36.無邪気な悪意
オルトがゆっくりと目を開ける。
重いまぶたの向こうに見えたのは、錆びついた鉄格子と、冷たい石の壁だった。
「……ここは……」
頭が鈍く痛む。体を動かそうとして、手首に冷たい金属の感触を覚えた。
手錠でつながれている。
その時――
「やっと目を覚ましたんだね!」
牢の外から、無邪気な声が響く。
エルが椅子からぴょんと立ち上がり、格子のすぐ前に歩み寄ってきた。
「お前……」
オルトの声には警戒と怒りが滲んでいた。
「ねえ、君の仲間たちってどこに行っちゃったの?」
エルは首をかしげ、子犬のように無垢な顔で問いかける。
「……知らねぇよ」
オルトは短く吐き捨てた。
「ちぇっ、先生、あの人たちもいい“実験材料”になるって言ってたのにさ~」
エルは頬を膨らませ、不満げに言う。
「……お前、自分がどうやって生まれたか知ってるんだろ?」
オルトが低い声で問う。
すると――
「うん!! 知ってるよ!」
エルはにっこりと、花が咲くような笑顔で答えた。
「僕はね、先生が創ってくれたんだ。たくさんの人間と魔人の血を混ぜて、何度も何度も失敗して――
でも、やっと僕が生まれたんだよ!」
「…………その“先生”が実験に失敗した人間達の中には、生きたまま苦しんで、もがきながら死んでいった奴らがいたはずだ」
オルトの声が静かに、しかし鋭く響く。
「うん。いたよ」
エルはあっさりと頷いた。
「腕がぐちゃぐちゃになった人。内臓が外に飛び出した人。先生、面白いねって言ってた」
その言葉に、オルトはぐっと奥歯を噛みしめた。
「お前……それを見て、何も感じなかったのか」
「……?」
エルは、まるでその問いの意味がわからないかのように、首をかしげた。
「感じるって、何を?」
彼の無垢な瞳に、一切の罪悪感や悲しみの色はなかった。
それは、純粋であるがゆえに、残酷だった。
「はぁ....お前がナタ村にいたのは何故だ?」
オルトが少し何かを諦めた様に問いかけると、エルはニコニコしながら答えた。
「うーんとね~、あの村には先生に“面白いものが見れるから行ってみなさい”って言われて、オルトと会う三日前くらいから忍び込んでたんだけど…本当に面白いもの、たくさん見れて楽しかった!!」
一度目を輝かせて話したあと、ふと少し残念そうな顔をして言葉を続けた。
「だけど、先生が“その力は他国ではまだ見せてはいけない”って言うから、何もしなかったけど……」
エルは少しつまんなそうな顔をして呟いた。
「なぁ……お前のその“先生”ってやつと話がしたいんだが、呼んでくれねぇか?」
オルトが、落ち着いた調子で言った。
「うん!いいよ!」
エルは無邪気な笑顔を浮かべ、ぱたぱたと足音を響かせて奥へ走っていった。
扉の音が消えたのを確認すると、
オルトはそっと自分の指に嵌められた青い魔法石の指輪に触れる。
かすかに輝いた石に意識を込める。
(……ハル……聞こえるか……?無事か?)
