39.囚われの勇者
ミカゲツに掴まってからしばらく経った頃――
「あらやだ……ふふっ、あなたって意外に大胆なのね」
ミカゲツは少し乱れた着物の襟元を整えながら、柔らかな笑みを浮かべていた。
パチッ――
駒を動かす音が静かに響く。
「国王様も、なかなかの手腕ですよ」
ハルは静かに将棋の盤を見つめながら言った。
「もぉ、ミカゲツって呼んでって言ったでしょ?」
少し頬を膨らませ、冗談めかしながらもどこか本気の調子でミカゲツが拗ねたように呟いた。
ハルはわずかに目を伏せ、そしてふと口を開く。
「……ミカゲツ様、ハンナさんとカレンさん、それからランスは……どうなっているんですか?」
その問いに、ミカゲツは扇をゆっくりと閉じ、ハルの顔をじっと見つめた。
妖艶な瞳が細められ、優美な声でこう答えた。
「さあ……私は女の子たちは牢に入れておいてって命じただけよ。だから、きっと何もされていないはず」
そして、ふっと小さく笑う。
「あのうるさい男はね……兵士たちも手を焼いたみたい。結局、魔力拘束具を重ねて巻いて、おとなしくなるまで縛って放置しているそうよ。可哀想にね」
「そうですか....」
ハルは眉間に皺を寄せる。
「ふふっ、仲間思いなのね」
ミカゲツが柔らかく笑いながら、肘をついてハルを見つめる。
「……」
ハルは答えず、静かに将棋の駒を指先で動かす。
パチッ――
静かな音が盤上に響いた。
「ねぇ――あなたたちほどの腕を持つ人間がこの国に来たってことは、何かを嗅ぎつけたんでしょう?」
ミカゲツがそっと身を乗り出し、距離を縮める。
「何を知って、ここまで来たの?」
ハルはしばらく黙っていたが、駒を一つ進めてから、真正面からミカゲツの瞳を見つめて言った。
「この国で“正体不明の化け物”が多発していると、聞きました」
「……あら、まぁ」
ミカゲツは扇子で口元を隠しながら、意味ありげに微笑んだ。
「どうして……魔力飴で人間を魔人に変えることを、あなたは許しているんですか?」
ハルが真っ直ぐに問いかける。
「......」
ミカゲツはしばし黙ってから、ゆっくりと扇子を閉じた。
「――それが、この国の神の“ご意思”だからよ」
「神の……意思?」
「ええ。私たちが唯一信じる神、クシエラ様のご啓示よ」
その声はどこか寂しげな響きを帯びていた。
「クシエラ様はこう告げたの。“ふたつに分かたれし世界を、新たなる進化の飴でひとつに統べよ”……とね」
ミカゲツは淡々と語る。
「それで……国民が、自我も失った“魔人でもないただの化け物”になったとしても、あなたは受け入れるんですか?」
ハルの声は静かだったが、芯が通っていた。
ミカゲツはしばらく沈黙し、扇子を口元に添えたまま微笑んだ。
「ふふっ……ええ。たとえそうなっても、私たちはクシエラ様に従うしかないのよ。この国は、あの方の“力”がなければ、もうとうに滅びていたもの」
その言葉の裏に、確かな諦めと、深い闇が感じられた。
ハルは目を逸らさずに言った。
「――あなた自身は、どう思っているんですか?」
扇子が音もなく閉じられ、ミカゲツの瞳がわずかに揺れた。
「私自身……?」
ミカゲツは一瞬、目を伏せて考えるような素振りを見せた後、顔を上げた。その瞳には、どこか遠い焦点が宿っていた。
「私の意思は――クシエラ様の意思。それ以外は……必要ないわ」
その声は穏やかだったが、どこか感情の抜け落ちた、空洞のような響きを含んでいた。
ハルはわずかに眉をひそめ、言葉を失ったその瞬間――
「失礼します!! タルールが謁見させたい者がいるとのことで、ここまで参っております!」
襖の外から、サイらしき男の張り詰めた声が響いた。
ミカゲツは扇子をひと振りしながら、静かに応じた。
「いいわ。通しなさい」
スー……と襖が開く。
そこから現れたのは、長く尖った頭の白衣の男・タルール。そしてその傍らには、黒髪の少年――エル。
だが、それよりもハルの目に真っ先に飛び込んできたのは――
「……師匠!?」
血の気の少ない顔に、拘束の痕がうっすら残るオルトの姿がそこにあった。
ハルの声が、謁見の間に響く。
「あら?知り合いかしら?」
ミカゲツがハルとオルトを見比べ、扇子を軽く口元にあてながら微笑む。
「ハル……?なんでお前がここに……」
