21.試練のダンジョン~ハル視点~
――聖教国オルダナ
「ここは……一体?」
ハルは教皇アントに連れられ、都心部から遠く離れた山の頂上にある、空を突くような背の高い塔の前に立っていた。
「ここは、カイール神が築かれた“聖塔の試練”――言うなればダンジョンで、この国でも最も神聖な場所のひとつです」
「ダンジョン.....」
「ええ。中には神の意思によって生み出された獣や精霊が潜んでおり、あなたに試練を与えるでしょう。そのすべてを乗り越えた時、カイール神からの“祝福”――真の力を授かることができるのです」
「つまり、俺の修行ってのは……この塔を登ることですか?」
「その通りです。ただし、“最上階”に辿り着くことが条件です」
「最上階……」
ハルは塔を見上げた。頂上は雲に隠れ、まるで天と地を繋ぐかのようにそびえ立っている。足元から響く微かな鼓動のような魔力のうねりが、試練の厳しさを無言で告げていた。
「――通常であれば、最上階に到達するには一生かけても難しいことでしょう。
ですが、ハル様には――たった三年で、それを成し遂げていただかねばなりません。
……けれど、あなたならきっと、やり遂げられるはずです。」
アントは穏やかながらも確信に満ちた声でそう告げた。
ハルは静かに頷き、ゆっくりとダンジョンの入口へと歩を進める。
「なお、食料や水については、各階層を突破するごとに備えられている休息の部屋に常備されています。どうかご安心ください」
アントが淡々と補足する。
「それでは――ご武運をお祈りしております」
ハルは一度だけ振り返り、小さく頭を下げると、再び前を向いてダンジョンの扉に手をかけた。
重々しく開かれる石扉。
ハルがダンジョンの中へ一歩踏み入れると、周囲はまるで洞窟のような真っ暗な空間だった。だが、次の瞬間――
カチッ
壁沿いに設置された松明に次々と火が灯り、淡い光がハルの足元を照らし始めた。
「……」
言葉なく、ハルは周囲を警戒しながら慎重に歩を進める。
しばらく進むと、目の前に青い魔法石が鈍く光る広大な空間が広がった。天井からぶら下がる結晶体が淡く脈打ち、幻想的な光景を生み出している。
「すごい……な....」
ハルは、思わずその光景に目を奪われた。
空間の中央――そこには、天へと伸びるように螺旋状の階段が浮かんでいた。淡く光るその道は、どこか幻想的で、まるで天空へ誘うかのようだった。
ハルは一歩、また一歩とその階段を登り始めた。
――ニュルニュル……
「……なんだ?」
粘着質な、不気味な音が響き、ハルは咄嗟に足を止めた。音は螺旋の上の方からゆっくりと近づいてくる。
ハルは魔力を指先に集中させながら、音の方へと慎重に歩みを進める。
そして、物陰から覗くと
(……あれは……イカ?いや……クラゲか?)
