第十三話 やっぱり転移魔法は強い
「――で、また転移魔法ですか」
ギルド職員のオーウェンが、書類越しに片眉を上げた。ファランの依頼を片付けた翌日、今度は山岳部の落盤事故で、坑夫が五人閉じ込められているという報告が入っていた。
「他に手段があるなら聞きたいんだよなぁ」
「いえ、ないですね。というより、王国騎士団を丸ごと呼んでも三日はかかる距離ですし」
「なら決まりだ」
《ノアの帳面》に、依頼が一行増える。依頼人・鉱山組合、内容・坑夫五名の救助、期限・即日。十年間、誰にも見られなかった男の帳面は、今や街で一番忙しい記録簿になりつつあった。
「マナのほうは大丈夫なんですの?」
イリスが心配そうに顔を覗き込む。
「消費マナは質量×距離で決まる。坑夫五人と資材、往復の距離を考えると――ぎりぎりだな」
「ぎりぎり、で行くんですのね」
「行くしかないんだよなぁ」
◇
現場に着くと、崩落現場は思ったより酷かった。粉塵、軋む坑木、遠くから響く呻き声。並の魔法使いなら、まず安全な足場を作るところから始めるだろう。だがノアには、その手順が要らない。
すでに坑道の入り口に触れている。奥の坑木にも、昨晩のうちに下拵えを済ませておいた。
「――行くぞ」
視界に入れた瞬間、景色が切り替わる。空間を編む、たった一瞬の静寂。
「うわあああ!?」
突然目の前に現れたノアに、坑夫たちが悲鳴を上げた。無理もない。壁の向こうから人間が湧いて出たのだ。
「静かに。助けに来た」
「あ、あんた、いったいどこから――」
「説明は後だ。全員、俺に触れろ」
戸惑いながらも、坑夫たちはノアの腕にしがみつく。触れたものだけを連れて還る。それがルールだ。
もう一度、静寂を編む。
◇
坑道の外に出た瞬間、坑夫たちがへたり込んだ。命が助かった実感が、遅れてやってきたのだろう。
「な、なんだったんだ、今のは」
「転移魔法だ。珍しくもない」
嘘だった。王国広しといえど、これほどの規模を、これほどの精度で使える者は他にいない。だがそれを言う気は、ノアにはなかった。
「珍しくないって、あんた……」
鉱山組合の担当者が、震える声で報酬の話を切り出そうとする。ノアはそれを手で制した。
「報酬は帳面通りでいい。それより、坑道の補強は業者に頼んだほうがいいな」
「はあ……仰る通りで」
余計な世話まで焼くのは、昔からの癖だった。ギルドで雑用魔法使いと呼ばれていた十年、誰かの困り事を放っておけたことは一度もない。
◇
ギルドに戻ると、アデリンが妙に上機嫌だった。
「今回の依頼、報酬が思ったより高くついたようだけど」
「命がかかってましたので」
「そうね。――でも、こう続くと、あなたの評判ばかり上がって困るのよねぇ」
軽い調子の皮肉に、ノアは肩をすくめる。
「困るのはそっちの都合だろ」
「あら、手厳しい」
――こういう時のアデリンは、大抵、裏で何か企んでいる。だが今は、それを確かめるだけの余裕がなかった。
帳面に、最後の一行を書き足す。依頼完了、被害者無事、追加報酬あり。
「――やっぱり、転移魔法は強いんだよなぁ」
誰に言うでもなく呟いた言葉が、静まり返った執務室に落ちる。十年、誰にも見られなかった力は、今、誰の目にも明らかになりつつあった。
◇
その夜、宿舎の窓辺にミナーヴァが腰掛けていた。いつからそこにいたのか、ノアには分からない。
「今日もまた、無茶をしましたね」
「無茶はしてない。計算通りだ」
「マナ切れ寸前で、でしょう」
図星を突かれ、ノアは黙った。ミナーヴァは天使を自称しているが、実際のところ、その正体をノアはまだ知らない。名を教える前から、彼女はノアの名を知っていた。それが、ずっと引っかかっている。
「心配してるだけですよ」
「過保護なんだよなぁ、お前は」
「褒め言葉として受け取っておきます」
ふわりと笑うミナーヴァの向こうで、月明かりが揺れる。ルサルカの姿は、今夜も見えなかった。あれもまた、謎の外出が多い。悪魔を自称する彼女が何をしているのか、ノアはまだ知らない。
――知らないことばかりだ。
十年、誰にも見られなかった男の周りに、知らない者たちが集まってくる。それは喜ぶべきことなのか、警戒すべきことなのか、まだ判断がつかない。
帳面を閉じ、ノアは静かに目を閉じた。明日もまた、依頼が待っている。
◇
翌朝、鉱山組合の使者がギルドを訪れ、追加の礼金を置いていった。オーウェンが帳簿を確認しながら、感心したように呟く。
「坑道の補強業者への口利きまでしたそうですね。評判、さらに上がりますよ」
「余計なことをしたつもりはないんだよなぁ」
「余計かどうかは、周りが決めることです」
オーウェンの言葉に、ノアは肩をすくめた。十年間、雑用魔法使いと呼ばれ続けた男にとって、評判という言葉自体がまだしっくりこない。
「――アデリンは、まだ何か企んでるみたいだったな」
「ああ、あの人はいつもそうです。機嫌がいい時ほど、裏で動いてますから」
オーウェンが苦笑する。二人とも、ギルドマスターの気分屋な性格には慣れっこだった。だが、企みの中身までは読めない。
◇
昼過ぎ、イリスが顔を輝かせて駆け込んできた。
「ノア様、次の依頼、報酬がすごいことになってますわ!」
「また大きな依頼か」
「王都近郊の商隊護衛ですの。距離はありますけど、転移魔法があれば余裕ですわよね?」
「マナ次第だな。質量×距離で計算しないと、無茶はできない」
「そこは慎重派なんですのね、ノア様って」
「無茶して倒れたら、お前らが困るだろ」
「それは、まあ……困りますけど」
歯切れの悪いイリスの返事に、周りが小さく笑う。ノアの慎重さは、力の強さと表裏一体だった。十年間、誰にも見てもらえなかった分だけ、失敗が許されない緊張感を、今でも捨てられずにいる。
◇
夜、ノアは帳面に一行を書き足した。依頼受注、商隊護衛、マナ計算要。
窓の外、エッダの丘に星が瞬く。誰にも見られなかった十年の力が、今、王都中の依頼を支える柱になりつつあった。
「――やっぱり、転移魔法は強いんだよなぁ」
もう一度呟いた言葉が、静かな部屋に溶けていく。明日もまた、依頼が待っている。
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