61話 「悲しい笑顔」
気絶した少女を抱えて人混みを歩くのはなかなか危ういものがあった。一歩誤れば誘拐だと通報されてもおかしくないような状況だ。いつ誰が通報するか分からない。そのせいもあってか、ただ帰宅するだけなのにかなり疲れた。精神的に。
「あー、疲れたーっ」
家に入りドアを閉めた瞬間、私はついつい言う。いつもならこんな大きな声でマイナス発言をすることはないのだが、今日は無意識に言ってしまった。
「隊長、ジェシカどうするー? どこに運ぶー?」
「何か布を敷く、その上に寝かせる。その際なるべく振動を与えないように」
「はいはーい」
エリアスは当たり前のように家に入ってきている。流しへ水を汲みに行く。
それにしてもエリアスと家、この二つの馴染まないこと! 笑えてくるぐらい違和感がある。
「王女、すみません。手拭いか何かありますか?」
玄関に座り込んでいた私に聞いてくる。ぼんやりしていた私は突然の質問に慌てる。
「えっ? お風呂のタオルならあるけど、取ってこようか」
一応言ってみた。
「それは汚れても構いませんか? 体を拭くのに使いますが」
「分かったわ」
私は風呂場へタオルを取りに走る。自分のタオルを取るとエリアスに渡す。
「ありがとうございます王女。これでジェシカの手当てをできます」
エリアスは笑みを浮かべてお礼を述べてくる。至近距離だったせいかドキッとする。
私はタオルと水を運んでいくエリアスの背中を不思議な気持ちで眺めた。この気持ちは何なのだろう、と思いながら。
「ん……」
ジェシカが目覚めたのは夜遅い時間だった。窓の外はもう真っ暗になっている。ノアは少し前に疲れて眠ってしまった。今、部屋には私とエリアス、そして横になっているジェシカだけだ。
「ここは……家?」
彼女の枕元に座っていた私は声をかけてみる。
「ジェシカさん、起きたのね」
「王女様……今何時」
どうやら彼女は現状を理解できていないようだ。
「今は九時。ジェシカ、調子はどうだろうか」
口を開いたのはエリアス。
ジェシカは包帯を巻かれた自分の腕を眺めながら不思議そうな顔をしている。
「誰が手当てしてくれたの?」
「エリアスよ。エリアスが傷を拭いて消毒して……」
彼はとても手際がよかった。私なんて手伝うことがないぐらいだったもの。戦いで怪我した仲間の手当てをした経験があったのかもしれない。
エリアスが自分の上着のポケットから水色の小瓶を取り出しジェシカに近寄る。
「クヤハズキオルーナ飲むか」
え。今何て言った?
「……飲みたいけど、エリアスはクヤハズキオルーナ持ってるの」
ジェシカまでスラスラ言う。
有名なの? 聞いたことないけど私が無知なだけなのかな。クヤまでしか聞き取れない……。
「念のため持ってきておいた。起きれるか、飲め」
エリアスは小瓶の蓋を開け、ゆっくり上体を起こしたジェシカに手渡す。ジェシカは小瓶の中の液を一気に飲み干した。
「これで治癒が早まるはずだ」
「うん。ありがと、エリアス。効いてきた気がするよ」
「いや、さすがに早すぎるだろう……」
そんな時、突然チクリと胸が痛んだ。エリアスとジェシカが話しているのを眺めているだけなのになぜか胸が締めつけられる感じがする。
もやもやする。言葉で言い表せない不快感。何だろう、この場にいるのが辛い感じ。
「ごめん、私ちょっと外の空気でも吸って……」
「待って」
私が立ち上がろうとした瞬間、ジェシカが言った。
「エリアス。ちょっと王女様と二人にしてもらっていい?」
彼女は小瓶を返しながら頼む。
エリアスは不思議そうな顔をした。
「突然どうした?」
「ちょっとだけ二人にしてほしいんだけど」
「……そうか。分かった」
彼は空の小瓶を持ったまま、ノアが寝ている隣の部屋へ行った。
ジェシカと二人になってしまい、外へも出られず気まずくなる。私は何も言い出せず、黙り込んでしまう。
すると彼女が先に口を開いた。
「あのさ……王女様はエリアスのことが好きなの?」
突然の問いに驚き固まる。なぜ急にそんなことを言い出すのか。
「あたしね、エリアスのこと好きなの」
「それは恋愛として?」
「うん」
そう答えたジェシカの頬は赤く染まっていた。
信じられない。彼女がエリアスに恋心を抱いていたなんて知らなかった。驚きだ。
「エリアスはあたしとノアに居場所を与えてくれた。王女様の護衛なんて仕事を任せてくれた。何より嬉しかったの」
今一体何が起こっているのか理解に苦しむ。彼女はなぜいきなりこんな話をするのだろう。
「初めてだったの。エリアスはあたしの強さを認めてくれた。エリアスだけは、女だとか頭が変だとか言わずに、純粋にあたしの強さを見てくれた」
「そうだったの。じゃあエリアスに告白すれば……」
「できるわけないじゃん! エリアスは王女様を好きなんだもん!」
ジェシカは口調を強める。
「あたしはお金はないし地位もない。しかも体は貧相だし、顔も平凡。あたしが王女様に勝てる要素はない……」
「待って、ジェシカさん。私はエリアスに恋心を抱いてはいないわ。だからちゃんと言えば大丈夫だと思う」
こういう時にどんな言葉をかければいいのか、私には分からない。今まで恋愛の話なんてしたことないから。
「それでもね……たまに夢をみるんだ。さっきみたいに、たまに優しくしてくれるじゃん。その度にあたしにもチャンスがあるかもって思うの。だから気に入ってもらえるように強くあろうとしてきた。王女様を護っていたのも、エリアスに気に入られたいから……」
ジェシカは今にも泣き出しそうだった。ヴィッタに酷いことをされたのもあって心が弱っているのかもしれない。
「最低だ。王女様は家族って言ってくれたのに、あたしはエリアスしか見てなかった。……ははっ。あたしが嘘つきで卑怯者だからばちが当たったんだね」
「そんなことないわ」
「……全部言っちゃった。これで王女様ともバイバイだね。エリアスにも捨てられる。でも最後に王女様に本当のこと言えて良かったよ。嘘ついてばかりの人生だったけど、王女様には本当のこと言いたかったんだ」
何でそんな、最期みたいに言うの? こんなのはおかしい。
「それでも今のあたしは王女様のこと好きだから。……聞いてくれてありがとね」
ジェシカは悲しそうに笑った。
言い終わると、力なく倒れる。包帯を巻かれた小さな羽の一部が黒く染まっていた。
「ジェシカ!!」
直後に駆け込んできたノアは、倒れているジェシカを必死に揺さぶる。
「ジェシカ! ジェシカッ!!」
後から青ざめたエリアスが入ってくる。
「王女、無事ですか!? 何があったのです?」
「話してたら急に倒れて……」
私たちが話している間もノアはジェシカの名を呼び続けている。
「エリアス、もしかして何か知っているの?」
「……これは」
羽の黒が増えてきている。
「まずいですね。このままではジェシカは堕ちてしまいます」
「そんな! 天使じゃなくなるということ!?」
エリアスは深刻な顔で頷く。
「ダメよ! そんなの絶対! どうにかならないの!?」
私はエリアスに必死に言った。
ジェシカの天使としての一生をあんな悲しい顔で終わらせたくない。もう一度ちゃんと話したい。笑ってほしい。
心からそう思うから。