そこにいたのは、薄い水色の半透明の生物。丸い頭部からいくつもの触手がのたうつように広がり、地面を這っていた。光に反射してぬらりと輝くその姿は、まるで粘液だけでできた生物のようだった。
だが――
「魔力を……感じる……」
ただの生き物ではない。ハルは本能でそれを悟った。
その奇妙な生物は、一体だけではなかった。
(っ...目が合った)
ハルの姿を認識した瞬間、数十体のそれらが一斉に飛び跳ねるようにこちらへ襲いかかってきた。
「っ!」
ハルは咄嗟に両手を前に突き出し、冷気を放つ。
「凍結!」
瞬間、青白い氷の波が生き物たちを包みこみ、宙に舞ったままの姿で凍りつかせた。
「……なんなんだ、こいつら……」
肩で息をしながら、ハルは周囲を見回す。そしてふと、アントが言っていた言葉を思い出す。
――この中には、カイール神が創り出した獣や精霊がいて、あなたに試練を与えます。
「まさか……これが、その試練か……? 魔物じゃなくて……精霊?」
凍ったままの一体に近づき、その透明な身体をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
そのとき――
「ソウダヨ!」
「っ!?」
凍りついたはずの一体が、突如として目を赤く光らせ、口を開いた。
「お前が……喋ったのか?」
「アンシンシロ、オマエハ イッカイノ シレン ヲ クリアシタ。キュウケイノ ヘヤ マデ アンナイ シテヤル。ツイテコイ。」
機械のような、どこかずれた発音。だが、確かに言葉を話していた。
生物は氷を砕いてゆっくりと動き出すと、体をひねりながら奥の通路へと進んでいく。
「……」
警戒しつつも、ハルはその後を追い始めた。
氷の中で動いていた“試練の精霊”は、不思議な浮遊感をまといながら、静かに進んでいく。
案内されたのは、白く無機質なドアの前だった。
「ココ、アケテミロ」
先導していた奇妙な生き物が、濁った声で言う。
ハルは無言のまま、ドアに手をかけた。
――ガチャ。
扉の先に広がっていたのは、どこかの宿の一室のような空間だった。
簡素なベッドがひとつ、角の机にはサンドウィッチと水。壁は滑らかで飾り気がなく、音も匂いも薄い。
ハルはしばし立ち尽くし、警戒しながらも一歩、また一歩と足を踏み入れる。
すると、背後の扉が音もなく消え、代わりに向かいの壁に新たな扉が現れた。
ハルは少しだけ目を細めた。
(……こういう仕組みか)
言葉にはせず、静かに理解する。
床に音を立てず近づき、ベッドの端に腰を下ろす。机に置かれた食べ物に視線をやる。
ひとつ、息を整える。
(休めるときに休んでおくか)
そう思い、黙ってサンドウィッチを手に取った。
ハルはサンドウィッチと水を飲み終えると、ベッドにも目をくれず、無言で立ち上がった。
ためらいなく、次の扉に手をかける。
――ガチャ。
扉の先には、らせん状の階段が上へと続いていた。
重い足音を一つ一つ噛みしめながら、静かに登っていく。
途中、かすかに聞こえてきたのは、煮えたぎるような「グツグツ……」という不穏な音。
階段を登り切った先には、真紅に染まる空間が広がっていた。
熱気。焦げた空気。揺れる地面。
目の前に立ちはだかっていたのは、ナメクジのように這いずりながらも、体内に灼熱のマグマを抱えた巨大な生き物だった。
ハルが一歩踏み出したその瞬間、生物が呻くように唸り、口を開けてマグマを吐き出す。
「……っ」
咄嗟に飛び退くと、マグマは地面を焼き溶かし、赤く染めていく。
辺りには、足場すら少しずつ失われていた。
(……このままだと、道ごと溶かされる)
ハルは無言で腰を落とし、構え直す。
視線は冷静だ。戦況を読みながら、次の一手を練っていた。
ハルは一瞬だけ目を閉じ、静かに息を整える。
(……今だ)
彼は、かつてオルトから教わった術式――黒い霧の符を素早く展開した。
指先から闇が滲み出し、彼の周囲に薄い黒霧が広がっていく。
霧は空気と混ざり合い、周囲の魔力の流れを撹乱させた。
巨大なマグマの化け物は、目の前から突如気配を消したハルに反応できず、その場で鈍く呻いていた。
その隙を逃さず、ハルは音もなく背後に回り込む。
片手を掲げると、淡く蒼い光が集まり――氷の魔法が解き放たれた。
「……っ!」
凍てつく冷気が一気に魔物の背を貫き、全身を瞬時に氷で覆い尽くした。
動きを止めたその身体を、ハルは無言のまま一閃する。
振り下ろした剣が氷を砕き、魔物は粉々に砕け散った。
パラ……ンッと地に落ちる氷片の音だけが、沈黙の空間に響いた。
「……」
短く息を吐き、剣を収める。
「オメデトウ。ニカイノシレン、クリア。ツイテコイ」
またしても、あのクラゲのような奇妙な案内役が現れる。
ハルは無言のまま、その後をついていった。
◇ ◇ ◇
もう夜遅くなったころ。
ハルは十層まで登りきっていた。
その顔には少し疲労の色が見えていた。
休憩室のベット寄りかかりながら、ハルは独り呟く。
「……上に行くほど、獣や精霊の力が上がってる」
ふと、自分の首元に触れたハルは、かけていたペンダントの青い宝石に視線を落とした。
それは――13歳の誕生日に、オルトが初めてくれたプレゼントだった。
(……あのあと、一緒にシャワー入ろうとして、本当に大変だったな)
思わず、口元が緩む。懐かしさと、こそばゆさが胸に広がる。
(師匠だけだったんだ……俺のそばに、ずっといてくれたのも。こんなに優しくしてくれたのも……)
クラーク家に拾われてから、ヒナたちにはよくしてもらっていた。だが村の同年代の子どもたちからは、金髪と青い瞳という“珍しい見た目”を理由に、ひどく疎まれた。
ハルは強がって、誰にもそれを言わなかった。
オルトが来てからも、陰でこっそりちょっかいをかけられていた。あの出来事が起きるまでは...