沈黙のなか、ほんの数秒後――
(オルトさんですね?……私はハンナです)
優しく、しかし張り詰めた緊張のこもった声が返ってきた。
(今、ハルさんを治療しています。重傷ですが……命に別状はありません。どうか、ご安心を)
その言葉に、オルトはほんのわずかに眉を下げた。
(……そうか。頼んだぜ……ハンナ)
魔法石からの光が静かに消える。
再び、冷たく重い牢獄の空気が戻ってきた。
オルトは静かに、鉄格子越しに扉の方を見つめる。
コツコツ……
重く乾いた足音が、冷たい石の床を叩く。
鉄格子の向こう、ゆっくりとその男が姿を現した。
オルトは顔を上げ、その姿を見て目を細める。
「……やはり、お前だったか……タルール……」
その声は低く、押し殺された怒りを孕んでいた。
「ヒヒヒっ、お久しぶりでございます、オルト様」
タルールは片手を胸元に当て、芝居がかったように礼をし、唇の端を吊り上げてニヤリと笑った。
「随分と……元気そうだな?」
オルトが低く声をかける。
タルールは目を細め、嬉々とした笑みで応じた。
「ええ、とても充実しておりますとも」
「魔力飴を作っているのは……お前か?」
「はい。ですが、あれは三百年前に作られた“旧魔力飴”を更に進化させたものです」
「……進化?人間を魔人にすることがか」
オルトの問いに、タルールは唇の端を吊り上げ、恍惚とした声を漏らす。
「そうですとも。我々と同じ存在になれるのですよ? これを進化と言わずして、何と言いましょうか?」
「...じゃあ、お前がイゼルディア王国に魔力飴を渡していた張本人ってことか?」
「直接ではありませんが、第二王子がどうしても欲しいと仰いましたのでね。試作品でしたが、いくつかお渡ししておりましたよ」
タルールがニタッと笑い答える。
「じゃあ……お前を人間界に召喚したのは、誰だ?」
オルトの声が鋭くなる。
タルールは一瞬黙り、そして――意味深に微笑んだ。
「……オルト様、それは……あなたが一番よく分かっておられるのでは?」
「……なんだと?」
一瞬、空気が凍りついたような沈黙が広がる。
「ヒヒヒッ……オルト様、旧“魔力飴”の正しい制作材料をご存知ですか?」
オルトは目を細め、低く吐き捨てる。
「……知るかよ。材料も製法も、三百年前にすべて焼き払ったはずだ」
「ええ、その通りです!何のヒントも残されておらず、解析は非常に困難でした。しかし……運命とは面白いもので、ある人物から“三百年前の本物の魔力飴”を手に入れる機会に恵まれたのです。それを元に模倣し、改良を重ね……完成に近づいた試作品を、人間に試したところ――なんと!彼らは魔人に近い存在へ変貌したのです!」
タルールの目は狂気に光り、声に熱がこもっていく。
「私は確信しました。これなら、人間を“完全な魔人”にできると! 素材を探し続け、試行錯誤の末……ついに見つけたのです。最後の鍵となる素材を見つけたのです」
「素材……?」
「ええ。それは――“恐怖に支配された人間の心臓”です」
その瞬間、オルトの目が赤く燃えるように光を放った。
「……お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか?」
「もちろん。理解しておりますとも。ですが、その心臓はそう簡単には手に入りません。ですから、未完成品の飴をまず人間にばら撒き、魔人化した者たちに人間を襲わせて集めているのです。これが、非常に効率的でしてね……」
「……ガイデンで鬼人族の魔人に変化した男がいた。あいつ、完成された魔力飴をもらったって言ってたぞ?」
オルトが低く問い詰めるように言うと、タルールはまるで退屈そうに、肩をすくめて答えた。
「ああ……彼のことですか。ええ、確かに“ほぼ”完成に近い魔力飴を差し上げましたよ。とはいえ、あれはまだまだ粗削りで……力が暴走しやすく、自制心のない者にはまず扱えない代物でしたからね」
タルールはにやりと笑い、唇の端をつり上げた。
「まあ……要は在庫処分ですよ。どうせ処分するなら、実地でデータが取れた方がいいでしょう?」
オルトは沈黙したまま、眉をひそめ、静かにタルールを睨みつけた。その眼差しはまるで、焼けつくような怒りの業火を宿していた。
「……オルト様。ぜひこの実験にご協力いただきたいのです。もし“はい”と仰ってくだされば、今すぐにでもこの牢獄を開けて、丁重にもてなしますよ」
「……ふん。で?俺がそのまま外に出て暴れたらどうする?」
タルールの目がわずかに細まり、唇が歪んだ。
「ヒヒッ……あなたほどの方が、そんな短絡的な真似をするとは思えません。
それに、“エルの力”を見たでしょう?
