40.裏山の洞窟に潜む礼拝堂
「――着いたわ」
ミカゲツが立ち止まる。
そこは、岩壁に囲まれた空間だった。天井から漏れる薄明かりに照らされ、中央には異様な存在感を放つ巨大な像が鎮座していた。
全身が深紅に染められたその像は、威圧感と神秘性を併せ持ち、目を逸らすことを許さない。
だが――
「……これは……っ」
オルトは像の顔を見上げたまま、言葉を失った。
「気づいたかしら?」
ミカゲツが柔らかく微笑む。
「あなたに――そっくりでしょ?」
確かに、その像の顔立ちはオルトによく似ていた。切れ長の瞳、通った鼻筋、そしてわずかに吊り上がった口元。
ただひとつ違うのは――
右頬に刻まれた、深く醜い切り傷。
それはまるで、穢れを刻むかのように像の美を壊していた。
「この像が祀られている神の名は――競走の神、クシエラ」
ミカゲツが歩を進め、像の足元に手を添えた。
「そして……彼にはもう一つの名があるの」
ミカゲツが視線をオルトに向ける。
「破壊の神、アジュール。」
その名を聞いた瞬間、オルトの表情がわずかに強張った。
「……アジュール……」
眉間に深く皺を寄せ、過去の記憶を呼び起こそうとするかのように、低く呟く。
「……お前たちは……こいつの命令で動いてたってのか?」
オルトがゆっくりと問いかける。
ミカゲツはふっと笑った。
「そうよ。この国は――この世界で唯一、アジュール様が創り、育て、今も見守っている国なのよ。」
神像の赤い瞳が、不気味な光を帯びてこちらを見ている気がした。
「アジュールは――今どこにいる?」
オルトの声は低く、感情を抑えたつもりでも、その奥底には怒りと焦燥がにじんでいた。
「まあ……本当に知り合いだったのね」
ミカゲツは唇を緩め、扇で口元を隠しながらくすくすと笑う。
「どこにいるんだ、アジュールは!!」
オルトは荒々しくミカゲツの両肩を掴んだ。
その瞬間、彼の目に血の気が宿り、鋭く燃えるような眼光がミカゲツを貫く。
――バッ!
「貴様!!ミカゲツ様に向かってその態度は何だ!!」
サイがすかさずオルトの両腕を後ろに回して強く縛り上げた。
「ふふ……落ち着いてちょうだい。そんなに取り乱すなんて、よほど因縁深い相手なのね?」
ミカゲツは微笑んだままゆっくりと扇を閉じる。
「アジュール様は――この世界を渡り歩いている神。今どこにいるのかは、私にも分からないわ」
「……」
「でもね、彼は常に私に――この国に――啓示を送ってくださるの」
そう言って、ミカゲツはそっと自身の着物の胸元に手を添えた。
布が滑るように落ち、静かに肌が露わになる。
「……まさか……その印は……!」
オルトの目が見開かれる。
ミカゲツの胸元には、禍々しい紋章が刻まれていた。
魔人しか刻むことのできない呪印――奴隷の紋章。
それは、刻まれた者が主の意に背いた時、肉体が暴走し、自壊するという禁忌の印。
「ここから、アジュール様の意思が私に届くの」
ミカゲツはその紋章をそっと撫でた。
「その紋章……いつから入れられているんだ?」
オルトが問いかけた。
「……二十年前。私がまだ五歳だった頃よ」
ミカゲツは、唇をかすかに歪めて微笑んだ。
「その頃、アジュール様が――この国に“肉体を持って”降臨なさったの。まだ子どもだった私を、彼は“気に入った”と言ってくださって……この紋章を、授けてくださったの」
オルトはその言葉を聞いた瞬間、眉間に深い皺が刻まれ、瞳には鋭い光が宿る。
「……二十年間も……お前は、その苦痛に耐えてきたのか」
オルトの声が低く揺れる。
奴隷の紋章――それはただ、逆らえば命を落とすという単純な契約ではない。毎夜、夢の中で自我を切り刻まれる痛みを伴う。その痛みは、まるで現実そのものと一体化しているかのようで、ただ眠る事さえも許されなくなる。
――そして、それは、魔界においても最も重い罪人のみに刻まれる、最下級の烙印だった。
「……」
ミカゲツは目を伏せたまま、静かにまつげを震わせる。その沈黙が、否応なく彼の痛みと空白を語っていた。
オルトは、黙ってミカゲツの横顔を見つめ呟いた。
「お前は……本当に、この国がこのまま魔人の国に成り果ててもいいと思ってるのか?」
その問いは、鋭さと、そして――痛みの伴った真心を孕んでいた。
ミカゲツの肩が、小さく揺れた。
パタパタパタ
突然、祭壇の奥、薄暗い帳の向こうから、小さな足音が駆け出した。ひとり、またひとりと現れたのは、5人の子どもたちだった。
「ミカゲツ様!」
その姿に、オルトの目が見開かれる。
「……おまえたち...隠れていなさいと、言ったでしょう……!」
ミカゲツの声に、焦りと、どこか痛みがにじむ。
だが、子どもたちの中のひとり――小さな少女が、ミカゲツの着物の袖をぎゅっと握りしめながら言った。
「だって……ミカゲツ様が、悲しそうな顔してたから……」
「……」
ミカゲツは何も言えず、静かに目を伏せた。
オルトは子どもたちの姿を見つめる。
「おまえたち……その姿は……」