***
オルトがハルの村に来てから約2週間が経ったある日――
「やーい! 女みてぇな顔!」
「気持ちわりぃ金髪と青い目!」
「親もいねぇくせに、この村に居座ってんじゃねぇよ!」
いつものように、同い年の子どもたちが口汚くハルをなじってくる。
(…我慢すれば、すぐに終わる...)
言い返さず、じっと耐えていたそのとき。
「おい、お前ら。俺の弟子に何してるんだ?」
不意に、背後から低く響く声。
振り返ると、そこには無言の威圧感をまとったオルトの姿があった。
「し、師匠……」
「なんだよ、てめぇ!急に後ろに立つんじゃねぇよ!お前なんか別に怖くねぇし!」
子どもたちは反発するが、その声は少し震えていた。
「ほう、怖くないか……。いい度胸してんな、お前ら」
「俺たちはな、この村で最強の騎士なんだぞ!」
「へぇ……最強の騎士か。それにしては、自分より弱いやつをいじめるなんて、おかしな話だな」
オルトは肩をすくめて笑う。
「……ああ、そうか。もしかして、お前たち――ハルが強いから嫉妬してるんじゃないか?」
言われた子どもたちは、ムキになって叫ぶ。
「んなわけあるか! こんなやつに!」
「たまたま目についたから、からかっただけだよ!」
「もう二度と話しかけねーよ!」
そう言い残して、3人組は足早にその場を去っていった。
ハルはしばらく俯いたままだったが、やがてポツリと口を開く。
「……俺は、弱いんですか?」
「ん?何言ってんだ。お前は――すげぇ強いやつだよ」
オルトはそう言って、ためらいなくハルの頭を撫でた。
「さっ、帰るぞ!」
オルトがそう言って手を差し伸べると、ハルはその手を握り、ゆっくりと立ち上がった。
「師匠……ありがとうございます」
小さく呟くその声に、オルトはため息をひとつついたあと、少しだけ強い口調で言った。
「……はぁ、お前な。よく聞けよ」
その瞳は真っ直ぐに、迷いなくハルを見据えていた。
「お前がどんな見た目だろうが、親がいようがいまいが――そんなもん関係ねぇだろ? お前はお前だ。誰が何を言おうと、お前は何も悪くねぇ。胸張って生きてりゃ、それでいいんだよ」
その言葉に、ハルはじっとオルトを見つめ返す。
オルトはにっと笑い、握っていたハルの手にぐっと力を入れた。
「お前が、もし辛いって思ったとき――俺が必ず守ってやる。だからさ、もうそんな泣きそうな顔すんなよ!」
その笑顔は、太陽みたいにあたたかくて、まっすぐだった。
「……」
ハルはふいに目を伏せ、ぽつりと頷いた。
少しだけ赤くなった頬を隠すように、うつむきながら。
「……はい」
――その瞬間、ハルの胸の中に、小さな灯がともった。
***
「師匠に会いたいな...」
そうポツリと呟いたハルは、そっと眠りについた。




