2019年
本作は実在の出来事や報道などを着想のベースとしていますが、登場する人物・団体・名称・ストーリー等はすべてフィクションです。
実在の人物や団体とは一切関係ありません。
2019年。私が絶頂に達した年。
……と、その前に、時計の針を少しだけ巻き戻さなければならない。
「……まっず。なにこれ、口の中に紙の繊維が残る感じが超キモいんだけど」
2018年の夏。猛暑の街中で駆け込んだ大手カフェチェーン店。注文したアイスコーヒーに挿されていたのは、いつものプラスチックではなく、ふにゃりとシナびた「紙ストロー」だった。
一口飲んで猛烈な嫌悪感を覚えた私は、即座にそれをゴミ箱へ投げ捨て、カップのフタを外して直飲みで一気に喉へ流し込んだ。
世はまさに、SDGs狂乱時代。
あのウミガメの鼻にストローが刺さった動画を錦の御旗に掲げ、企業たちが、この貧乏くさくて、不便で、客を不快にさせてまで推し進める「地球に優しい私たち」というアピールに邁進していた時期だ。
私はといえば、大学三年生になっていた。
大学院へ進学する予定だから、就職活動に焦る時期ではない。けれど、私は夏休みを利用して、1〜2週間単位の短期インターンシップをいくつも渡り歩いていた。
参加先は、すべて「バイオベンチャー企業」だ。大組織の中で細分化された仕事を体験させられるようなJTC(日本的大企業)のインターンなんて、私には必要ない。
私が本当に知りたいのは、表面的な綺麗事の仕事術なんかじゃないのだ。
実態がろくに存在せず、中身はスカスカなのに、なぜかメディアに取り上げられて莫大な出資資金を集めている連中。あいつらは一体どうやって金を集め、どうやって世間を騙してのし上がっているのか。
それに、バイオベンチャーの裏には顧問として大学教授がついている。いずれその縁が役に立つ日も来るだろう。
あるバイオベンチャーの社長から、懇親会の席で酒臭い息とともに言われたことがある。
「これから起業したいんでしょ? 美咲ちゃんなら絶対向いてるよ! 応援してるからさ!」
……少し、違う。
あなたたち起業家は、常にヒリつく橋を渡り続けたいだけのジャンキーだ。どうせ今の事業にもいずれ飽きて売り払い、それを次の起業の原資にするのでしょう?
私は別にヒリつく戦いがしたいわけじゃない。
私は登り詰めたい。お金でもない。「権威」の階段を。
だから私は、研究者として生きる。
あなたのような大人たちを、最大限に利用しながらね。
2019年、1月。
テレビから流れるニュースでは、政治家や経済界の大物たちがこぞって年頭訓示で「今年はSDGs元年」「持続可能な社会に向けて」と熱弁を振るっていた。
ネットを覗けば、「どうせまた欧州が自分たちに都合よく作った後出しルールだろ」「エコビジネスに振り回されるな」といった冷ややかな声も多かったが、そんな庶民の批判が権力者たちの耳に届くはずもない。
正直に言えば、私自身もこの「SDGs」というお題目は大嫌いだった。
正確には、日本人のその浅はかな捉え方が反吐が出るほど嫌いだったのだ。
本来なら欧米のように「新しいルールをハックしてビジネスのイノベーションを起こす」方向へ向かうべきなのに、なぜか日本では「贅沢は敵」「みんなで我慢して不便を受け入れましょう」という謎の滅私奉公マインドにすり替わる。なんかさっきマイ箸アピールしてる人いたな。何周目だよそれ。
……まあ、世間の愚かさなんてどうでもいい。
重要なのは、その「愚かな潮流」をどう利用するかだ。
この1月に私は大学で生命科学研究室への配属が決まった。
研究室を運営する村本教授とは以前から良好な関係を築いていた。私の高2の時のニュースを見てていたらしく、大学入学後すぐに声をかけてくれた。面談の席で、私はまっすぐな目で村本教授を見つめ、帝国大学大学院への進学を目指している旨を打ち明けた。
