41.破壊の神
ギィィ……
ミカゲツたちとの密談を終え、オルトは再びタルールの実験室へと戻ってきた。
「ミカゲツ様と何を話してたの?すっごく長かったね!」
エルが頬を膨らませ、不満げにオルトに言う。
「……いろいろとな」
オルトは視線をそらしながら曖昧に答える。
「もー……先生もそうだけど、オルトも何も教えてくれないの?……」
エルが拗ねるように言う中、奥の扉が軋む音を立てて開いた。
「ヒヒヒ……戻られましたか、オルト様」
タルールが白衣を揺らしながら入口に姿を現す。
「おう、丁度よかった。お前に聞きたいことがある」
オルトは鋭い視線でタルールを見据えた。
「ええ、もちろん。何でもお答えしましょう。こちらへどうぞ」
タルールはにやついたまま、部屋の隅にある椅子を指し示した。
オルトがゆっくりと腰を下ろすと、しばし沈黙の後、低く問うた。
「――お前をこの人間界に連れてきたのは、“アジュール”か?」
タルールの表情がわずかに歪む。
その口角は笑っていたが、目だけが鋭く光った。
「ヒヒヒッ、その通りでございます」
タルールは唇の端を吊り上げ、不気味に笑った。
「……いつ、お前は人間界に召喚された?」
オルトの声には静かな圧がこもっていた。
「そうですねぇ……約十三年前のことです」
「……っ」
オルトの眉がわずかに動いた。
「そのとき……お前と一緒に召喚された魔人が、他にいたか?」
問いに、タルールは一瞬だけ間を置いた。
目を細め、まるで観察するようにオルトを見つめながら――口元だけがにたりと笑った。
「ええ、いましたよ。ですが……知り合いというわけではありませんでしたしね。その後すぐ、私はこの国へと派遣され、魔力飴の研究と実験を任されましたので。もう一人の魔人については……残念ながら、あまり記憶にないんですよ」
「……随分と素直に話すんだな」
オルトが低く言う。
「ヒヒヒッ、別に隠すようなことではございませんからね。あなたには……いずれ知ってもらうことですし」
タルールの目が、まるで“これからの展開を楽しみにしている”かのように爛々と輝いていた。
「アジュールが今どこにいるか、知っているのか?」
オルトの問いに、タルールが口を開きかけた、その時だった。
――ドカァァァンッ!!
凄まじい爆発音が地上から響き渡った。
部屋の天井がビリビリと震える。
「……なんだ……っ!?」
オルトが身を起こし、思わず声を上げる。
「僕、ちょっと見てくる!!」
エルは興奮気味に扉の外へ飛び出していった。
タルールはニタリと笑いながら立ち上がる。
「ヒヒヒ……どうやら、お客さんが来たようですね」
そのまま実験室の奥へ歩いて行くと、壁際に並ぶ巨大なガラス容器の操作盤に手をかけた。
――プシューッ
黄緑色の液体が音を立てて抜けていく。
――ボコボコボコ……
液体の泡が静まり、ガラス容器の中の二つの影が姿を現す。
――ガシャン!
