第十六話 住居はいつも足りない
結局、マイアはこの家の「なんでも屋」として働くことになった。
ふと周りを見渡すと、いつの間にか女が五人。
――間違いない。ハーレムになっている。
「俺、なんで今まで気づかなかったんだろうな」
「何に気づかなかったんですか、ノア様」
「いや、今考えたらすっかりハーレムになってるなと思ってさ」
「そうですわね。私の敵がたくさん居て、由々ゆゆしき事態ですわ」
「イリス様ったら、何を仰っているんですか。敵なんてどこにもいませんわよ」
「あら、それはどうしてかしら?」
イリスが眉間に皺を寄せて困惑すると、セシルがドヤ顔で解説する。
「だってノアさんは私に惚れるって決まっていますから。あなたなんて敵になりようがありませんもの」
「なっ……そんなはずありませんわ! 貴女こそ私の敵ではありませんことよ!」
「何ですって!」
「――俺が自分に惚れるという、その絶対的な自信はどこから来るんだよなぁ」
ノアの呟きは、二人には届かなかった。
◇
「人の耳元で、変なモノローグを囁くのはやめろ、ミナーヴァ」
「そんなぁ、ノアくんの心情を代弁してあげただけじゃん」
「代弁はいらない」
軽くチョップを入れると、ミナーヴァは不満そうに頬を膨らませた。本当に、この天使を自称する女は何がしたいのか分からない。
「――そういえば、マイア。ここが俺の家だ。一階がなんでも屋の仕事場、二階が住居になっている」
「へえ。マイアはどこの部屋になるの?」
「ん? もしかしてお前も、ここで暮らすつもりか」
「逆に、お兄さんはマイアがどこで暮らすと思っていたの?」
「あっ……」
完全に失念していた。マイアは王都に家を持っていない。エルフの里にしか住む場所がないのだ。
《ノアの帳面》に、また一行が増える。住居問題、対象者一名追加、対応急務。十年間、誰にも見られなかった男の帳面は、今や住居管理台帳の様相を呈していた。
「ってもな。もう部屋が足りないんだよなぁ」
「お兄さん、それはさすがにやばいんじゃない」
「ああ、分かってる」
「僕が指名されたということでいいのかな? 宿を数ヶ月単位で借りるというのはどうだろう」
ルサルカが静かに提案する。
「現実的じゃないな」
「一泊、素泊まりで銀貨三枚。十日で金貨一枚使う計算ですわ」
イリスが即座に数字を弾き出す。
「そんなに必要なのか!?」
マイアとルサルカが、王都の物価の高さに目を見開いた。
◇
「んで、結局振り出しに戻ったわけだが」
ノアがそう言うと、セシルが静かに手を挙げた。
「いい案があります。ノアさん、今お金持ちじゃないですか」
「貴族ほどじゃないが、平民にしてはかなりの額だな」
「そのお金で、新しい家を買いませんか」
「バカ言うな、そんな金どこに――いや、足りるな」
聖金貨二十枚と金貨一枚。中程度の一軒家なら、十分に買える額だった。
「このおんぼろ家を売って、新しい家を買いましょう」
「おんぼろ言うな」
とはいえ、セシルの案は正しい。この資産を使えば、今より三倍は広い家に住める。
「でも、こんな家、誰が買うんだ」
「私が買い取りますわ」
イリスが即答する。
「――ノア様が幼い頃から暮らした家なのでしょう。それだけで、値段以上の価値がありますもの」
思いのほか真っ当な理由に、ノアは少し面食らった。
「そういうことなら、任せる」
「はいですわ!」
満面の笑みのイリスに、セシルとミナーヴァが左右から歩み寄る。笑顔だが、目が笑っていない。
「私たち、ノアを守る会なんですけど」
「なに、そんな会があったのか。僕も入れてくれ」
「ルサルカは入らなくていい」
「イリス様、少々口が過ぎましたわよ」
「うっ……す、すみませんわ」
珍しく素直に謝るイリスに、皆が顔を見合わせる。
「それでは、家探しに向かうとしましょうか」
セシルの一声で、話はまとまった。
◇
夜、ノアは帳面に一行を書き足した。住居問題、根本解決に着手、費用は資産内。
