67話 「王妃の日記帳」
次の日、天界郵便のキャリーが郵便物を届けに現れたのは昼前だった。いつもは朝早くに持ってくるのに、昼前だなんて珍しい。
「おはようございます! 郵便物を届けに参りました!」
キャリーは薄緑色の髪を揺らしながら爽やかに挨拶する。いつものことながら、彼女を見ていると爽快な気分になる。
「キャリーさん、いつもありがとうございます」
笑顔でお礼を述べると、彼女は満面の笑みで返してくる。
……笑顔対決では勝てない。
「いえいえ。お仕事ですから! あ。これがアンナ王女へのお荷物です」
彼女から手渡されたのは、今まで見たことのない分厚い日記帳だった。
「あの……これは?」
いきなり予想外のものを渡されたので、困惑して尋ねる。またしても手紙以外のものが届くとは。
「ヴァネッサさんからのお届けものですよ!」
キャリーは美人とも不美人とも言えないような平凡な顔に屈託のない笑みを浮かべながらそんな風に答えた。
「そうですか。ありがとうございました」
「いえいえ。それではまた!」
キャリーはペコリとお辞儀をすると、軽い足取りで去っていった。いなくなるのは結構速かった。
「王女様にお届けもの?」
ちょうどそこに現れたジェシカが声をかけてきた。やはりもう普通な様子で「良かった」と安心する。
「そうなの。ヴァネッサから日記帳が送られてきたわ」
「へぇ、王女様の日記帳?」
「それが違うの。こんな日記帳見たことないわ」
ジェシカは首を傾げる。
「え。じゃあ何だろ。取り敢えず読んでみたら?」
私はテーブルのところまで行き、日記帳の表紙を開く。そして数ページペラペラとめくる。
「ここ、ラヴィーナって書いてあるね」
横から覗き込んでいたジェシカがページの隅を指差して言った。目を凝らして見ると、確かに小さな字で書かれている。
ラヴィーナ、それは私の母の名前だ。
「じゃあ、もしかしてこれ、お母様の……?」
思わず言ってしまったものだから、ジェシカは驚いたように目を開く。
「えっ。王女様のお母さんの日記帳だったの? じゃあこれ、王妃の日記帳じゃん」
これが母の日記帳ならヴァネッサから送られてきたのも説明はつく。ヴァネッサは母にも仕えていたから。
だが、なぜ今? 私はそんな疑問を抱いた。
ちょうどそこに買い物へ行っていたエリアスが帰ってくる。人間の服を着て白のビニール袋を持っていると、もう立派な人間だ。
「お帰り、エリアス」
何げなく声をかける。彼はビニール袋を持ったまま台所まで歩いてきた。
「さっき日記帳が届いたんだけど、お母様のものみたいなの」
すると彼は一瞬にして飛んできて食いつく。
「王妃の日記帳ですか?」
どうやら非常に興味があるようだ。
そうか。そういえばエリアスは母と知り合いだったのだものね。私より彼の方が母のことを知っているかもしれないぐらいだわ。
「……後で見せていただいても構いませんか?」
彼は遠慮がちに頼んでくる。余程興味があるのね。
「もちろん」
——その時。
「来て来てー。おかしなニュースやってるよー」
テレビを見ながら一人寛いでいたノアが私たちに向けてそう言った。一人でいる彼が他者に絡むのは珍しい。
それに対してジェシカは「何?」と短く返す。
「なんか連続通り魔だってー」
と、通り魔っ!? ……これまた物騒なのが来たわね。
なぜこの街はこんなにやたらと物騒なのか。悪魔はいるわ、通り魔は現れるわで。
「犯人らしき写真出てるよー」
ノアはのんびりしている。
そこ声色はどこか楽しそうにすら感じられるほどだ。
「通り魔だと?」
エリアスが怪訝な顔でテレビのある部屋へ歩いていく。そしてテレビの画面を見た瞬間、彼は言葉を失った。
「隊長どうしたのー?」
エリアスは青くなって硬直した。まるで時が止まったみたいに。
画面には通り魔の目撃写真、黒っぽい青年が映っているだけなのに、何だろう。
「エリアスどうかした?」
ノアに続けて私が尋ねてみた。すると彼は正気に戻る。
「……あ。いえ。何でもありません」
言葉とは裏腹に、彼の態度は明らかに何かあるように見える。いや、この態度で何もない方がおかしい。もし本当に何もなくてこの状態だとしたら、それはもはや普通ではない。
「エリアス、顔色悪いけど……大丈夫?」
彼がこんな風に青ざめるなんて滅多にないことだ。
「はい。問題ありません」
「そう? それならまぁいいけど……」
だが引っ掛かる。
通り魔ごときに怯えるエリアスではないはずだ。それも現実で遭遇したわけではなくテレビのニュースで見ただけ。そのくらい、私でも怯えないというのに。
私がそのことについて考え込んでいると、エリアスはいきなり提案する。
「王女、そろそろ昼食にしましょうか。コンビニエンスストアでお弁当を買ってきました」
「それはいいわね」
軽く返した。
コンビニエンスストアのお弁当は地上界へ来てから何度か食べた。安価なので期待していなかったが、意外と食べられる味だった。極めて美味しいまではいかなくとも、素朴な味で案外嫌いでなかった記憶がある。
「僕も食べたいなー」
テレビの前で寛いでいたノアが会話に乱入してくる。
「ノアは後!」
ジェシカは腕組みをして、ノアに対して厳しく述べる。
「僕コンビニ弁当の唐揚げが好きなんだよねー」
「後って言ってるじゃん」
「王女様から唐揚げ分けてもらおうかなー」
「……そんなことしたらただじゃおかないから」
二人は本当に仲良しだ。ジェシカが堕ちかけたあの日以来、特に仲良くなった気がする。
「うん、唐揚げは止めとくー。代わりにジェシカをもらうことにするよー」
「は?」
若干ノアが暴走している感は否めないが。
「お待たせしました」
電子レンジで温めたお弁当を運んでくるエリアス。
その表情に暗いものは何一つない。至って普通。整った顔には普段通りの柔らかい笑みが浮かんでいる。
青ざめていたのは一体何だったのだろう……もしかして私の気のせい? と思うぐらいだ。