「帝大院を目指したいんです。どうかご指導いただけないでしょうか」
私の熱意を買ってくれた村本教授は、快く帝大の知り合いの教授へ口利きをしてくれることになった。
いわゆる「学歴ロンダリング」というやつだ。
中高一貫校で血反吐を吐きながら受験勉強をしてきた「お受験至上主義」の連中からは親の仇のごとく嫌われる手法だろうが、知ったことではない。高校三年生の頃の私は、興味の持てない文系科目に1秒たりとも情熱を注げなかっただけなのだから。
「山田さん、ちょうどいいタイミングだよ。実は研究室で、SDGsに関連する『やりかけのテーマ』があってね」
村本教授が資料を広げながら言った。
「特定の微生物を使って、有機ゴミから有益なバイオ資源を生成する研究なんだけど……途中で止まっていてね」
微生物とゴミから、資源を生み出す——。
「SDGs」という文字が躍るその資料を見た瞬間、私の頭の中で完璧な計算式が成立した。
これだ。メディアも、大人も、国からの助成金も、いま一番飛びつきたがっている最高の「餌」だ。
「教授、その研究……ぜひ、私に担当させてください!」
私は目を輝かせ、心から科学の未来を信じている「健気で熱心な女子学生」の顔を作ってみせた。
3月。
東京で国際女性会議が開催された。テレビ画面の中で総理大臣が誇らしげに「女性活躍の推進」を宣言し、それに呼応するように各省庁から「女性支援プログラム」が次々と発表されていく。
国が予算をジャブジャブと注ぎ込む大波がやってきた。乗らない手はない。
私は文科省が主導する「次世代女性イノベーター育成プログラム」を本命に据え、他にも女性研究者向けの公募プログラムを複数ピックアップした。村本教授の強力な推薦状と手厚いサポートを背にして、次々と申請書を提出していく。
審査員にはバイオベンチャーへのインターンで知り合った教授達もいるだろう。
同じ頃、研究室では村本教授から例のSDGsテーマの資料とデータの引き継ぎが行われていた。
「私は忙しくてまだ全然見られていないんだけどね。前任の学生からは『データはほぼ揃っていて、あとは論文や発表用にまとめるだけです』と聞いてるよ」
村本教授は相変わらず穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
棚からぼた餅、とはこのことだ。実質、前任者の成果を「女性活躍」の看板を背負った私が横取りしてパッケージングするだけでいいのだから。
ラッキー……。
心の中でほくそ笑みながら、教授室を出て自分のデスクに戻った。
一人になり、USBメモリから前任者の実験データを開く。グラフの数値、顕微鏡の写真データ、培養の経過観察記録——。
画面をスクロールしていた私の手が、ピタリと止まった。
……は?
思わず、口から漏れ出たのは呆れ果てた声だった。
なんだこれ。あからさまにグラデーションが不自然な顕微鏡写真の合成痕。統計学的にあり得ない綺麗すぎるデータの並び。素人が見ても「やってる」とわかる雑な捏造の痕跡だった。
はあ……やっぱり、この分野なんてそんなものなのね。
偉そうに科学の真理だなんだと言っておきながら、足元は嘘とツギハギでできている。
まあいいわ。バレないようにもっと巧妙に画像を処理して、データも自然な分散に見えるよう修正すれば……。
PCのキーボードに指を置いた、その瞬間。
ゾクッと、背筋に冷たいものが走った。
私の動きが、ビタッと止まる。
……待って。
『忙しくてまだ全然見られていない』……?
本当にそう? 自分の研究室のデータだよ?
教授ともあろう人間が、学生から提出されたデータを一度もチェックせずに私に引き継ぐなんて、そんなことあり得る……?
……まさか……罠…?
もしここで私がデータを器用に誤魔化して提出したらどうなる?
