2014年
本作は実在の出来事や報道などを着想のベースとしていますが、登場する人物・団体・名称・ストーリー等はすべてフィクションです。
実在の人物や団体とは一切関係ありません。
2014年1月。一人の女性が白い割烹着を着て記者会見をしたあの日、私の人生が動き始めた。
その少し前。2013年12月。私、山田美咲は高校一年生だった。
少し前から、テレビや雑誌で『リケジョ』という言葉がよく使われるようになった。理系女子、の略だそうだ。 学校を見渡してみると、その言葉は便利で奇妙なラベルとして機能していた。本当に化学や生物が好きで、白衣に憧れるようなオタク気質の女子たちは、どこか誇らしげにそれを自称する。
「私リケジョだからこういうの好きなんだよねー」
「そうそう、リケジョって細かいところまで気にしちゃうよね」
一方で、スクールカーストの上位にいるようなイケイケの女子たちは、「垢抜けないダサい女」を揶揄する言葉として、薄笑いを浮かべながらそれを使っていた。
「あの子、マジでリケジョって感じだよねー」 「わかるー近づくと薬品の匂いしそう。あのおばあちゃんの化粧品みたいなやつ(笑)」
教室の端でそんな会話を聞きながら、私はいつも冷めた気持ちでノートを取っていた。 私はといえば、どちらかといえば文系より理系科目の方が成績がいい。先日返ってきた二学期の通知表を見ても、生物とか理系科目の成績はのきなみ『4』で、文系科目は『3』だった。 かといって、「リケジョ」の看板を背負いたいと思うほど、理系科目に興味があるわけでもない。
それに、やっぱりその響き自体がどうしようもなくダサいのだ。 おじさんおばさん世代のメディアや大人が、「これからは女性も理系の時代ですよ」と無理矢理お膳立てして、神輿を持ち上げようとしているような、なんとも言えないむず痒さ。操り人形の糸が見えているかのような白々しさがある。 私は絶対に、そんな都合のいい記号で呼ばれたくはなかった。
冬休みの前日。冷え切った誰もいない教室で、居残りの英語のプリントを提出し終えた私は、窓の外を眺める。 私は多分地頭はいい。興味さえ持てればその科目でもっと突出した成績も取れる気がする。顔だって、人並み以上な自信はある。なのに、今の私は何者でもない、部活すらやってない、ただの地方の女子高生だ。 この退屈な日常のなかで、私は何になればいいんだろう。大人たちが用意した「リケジョ」なんてダサい席には、死んでも座りたくない。
そんな風に、尖った自尊心を持て余していた。 2014年になるまでは。
2014年1月。 月末のある日、テレビのニュースは、一人の女性の話題で持ちきりになった。
白い割烹着を着た彼女が大々的に記者会見をしている。難解な科学の言葉を並べながら、「夢の万能細胞を発見した」と彼女は微笑んでいた。 ニュース番組もワイドショーも、彼女を突如現れた大スターとして称えた。実験室の壁をピンク色に塗り替えたとか、棚にぬいぐるみを飾っているとか、ノートにキャラクターシールを貼っているとか、そんなアイドル的な切り取り方が連日大盛況で報じられていた。
翌日、学校の空気も一変していた。 生物の高城恵子先生は、柄にもなく興奮気味に教室のテレビモニターを指さしながら語っていた。
「見ましたか!昨日のニュース!あなたたちもあんな風に、世界を驚かせる存在になれるかもしれませんよ!」
授業中、自称・リケジョの女子たちは目を輝かせて先生の言葉に頷いていた。自分たちの選んだ道が、突然「時代の主役」に躍り出たかのように胸を張っている。