ある者は鬼のような面差しを、またある者は翼や牙を持っていた。見慣れたはずの“魔人”の特徴──尖った耳、瞳の色、角や肌の色。だが、目の前にいた子供たちの姿は、どれもそれとは違っていた。どの子も、その姿は中途半端で、まるで人間と魔人の狭間に閉じ込められたようだった。
ミカゲツは静かに語った。
「……この子たちは、元は人間だったの」
「タルールが、“魔力飴”を使った実験で……“失敗作”として捨てた子たちよ。行く場所も、帰る場所もない。人間にも、魔族にもなれない姿で……」
ミカゲツは、子どもたちの頭に優しく手を置きながら言った。
「だから、私は……この礼拝堂に住まわせているの。誰も来ない、誰にも見つからないこの場所なら……せめて、平穏に生きられると思ったのよ」
子どもたちは、不安そうにオルトを見上げていた。
オルトはただ、黙ってその子どもたちを見つめた。
「サイおじさん!今日も遊んでくれるの?」
ふわふわと羽の生えた幼い子どもが、無邪気にサイの足に抱きついた。それまで厳めしい表情を浮かべていたサイの眉間がふと緩む。
「こらこら……今はお仕事中だ。また後でな」
そう言って、サイは子どもの頭を優しく撫でた。大きな手のひらに、どこか父親のような温もりが宿っていた。サイはそっと腰を屈め、子どもたちの耳元で小さく囁く。
「……なぁ、お前たち、少しだけミカゲツ様を止めておいてくれるか?」
子どもたちは目を丸くしたあと、こくりと頷いた。
「うん、わかった!」
そうして小さな影たちは、一斉にミカゲツの裾へ駆け寄り、わいわいとまとわりつくように抱きついた。
「ちょ、ちょっと!あなたたち、今日はいつもより元気ね...!」
ミカゲツは戸惑いながらも笑みを浮かべるが、身動きが取れない様子だった。
その隙に、サイはオルトの方へと歩み寄った。
そして――
「……なぁ、お前は……アジュール様を止めることができるのか?」
低く、絞り出すような声でサイが問うた。
「……なんだと?」
オルトが一歩身を引き、睨むように見上げる。
「サイ!? なにを……っ!」
ミカゲツが声を上げたが――足元の子どもたちが、まるでタイミングを合わせたように、しがみついて離さない。
「……もし、少しでも可能性があるのなら。どうか、ミカゲツ様を、この国を救ってくれないだろうか」
その声には、長く押し殺してきた本音と願いが滲んでいた。
「――この通りだ」
サイは深く頭を下げ、まるで全てを託すようにオルトに言った。
オルトはゆっくりと息を吐いたあと、低く答えた。
「……分かったよ。どちらにせよ、俺はアイツを止めなきゃならねぇからな.....」
「……感謝する」
サイがそう言って静かに身を引いた。
沈黙が満ちる中、オルトはゆっくりと後ろを振り返り、ミカゲツに声をかけた。
「……それで、お前はどうなんだ?ミカゲツ」
その言葉に、ミカゲツの肩がピクリと震えた。
祭壇の片隅で佇んでいた彼は、うつむき、唇を噛み締めたまま答えずにいた。
やがて――ゆっくりと顔を上げる。
その頬は血の気が失せ、手は強く握りしめられて震えていた。
「……私……私は、この国が好きよ……」
震える声。それでも真っすぐに紡がれる言葉。
「それに……アジュール様は、これまで私たちに多くの恵みを与えてくださった。でも……」
言葉を詰まらせたあと、拳を握りしめ、彼は強く叫んだ。
「もうこれ以上、この子達が...国民が傷つくのは……嫌!」
張り詰めた声に、子どもたちが静かにミカゲツの裾を握る。
「ふっ……それがお前の本音だな」
オルトは、ニヤリと口の端を上げて笑った。どこか頼もしげなその顔に、ミカゲツは一瞬目を見開く。
「なら――まずはアジュールの行方を知ってそうなやつの首の根っこを、ひとつずつ引っこ抜いてやるか!」
オルトがそう言うと、ミカゲツは顔を曇らせながら呟く。
「……でも……私たちが協力できることは、ほんのわずかよ」
「奴隷の紋章のせいか」
オルトが鋭く返すと、ミカゲツは苦しげに顔を伏せた。
「……そう。それもあるけれど、アジュール様は“神”よ。いつ、どこから見ているか分からないわ…もし、この子達に何かあったら...」
ミカゲツが震えながら静かに呟く。
「はぁ…神だからって、四六時中見張ってるわけじゃねえと思うが....」
オルトは頭の後ろをかきながら、気怠そうに返した。
「ま、でも──協力してるのがバレたら、面倒なことにはなりそうだしな。じゃあ、その代わりにひとつ、許可してもらいたいんだが」
「何かしら?」
ミカゲツが小首をかしげて問い返す。
「この国で、自由に魔法を使うことだ」
オルトは口元をわずかに吊り上げ、ニッと笑みを浮かべながら言った。
「ふふっ……ええ、いいわ。それくらいなら」
ミカゲツは少し笑いながら答えた。
「それと……ハルたちのことなんだが、しばらくそっちで預かっててくれねぇか? ほら、お前んとこの城の方が、タルールの連中も手出ししにくいだろ」
「ええ、分かったわ。彼らは私たちが保護しておく」
ミカゲツが頷くと、オルトはわずかに息を吐いて微笑んだ。
「……助かる。じゃあ、まずはタルールの野郎に、“じっくり話を聞く”とするか」