「私が捏造した」という動かぬ証拠を握られ、私は村本教授の忠実な共犯者に成り下がる。二度と逆らえない足枷を嵌められ、使い捨てにされ、事が明るみに出た時は、あの割烹着の彼女と同じように…すべての責任を押し付けられて切り捨てられる——。
考えすぎかもしれない。ただの村本教授がズボラなのかもしれない。
だが、私の冷徹な第六感が警鐘を鳴らし続けていた。
『ここじゃない。今じゃない。』
捏造という劇薬を使う時は、絶対に私以外の誰にも気づかれない「完全犯罪」の状態でなければならない。誰かが用意した不気味なステージの上で使っていいカードではないのだ。
私は即座にファイルを閉じ、印刷した資料を抱えて再び教授室のドアを叩いた。
「村本教授、素晴らしいデータです! 前任者の方の努力が伝わってきました」
私はどこまでも純粋で、真摯な学生の笑みを貼り付けた。
「ただ……万全を期して『女性イノベータープログラム』の審査に臨みたいので、発表前にまず私自身の手で再現実験を行おうと思います。完璧なエビデンスを揃えたいんです」
村本教授は一瞬、目を丸くした。
そしてすぐに、いつものにこやかな破顔に戻った。
「素晴らしい心がけだね、山田さん! ぜひやってみなさい」
教授室をあとにしながら、背中に冷や汗が伝うのを感じていた。
このジジイ……単なる学生の雑な捏造すら見抜けないマヌケか。
それとも、私を共犯者に仕立て上げようとした悪魔か。
ふふ……面白くなってきたじゃない。
どっちにせよ、私の手綱を握れると思ったら大間違いよ。
シナリオを描くのはいつだって私。他の誰でもなく、私。
7月。
「……貧乏くさ」
街を歩きながら、思わず声が漏れ出ていた。
政府が来年からの「レジ袋有料化」を正式発表したことで、街にはナイロン製のテロテロでシワシワになったエコバッグを大事そうに持ち歩く人々が増え始めていた。
まだ有料化の施行までは時間があるというのに、みんな揃いも揃って「地球に優しい私」に酔いしれている。
たぶん私は、実際に有料化が始まっても普通にお金を払ってレジ袋を使い続けるだろう。使い捨ては便利だ。必要なくなったらその場で捨てて、いつでも身軽になれる。その圧倒的な利便性を捨ててまで、わざわざ洗うのも面倒な布袋を持ち歩くなんて、バカとしか言いようがない。
だが……世間がその「貧乏くさい正義」に酔いしれている今こそ、私の出番だ。
案の定、前任者のデータをなぞっただけの再現実験では、望むような成果なんて一切出なかった。あの雑な捏造データはやはり使い物にならなかった。
だからといって、諦める私ではない。
審査の締め切りまで時間がないことなんて、百も承知。だからこそ私は、4月の段階からすでに「仕込み」を始めていたのだ。
3ヶ月間、特定の微生物を特定の特殊な条件で培養し、そこから抽出したエキスを、さらに別の微生物の培地へ微量だけ添加する——。
どう?この吐き気がするほど面倒くさいプロセスは!
心の中で暗黒の笑みが込み上げてくる。
再現実験をやれるものなら、やってみろ。
仮に、ヒマと予算を持て余した物好きが3ヶ月かけて再現実験を試みたとしても、結果を見てこう言えばいいのだ。
「あ、培養時の温度とエキスの添加タイミングがほんの少し違いますね。詳細なプロトコルはこうで……」
後出しジャンケンで条件を付け足すたびに、追試する側はまた3ヶ月、さらに3ヶ月と無駄な時間を浪費し続けることになる。
ただ、そんな複雑怪奇なプロセスで得たものが偶然結果が出たなんて「一発必中」のストーリーを提示したところで、子ども騙しにすらなりはしない。
だからこそ、私は泥臭い「努力」をした。
100種類を超える異なる条件でひたすら愚直に培養実験を繰り返し、その中のほんの数条件だけでバイオ資源が奇跡的に生成された——というストーリーを作り上げた。
100種を超える条件の培養は本当にした。明確な証拠を残した。それは紛れもない事実だし、「気の遠くなるような努力と検証を重ねた健気な女子学生」というアピールは100%真実だ。バイオ資源は…ね。
追試を諦めさせるための「複雑化」と、疑いを遮断するための「事実の努力」。
これなら、村本教授のようなタヌキにも、学会の意地悪い査読者にも、絶対に足元をすくわれることはない。
完璧だ。
「次世代女性イノベーター育成プログラム」の最終申請書類に、私はその美しくパッケージングされた「努力の結晶」を添付した。
これで、勝つ。
9月。
研究室のテレビ画面の中で、幼い白人の少女が顔を真っ赤に歪ませ、涙目で大人たちを罵倒していた。
『How dare you!(よくもそんな真似を!)』
世界中のメディアが「勇気ある若者の叫び」と彼女を称賛し、大人たちが感動の面持ちで拍手を送っている。
……ふふ。私に言っているのかしら? お嬢ちゃん。
画面に映る醜く歪んだ顔(素顔はカワイイけどね!)に向かって、心の中で嘲笑を投げかける。
世の中に引っ張り出されて、大人たちが欲しがる「怒れる環境活動家」のアイコンを演じて……それで? その後はどうするつもりなの? 未来のビジョンはあるの?