オルトは、力の抜けた声でぼそりと呟いた。
目はうっすらと開かれていたが、焦点は定まらず、どこか虚ろだった。
それを横目で見ていたミカゲツが、ふとその眉を僅かにひそめてタルールに視線を移した。
「ねぇ、タルール。その黒髪の貧相な男……誰なの?」
「この方こそ、オルト様です」
タルールは誇らしげに前へ一歩出る。
「魔界でも名の知れた高貴なる存在。この方の血液を提供いただいたおかげで――ついにエルの仲間……人間と魔人の融合体が完成間近なのです!! 世界を変える、新たなる種の誕生ですよ!」
「……そう。思ったよりも順調なのね」
ミカゲツの声は淡々としていたが、その瞳の奥で何かが揺れた。
「師匠……」
ハルは喉の奥からしぼり出すように声をあげる。その視線を決してオルトから離さなかった。今にも飛び出して抱きしめたい――そんな想いが痛いほど伝わってくる。
だが、その足は鎖に縛られたまま、床に沈んだままだった。
ふと、ミカゲツは何かを確かめるように、オルトの顔をじっと見つめた。
やがて、目を大きく見開き、震えるように呟いた。
「……まさか」
沈黙が空気を凍らせたあと、ミカゲツは静かに、しかし決然と口を開く。
「タルール。この男はここに残しなさい。そして、あなたたちは研究室へ戻ってなさい」
ミカゲツが冷ややかに言い放つ。
「え~~!? オルト置いていかなきゃなの?」
エルが不満げに唇を尖らせるが、
「こら、国王様の命令だぞ。さあ、行きますよ」
タルールがエルの肩をぽんぽんと叩きながら言い、2人は渋々玉座の間を後にした。
静寂が戻る。
「あなた……この子と知り合いみたいだけど、どういう関係なの?」
ミカゲツは、ゆったりと扇をたたみながらオルトに近づいてくる。
「……弟子だ」
オルトの声はかすれていたが、確かな意志がこもっていた。
「師匠……!散歩に行ってからなかなか帰って来ないと思ったら、なんでそいつらと一緒にいるんですか!?」
鎖に繋がれたままのハルが、今にも立ち上がりそうな勢いで身を乗り出す。
「……ちょっと....色々あってな....」
オルトは弱々しく微笑むが、その表情には明らかな疲労の色が滲んでいた。
「ふふっ...感動の再開をしている時に悪いんだけど」
ミカゲツは柔らかく微笑んで立ち上がった。扇子をパチンと閉じ、視線を側に控えるサイへ移す。
「サイ、来なさい」
「はっ、何かご用でしょうか、ミカゲツ様」
「この黒髪の男を礼拝堂まで連れていくわ。手伝いなさい」
「かしこまりました」
兵士が足音を鳴らしながら前へ出た。
「待ってください!!」
ハルが声を荒げた。
「俺も連れて行ってください! お願いします……!」
その言葉に、ミカゲツは振り返り、唇の端をわずかに上げた。
「ふふっ……可愛いことを言うのね。でも、あなたはここでいい子にしてなさい」
――その声音には、どこか含みのある優しさと、冷たい拒絶が入り混じっていた。
ハルは拳を握りしめたまま、去っていくオルトの背中を見つめ続けていた――。
◇◇◇
コツ、コツ――
足音が洞窟の壁に反響する。
オルトはミカゲツとサイに連れられて、城の裏手にある岩山の中を歩いていた。天井からはつららのように尖った石が垂れ下がり、足元はひんやりと湿っている。
「……礼拝堂ってのは、こんなジメジメした洞窟の中にあるもんか?」
不機嫌そうにオルトがつぶやく。
「黙れ!」
横を歩いていたサイがピシャリと声を飛ばす。
「ねぇ、あなた――この国の神の名、知ってるかしら?」
ミカゲツが静かに口を開いた。声色は柔らかいが、奥底に何か試すような鋭さがあった。
「ああ? 確か……ハルから聞かされたな。えっと……クチバシとかなんとか……」
「クシエラ様だ!!」
ビシッ!!
サイが怒鳴ると同時に、オルトの後頭部を平手で叩いた。
「いってぇな……なんだよ、ちゃんと覚えてたつもりだったのに」
オルトが頭を押さえながら睨み返す。
「その神には、もうひとつの名前があるのよ」
ミカゲツがふと立ち止まり、振り返ってオルトを見つめた。洞窟の薄暗い光の中で、その瞳は妖しく揺れている。
「……もうひとつの名前?」
オルトが眉をひそめたそのとき、洞窟の奥――不気味な光を放つ祭壇のような構造物が見えてきた。




