62話 「結婚しよう」
倒れたジェシカを揺すり懸命に名を呼ぶノアを見つめながら、エリアスは悔しそうに目を細めている。
「本人が意識を取り戻さない限りどうにもなりません。しかし、少なくとも私は、今までに堕ちかけて治った天使を見たことがありません」
「そんな……。あ、でも、もし願いが叶えば治るかも……!」
何か方法はあるはず。私はまだ諦めたくない。必ず元通りになると信じたかった。
「願い、ですか? しかし私はジェシカの願いなど知りません」
エリアスは何の躊躇いもなく言い放つ。ここまで好意に気づかない者が相手とは、ジェシカも災難だ。
「……私、聞いたの。ジェシカさんがエリアスのこと好きだってことを」
私は思いきって告げる。
もしかしたら彼女を救う手がかりになるかもしれないからだ。
「王女、何を仰るのです。そんなことあるはず……」
「あるの。でもエリアスは私ばかり気にかけるから、それで悩んでいたみたいなの」
エリアスは困惑した表情を浮かべる。心当たりがないみたいだ。
「だからエリアスがジェシカさんの気持ちを受け入れるって言えば、願いが叶って、もしかしたら治るかも……」
しかし彼は首を縦に振らなかった。
「すみませんが王女、私は嘘をつけません。それに、嘘でそんなことを言えば、逆に彼女を傷つけます」
確かにまっとうな意見だ。
エリアスか本気で言っているかどうかくらい、ジェシカには分かってしまうと思う。
——そんな時だった。
羽が黒く染まったジェシカが目を開けた。
「あ、ジェシカ——」
嬉しそうな表情が浮かべたノアを、ジェシカは立ち上がりながら強く払い除ける。身構えていなかったノアはその勢いで少し飛ばされてしりもちをつく。
「ノアさん! 大丈夫?」
「うん、僕は平気ー。でも……ジェシカー……」
立ち上がった彼女の小さな羽は黒く染まっていた。視点の定まらない目つきで立っている。
人形のような彼女は片手をこちらに向ける。その瞬間、黒い衝撃波が飛んでくる。
「下がって下さい!」
エリアスが咄嗟に私の前に出たおかげで私は当たらなかったが、ノアはしりもちをついた体勢のまま黒い衝撃波を食らう。
「……っ、ジェシカー!」
黒く染まったジェシカは、自身の名を叫ぶノアに一瞬だけ目をやる。
「こんなのおかしいよー! 何で攻撃するのー!」
ノアは必死に訴えるがジェシカには届かない。彼女は近寄るノアにもう一撃おみまいする。が、今度はシールドで防いでいた。
「ノアさん……」
彼は誰よりジェシカを心配していた。だから分かる。今も彼はジェシカを救おうとしているのだと。
ノアは薄紫のシールドを張り魔気を防ぎながらジェシカに歩いて近づいていく。そして黒い魔気が溢れ出すジェシカの体を強く抱き寄せた。
「……ハナシテ」
人形のようなジェシカの唇が小さく動くのが見てとれる。
「ジェシカ、おかしいよー。こんなの嫌だよー……」
「……ハナシテ!」
突如ノアを突き飛ばし、魔気の弾丸のようなものを彼に向かって放つ。
「うぁっ!」
少し彼女の心を取り戻したかと思ったがそうではなかった。
「……ジャマモノハイラナイ」
ジェシカは黒い剣を作り出し握ると、こちらへ飛びかかってくる。私の前にいたエリアスが咄嗟に槍を持ち彼女の剣を受け止める。
「王女に手を出す者には容赦しない」
一度距離をとり長槍を構え直すエリアスの目は本気になっていた。目の前の敵を仕留めることしか考えていない冷ややかな表情。後ろにいる私ですら身震いするような静かな殺気を出している。
「ダメよ、エリアス。ジェシカさんを傷つけるのはダメ!」
慌てて注意する。エリアスは相手がジェシカであっても本当に倒すと思ったから。
「心がけます」
黒く染まったジェシカの斬撃を長槍で軽く受け流す。この狭い空間では武器が長いエリアスが不利かと思ったが、案外そうでもない。
「……アタシハアイサレナイ。ミンナ……オウジョサマバカリ……」
ジェシカは物凄く小さな声で呟く。
私はそれを聞いて辛くなる。彼女は私を好きではなかった。それなのに私のせいで捕まってヴィッタから傷つけられた。そう考えるとあまりに可哀想すぎて、申し訳ない気分になる。
「……ごめんなさい。私が悪かったの! ジェシカさんのことを考えていなかったから」
私にはあの笑っていたジェシカが嘘だとはどうしても思えなかった。
「こんなこと贅沢って言われるかもしれないけど、私はジェシカさんとまた話したいわ!」
「王女、それは無駄です。恐らくもう聞こえていない」
そうかもしれない。でもこんなところで別れなんて。
「……アタシハアイサレナイ……サイテイナオンナ……」
「違うよーっ!」
ノアが背後から飛びついた。ジェシカは振りほどこうとするがノアはつかまり離れない。
そして叫んだ。
「僕はジェシカを愛してるからー! 結婚しようーっ!」
……えっ、どういう流れ?
戸惑ってエリアスを見ると、彼も困惑した顔をしていた。この状況でいきなりプロポーズするとは度胸がありすぎる。
「僕がジェシカを幸せにするから、だからもう目を覚ましてよー。頼むよー」
しかしそれでジェシカの動きが止まった。
「……エ?」
ノアは両腕で彼女の上半身を引き寄せる。
「ジェシカは昔、家族になりたいって言ってたよねー。本当の家族になろうーっ!」
叫んだ直後、ジェシカは物凄い桃色の光に包まれた。抱き締めていたノアの姿も見えなくなるくらいの眩しさ。
「凄まじい聖気だ……」
その様子を見ていたエリアスは驚き独り言のように呟く。
私もその眩しさに思わず目を閉じてしまう。
「……ばっかみたい。アンタ、ホントバカなんじゃないの」
光が晴れるとジェシカは元の天使の姿に戻っていた。傷はついたままのようだが、表情はいつものジェシカのものになっている。
「まさか……戻ったのか……」
エリアスはその様子を目の当たりにして愕然としていた。色々と経験豊富な彼にとっても初めての経験だったからだろう。
「ジェシカ、良かったー。目が覚めたんだねー」
「……ノア。ごめん」
ジェシカは気まずそうに俯き気味で謝る。
「僕はごめんじゃなくてありがとうが聞きたいなー」
穏やかに微笑むノア。それにつられてジェシカも笑う。
「何調子乗ってんの、アンタ。……でも、ありがとう」
何だか幸せそうな二人の姿を見て、私まで幸せな気持ちになってくる。
ジェシカが本来のジェシカに戻って本当に良かった。
ピンチが距離を近づける。案外そういうものなのかもしれないなと思うのだった。




