22.奴隷市場、動き出す魔王
一方その頃――
「なんだこいつ!!!」
ディアールのレストラン地下、薄暗い会議室にオルトの怒声が響いた。
オルトの足に謎の男が噛みついている。
「カミカミ……」
明らかに理性の感じられない眼をしたその男は、ガッチリとオルトの太ももに喰らいついていた。
「誰だこいつはァァ!!」
「申し訳ありません、魔王様……」
困ったように額に手を当てながらマニエールが言う。
「彼は私の部下のひとりでして……力の強そうな方を見ると、どうしても噛みつきたくなってしまう癖があるのです」
「どんな性癖だよそれは!!早く離させろ!!」
「それがですね……彼の歯はサメと同じ構造になっておりまして。無理に引き剥がすと、肉と骨まで一緒に――」
「やめろぉぉぉぉお!!言うなあああ!!!!!」
オルトは悶絶しながら机を叩く。
その間も「カミカミ……」とご機嫌そうな謎の部下は噛み続けていた。
マニエールはすっと指を鳴らすと、横から同じく怪しげな魔族の女が現れた。
「彼、こういう時は“いい子いい子”されると自然に離れますので」
「なにその面倒な方法!!!」
渋々“いい子いい子”されると、ようやく足から離れていった男。
オルトは肩で息をしながら、ずるずると椅子に倒れ込む。
「おいマニエール……本当にこいつらで作戦大丈夫か……?」
「はい。魔王様。彼らこそ我が誇る“最強の魔人部隊”です」
「先が思いやられる...」
オルトは深く溜息をついた。
「ごほん、それでは皆、揃ったようですので――魔王様に我が配下をご紹介致しましょう」
マニエールが軽く咳払いをして場を整える。
「まずは、先ほど足に噛みついたこちらの男から」
「俺、グエール!!」
とげとげしいオレンジの髪を逆立て、ギザギザの鋭い牙を覗かせて笑う筋肉男が叫ぶ。
「強いヤツ、大好き!! 魔王様、大好き!! だから、もう一回だけ――噛んでいい?」
「却下だ」
オルトが眉をひそめて一言で制する。
…しょぼん
グエールは残念そうに肩を落とした。
「知性は少々……欠けておりますが、牙と腕力においてはうちでも群を抜いております」
マニエールが苦笑混じりに説明する。
「…俺の足はまだ痛ぇがな」
オルトがぼそっとつぶやき、周囲がクスッと笑う。
「さて、次にご紹介するのは――夢魔族のジュリアです」
「うふふ、初めまして、魔王様」
右肩に艶やかな赤紫のウェーブ髪を流し、胸元の大きく開いたドレスを着た女が、しなやかに一礼する。
「思ったよりもずっと可愛らしいお方なのね……ふふ、いつでもお相手いたしますわ」
「……結構だ」
オルトは眉間を押さえる。
「彼女は男を惑わす魔法に長けておりますが、武力も高く、近接戦でも侮れません」
マニエールが補足する。
「次に紹介するのは……魔王様を闇市場までご案内したカンナです」
「カンナです。先程ぶりでございます、魔王様」
淡く笑いながら、濃いピンクの髪を後ろに束ねた小柄な少女が一礼する。
「隠密行動と変装を得意とする彼女は、今後、魔王様の護衛役を担うことが多くなるかと存じます」
「…頼りにしてる」
オルトが頷くと、カンナは嬉しそうに微笑んだ。
「その他にも仲間はおりますが……今日集まっているのは、ここにいる面々だけです。どうかご了承ください」
マニエールが軽く頭を下げる。
「さて――まずは、イゼルディア王国の南に位置する“奴隷市場”の破壊作戦についてお話いたします」
「ああ。頼む」
オルトが腕を組みながら静かに頷く。
「この市場は、ここから馬車で約二時間の場所にあります。数年前から我々も盗賊に偽装し、小規模な襲撃を繰り返して魔人たちを逃がしてきました。しかし……」
マニエールの声が少し沈んだ。
「全力で魔法を使える者がいないという弱点があり、どうしても壊滅には至らなかったのです」
「だが、今は――魔王様がいる。ですから……」
「ちょっと待て」
オルトが低く割って入った。
「なんでしょうか、魔王様?」
「まだちゃんと言ってなかったな。今の俺の魔力は、ほとんど封じられている。使えるのは、ほんの一部だけだ。……とはいえ、お前たちと同程度には戦えるつもりだが」
一瞬、場が静まる。
だが――
「ははっ、魔王様」
マニエールは穏やかに微笑んだ。
「そのお言葉だけで十分です。我々にとって、あなたが“ここに居る”ということが、何よりの力になるのです」
「……そうか」
オルトは少し複雑そうに目を逸らした。
「それでは、作戦の詳細をお話ししますね。
まずはジュリアとカンナを奴隷市場に潜入させ、捕らえられている魔人たちの人数や状況を調査します。
その後、客を装って魔王様と私めが現地へ向かいます。
そして、グエールと、今日はここにおりませんが、もう一人の戦力となる者に暴れてもらい、その混乱に乗じて囚われの魔人たちを解放する計画です。」
「逃走経路は?」
「はい、おおむね確保済みです。奴隷市場があるズレグリンの街には地下水路が張り巡らされており、それを利用する予定です。」
「解放後の合流地点は?」
「転移魔法で、この拠点まで戻ってくる予定です。