――あなたが本気を出せない今の状態では、勝てる見込みはありませんよ?」
その言葉に、オルトの拳がわずかに震える。
「……」
「ご安心ください。選択はあなたに委ねます。
“協力者”として未来を作るか――
バラバラの“素材”として、未来に利用されるか。」
タルールは微笑みながら、背を向けて牢の扉を軽く指で叩いた。
「……いいだろう。協力してやるよ。」
オルトは静かにそう告げた。
「ありがとうございます! これでまた、計画が一歩前進します!」
タルールは歓喜に満ちた声で言い、エルに命じた。
「エル、魔王様を牢からお出しして差し上げなさい。」
「うん!」
カチャリ――
軽やかな音と共に、エルが牢の鍵を開ける。だが、オルトの腕には依然として魔力封じの拘束具がついたままだった。
「おい……この腕の拘束は、取ってくれねーのか?」
オルトが不満げに問うと、タルールはにこやかに笑った。
「ヒヒッ……今外しますよ。エルお願いします」
「はーい」
エルはオルトの手錠の鍵を開けた。
ガチャ
「...どうも」
コツ、コツ――
重く静かな足音が、薄暗い廊下に響く。
オルトは両脇をエルとタルールに挟まれながら、地下の奥へと連れて行かれた。
その部屋の奥――
半透明の液体に満たされた円筒状のカプセルが、ずらりと並んでいた。どれも人間らしき影が中に沈んでいる。
「……これは……」
オルトが目を細め、思わず声を漏らす。
「これね!僕のお友達を増やしてくれてるんだよ!」
エルが無邪気な声で言った。まるで遊園地の乗り物を紹介するような調子だった。
「……魔人にしているのか?」
オルトの問いに、タルールが嬉々として答える。
「いえいえ、魔王様。彼らは“魔人”なんて生ぬるい存在ではありません。魔人以上の、完全な戦闘生命体です!」
その目は狂気に輝いていた。
「そして、こちらを見てください!」
タルールが誇らしげに台座の上にあった小さなケースを開ける。そこには、紫色に光る飴が並んでいた。
「これが“新魔力飴”です!人間が口にすれば、強力な魔法が使えるようになる。さらには――魔人に“進化”できるのです!」
「……進化、ね。ふざけた代物だ。」
オルトの声は低く、怒気を孕んでいた。
「ヒヒッ……オルト様。人間は、魔人を“悪”と決めつけています。ですが――人間と魔人がひとつになれば、魔界と人間界を融合させることができると思いませんか?」
「……だからこんなことを?」
オルトは周囲を見渡す。カプセルの中で微かに動く“人間の成れの果て”たち。その光景は、まさに悪夢だった。
◆◆◆
一方――
ランスは負傷したハルを抱え、急ぎ足でハンナとカレンのもとへ戻ってきた。
ハルの傷を目にした二人は、驚きに目を見開く。
「ハル君、しっかりして……!」
ハンナがその場で急いで応急処置を施すが、周囲には兵士たちの数が増え始めていた。
「まずいわ、ここに長居はできない!」
カレンの言葉にうなずき、一行はそのまま急いで宿へと戻った。
「ハンナ!ハルは大丈夫なのか!?」
ランスは顔をこわばらせたまま、必死にハンナに問いかける。
「ハルの容態は……どうなんだ!?」
ハンナはすぐにハルのもとへ駆け寄り、その状態を確認する。
すでに布団の上に寝かされていたハルは、意識もなく、ぐったりとしていた。
その腹部には厚く巻かれた包帯があり、赤黒く滲んだ血がまだ完全に乾いていない。
「……すぐに応急処置はしました。今のところ命に別状はないと思います。けど……傷が深くて……腹部が大きくえぐれていて……治るまでに、数日はかかるかもしれません」
彼女の声は震えていた。
「でも……ハンナがいてくれて、本当に良かったわ。ありがとう」
カレンがそっと肩に手を置くと、ハンナは目元を潤ませながら首を振る。
「……いいえ。私なんて……もっと、なにかできたはずなのに……!」