一方、休み時間になると、スクールカースト上位のイケイケ女子たちは、いつものようにスマホをいじりながら嘲笑を浮かべていた。 「ねえ、見た?あの割烹着。狙いすぎてて超キモくなかった?」 「わかるー。ピンクの壁とかマジ痛い。どうせ本人は何もやってなくて、周りがお膳立てしただけでしょ」
あざ笑う彼女たちと、熱狂する先生たち。 その両方を見つめながら、私は教室の隅で、みんなとは全く違う衝撃に打ち震えていた。
……あんなので、いいんだ。
頭の中で、雷が落ちたような音がした。 社会を熱狂させているのは、難解な論文でも真理の追究でもない。 「割烹着」と「ピンクの壁」という、大人が喜びそうなあざとい演出だ。 なんだ、大人たちが求めていた「リケジョ」の正体って、あの程度の下らないおままごとだったのか。
研究の話だって、彼女自身どこまで理解してるのか怪しい話し方だった。なぜか先生やリケジョたちは気づかなかったみたいだけど。そういう意味では穿った見方ができるイケイケ女子の方が鋭い。…でも私なら。
でも私なら…?その言葉が思い浮かんだ瞬間、胸の奥で、ドロリとした黒い全能感が湧き上がってくる。
あんな程度のセルフプロデュースで、世間をまんまと騙して神輿に乗れるなら。 あんな安易な演出で、「時代の寵児」の特等席に座れるというのなら。
私のような本物の地頭の良さを持った人間が、本気を出して自分を売り込んだら、一体どれだけの人間を踊らせることができるだろう。
これまでダサくて寒くて、つゆ程の興味も湧かなかった「リケジョ」という道。 その泥でできたハリボテの舞台が、私には何よりも眩しく、魅力的な滑走路に見え始めていた。
2月。熱狂から一転。 発表から一週間ほど経つと、ネット上は彼女の論文に対する「捏造疑惑」の検証で溢れかえっていた。画像のアナログな切り貼り、他人の論文からの盗用。連日、新しい疑惑が炙り出されていく。
3月。三学期も終わろうとする頃、彼女の所属する研究所から正式に「データの不適切な取り扱いがあった」と中間報告が発表された。
世間の手のひら返しは素早かった。教室の空気も一変する。 スクールカースト上位の男子、賢人が「俺、最初から怪しいと思ってたんだよね」とデカイ声で吹聴すると、イケイケ女子たちが待ってましたとばかりに囃し立てた。 「わかるー!さっすが賢人くん、女を見る目あるじゃん(笑)」 わざとらしく、自称・リケジョたちの席に届くような大声だ。先月まで胸を張っていたリケジョたちは、まるで罪人でも見るような視線に晒され、縮こまっていた。
生物の授業中、高城先生はどこか悲愴感を漂わせながら言った。 「……今回の論文には、一部記載のミスがあったのかもしれません。それはもちろん、研究者として良くないことです。でも、彼女の上司は世界的に高名な先生ですし、その方が『論文の大筋に間違いはない』と明言しています。私たちは真実を信じましょう」 リケジョたちは、すがるような目で深く頷いていた。「私たちも信じます」と顔に書かれている。どこまでも無邪気で、どこまでも愚かだ。
一方で、私はネットのまったく違う場所に注目していた。 あの割烹着の彼女を追い詰めた匿名アカウント。そのアカウントが、彼女だけでなく、ノーベル賞級と謳われる『万能細胞の先駆者的偉人』の過去論文にまで疑義を呈していた。 しかし、その指摘は「一人の落ちぶれた女叩き」に狂乱するネットの業火の中では、誰にも拾われることなく静かに埋もれていた。
……あの偉人までってことは…ひょっとして、この業界全体が『そういう仕組み』なんじゃないの?
脳裏に、黒い全能感が再び広がっていく。 偉人だろうが権威だろうが、実績を焦る研究の世界なんて、見栄えの良い嘘とツギハギのデータで成り立っているハリボテなんじゃないか?