表舞台に出てくるなら、すべてを自分のコントロール下に置いてからにしなきゃ。糸を引いているのが自分だと確信できてからにしないとね。
操り人形を演じるには、あと十年早いんじゃないかしら。
だけどまあ、ありがとう。お嬢ちゃんのおかげで、世間の「SDGsバブル」は最高潮だ。
そして今日。私はその巨大な波の、一番高い場所に立っている。
国内のメジャー学会が多数集まって共同開催された、SDGs特別研究発表会。全国から、あらゆる分野から集まった百戦錬磨の研究者たちを押しのけ、私は最優秀発表賞を受賞した。
受賞理由は
「100を超える条件で実験を繰り返したその情熱と不屈の精神に敬意を表します」
だそうだ。そうね。そこは嘘じゃないわ。
この発表会は各分野から集う学祭イベント。大学教授なんて自分の分野以外に対する知識はその辺のおじさんおばさんと一緒。なら、その研究が本当に価値があるかなんて、どれだけ研究者としての妙が詰められてるかなんて関係ない。どれだけ努力したように見えるかでしか評価できない。
表彰のために登壇した私の背後のスクリーンには、「SDGs達成に貢献する革新的バイオ資源創出」の文字が誇らしく大きく映し出されている。
賞状を受け取り、自席に戻ると、村本教授が目を細めて私を見ていた。
「山田さん、君は私の、そしてこの大学の誇りだよ」
近寄ってきた村本教授が、感極まったような声を出す。
……ふん、白々しい。
その笑顔の奥にある目の奥は、少しも笑っていない。半信半疑、といったところかしら。
あのアプローチが本当に再現性のあるものなのか、私がどこまで「やって」いるのか、このタヌキはまだ疑っているのだ。
でもね、教授。もう遅いのよ。
来週中には、今日の受賞についてのプレスリリースが大学から出されるでしょう。あなたと私のツーショット写真付きでね。
あなたは私と一緒に「天才女子学生を育てた名教授」のシナリオに乗っかって甘い汁を吸う。選択肢なんて最初から無いの。それとも今から私を問い詰めて一緒に全てを失う?…ふふ。今日から私たちは、切っても切れない共犯者。
おめでとう、村本教授。あなたが望んだ共犯者よ。
ただし——手綱を握っているのは、真実を知る私ひとりだけどね。
私はまだ続く閉会式の壇上に向かって、どこまでも可憐で、誇らしげな笑みを浮かべてみせた。
10月。
日本の社会は完全に「SDGsフィーバー」と化していた。
街を歩けばどこもかしこもあの17色の虹色マーク。テレビをつければワイドショーもCMもあのマーク。しまいにはどこかの子供番組か企業CMから「エッスディー♪ジーズ♪」なんて脳天気な歌まで流れてくる。
世間の誰もが浮かれ、踊り狂っている。その狂騒のすべてが、まるで私という時代の寵児を祝福しているかのように思えた。
今日はキャンパスで写真撮影が行われている。
来年度の「大学案内パンフレット」の表紙を飾るための撮影だ。
「山田さん、もう少し右に顔を向けて……そう、笑顔で!」
カメラマンの指示に従いながら、ふと高二の時の出来事を思い出した。あの時、地元の地方紙に載る写真のときは、絶対にここは外せないと意気込んで、写真チェックまでさせてもらったんだった。
……今回も、写真チェックさせてもらおうかな?…ふふ。なんてね。いいわ。だって、これからいくらでもこんな機会は訪れるんだもの。いちいちチェックなんてしていられないよ。
高校時代の自分とは違う。私はもう「過去ログを必死に仕込む側」から「時代から求められるアイコン」へと登り詰めた。
撮影を終え、誇らしい気持ちで研究室へ戻ると、デスクにいた村本教授が顔を上げた。
「おめでとう、山田さん。文科省の『次世代女性イノベータープログラム』、無事に採択内定の連絡が届いたよ」
「……!」
やった。
計算通り、計画通りの結果とはいえ、さすがに胸の奥から熱い拍動が込み上げてくるのを感じた。研究費、肩書、権威への足がかり。すべてが手に入った。
「ありがとうございます! 村本教授のご指導のおかげです!」
目を輝かせて頭を下げると、村本教授は「いやいや」と穏やかに微笑み、立ち上がった。
そして、私の横をすり抜けて研究室を出て行く直前——すれ違いざまに、私の耳元だけに届くような低い声でボソッと呟いた。
「……うまくやったな」
ピクリ、と背中の皮膚が引きつる。
……ふふっ。
カマをかけたおつもりかしら、教授?