ハンナは震える手で、精一杯魔法の治療を続けていた。
その時、扉の外からノックの音と共に老婆の声が響いた。
「何か必要なものはあるかい?」
「……今は大丈夫です、ありがとうございます!」
ハンナがかすかに振り返って答える。
ランスは一つ深呼吸して立ち上がった。
「……俺たちはここにいたら邪魔になる。しばらく外にいるから、何かあったらすぐ呼べよ」
「ええ。ハンナ、よろしくね」
ランスとカレンは静かに部屋を出ていった。
室内には、ハルの荒い呼吸と、祈るように治療を続けるハンナの姿だけが残った。
宿の廊下――
ランスは拳を握ったまま、ぽつりと呟いた。
「……すまねぇ……俺、何もできなかった……」
その背中に、カレンの静かな声が届く。
「……彼なら、きっと無事よ。それに……ハルだって、そんなヤワじゃないわ」
「……ああ……」
短く返しながらも、いつもの明るさはランスの声から消えていた。
「なぁ……オルトって……魔人なのか?」
ランスがぽつりと呟くように言った。視線は遠く、どこか怯えを含んでいる。
「……何か、見たの?」
隣にいたカレンが静かに問い返す。
「あいつ……ハルがやられたとき、姿が……変わったんだ。メキメキと骨が鳴るような音がして……まるで、魔人のようだった」
眉間に皺を寄せ、ランスは戸惑いを隠せずに答える。
「それで? オルトが魔人だったら、どうするつもり?」
カレンの声は冷静だったが、どこか鋭さを帯びていた。
ランスは答えられず、黙り込む。
沈黙がしばらく続いたが、痺れを切らしたカレンが口を開いた。
「……はぁ。オルトが魔人だからって、私たちに何かした?むしろ庇ってくれて逃がしてくれたのは彼よ」
カレンは淡々と語った。
「わかってる……わかってるんだ。ただ……混乱してて。俺たちの目的は“魔王を倒すこと”だろ? それに、魔人たちは人間を襲ってるってずっと聞かされてきたから……」
ランスは唇を噛み締めるように言う。
「その“魔人”と、オルトは違う。あなたも分かっているでしょ?」
カレンはランスをじっと見つめて言った。
ランスは視線をさまよわせながらしばらく沈黙したが、やがてふっと肩の力を抜き、吹っ切れたように呟いた。
「……ああ。オルトが魔人だろうが関係ねぇ。アイツは……俺たちの仲間だ」
ランスが顔を上げ、力強く言った。
カレンは小さく微笑んで、
「ふふっ。そうね。……あなたって本当に単純」
と肩をすくめた。
「それ、褒めてんのか?」
「もちろん、最大級の賛辞よ」
ランスは少しムッとした顔をしたが、その後、何かを覚悟したかのように口を開いた。
「なぁ……俺、オルトを助けに行こうと思うんだ」
カレンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに首を振った。
「……無理よ……」
「なっ!? 行ってみないと分かんねぇだろ!!」
ランスは声を荒げた。
「考えてみなさい。あなた……その少年が攻撃してきたとき、何もできなかったのでしょう?」
「……!」
「今行ったって、同じよ。結果は変わらないわ」
沈黙が流れる。
だがランスは、悔しさと焦りに満ちた目で叫ぶように言った。
「じゃあ、黙ってここで待ってろっていうのかよ!」
「……そうじゃないの」
カレンは静かに言い返した。
「さっき、あなたが席を外してたとき……オルトから、ハルの魔法石に連絡が来てたのよ。今、あの人は……まだ無事よ」
「なっ……そうだったのか……」
ランスの目がわずかに揺れる。
「だから……せめて、ハルが目を覚ますまでは……じっと耐えましょう」
カレンの言葉は強く、どこか切実だった。
ランスはしばらく黙り込んだあと、低く、決意のこもった声で言った。
「……二日だ。二日経っても、ハルが目を覚まさなかったら……俺たちだけで助けに行く」
「……わかったわ」
静かに2人は決意した。