そして恐らく、そもそも再現性が低く検証するにも何をやるにも高いコストのかかる生物学の世界では、特にその誘惑が多い——。
だとしたら——もし私がその弱みや証拠をしっかり掴み取ってしまえば。 そのお偉いさんたちを、私の言葉一つで動く忠実な下僕にすることだって簡単にできるんじゃないか。
春休み直前、返却された三学期の通知表。 生物の評定欄には、鮮やかに『5』が刻まれていた。 ちょっと苦手なタイプだったあの熱血オバサン教師の目を欺き、気に入られる解答を完璧に作り込んで叩き出した満点だ。口先だけのセルフプロデュースじゃない。私には、それを実行に移すだけの地頭と計算高さがある。
ふふ……待っててね、生物学のお偉いさんたち。 私はあなたたちの「おままごと」の舞台に、最高のシナリオを携えて上がってあげるから。
4月。私は高校二年生になった。クラス替えのソワソワした空気も落ち着いたある日、あの割烹着の女性が、追い詰められた末の反撃として再び大々的な記者会見を開いた。
涙を浮かべ、掠れた声で訴えかける彼女。 「XAP細胞は、あります」 「200回以上、作製に成功しました」
世間の反応は冷ややかだった。 学校でも、あれほど熱狂していた高城先生はこの話題に一切触れなくなった。前言撤回も言い訳もせず、ただ存在しなかった出来事のようにスルーしている。イケイケ女子たちも、もはや嘲笑うことすらしていない。単に飽きたのか、それとも落ち込むリケジョ達に対する武士の情けだろうか。
……まあ、あいつらは女だし武士ではないけれど。
あの熱狂と狂乱の祭りは、こうして静かに、そしてあっけなく失速していった。 だが、世間が関心を失っていくのと反比例するように、私のエンジンは静かに、熱く回転を始めていた。
私は、それまで縁もゆかりもなかった「生物研究部」のドアを叩いた。 顧問の高城先生は、放課後の理科準備室で目を丸くしていた。
「山田さん? 二年生から入部なんて、珍しいわね」
「はい。高城先生の授業を受けていて、生物研究に興味を持って……自分でも何か研究をしてみたいと思ったんです」
少し目を潤ませて「嬉しいわ!」と喜ぶ高城先生の顔を見ながら、私は心の中で冷ややかに舌を出した。この単純なオバサンを味方につけるのは、赤子の手をひねるより易しい。
もちろん、純粋に研究がしたいわけではない。 私の目的は、ここで「目に見える実績」を作ることだ。 高校生のうちに、何か一つ特許出願をするか、あるいは学術誌へ論文投稿をする。 そうすれば必ず地方紙に取り上げられる。出願した特許が最終的に成立するかどうかや、投稿した論文が査読を通るかどうか、なんてことはどうでもいい。世間の人間も、メディアも、そんな専門的なプロセスの結末には1ミリも興味がない。
重要なのは、『地元の高校生が画期的な生物研究で特許出願!』という見出しで、地方紙のニュースに小さな記事として残ること。写真も掲載されるだろう。この社会はJKの写真が何より大好きなのだから。
一度「新聞に載った天才リケジョ」という記録さえ作ってしまえば、それは将来、私がもっと大きな舞台に躍り出るときの強固なバックボーンになる。大人たちを騙し、神輿に乗るための、第一ステップだ。
「先生、私、本気で成果を出したいんです」
真っ直ぐな目で高城先生を見つめると、先生は感極まったように私の手を取った。 ふふ……さあ、最高のセルフプロデュースを始めよう。
7月。真夏の到来とともに、あの割烹着の彼女の論文撤回が正式に表明された。
インターネット上では、相変わらず彼女への苛烈なバッシングが続いていた。また一方でそれに対抗する勢力として、「本当は完成していたが、米国の巨大製薬会社や大学が特許を奪うために潰したんだ」といった陰謀論をまことしやかに囁く人たちまで現れ、狂乱の余波は収まる気配がない。
けれど、リアルな学校生活においては、もう誰もその話題に触れようとはしなかった。通り過ぎた嵐として、あるいは触れてはいけないタブーとして、教室の空気の中にそっと蓋がされている。
世間が陰謀論とバッシングに興じている間に、私の「戦略」は着実に形になりつつあった。
生物研究部で取り組むテーマは、すでに決まっている。
——ニキビ。
これ以上ないほど「女子高生らしい悩み」であり、メディアウケも抜群のテーマ。そして何より素晴らしいのは、「ニキビなんて放っておいても勝手に治る」ということ。
