これならば飛べるのかしら
ああ、今日は本当にドキドキしたわ。
わたくしは邸に戻りひとり庭園を歩きながら、今日のリース様との会話を思い出す。
自力で風の魔術をできるようになったように言ったこと以外、特に嘘は吐いていない。嘘を吐くときには、正しい情報の中に嘘をひとつだけ混ぜ込むのだと聞いたことがある。今日は、ちゃんと出来ていたはず。
ごめんなさい、リース様。でもヴィオル様のお力を借りて魔術を真剣に学んでいることだけは言えないから、勘弁してくださいませ。
真剣な顔で危険だと忠告し、それでも最後には「頑張って」と励ましてくれた優しい笑顔を思い出しながら心の中で謝罪する。
「なにかあったら相談にのるよ」とまで言ってくれた。自分だけで考えているとアイディアが偏るのは確かだから、今度なにか魔術のことで困ったら、ご迷惑にならない程度にリース様にアイディアを借りてみるのもいいかも知れない。
考えながら歩いているうちに、裏門のところまで来てしまった。
さりげなく錠前のかかる扉を見て、ため息をつく。昨日ヴィーも頭を悩ませていたとおり、やっぱりここから外に出るのは難しそうだわ。
いっそのこと本当に空でも飛べたら、こんな壁飛び越えてしまえるのに。
わたくしの身長の二倍はありそうな高い壁を見上げて、わたくしはまたため息をつく。
「わたくし、空を飛んでみたいんですの」
あの時リース様に言った言葉は嘘ではない。風に乗って空を飛べたらどんなに気持ちいいだろうと夢みたいに考えるのはもちろん、部屋から抜け出したり魔獣との戦闘にも役立つのではないかという実用的な意味でも切実に空が飛べればいいのに、と思ってしまう。
でも、現実的に思い通りに空を飛ぶのはなかなかに難しそうだった。
木の葉を無造作に吹き上げるのはできるようになった。ただ、これは木の葉の表面積が広くてその割に軽いから簡単に吹き上がるのであって、それでもちょっとでも気を抜くと平行に飛ばすことは難しかった。
それに比べて人間の体って、重いしデコボコしていて均等に風を当てるのには向いていない。しかも、動かせるものだから均等に風を送っていたつもりでも体勢を変えるとすぐにバランスをくずしてしまうのよね。
実は部屋の中で何度か試してみたけれど、全然うまくいかなかった。
人間の生身の体を浮かすくらいなら、まだ椅子にのったままとか、お布団の上に乗ったままとか、その方がよほど安定する。
ここ数日の研究結果によると予想通り下から均等に風を当てることで浮くことが出来、背中からの風で前進できる。その意味では背もたれのある椅子や、持ち上げて風を受ける面を自由に作れる布団はなかなか使い勝手が良かった。
ただ大きすぎて目立つ上に、塀から出たあとの置き場所に困る。
持ち運べるようなもの……というと、例えばテーブルクロスとかだとちょうどいいのだろうけれど、残念ながらわたくしには、まだあんなに薄くて大きな布がめくれあがらないくらいに均等に風を当てつつ、わたくしを乗せて飛ばすような繊細なコントロールなどできそうにもなかった。
軽くて持ち運べそうで、私を乗せられそうで、風で簡単に翻ったりしない……そんな都合のいいものなど、部屋中、学園中、王宮からの帰り道でさえも見つけることなどできなかった。
今日ヴィーが来たら、相談してみようかしら。
それとも、リース様みたいに危険だって止められてしまうかしら。
考えている内に宵七つの鐘が鳴り出して、わたくしは慌てて邸の方へと身を翻す。いつの間にかこんな時刻になっていたのね。早く食事と入浴を済ませて、少しでも魔術の鍛錬を進めなければ。
急ぎ足で庭園を進むわたくしの目に、ふとあるものが映った。
「これは……なに?」
荷物を運ぶものなんだろうか、人二人が乗れるくらいの狭い鉄板に、車が四輪と手で押せるような取っ手がついている。
その姿に、わたくしは胸がどきどきと高鳴るのを感じていた。
近づいて取っ手を持って押してみる。ああ、やっぱり肥料とかお花を乗せて運ぶための道具みたい。コロコロと進んで使い勝手が良さそう。
次いで、期待をこめて持ち上げてみる。
……意外と軽い!
鉄板がついていたから心配したけれど、これならわたくしでも持ち運べそうだわ!
嬉しくなって、わたくしはキョロキョロと辺りを見回した。
ええと、たしか……あった!
庭師のダン爺の作業小屋には、幸いなことにまだ灯りがついていた。今ならダン爺が仕事終わりの片付けをしているかも知れない。
「ダン爺、いる?」
わたくしはおずおずと扉をノックした。
「うお~い……」
間延びした声が聞こえて数秒経ってから、ゆっくりと扉が開く。中からはもっさりしたお髭もだいぶ白くなったダン爺がおっとりした動作で出てきてくれた。
「おう、嬢ちゃん、久しぶりだのぅ。今日は泣いてないんか」
「嫌だわ、ダン爺。もう随分と子供の頃の話よ」
子供の頃は何もかもが人より出来なくて、悔しくて悲しくて、よく庭園の人目につかないところで泣いていた。ダン爺はわたくしが泣き止むまでは放っておいてくれて、立ち上がって邸に戻ろうと歩き出すとどこからともなく現れて、この作業小屋でジュースを飲ませてお顔を拭いてくれたものだった。
なつかしいわ。
今思えば、わたくしの泣き顔が落ち着くまで休ませてくれていたんでしょうね。