十年前、ノアの住まいは倉庫の隅の寝床だけだった。誰にも気づかれず、誰にも訪ねられることもなかった。今は、部屋を探すだけで五人がかりの騒動になる。
「――次は、何が足りなくなるんだろうな」
窓の外、エッダの丘に月が昇る。誰にも見られなかった十年の分まで、この賑やかさを大切にしようと、ノアは静かに決めた。
◇
翌日、五人は連れ立って不動産街を歩いていた。イリスが先頭に立ち、目についた物件を次々と指差していく。
「あちらの物件、庭付きで金貨八十枚ですわ」
「高いな」
「こちらは金貨六十枚。ただし、隣が墓地ですの」
「即決で却下だ」
「わたくしも同意見ですわ」
三軒目に案内された家は、二階建てで中庭付き、王都の中でも静かな一角にあった。玄関をくぐった瞬間、セシルが小さく声を上げる。
「――ここ、いいと思います」
「日当たりもいいし、部屋数も十分にありますわね」
イリスが間取り図を広げながら頷く。マイアも各部屋を覗き込み、満足げだった。
「ノアくん、ここでいいんじゃないかな」
ミナーヴァの言葉に、ルサルカも静かに同意する。
「僕も、ここなら文句はないよ」
全員の意見が珍しく一致した。ノアは苦笑しながら、帳面に一言だけ書き足した。新居候補、決定、購入手続き予定。
「――それじゃ、契約はイリスに任せる」
「お任せくださいまし! 値切り交渉は得意分野ですの!」
「あんまり値切りすぎるなよ」
「多少は、ですわ」
胸を張るイリスに、皆が小さく笑う。十年間、誰にも見られなかった男の住まいが、また一つ、賑やかな場所へと変わろうとしていた。
◇
契約は驚くほど早くまとまった。イリスの交渉術は、値切りだけでなく速さにも定評があるらしい。
「旧居のほうは、わたくしが買い取りますわ」
イリスがそう申し出た時、皆が一瞬、妙な顔をした。
「なんでお前が」
「思い入れのある家ですもの。手放すのは惜しいと思いますわよ、誰だって」
理由自体は真っ当だった。だが、言い方のどこかに、いつもの調子とは違う熱がある気がして、ノアは少しだけ首を傾げた。
「――まあ、任せる」
「はいですわ!」
満面の笑みを見せるイリスに、セシルが小さく耳打ちする。
「イリス様、目が怖いですわよ」
「な、なんのことですの!」
慌てて取り繕うイリスに、また笑いが起こる。十年間、こういう賑やかな空気に縁がなかった男にとって、この笑い声はいまだに少し慣れない、けれど心地よいものだった。
◇
引っ越し当日、荷物運びはノアの《転移》であっという間に終わった。事前に家財のすべてに触れて回る「下拵え」さえ済ませれば、力仕事は一瞬で片付く。
「相変わらず、規格外ですのね」
イリスが呆れたように呟く。
「便利なだけだ」
「その便利さで、坑夫五人を助けたり、商隊を守ったりしてるんですのよ」
「言われてみれば、そうだな」
十年、誰にも見られなかった技が、今は引っ越しの荷運びにまで使われている。地味と言えば地味だが、それもまた悪くない使い道だった。
◇
夜、新居の窓辺で、ノアは帳面に最後の一行を書き足した。引っ越し完了、住居問題、解決。
十年前、ノアの住まいは倉庫の隅の寝床だけだった。誰にも気づかれず、誰にも訪ねられることもなかった。今は、部屋を探すだけで五人がかりの騒動になり、引っ越しにまで全員が付き添う。
「――次は、何が足りなくなるんだろうな」
窓の外、エッダの丘に月が昇る。誰にも見られなかった十年の分まで、この賑やかさを大切にしようと、ノアは静かに決めた。
「――ま、悪くない引っ越しだったな」
小さく笑って、ノアは灯りを落とした。明日もまた、依頼が待っている。
窓の外の暗がりに、また微かな影が動いた気がしたが、ノアは気づかないまま、静かに眠りについた。
十年、誰にも見られなかった男の帳面は、これからも分厚くなっていくのだろう。それでいい、とノアは思った。
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