わざわざ危険なデータの捏造や画像の切り貼りなんてしなくても、経過観察のタイミングさえ合わせれば、「介入前後の劇的な改善写真」なんていくらでも都合よく撮影できる。捏造すら必要としない、完璧な事実の切り取りだ。
ただし、注意すべきラインはある。
既存の治療薬や塗布薬の領域に首を突っ込んで、製薬会社の利害とバッティングすることだけは絶対に避けなければならない。あちら側には莫大な市場と、とんでもない額のお金が動いている。
高校生の自由研究レベルで「潰される」なんて自意識過剰かもしれないけれど、相手は巨大な権威と資本。用心するに越したことはない。今はまだ、彼らと対峙する時じゃないのだ。情報も、私の権威も、圧倒的に足りていない。
ならば、狙うべきは隙間産業だ。
「薬」ではなく、ニキビ予防のための生活習慣の提案や、無意識に顔を触ってしまうのを防ぐための手袋や保護シートといった「予防グッズ」の開発。これなら製薬会社の利害とぶつかることもなく、安全に「画期的なアイデア」としてパッケージングできる。
それはそうと…私が放課後生物研究部へ足繁く通うようになったことで、教室での立ち位置に明らかな変化が現れた。
スクールカースト上位のイケイケ女子たちが、どこか遠巻きに、憐れみと蔑みが混ざったような視線を送ってくる。
「あー……美咲も、そっち側に行っちゃったんだ」
隠そうともしないヒソヒソ声。週末のカラオケや買い物の誘いも、潮が引くように一切なくなった。スクールカーストの「華やかな側」からの事実上の追放。
そうよ。私は「そっち側」の女。
「そっち側」の全てを手にする女。
放課後の夕日が差し込む理科準備室で、私はひとり、不敵に口元を歪めた。
あんたたちがダサいと笑い、見下している「リケジョ」。
私はその舞台ごとハックして、大人もメディアもすべて踊らせて、あんたたちが一生手にできないような「権力と名声のすべて」を手に入れてあげる。
8月。酷暑の夏休み。
蝉の鳴き声が喧しく響く校舎で、私は連日、実験とデータ取りのために生物研究部の部室に通っていた。
その日は、いつもなら真っ先に顔を出して冷やしむぎ茶を入れてくれる高城先生の姿がなかった。不思議に思って静まり返った職員室へ向かうと、扉の隙間から、肩を震わせて泣いている高城先生の背中が見えた。
手元には、速報を伝えるスマホの画面。割烹着の彼女を支えていた、あの世界的に高名な研究者が自死したというニュースだった。
「……先生、どうかされたんですか?」
私が声をかけると、高城先生は慌てて目元を拭った。
「……お知り合いだったんですか?」
「ううん、そうじゃないの。一度もお会いしたことはないわ。でも……なんだか、胸が締め付けられてしまって」
鼻をすする先生を見つめながら、私は心の中で首をかしげた。
不思議な人だ。なぜ自分と縁もゆかりもない赤の他人に、そこまで感情移入ができるのだろう。世界的に高名だからか? 世界的に高名な人が死ぬと、まるで自分の身内が傷ついたかのように悲しくなるのだろうか。私にはその感性がさっぱり理解できなかった。
理解はできなかったけれど、私は心の中で一つの約束をした。
……私は、もっと上手くやる。
私なら絶対に足元をすくわれないシナリオを書く。そして、私を神輿に乗せてくれた人間には、全員にいい思いをさせてあげる。
高城先生。あなたにもね。
いずれ全国ネットのテレビ番組で高校生の頃の私がどんな女の子だったか、誇らしげに語る未来をプレゼントしてあげるからね。
部室に戻り、エアコンの効いた室内でノートを広げてアイデア出しを再開する。
テーマは決まっている。ニキビの悪化要因とその対策。
今、私が着目してるのは前髪の接触。
前髪の毛先が額や頬のニキビに何度も触れることで、それが物理的な刺激となり、炎症を悪化させる。
……まあ、「そりゃそうだろ」と誰もが思う当たり前の事実。だけど、これを『女子高生が実験によって立証した科学的データ』としてグラフや写真で綺麗にまとめれば、立派な研究成果に見える。それらしい写真は集まってきた。
問題は、その先の解決法だ。
ただ「前髪を上げましょう」じゃ面白くない。カチューシャやヘアバンドを自作して「画期的な発明です!」と言い張るのも、女子高生らしいかわいげはあるけど…大人たちやメディアを感心させ、地方紙の紙面を飾るには、もう一捻り……女子高生ならではのあざといアイデアが必要だった。
前髪を上げたくない女子高生の乙女心を踏まえつつ、物理刺激を防ぐ何か。
「……うーん」
冷えた缶コーラを頬に当てながら、私は思考の泥沼へと潜っていった。
誰かに相談するか……?