音を立てて容器の蓋が開くと、二人の人間がゆっくりと目を開けた。
一人は白い肌の少女。虚ろな瞳を開き、口元だけがわずかに動く。
「……す……べては……魔王様の……ために……」
もう一人は、濃い青色の長い髪をした青年だった。
彼はゆっくりとタルールを見据え、ギラリと鋭い視線を向ける。
タルールは唇を歪ませて笑った。
――パチン。
タルールが指を鳴らすと、少女の身体が糸が切れたように崩れ落ち、静かに床に倒れた。
その横で、濃い青の髪を持つ青年――先ほどまで目を光らせていたその青年だけが、悠然と立ち続けていた。
「……まったく……」
タルールが肩をすくめ、残念げに呟く。
「エルと同い年くらいの、友達ができると思ったのに……残念ですねぇ」
タルールは倒れた少女を見て呟いた後、青髪の青年に視線を移した。
「君の名は……そうですね。実験番号1115番……ジュウゴとでも名付けましょうか」
タルールは満足げに笑みを浮かべながら告げる。
青年の喉がわずかに震え、しぼり出すような声が漏れる。
「……お前……俺に……何を……したんだ……?」
その問いに、タルールは躊躇なく答える。
「ヒヒヒッ……あなたはこの世界で生きるすべての生物の“頂点”になったのですよ。恐れるものなど、もう何一つない。素晴らしいでしょう?」
「……俺の……妹は……?」
青年――ジュウゴの声が震えた。
その言葉に、タルールはしばし黙ったあと、思い出したように軽く言った。
「あぁ、そんな子がいましたか?……さぁねぇ。ここにいないのなら、すでに“実験材料”として使ってしまったかもしれませんね」
「……使う……?」
「ええ。素材として。魔人と人間の融合の過程でね」
タルールのその言葉に、ジュウゴの肩が小刻みに震え始める。
「貴様……」
青い髪がゆらりと揺れたその瞬間、室内の空気が一変する――
血のように重く、そして冷たい怒りが、その場を満たしていった。
「ぐっ――!」
青髪の青年――ジュウゴは、怒りにまかせてタルールへと襲いかかろうとした。
だが、その身体は途中でピタリと硬直し、一歩も動けなくなった。
オルトはジュウゴの首の後ろに刻まれた紋章を見つけ、その模様を凝視した。
「……お前……そいつに、奴隷の紋章を入れたのか?」
オルトが低く、睨みながら問う。
「ええ、もちろんですとも」
タルールは愉快そうに笑みを浮かべた。
「その方が“扱いやすい”。暴走しない、命令に逆らえない……完璧でしょう?」
オルトは歯を食いしばり、拳を握り締めた。
「さて――」
タルールはゆっくりと、倒れている少女の方へと歩み寄った。
「この“失敗作”は、素材として再利用させていただきましょうかね」
そう言って白衣の袖をまくり、無造作に少女に手を伸ばす。
――その瞬間。
「……やらせるかッ!!」
バッ!
誰もが驚くより早く、ジュウゴが動いた。
さきほどまで硬直していた身体が、信じられないほどの速さで少女のもとへと駆け寄り、彼女を抱き上げる。
「なっ――!」
タルールが目を見開く間もなく、ジュウゴはそのまま実験室の扉を蹴破り、迷うことなく逃げ出していた。
「まぁ、簡単には逃げられませんよ」
タルールがそう呟き、ゆっくりとオルトの方へ視線を向けた、その瞬間だった。
ガシャン……
ジュウゴが壊した実験室の扉の方から音がした。
「先生.....」
タルールが振り向いたその先に立っていたのは、全身血まみれの小さな少年――エルだった。
「僕……負けちゃった……」
エルはか細い声で呟き、唇を震わせながらタルールの方へとよろよろと歩み出る。
「がんばったんだけど……全然、だめだった……」
その場に崩れるようにして――バタッ!
「エル!!!」
タルールが驚愕の表情で駆け寄り、血に染まった彼の体を抱きとめた。
そのときだった――
ヒュォォォォォ……
冷たい風が、実験室の奥から吹き込んできた。
パキ…パキ…パキ…
実験室の床が、壁が、そして天井までもが、凍てつくような青白い光に包まれていく。
暗闇の中、空気が凍っていくような音が静かに響いた。そこに現れたのは、蒼く澄んだ瞳に怒りの炎を宿すハルだった。
