126話 「心の準備」
それからしばらく、私とエリアスはヴァネッサが淹れた紅茶を飲みながら時間を潰した。
その間、私はヴァネッサに、「女王になるという自覚を」だとか「品のある行動を」だとか、しつこいくらい何度も言われた。私は適当に聞き流しながらも、心の中で「しっかりしなくては」と改めて思う。ヴァネッサはこれからも仕えてくれるだろうが、彼女の優秀さに甘えてはならない。私自身も一人の大人として恥ずかしくない天使になろう、と小さな決意をした。
ちょうどその時、控え室の扉が勢いよく開く。誰かと思えばツヴァイだった。
いつも赤い髪をオールバックにしている彼だが、今日はなぜかかなり乱雑だ。前髪を後ろに流していることは流している。しかし、やたらと毛が出ている。大急ぎでセットしたのかもしれない。
「遊びに来たっすよ!」
ツヴァイがハキハキした歯切れのよい口調で挨拶すると、向かいに座っているエリアスが眉をひそめた。不快そうな表情だ。どうやらエリアスはツヴァイを好きでないようである。
「おはようございます。怪我されたようでしたけど、もう大丈夫なんですか?」
そう尋ねてみると、ツヴァイはニカッと派手な笑みを浮かべる。
「いえっす! たいして重傷じゃなかったっすよ!」
私は「それなら良かった」と返す。するとツヴァイはエリアスの方に体を向ける。
「エリアスさん、アンナ王女と結ばれて良かったっすね!」
「嫌みを言いに、わざわざ来たのか」
「まさか。何言ってんすか? 嫌みなわけないでしょ。お祝いに来ただけっすよ!」
エリアスとツヴァイの視線がぶつかり火花を散らす。言葉自体は普通なのだが、恐ろしい空気だ。私が入る余地はない。
一般的に、女同士の戦いは恐ろしいと言う。だが、彼らの視線の戦いは女同士と同等かそれ以上に恐ろしくて、小心者の私が割って入れるような雰囲気ではない。
「お祝い、だと……?」
露骨に不愉快そうな表情を見せるエリアス。
「そうっすよ。おめでとうって。ね、アンナ王女!」
ツヴァイは楽しそうに言いながら私の肩に腕を回す。以前ヴァネッサに叱られたはずなのに、そのことをすっかり忘れているように見える。
まったく、仕方ない天使だ。疲労していたとはいえエリアスをねじ伏せたくらいだから戦いは強いのに。
そんなことを考えているうちにツヴァイはますます距離を縮めてくる。私の結った髪をじろじろ見たり、頭頂部辺りを指で撫でてみたり。こちらとしてはそれほど親しいつもりはなかったのだが、ツヴァイは親しいと思っているのかもしれない。
だが髪を崩されるのはさすがに困る。もう一度やり直すほどの時間はない。
「ちょっと待って! あまり触らないで下さい。せっかくセットした髪が崩れてしまいます」
言ってみるもののツヴァイは止まらない。どうにかして……。
これで離れてもらえないとなると次はどうすべきか考える。するとエリアスが椅子から立ち上がるところが見えた。端整な顔が恐ろしいくらいの怒りに満ちている。伸ばした手に白い光が集まっていく。
白い光はやがて槍の形へと変化した。聖気不足のせいかいつもより短い槍だが、鋭利な刃は銀色にギラギラ輝いている。
怒りのあまり理性を失ったか、躊躇いなくツヴァイの背後から迫るエリアス。しかしツヴァイはまだ気づいていない。
「止めてっ!!」
エリアスの槍がツヴァイに振り下ろされる直前、半ば悲鳴のような鋭い声で叫ぶ。すると、エリアスの動きがピタッと止まった。彼の体は、まるで時が止まったかのようにびくともしない。開かれた目の瑠璃色の瞳だけが小刻みに揺れている。
そんなつもりはなかったのだが、どうやら勝手に私の力が発動したらしい。私は微妙な体勢で硬直しているエリアスに歩み寄る。
「落ち着いてちょうだい。こんなことしている場合じゃないでしょ?」
一筋の汗がエリアスの頬を伝って落ちる。私は「解除」と念じながら彼の瞳を見つめる。すると彼は身動きがとれるようになったようだった。
「あ……、申し訳ありません」
しばらく静観していたヴァネッサは、まだ黙ったままエリアスに冷たい視線を浴びせている。狙われていたことに気づいたツヴァイは顔を強張らせて愕然としている。
「少し聖気が回復したからって無駄遣いするのはダメよ。それと、突然感情的になるのは止めて。槍なんて危ないでしょ」
エリアスはツヴァイに近づかれて困っている私を心配するあまりこんな行動に出たのだろう。行動はともかく、その気持ち自体はありがたいことだ。
だから、なるべく一方的に責めるような形にならないように、色々考えて気をつけつつ話す。彼は度胸と強い精神力を持っているが、こういう場面ではとても脆いので注意が必要だ。ある程度気を遣っておかないと。
「……はい。仰る通りです。感情的になってしまい申し訳ありません」
その時、誰かが扉をコンコンとノックした。ヴァネッサが速やかに扉を開けに向かう。どうやら係員の天使がやって来たようだ。恐らく私を呼びに来たのだと思われる。
やがて、ヴァネッサがこちらを見て、淡々とした声で告げる。
「アンナ王女、まもなく戴冠式です。行けますか」
その言葉を聞いて鼓動が速まった。期待と緊張が混ざった感情の波が押し寄せ、気持ちが高まってくる。体がフワリと浮くような感覚すらする。
「もちろんよ!」
私は明るい声で応えた。
未来へ踏み出すための第一歩。戴冠式へ臨むために。




