07 ボッチ召喚
俺の名前は加賀坂通と書いてカガサカ トーリと読む。
“トオル”じゃない。“トーリ”って読むんだ。
加賀坂通りってどっかの商店街かよ。
俺はこの名前を付けた爺ちゃんを許さない。
あの世で会ったら絶対文句を言ってやるつもりだった。
子供の頃からこの名前のせいで、かなりイジメられた。
俺がボッチになった一因だ。
いちいち名前を訂正するのも面倒だ。
もう俺は“トオル“でも”ツウ“でもなんでもいいよ。
好きなように呼んでくれよ。
加賀 坂通。 苗字と名前の間を間違えるとサカミチ君だ。
ああ、もし俺に友達がいたらサカミチって呼ばれるんだろうなあ。
それにしても人の名前を間違えるような失礼千万な奴には、相手が生徒会長であろうとも絶対に返事なんてしない。無視だ。シカトだ。
あと少しなんだ。あと少しで予備チャイムが鳴る。
このまま予備チャイムが鳴るまでスパイボッチモードに瞑想スキルを重ね掛けして粘ってやる。
「……おい」
生徒会長の声に怒りが滲み出ていた。
無視だ。耐えろ。お前のボッチ度はそんなものか?
声を掛けられたぐらいでいい気になるな。
お前はボッチなんだぞ。
俺は必死に無視する。
無視するのは簡単だと思うがこれが意外に難しい。
体が動かないように、肩が揺れないように必死に静止するのは高度なテクニックが必要なのだ。
「会長。彼はきっと疲れているのでしょう」
「うむぅ」
お、ナイスフォロー。この声は副会長か?
ボッチ理解者候補に認定してやろう。
そうっスよう。俺昨日ダンジョンで頑張ったからお疲れモードなんスよう。
俺が頑張って無視モードを継続していると、とんでもないことが起きた。
「!」
柔らかいフェザーのような繊細な髪が俺に触れたのだ。
俺の耳に天使の羽が舞い降りたのだ。
「ひい」
俺の喉から素っ頓狂な声が出た。
「……加賀坂君。放課後に生徒会室まで来て……ダンジョンのことで聞きたいことがあるの」
なんと副会長の美しい声がゼロ距離で発せられ、俺の鼓膜に反響し蝸牛神経が音声を電気信号に変換し光の速度で脳に届けた。
心地良い慈愛に満ちた聖母様の声が俺の脳細胞を潤し激しく揺さぶった。
なんと加齢臭のする俺の汚い耳元で伝説の美少女と噂される可愛らしい声の副会長に囁かれたのだ。
しかも女子の髪に触ったんだ。
もう一度言おう。全校生徒に選ばれた副会長というスーパーキャリア組の可憐な女子生徒が俺の耳に口を近づけ、髪を垂らし、そっと小さな吐息と共に恥ずかしそうに優しく囁いたのだ。
幼稚園以来の衝撃が俺を襲った。
幼稚園の時、好きな女の子に内緒話された以来の衝撃的事案だった。
目を開けていなくてよかった。
ウィスパーボイスと髪がそっと触れただけでこの精神的な強ダメージだ。
この光景を見ていたら俺のガラスのボットハートは活動を停止していただろう。
ん? 今何て言った?
ちょっと待て、準ラッキースケベ的なハプニングで聞き洩らしそうになったが、今何て言った?
今時の女子高生が、しかも伝説のアイドルと称される副会長様が絶対に普段の会話で使わない単語――ダンジョンって言ったよな?
ダンジョンって、あのダンジョンのことですか?
それとも駅前にできた青いお洒落な外観の何の店かも分からないお洒落な店の名前のことですか?
なぜ彼女の口からダンジョンなんて卑猥な言葉が出てくるんだ?
はっ。もしかして俺がダンジョンに行ったことがバレた?
なぜバレた? 友達のいない俺は誰にも言っていない。
ひょっとしてダンジョン部から出てくるのを誰かに目撃された?
それか? 俺が廊下で涙を浮かべ歓喜に震えているのを指さす女子生徒がいた。
あいつらか。あいつらが俺をチクったのか?
誰に? 生徒会に?
その生徒会が何の用だ?
まさかダンジョン部は学校に害を成す存在なのか?
俺が疑心暗鬼に陥っていると。
「では放課後、待っているぞ」
――と生徒会長が。
「お茶とお菓子も用意してあるから必ず来てね」
――と副会長がその言葉を残し颯爽と去って行った。
俺の妄想ではそこに振り向いてのウィンクも追加されていた。
あくまで願望で妄想だけど。
あまりの非現実的な出来事に教室の中は何ともいえない沈黙に包まれた。
それはそうだろう超絶美少女の生徒会長と副会長がイケメン軍団ではなく、名も無きクラスの幽霊君の存在感ゼロのボッチの俺を名指しで生徒会室に呼び出したのだ。
これはこのクラス始まって以来の、いやこの学校創設以来の大事件ではなかろうか?
リア充のトップがボッチを招いたのだ。これは和平の始まりなのか?
リア充とボッチの長きに渡る抗争についに終止符が打たれるのか?
