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エピローグ

 風呂から上がり自室に戻ると、タイミングよく机に置いたスマホが鳴った。


 画面を見ると、クラスメイトの女子からメッセージが届いていた。


《こわ》


 平仮名2文字。

 オカルト好きな彼女のために、栞から聞いた話を30分ほどかけてまとめた身としては不満な返信だ。

 最後まで読まなかったのか、それとも内容が分かりにくかったのか、ハートフルストーリーのつもりで書いたのだが、伝わっていないらしい。


《良い話じゃない? 僕は結構感動したんだけど》


 そう返信すると、すぐに既読マークが付き、


《異性から突然長文を送られる身にもなりなさいよ》

 と、至極真っ当なことを言われてしまった。


《ごめんなさい》


 真っ当すぎて謝罪するしかない。

 確かに怖い、怖すぎる。

 栞の話に感化されて、テンションがおかしくなっているのかもしれない。


《許す》

《ありがとうございます》


 とりあえずお許しは貰えた。

 というか、彼女のことだから、別段本気で怖がっている訳でもないだろう。


《時間がある時にでも読んでみて》

《もう読んだわよ。感想送ったじゃない》


 どうやらあの2文字は、状況ではなく文章への感想で間違いないらしい。

 確かに序盤は怖い話だけれど、オチはしっかりハッピーエンドなのだが。


《亡くなった母親が帰ってきたなんて、中々ハートフルだと思うんだけど》


 一応の筆者としては「この話はここが良いんだよ」なんて文芸部の沽券に関わるようなことを言いたくはないが、栞やおばさんのことを思うと、ついそんな言葉を送ってしまった。

 読者にしてみれば「しらねぇよ」と返したくなるだろう。

 しかし、直後に受信したメッセージは思いも寄らないものであり、僕は一瞬、その内容を理解できなかった。


《多分それ、お母さんじゃないわよ》

「……は?」


 お母さんじゃない?

 なんだそりゃ。

 彼女は文章をちゃんと読んでくれたのだろうか。


《お母さんだよ。根拠も沢山あるだろ?》

《本当にお母さんならチャイムなんて鳴らさないわよ。自分の家だもの》

「なるほど…………。あ、いやいや」


 危うく納得しかけてしまった。

 自分の家でも、鍵が閉まっていればチャイムくらい鳴らすだろう。

 しかも、新しい母が居るのなら尚更だ。


《それと、よく聞く話だけれど、幽霊の危険度は色で判別できるらしいわよ。白なら安全、赤なら危険。幼馴染の家に居るのが赤い女だと言うのなら、それは悪霊の類じゃないかしら》


 こいつ、言うに事欠いて悪霊だと?

 あのおばさんが悪霊な訳ないだろ。

 大体、悪霊が謝罪なんかするかよ。


《違うよ。さっきも書いたけど、お母さんは赤が好きで、赤い服をよく着ていたんだ。だから、悪霊なんかじゃない》

《これを読む限り、継母も義弟も『赤い服』なんて言ってないじゃない。『赤い女』なんでしょう?》


 確かに、栞からは『赤い女』としか聞いていない。

 でもそれは、あくまでその姿を形容する上で、赤い服という特徴を端的に当て嵌めただけじゃないのか?


《そうだけど、もしお母さんじゃないとしたら一体何なんだ? どうして栞の家に現れたんだ?》

《知らないわよ。幽霊なんて見たことないし、実在するとは思ってないもの。そもそも、その栞さんが嘘をついている可能性もあるでしょ》

「こ、こいつ……」


 その言葉は癪に触るが、もし語り部が栞じゃなければ、僕も信じていなかっただろう。

 いや、栞から直接聞いた僕でさえ、途中までは半信半疑だった。

 僕レベルでは、文章に説得力を込めるのは無理か。


《信じなくてもいいよ。でも、お母さんじゃないっていうなら、それ以外の可能性を示してくれ。フィクションの知識でも良いから》

《そうね。地縛霊ではないと思うから、浮遊霊かしら》


 浮遊霊?

 幽霊なんて、みんな浮遊しているものじゃないのか?

 足は無いイメージだし。


《一応説明しておくけれど、ぷかぷか浮かんでいるからじゃなくて、ふらふら彷徨っているから『浮遊霊』ね。いくら橘くんでも、そんな勘違いはしないと思うけれど》

《当然だ。続けてくれ》


 危ない。

 赤っ恥をかくところだった。


《地縛霊は何らかの理由でその場に縛られているから怨念が強くて危険だけれど、浮遊霊は成仏していない霊が彷徨っているだけだから、力も弱くて害は無いって話よ》

《じゃあ、もしお母さんじゃなかったとしても安全なんだな》

《でも赤いのよね。そんなの聞いたことがないから分からないわ》


 無害なのに危険。

 なんだそれは。

 もし赤い女がおばさんじゃないのなら、栞は大丈夫なのだろうか。


《前後関係もよく分からないのだけれど、栞さんが降霊術をしたり、祟られるようなことをしたわけじゃないんでしょ?》

《栞に限ってそれはないと思う。元々、オカルトには疎いタイプだったし》

《となると、目的も分からないわ》


 文末に添えられた『お手上げ』の絵文字がやけに腹立たしい。


《謝ってることについてどう思う?》

《謝ってる? なにそれ?》


 それは予想外の反応だった。

 誤字脱字がないか確認したつもりだったが、大事な部分を書き忘れたかもしれない。

 そう思い、今一度自分が送った長文を確認すると、しっかりと幽霊が謝る場面は書き起こされていた。


《お前、ちゃんと読んでないだろ》

《斜め読みは得意なの》


 渾身の文章を斜め読みをされていた。

 しかも、大事なシーンを読み飛ばしてるんじゃないよ。

 超下手じゃんか。


《謝っていたのなら、案外まともかもね》

《そうなのか?》

《ちゃんと謝罪が出来る人ってまともでしょ》

「…………」

 