周囲の空気が凍てつく中、彼の一歩ごとに氷の結晶が床を染めていく。
「ハル……!? お前、なんでここに!」
オルトが目を見開き叫ぶ。
ハルはその声に、僅かに険しい表情を緩めた。
「……師匠。無事で……よかったです」
その言葉に、オルトの心にも微かな安堵が走った。
「ヒヒヒッ……さすがは勇者様ですねぇ。エルを倒すとは……」
タルールが悔しげに笑う。
だが、ハルの冷えきった瞳がすぐに彼を射抜く。
「ああ……今度はあなたが、その姿になる番です」
剣を構えながら、ハルがタルールに静かに告げる。
「待て、ハル!」
オルトがすぐに駆け寄って、ハルの肩を掴んだ。
「こいつから……まだ聞いてないことがある」
ハルは一瞬目を伏せ、そして頷く。
「……わかりました。少しだけ、待ちます」
オルトがタルールに向き直る。
「タルール……アジュールの行方を教えろ」
タルールは少し傾いている口をそっと開いた。
「それは......あなた方の後ろです」
ゾクリとするほど滑らかで、乾いた声が響いた。
ハルとオルトが同時に振り返る。
そこに気配もなく立っていたのは、漆黒のスーツを身に纏い、赤い瞳を持つ男。
整った顔立ちと無機質な笑み。どこか人ならざる気配を放っている。その男の片手には気絶した青髪の青年ジュウゴが掴まれていた。
「……師匠、こいつは……?」
ハルがわずかに声を震わせて尋ねる。
オルトはその男を見据えながら、低く呟いた。
「……アジュール」
その顔をはっきりと見た瞬間、ハルの身体は強ばった。
――オルトと瓜二つだった。
だが、唯一違うのは、彼の右頬に深く刻まれた一筋の傷跡。
「久しぶりだね、オルフィネス」
男――アジュールは、艶やかな赤い瞳を細め、懐かしむような声を出した。
「オルフィネス……?」
ハルは困惑の色を深めながら、アジュールの顔を睨見つける。
その刹那――
バサッ!
アジュールは掴んでいたジュウゴを、無造作にタルールの方へ投げ飛ばした。
「ダメでしょう、タルール。せっかく成功した貴重な検体を、あんなふうに野放しにして」
アジュールの声はどこか柔らかいが、その実、氷のように冷たい。
「申し訳ありません、アジュール様!」
タルールは慌てて青年に駆け寄り、恭しく頭を下げながら言った。
「ですが……彼はすでに私の“言葉”に従うよう刻み込んでおります。ご安心ください」
「ふん……まぁいい」
アジュールはつまらなさそうに視線を逸らすと、再びオルトへと目を向けた。
「それより……オルフィネス人間界は、楽しかったかい?ここ八年間、のんびりと散歩していたらしいじゃないか。オルフィネス――いや、今は“魔王オルト・マフィネス”と呼ぶべきかな?」
オルトの眼が鋭くなる。
「お前……人間界で何をしてるんだ…」
オルトは、警戒するように問いかけた。
アジュールはゆっくりと肩をすくめ、唇に薄く笑みを浮かべて答えた。
「何って――僕たちがかつて目指していたことだよ?魔界と人間界を“ひとつ”にする。それが、あの頃の僕たちの夢だっただろう?でも……君に裏切られてから、随分と時間が経ってしまった。それでもようやくここまで辿り着けたんだ」
「……っ」
「まずはこの国を魔人の国にする予定だよ。
魔力飴、融合実験……全部その序章さ」
アジュールは一歩ずつ、ゆっくりとオルトに近づいてくる。その赤い瞳には、どこか酔ったような狂気と陶酔が宿っていた。
「なに?まさか……君は、まだ、人間に同情でもしてるの?」
くすりと笑いながら、アジュールの声が鋭さを増す。
「ははっ! 本気かい? 僕たちはあの人間どもに何をされた? いいように扱われ、追い出され、存在を否定されたんだぞ?」
「……もう、それは過去のことだ」
オルトが唇を噛みしめ、拳を強く握る。
その声は苦悩と怒りの入り混じったものだった。
「ふぅん……そうやって許しの言葉で己を誤魔化してるんだね?」
アジュールの目が細められる。
「いい加減、目を覚ませよ。オルフィネス。
姉さんを殺され、俺たちの居場所を奪われた人間界に復讐をしよう!!」
二人の空気が張り詰める。
「お前がまだ、そんなくだらない幻想に縋ってるなら――俺がその幻想ごと、叩き潰してやる」
