないという文字が私の国にはあります」
こうやって書くんですよと宙に文字を書くように指を滑らせる。それを興味心身に精霊は見上げた。
「この一文字でクレナイ。これは色の名前で呼ばれます紅色と。紅色はざっくり言うと赤色の事で、精霊さんの綺麗な髪の色から思いつきました。それでですね、このクレナイには他にも呼び方があって、それがさっき言ったコウという呼び方です。クレナイでも良いかと思ったんですけど、コウの方が覚えやすいかなぁって、どうでしょうか??」
「……コウ。ワシの髪の色の名前」
ボソリボソリと精霊は覚えるようにコウと呟き、自分の髪を摘んだ。サラリと指からすり抜けた髪が、元の位置へと戻っていく。
「リン」
しばらく何も言わなかった精霊が振り返る。彼は本当に嬉しそうに笑っていた、大人びた笑いではなく子供のような無邪気な笑顔。
「気に入った。……コウにする。ワシの名は今日から、コウじゃ」
振り返ってきた精霊、改めコウはギュッとリンに抱きついた。嬉しくてくすぐったい気持ちを押さえ込むように小さく笑い声を漏らすコウの頭を鈴は優しく撫でた。
そんな和やかなムードを、あまり良く思わないものがいた。彼はブーンッと退屈そうに尻尾を振った。
「……ムムム、なんだこの疎外感は」
イナトは、自身の背の上で行われている二人のやり取りに面白くなさそうに、顔を歪めた。その横を歩いていたノアとグレンは、苦笑いを浮かべちょっぴり焼き餅を焼いているイナトの頭を宥める様に撫でた。