いや、いざとなれば私は最後の手段も厭わない。だがその時、経緯を共有する者がいるのはリスクだ。この泥沼は私一人で這い上がらなくてはならない。
頼れるのは自分のこの地頭だけ。
誰も見たことがない「完璧なシナリオ」をひねり出すために、私は静まり返った部室で一人、ペンを走らせ続けた。
10月。
あの高名な上司の自死は、皮肉にもあれほど燃え上がっていたネットの業火を鎮火することに成功していた。
ニュースによれば、割烹着の彼女は今、研究所の監視下で「再現実験」に臨んでいるらしい。それはつまり最後まで「細胞はある」と言い張るルートを選んだということ。
だが、私はその裏側にある大人の事情を冷静に見つめていた。
あのプロジェクトには、多くのベンチャー企業や大学、そして経済産業省までもが莫大な予算を投じていたというネットの記事を見たことがある。もし彼女がここで「故意の捏造でした」とあっさり認めれば、巨額の賠償請求や責任問題から免れなくなるのだろう。彼女だけでなく、彼女の後ろにいた人間たちも。
今行われている再現実験は、「悪意のない実験上の勘違いでした」という、誰も傷つかない落とし所へ向かうための儀式なんだろう。
大人たちの滑稽な泥沼劇を横目で見ながら、私の「セルフプロデュース」は最終局面を迎えていた。
高城先生を全面的に巻き込み、高校のバックアップのもとで、特許出願と学会誌への論文投稿、そしてプレスリリースの準備を着々と進めている。
ひねり出したアイデアは、名付けて『前髪固定用・貼り付く眉マスカラ』。
前髪の毛先が揺れておでこに擦れ続けるのが物理刺激になるのなら、いっそのこと眉毛に前髪の毛先を貼り付けてしまえばいい、というシンプルなストーリー。
マスカラの基本処方に二重のりで使われる接着剤を入れただけのものを、「前髪のオシャレを維持しながらおでこのニキビを予防する」というパッケージで提示する。
手元には、完璧な「エビデンス(笑)」が揃っていた。
おでこのニキビに悩まされていた生物研究部の女子部員3名(私を含む)が、このマスカラを使用することで症状が大幅に改善した——という比較写真付きのデータだ。私含め3人とも全然違う髪型だったが、私と高城先生で頼み込んで実験期間中は眉のラインで前髪を揃える髪型にしてもらった(笑)。
実験期間は2ヶ月取った。そうすればもちろん、おでこにニキビができた日も、ニキビがまるで無い調子のいい日もある。それをタイミングよく撮影しただけの代物。
アンケート結果も完璧だ。一年生の部員に「これ使ってから、なんとなくニキビ出来にくくなった気がしない?」と微笑みながら詰め寄ると、彼女は引きつった笑みで「あ、はい……まぁ、そんな気がします」と答えてくれた。『効果を実感した』と記録する。
これでデータは完成。
もちろん、専門家の査読が入る学会誌の論文なんて、被験者数が3人では「サンプル数が少なすぎる」と一発でリジェクトされるだろう。
特許の方は効果の真偽やそのエビデンスがあるかを審査するようなものでは無い。成立はするかもしれない。でもしたところで対応できる髪型が限定的すぎるし、一番みんなが気にする「頬のニキビ」には1ミリも効果がない。商品化して市場に出るような代物ではない。
でも、そんなことはどうでもいい。100%どうだっていい。
「地方の現役女子高生が、身近な悩みを科学の力で解決し、特許出願&学会誌へ論文投稿!」
その事実とプレスリリースさえ存在すればいい。
採録結果やその後商品化されるかなんて、世間もメディアも誰も追うことはない。
「美咲ちゃん、本当にすごいわ! 校長先生も『我が校の誉れだ』って大喜びよ!」
放課後の理科準備室で、書類を抱えた高城先生が興奮で頬を紅潮させている。
私はどこまでも清純で、どこまでも健気な「未来の優秀なリケジョ」の笑みを浮かべて、深くおじぎをした。
「いえ、高城先生のご指導があったからです。私、もっと頑張りますね」