生徒会長達が去ってから数十秒後、教室内が爆発し興奮状態に陥った。
いやもはや恐慌状態だった。阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
顔を上げなくとも分かる。
声がかかると思っていた調子に乗っていたイケメン軍団の顔に泥を塗り、男子から激しい嫉妬を、女子からは恨みを俺は同時に買ってしまった。
この日、この時より三年間の学生生活が暗黒時代に突入することが確約された。
暗黒ボッチの未来線は回避不可能だった。
「あれ誰?」
「さあ」
「あんなのいた?」
「さあ」
「絶対何かの間違いだ。会長は俺を必要としているはずだ」
「あのキモイ奴、なんかやらかしたのか?」
「呼び出しくらったってことは。なにかいかがわしいことをしたんだろ」
「盗撮とか」
「ありえる」
「警察に通報を」
「親衛隊に報告しないと」
次第に俺が犯人扱いに様変わりしてきましたよ。
俺という共通の敵を前にしてこのクラスは一期団結したのだ。
だが君達は知らないだろう。俺は寝ているように見えるがスパイボッチモード中だ。
つまり起きているんだよ。テメーラの悪口は全部丸聞こえなんだよ。
酷いよ。友達だと思っていたのに酷いよ。
通常ならトラウマを背負い、チキンハートは崩壊し、俺という存在は飛散し、宇宙の塵となって、次のビッグバンまで悠久の時を彷徨うことになる程の精神的ダメージだったはずだ。
だが俺のガラスのボッチハートは無傷。全く損傷していない。
なぜならば副会長の耳元で囁いた慈愛に満ちた言葉がそれらを中和し相殺し、優しく包み込んで俺の心を潤し、崩壊を防いだからだ。
ああ、副会長の声を思い出すだけでも癒される。
君達。遠慮はいらん。もっと俺の悪口を言いたまえ。
ハハハッ。悔しかろう。
俺はもう副会長と近距離、いやゼロ距離で、お互いのプライベートスペースに踏み込んだマブダチなんだぜ。いや恋の人?
髪が触れたんだよ。あの柔らかさはA5ランクか?
お前らが何と言おうがこの密接な超距離感は変わらないんだ。
このクラスの中で副会長と第三種接近遭遇したことのある奴は手を上げてみろ?
ゼロか。フッ。そうだろう、そうだろう。
楽しい現実逃避はこれくらいにしておこう。
一つ看過できぬ問題がある。
副会長は間違いなくダンジョンと言った。
ダンジョンの存在を知っているということだ。
生徒会長達は俺がダンジョン部に勝手に入ったことを怒っているのか?
それともダンジョン部と生徒会は抗争中か?
俺の頭の中で様々な疑問が渦巻く。
それらの疑問は、授業を始まったその後も消えることはなかった。
――放課後。
俺は逃げるように教室を飛び出した。
俺の背には嫉妬と妬みの矢が突き刺さっていた。
どうするボッチ君?
『逃げるが勝ちだボッチよ』
うんそうだね。このまま帰ろう。
だが俺の足が勝手に俺の意思を無視して生徒会室に向かって歩き出した。
下駄箱はそっちじゃないぞ。
俺の頭に副会長の言葉がリフレインされる。
素敵な貴方のためにお茶とお菓子を用意しているから必ず来てね。
少し誇張しているが、そんなようなお言葉だったはずだ。
つまり生徒会室には食料があるのだ。
俺の腹は家の冷蔵庫までもつか? コンビニまで持つか?
否。もたないだろう。
昼飯は誰もいない教師専用駐車場の横のマイソロプレイスでおにぎりを五個も食べた。
だがもう腹が減ったのだ。
やはりこの燃費の悪さは異常だ。
絶対昨日の戦いのせいだ。
決してお菓子に釣られたわけではない。
俺はダンジョンのことを知る必要があるのだ。
その手掛かりは生徒会室にあるのだ。
俺が自分に必死に言い訳しながら歩いていると俺を親の仇のように睨んでくる生徒達がいた。
生徒会長が俺に会いに来た事件が既に学年中に広がっているのだろうか?
いやいや自意識過剰でしょ。単なる気のせい気のせい。
「あいつだろ」
「ああ、そうだ」
「先輩に報告は?」
「ああ、今したところだ」
気のせいじゃなかった。すげー睨まれてるし。
見ず知らずの男子生徒と女子生徒に物凄い目で睨まれてるし。
え? 俺なんかした?
ああ、そんな目で見ないでくれ、俺の隠れた属性が目覚めそうになるじゃないか。
俺は爺ちゃんの言葉を思い出した。
この世は地獄だと。
今なら分かる。確かにそうだ。この世は天国ではない。
ボッチにとってはこの世は地獄に等しい。
ちなみに生徒会室は渡り廊下を渡った先の別の旧校舎の部活錬にある。
なんでそんな遠い所にあるんだよ。
サッカー部や野球部の校舎内部室が余分なんだよ。
外に立派な部室があるのに、なんで校舎の中にもあるんだよ。
渡り廊下には数名の上級生達が集まっていた。
集まるの好きだねえ。ボッチのソロの俺にはまったく理解できないけど。
彼らの横を通り過ぎようとした時、上級生達が俺の前に立ちふさがった。
俺はそれらを無視して隙間から通り過ぎようとするも、回り込まれて逃げ道を完全に塞がれた。
俺は一瞬で数十人の上級生達に囲まれた。
ニヤニヤと笑う者。思いっきり睨む者。三白眼で眉間に皺を刻んでいる者。
友好的態度の者はゼロだ。皆敵意をむき出しにしている。
昨日の俺ならば彼らに怖気づき恥も外聞も捨て泣きわめいて土下座していただろう。
だが昨日の黒スライムとの死闘に比べたら、こんなの屁でもない。
こいつらはモンスターではなく年端も変わらない若者で、俺と同じ人間なのだ。
厳しい環境が人を育てるとはよく言ったものだ。
たった一日で俺の精神的冒険者レベルは三レベルぐらい上昇していたようだ。
「おい」
俺が全くひるまず、ビビらないことに業を煮やしたのか、一番前で一番偉そうに腕を組んでいる男が俺を指さしてこう言った。
「お前が、カガサカ トオルか?」
いや違います。トオルではなくトーリです。
俺は声に出さず、心の中でそっと訂正した。
お読みいただきありがとうございました。