オルトがそう言った瞬間、アジュールの足元から禍々しい黒い魔力が立ち上った。まるでそこに満ちる空気そのものを腐らせるように、実験室の壁がきしみ、不気味な振動が走る。
ハルが剣を構え、一歩前に踏み出そうとしたその瞬間――オルトはハルの前を塞ぐように片手を伸ばし、制した。
「下がってろ。こいつは――俺が決着をつける」
オルトがそう言ってアジュールを睨みつける。
「ふふふっ――残念だな。僕も、久しぶりに戦ってみたかったんだけどね」
アジュールは唇の端をつり上げ、不気味に笑った。
「今はまだその時じゃないよ。また、どうせすぐに会えるから――だから、今日はここまで」
その目が赤く妖しく光る。
「また、遊ぼうね。兄さん」
最後の言葉だけ、妙に甘く、そして冷たく響いた。
アジュールはひらりと指を鳴らし、タルール、エル、ジュウゴを引き連れ、闇の中へと溶けるように姿を消した。
「待てっ!!!」
オルトが咄嗟に走り出そうとした、その時――
「師匠!!」
ハルが素早く腕を掴み、制止する。
「……ハル」
「一体どういうことなんですか。なぜ、あいつは師匠のことを“兄さん”と呼んだんですか?」
その瞳は、真っ直ぐにオルトを見つめていた。
怒りでもなく、困惑でもない。ただ、真剣だった。
オルトはその視線に、一瞬だけ言葉を失った。
心の奥底に封じていた記憶が、ゆっくりと揺らぎ始める。
ゴゴゴゴ
地下の実験室が少しずつ崩れ始める音がした。
「ここは、もうすぐ崩れます。外に、馬車があるので……まずは、ここを離れましょう」
ハルが静かにそう告げた。
オルトは黙ってその言葉を受け止め、何も言わずにハルの後ろについて歩き出した。
◇◇◇
コトン、コトン……
木の車輪が石畳をゆっくりと叩きながら、馬車は揺れていた。
重い沈黙の中、オルトがふいに口を開いた。
「……あいつは、アジュールは……俺の双子の弟だ」
「弟?」
ハルが思わず声を漏らす。
「ああ。昔――本当に昔の話だ。
ちょっとしたことで喧嘩別れしちまってな……そっからアイツ、グレちまったんだよ」
オルトは少し目を伏せ、肩をすくめるように笑った。だがその笑いは、どこか痛みを伴っていた。
「師匠が……人間を恨んでるとか、言ってましたよ。あれって……」
「……昔な、人間界にふらっと来たことがあってさ。ちょっと酷ぇ目に遭ったんだ。その時のことを未だにあいつは恨んでるんだろう」
オルトは、どこか寂しげな瞳で遠くを見つめながら答えた。
「お姉さんを……殺されたんですか?」
ハルが小さく問いかける。
「……いや、違う。殺されたんじゃない。姉は……病気で死んだんだ」
小さく拳を握るオルト。手袋越しでも、その指先はわずかに震えていた。
ハルは黙ってその手を見つめていたが――
「……それとさ」
オルトは一度息をつき、真剣な目でハルを見つめた。
「お前……薄々気づいてたかもしれねえけど……俺、魔王なんだ.......」
オルトがポツリと告げた言葉に、馬車の空気が一瞬だけ張り詰めた。
「……」
ハルは言葉を返さなかった。ただ、じっとオルトを見つめている。
「……黙ってて、悪かった。」
オルトは視線を伏せ、ゆっくりと続ける。
「お前、勇者になって魔王を倒すって言ってただろう?……だから……お前がどう思うか……怖かったんだ」
オルトは視線を逸らし、窓の外を睨むように見つめる。まるで逃げるように。
だが――
「……俺は、師匠が魔人だろうが、魔王だろうが――何者であろうが、構いません」
ハルの声は、静かだった。けれど、力強かった。
オルトは驚いて振り返る。ハルの青い瞳が、まっすぐに――そしてどこか嬉しそうな輝きを宿して、オルトを射抜いていた。
「俺の師匠は、あなただけですから」
ハルはそう言って、柔らかく微笑んだ。
その言葉と表情を向けられたオルトは、しばらく何も言えなかった。唇がかすかに震える。
やがて、何かを押し殺すように目を細め、静かに笑った。
「……お前ってやつは、本当に……救いようがねぇな」
「それはお互い様ですよ」
そう言って、ハルも微笑んだ。
馬車は再び、静かに走り続ける。
ただ、さっきまでよりもずっと――あたたかな空気を纏いながら。