仕込みはすべて終わった。
さあ、あとは発表の日を待つだけ。
12月。
割烹着の彼女が所属していた研究所は、「検証実験においてXAP細胞を再現できなかった」と正式に発表した。彼女は研究所を退職し、日本中を巻き込んだ騒動は静かに幕を下ろした。
あれほどもてはやされた『リケジョ』という言葉のイメージは完全に地に落ち、メディアも街も、もはや誰もその言葉を口にしなくなった。
だが、私にとってこれは想定通りのシナリオだった。
世間の熱が冷めるのは当たり前。でも、人間喉元過ぎれば熱さを忘れる。
私が本格的にこの「セルフプロデュース」を世に解き放つのは、大学四年生か大学院生の頃。あと5年も経てば、今回の事件の生々しさはすっかり風化しているはず。そしてその頃には、喉をカラカラに乾かした大人たちが、「輝く理系女性のシンボル」を再び渇望して祭り上げたい気運が高まっているに違いない。
その時、最高のタイミングで「高校時代から実績を積み重ねてきた本物の天才」として降臨する。
今日のプレスリリースは、その5年後のための『過去ログ』作りに過ぎない。
——そして今。
高校の会議室で、私は地元紙の記者さんからの取材に対応していた。
地方紙と地元の高校には太いパイプがある。あらかじめ学校側と記者の間で打ち合わせが行われていた通り、出来レースのインタビューが滞りなく進んでいく。
「前髪を眉毛に固定するというアイデア、えっ?と思いましたけど女子高生らしい柔軟な発想だと思いました。」
「ありがとうございます。前髪をあげればいいというのも考えたんですけど、やっぱり女子高生にとって前髪って命だと思うので(笑)」
問題は、インタビュー後の写真撮影だった。
文章なんて誰も真面目に読まない。世間の印象を決定づけるのは、いつだって「ビジュアル」だ。
「カメラマンさん、申し訳ないのですが、色々なアングルで何パターンか撮っていただけますか? あとで写真のチェックもさせてほしいんです」
私の申し出に、カメラマンも校長先生も一瞬ギョッとした表情を浮かべた。ただの女子高生が取材写真の検閲を要求してきたのだから当然だろう。
すると、横にいた高城先生が慌ててフォローに入った。
「まあまあ、カメラマンさん。年頃の女の子ですから、写り方は気になりますよねぇ」
先生が和やかに笑うと、場が一気に和んだ。
……高城先生、ありがとう。ちょっと助かった。
撮影された数十枚のデータのなかから、私は慎重に「一枚」を選び出す。
狙うべきは、奇跡の一枚みたいなバチバチに可愛い写真ではない。
『適度に野暮ったく、だけど地の可愛さ、素材の良さは隠しきれていない、世間の大人が一番好むリケジョの高校生時の姿』
これだ。計算し尽くされた「隙」のある一枚。完璧だ。誰も私が計算してこの野暮ったさを演出しているなんて気づかない。
すると、画面を横から覗き込んだ高城先生が、呑気な声を上げた。
「え? 美咲ちゃん、こっちの写真の方が笑顔もハッキリしてて可愛くない? こっちにしなさいよ〜」
黙れババア。私の邪魔をするな。
笑顔で「いえ、こちらのほうが研究者らしくていいと思います!」と受け流し、私は自分の狙い通りの写真を紙面用として確定させた。
そんなこんなで、私の高校時代における第一段階の計画は、完璧な成功のうちに終わった。
二学期の終業式の日。
冷え切った理科準備室で、私は高城先生に静かに頭を下げた。
「先生、今までありがとうございました。これからは受験勉強に専念したいので、部活はこれで引退させていただきます」
「そっか……寂しくなるけど、美咲ちゃんなら絶対にいい大学に行けるわ! 応援してるからね!」
目頭を熱くする先生に、私も寂しそうな笑みを返した。
もう、この学校にも、この部活にも、そして高城先生にも用はない。
この年代で仕込んでおくべき『実績』の種まきは、これで十分。
私はカバンを肩にかけ、冬晴れの校門をくぐった。
待っててね、5年後の世界。