ここには転移魔法専用の装置が設置されていて、魔力の消費も抑えられるため、安全に撤退できるはずです。」
マニエールが答えると、オルトはしばらく沈黙したまま地図を睨んだ。
やがて、低く問いかける。
「その地下水路――魔法の結界や罠の設置は確認済みか?」
「……一部、簡単な認識阻害の魔法が張られていましたが、すでにカンナが解いております。あとは、市場側の監視が強化されていないかを再度確認する必要があります」
「ふむ……。ならば“退路”は問題ないと見ていいな」
作戦会議を終えたジュリアとカンナは、早速ズレグリンに向かい奴隷市場への潜入を開始した。
一方、オルトたちは数日間ディアールに留まり、1週間後にズレグリンへ向かう予定となっていた。
◇◇◇
その夜。
マニエールが用意してくれた部屋でオルトが休んでいると――
ピコン、ピコン……
部屋の静寂を破るように、ブレスレットの緑の魔法石が点滅を始めた。
「……ハンスか」
オルトがそっと石に触れると、すぐに彼の落ち着いた声が聞こえてきた。
『魔王様、ハンスです』
「おう、どうした?」
『以前、魔王様がお話されていた“黒いスーツを着た男”についての調査結果をご報告いたします』
「……で、何かわかったか?」
『はい。貴族のような身なりだったとのことでしたので、植物系の魔法を使う魔界の貴族の中で、過去数年の間に“行方不明”あるいは“消息を絶った者”を洗い出しました』
「……」
『しかし、該当する人物は確認できませんでした。表向きには、そのような人物は存在していないようです』
「……そうか」
オルトはしばらく沈黙したのち、小さく息をついた。
「つまり、名前も記録も残っていない“何か”ってわけだな。面倒な相手だ」
『ですが、手がかりはまだあります。引き続き、魔力飴の流通経路を辿って調査を続けます』
「ああ。頼む」
『はい、必ずや突き止めてみせます』
ピッ――
通話が切れたあと、オルトは静かにブレスレットを見つめた。
その表情はどこか険しく、かつ深く何かを考えているようだった。
「スーツの男……魔界の貴族じゃねぇなら……一体何者なんだ……」
オルトはベッドの上で頭を抱え、深く考え込んでいた。
(……待てよ。そもそも、魔人とは限らない……)
――ハッ。
オルトは目を見開いた。
「まさか、人間が...?だとしたら、いったい何のために……」
眉間に深く皺を寄せ、オルトは低く唸る。
だが、堂々巡りの思考に嫌気がさし、勢いよく身体を起こした。
「……だぁ!!もうやめやめ、考えてもキリがねぇ!」
オルトは自分の両頬をパチンと叩いて気合いを入れた。
「ハルだって、今ごろ必死に修行してる。俺もズレグリンに向かうまでに、魔力飴の手がかりをもっと掴んでやらねぇとな……」
力強くそう呟き、オルトは再び立ち上がる。
⸻
──そして、一週間後。
晴れた朝。
オルトはマニエールと共に、貴族の上等な衣服に身を包み、ディアールの王都を出発した。
二人が乗り込んだ馬車は、ズレグリンの奴隷市場へと向かって、石畳の道を静かに走っていく。
「なあ、マニエール。魔人たちはズレグリンの奴隷市場でどうやって売られてるんだ?」
オルトが低く尋ねると、隣に座っていたマニエールはわずかに視線を伏せた。
「魔人たちは、表立っては売られていません。表の市場では、主に貧しい者や、他国から連れてこられた人間が取引されています。」
「……人間も、か」
オルトは眉をひそめ、窓の外に目をやった。
「愚かしいとは思いませんか? 同じ種族同士で、値札をつけ合うなんて。」
マニエールの声には、静かな怒りがにじんでいた。
「魔界でも、まあ……似たようなことはある」
オルトは少し遠い目をして、過去の記憶を思い返すように呟いた。
「……で、魔人たちはどこで売られてる?」
「貴族向けの地下オークションです。表の市場の裏手に隠された入口があり、そこから選ばれた者しか入れません。そこでこそ、魔人たちが“特別な商品”として扱われているのです。今回は3人の魔人が売られる予定だそうです。」
「……」
オルトの拳が、膝の上で静かに握られた。
しばらくすると、マニエールは軽く手を掲げ、馬車の窓の向こうを指さした。
「――ほら、見えてきましたよ」
窓の外には、明かりが乱れ飛ぶように灯された賑やかな一角が近づいてきていた。
「着きました」
帽子を深く被った馬車の御者が低く声をかける。
「ありがとう」
オルトはそう一言礼を言い、静かに馬車を降りた。
足元に広がるのは、雑然とした通りに立ち並ぶ3階建ての建物群。いずれも古びてはいるが、妙に似た造りをしていた。1階部分には太い鉄格子でできた檻が並び、中には目を伏せたままうずくまる者たちの姿があった。
「……これが、“表”の市場か」
オルトは低く呟いた。
上階──2階と3階には、窓が一切ない。どこか不自然な、閉ざされた造りだった。
「上は……?」
「地下へと繋がる“入口”は、あの建物の奥にあります。2階と3階は関係者の控室か、もしくは……」
マニエールは言葉を濁した。
「本当に気分が悪い場所だな...」
オルトは闇と灯りが交差する奴隷市場の奥へと足を踏み入れていった。