 まぁ、それはそうだけど。

 幽霊にもそんな基準が当てはまるのだろうか。


《もしも悪い浮遊霊なら、どうすれば良いんだ?》

《良くても悪くても相手をしちゃ駄目。放っておけば勝手に出て行ってくれるらしいから》

《分かった。ありがとう》

《どういたしまして。色々と言ったけど、私は素人だからあまり気にしないで。まぁプロが居たとしたら、全員詐欺師でしょうけど》


 随分とまぁ嫌なことを言う。

 今日は機嫌が悪いのだろうか。


《最後に1つだけ。人間が一番怖いなんて言う人もいるけれど、そうじゃないと思うの。人間でも幽霊でも、訳が分からない相手が一番怖いのよ。それだけは覚えておいて》

《肝に命じておくよ》

《じゃあ、おやすみなさい》

《おやすみ》


 訳の分からない相手か。

 僕はスマホをベッドに放り投げ、自分自身もベッドに飛び込んだ。

 ふと視線を上げると、ベッドの横にある窓のカーテンが、数センチ開いていることに気がついた。

 その隙間からは、お隣さんの茶色い壁が見えただけなのに、背筋が凍るような悪寒に襲われる。

 僕は慌てて体を起こし、カーテンを閉めた。


「はぁ……」


 姉さんの部屋から漏れているテレビの音にすら安心感を覚えてしまうのは、ナーバスになっている証拠だろう。

 テストの結果が不安で映画に行っただけなのに、また変なことに巻き込まれてしまった。


「おばけか、幽霊か」


 まぁ、考えても仕方がない。

 お母さんと翔太くんはそれらしい物を見たとしても、栞が見るとは限らないし、今頃家を出て別のどこかで浮遊しているかもしれない。

 それにやっぱり、おばさんが帰ってきたと考えるのが妥当だろう。


「よっと」


 ベッドから降りて、机の引き出しからストラップを取り出した。

 栞に貰った、黄ネズミが白いハートを抱えたペアストラップ。

 栞は赤のハートを持っている。

 白なら安全、赤なら危険。

 誰だよ、そんな訳の分からない設定を考えたのは。

 怖い赤なら赤点で間に合ってる。


「とりあえず、パンフでも読むか……」


 少しでも気を紛らわせようと、僕は映画館で購入したマッスルママのパンフレットを手に取った――その時。

 突然、聞き馴染みのある音楽が聞こえた。

 それはスマホの着信音であり、その画面には『栞』と映し出されている。


 21時18分。


「もしもし」

『……もしもし,たっくん?』


 スマホ越しに聞こえる栞の声は、聞き取りにくかった。

 原因は3つ。

 彼女の声が小さい。

 彼女の声が反響している。

 彼女の声の他に、何かが聞こえている。


「栞、どうし――」

『ママじゃなかった』


 震える声で、しかしはっきりと、栞はそう言った。


「栞……お前今、風呂にいるのか?」

『うん。あのね、ママじゃないの』

「栞、大丈夫だ。落ち着け、大丈夫だから」

『ママじゃない……ママは、こんなに赤くない』


 自分でも驚くほど頭が冴えていて、心はやけに静かだった。


「声を出さないで、落ち着いて聞いてくれ。それは浮遊霊って奴で、ただ彷徨ってるだけの無害なおばけだ。反応しなければ良い、そうすれば勝手に――」


 ――コン。


 不意に、スマホのスピーカーからそんな音が響いた。


 ――コンコン。


 栞の小さな悲鳴と、荒い息遣い。

 その後ろで、くぐもった声が聞こえた。


『ごめ…………い』


 栞の声とは全く違う、低い女の声。


 ――コンコンコン。


『ごめん……ぁい』


 栞が言っていた、お母さんが聞いたという謝罪の声。


 ――コンコンコンコン。


『ごめん……さぁい』


 いや、違う。


 ――コンコンコンコンコン。


 これは、謝罪なんかじゃない。



『ごめんくださぁい』



 止まらないノックと、女の声。


『ごめんくださぁい。ごめんくださぁい。ごめんくださぁい』


 僕は部屋を飛び出して、階段を駆け降りた。

 部屋着のジャージのまま適当なサンダルを履き、庭の隅に停めていた自転車のペダルに体重をかける。

 栞の話では、お母さんの悲鳴に気づいた栞が風呂場に駆けつけた際、赤い女は居なかったらしい。

 つまり、僕が栞の元へ駆けつければ、一旦は消えてくれる可能性がある。


「栞! すぐ行くからな! もうすぐだからな!」


 スマホを片手に自転車を転がしながら、大声で栞の名前を叫ぶ僕を、他人が見たらどう思うだろうか?

 人間でも幽霊でも、訳の分からない相手が一番怖い。

 カーテンの隙間、夜中のチャイム、シャワー中の背後。

 気をつけなければ。

 僕たちに見えていなくても、僕たちを見ているかもしれないのだから。


 僕はただ、自転車を漕ぎ続けた。

 耳に残るあの声を、二度と聞かなくても良いように。

 そして、大切な幼馴染が無事でありますようにと、祈りを込めて。




 ――おわり――

ご精読頂きまして、ありがとうございました。

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