もし捏造してたなら狼狽えるだろうと思って、そんな風に呟いたのね。
甘いわ。そんな安っぽいカマ掛けでボロを出すような私じゃない。
私は即座に、1ミリの破綻もない完璧な「不思議そうに見つめる無垢な学生の顔」を作り、去り行く村本教授の背中を首を傾げながら見つめてみせた。
「……? 村本教授、何か仰いましたか?」
教授はチラッと私の顔を見てまた振り返り、片手を小さく振ってそのまま廊下へ消えていった。
ふふ。変な人。知ったところでどうなるわけでもない。むしろ罪悪感に苛まれることになるのに。
あなたは知らないままの方が幸せですよ。
…それよりも。
机の方に振り返る。
…次世代女性イノベータープログラム。
口元が緩む。
…勝った…!
アカデミアの箱庭で、私はついに完璧な勝利を収めた。
この時、私の全能感は間違いなく人生の最高潮に達していた。
12月。
帝国大学大学院への進学が、正式に決まった。
村本教授からの強力な推薦と、化学ベンチャーを渡り歩いていたときに会った教授達の推薦、次世代女性イノベータープログラムに採択されたこと。すべてが追い風となり、他大学からの受験という壁を難なく飛び越えてみせたのだ。
「山田さん、君なら帝大に行っても間違いなくトップを走れるよ」
教授室で合格報告をすると、村本教授は心から誇らしそうに目を細めた。この大学へ来るのも、あとは必要な単位の確認と事務手続きくらいだろう。私の視線はもう、ここではなく日本の最高峰へと向けられていた。
院進の決定と時期を同じくして、私の元には信じられないようなオファーが怒涛のごとく舞い込み始めた。
国内外の科学雑誌やトレンド誌からのインタビュー取材。女性向けファッション誌でのコラム連載。朝の情報を中心としたテレビ番組への出演依頼。さらには「文化人枠」としての芸能プロダクションからの所属オファーまで届いた。
誰かが「この女性を次のスターに仕立て上げる!」と意気込んでいるのがわかった。
進学予定である帝大の新たな配属先の教授までもが、わざわざ私の大学まで足を運び、「君のような優秀な女性イノベーターを迎えることができて光栄だ」と頭を下げに来たほどだ。
世界は私を中心に回っていた。
思い描いていた通り、いや、それ以上の眩い未来がハッキリと見えていた。
12月下旬。私はすべてのスケジュールをこなし、達成感に包まれながら実家へ帰省した。
コタツに入り、温かいお茶を飲みながら、テレビの画面をぼんやりと眺めていた時だ。
ニュースのアナウンサーが、無機質な声で短く報じた。
『中国・湖北省の武漢市で、原因不明のウイルス性肺炎の患者が相次いで確認され——』
「へぇ、中国も大変ね……」
母がミカンを剥きながら言った。私も「本当ね」と気のない返事をした。
どこか遠い地域の、自分には一切関係のないちっぽけなニュース。その程度にしか思っていなかった。
——年が明けてからの記憶は、どこか現実味がなく、ぼんやりと霞んでいる。
2020年。
年が明けると同時に、世界は急速に狂い始めた。
手帳をぎっしりと埋め尽くしていたテレビの収録も、取材も、講演会も、すべてが「延期」そして「中止」の文字で白紙へと変わっていった。
春になっても、新しく通うはずだった帝大のキャンパスへ足を踏み入れることすら許されなかった。ロックダウン、緊急事態宣言、立ち入り禁止。
家から出られず、何ひとつ新しい研究も進められないまま、ただ部屋でスマホの画面を眺める日々。世間の「SDGsフィーバー」も「女性イノベーター」への熱狂も、未知のウイルスへの恐怖という巨大な濁流にあっけなく呑み込まれ、跡形もなく消え去っていた。
熱狂は過熱したときと同じ速度で、冷酷に過ぎ去っていった。
ようやく大学の規制が解除され、ガラガラの研究室へ登校できるようになった頃には——
私はただの、どこにでもいる「一人の冴えない大学院生」に戻っていた。




