【ヴィオル視点】これは意外と難題だぞ
先ほど会ったリンスという侍女以外には概ねすれ違っても好意的に受け止められ、俺とセレン嬢はなんとか無事に書庫へと辿り着いた。
書庫の机に降ろされてほうっと息をつく俺を、セレン嬢は優しく労ってくれる。
「ごめんなさいね、疲れたわね」
「いや、セレン嬢がうまく使用人を牽制してくれて助かった」
猫好きが多いのか、すぐに可愛い、可愛いと頭を触ろうとしてくる使用人たちに、「触られるのが苦手な子みたいなの」と、やんわりと触らせないようにしてくれたのは素直に助かった。
緊張して体がバッキバキだ。俺は両前足を前に突き出して、足と背筋をぐーっと伸ばす。最後に尻を持ち上げて後ろ足までピーンと伸ばしきったら随分と体がほぐれた。猫のノビは気持ちよさそうだと思っていたが、実際にやると確かに気持ちいい。
人間の時と違ってバキバキと体が鳴らないのがちと物足りないが、それでも随分とリラックスできた。
さて、では脱出経路の確認でもしておくか。
俺は机から飛び降り、書庫の窓へと向かった。多分、日光で本が劣化するのを防ぐためだろう、窓はひとつしかないが、庭を眺めながら読書を楽しむスペースとして設けられているらしいそこは、暖かな日差しと生けられた一輪差しが気持ちいい、穏やかな空間だった。
しかし、今日俺がその窓辺に求める機能は脱出しやすいか否かだ。
「セレン嬢、悪いが窓を開けてみてくれないか?」
「ええ」
「ちょっと脱出経路を探ってくる」
ひらりと窓の外に飛び降りた俺に、セレン嬢が「待って、ヴィー」と声をかける。
「なんだ」
「左に行くと正門だけれど、門番さんが交代で見張っているわ。人目につかないのはこの庭園の右奥にある使用人達が使っている裏門なのだけれど……いつも内鍵が掛かっているし、勝手に開けたまま出て行ったりしたら使用人達に迷惑がかかるんじゃないかと思って……わたくし」
なるほど、セレン嬢なりにどうやって外に出ようかと考えてはいたわけだな。そりゃあそうか。
「うむ、いったん状況を見てくる。部屋に戻ってからゆっくり話そう」
それだけ言い残して俺はまずは窓の左側、正門の方へと足を向けた。セレン嬢の話だと門番がいるらしいが、俺は隠密系の魔術については結構自信がある。なんせコミュ障だからな。人目につきたくない場面が多すぎるが故に色々と独学で学んできたのだ。
兵の練度によってはセレン嬢だと認識できなくなる魔術を用いて正攻法で門から出る方がいい場合もあるだろう。まさかこんなところで役に立つとは思わなかったが、地味に便利だと思う。
門に近づいて様子を窺ってみれば、門番は一人だけでどうやらこの兵が来客の受付も兼任しているらしい。ちょうど食料品を運び込む業者が来ているようだが、兵が手慣れた様子で何やら来客表らしきものに何かを書き込み、壁に設置されている三つのボタンのうち、青いボタンを押すと邸内から荷物を受け取る担当者が出てきたようだ。
あのボタン、うちの特級魔術師の一人が開発したものだ、と思うと少し誇らしかった。
二つでワンセットのボタンで、ひとつを魔力を込めて押すともうひとつのボタンが鳴る、という至極シンプルな仕組みなのだが、離れた場所でも鳴るという特性を呼び鈴のように使っているらしい。公爵は珍しいものが好きで、よく試作品を買い取ってくれるのだと聞いたことはあるが、こんなふうに役立ててくれるとは。
俺の中で、ちょっと公爵への好感度があがった。
「! お、猫チャン!」
そんなことを考えていたせいか、門番に見とがめられてしまった。まぁ、今は猫だし、問題は無いが。
そう思った瞬間。
「猫!?」
「ほんとだ!」
「かぁ~わいい~!」
門の隣にあった詰め所から、わらわらとガタイのいい男共が飛び出てきた。鍛錬でもしていたのか、皆ほかほかと体から湯気があがっている。もちろん汗だくだ。
「ずるいぞ、俺が見つけたのに」
「お前は今は動けないだろ」
「俺たちがたっぷり可愛がってやるって」
「コワクナイヨ~」
怖いわ!
俺は脱兎のごとく逃げだした。俺を怖がらせないようにゆっくり近づいてこようとしていたんだろう。その隙をついてめっちゃ走った。後ろから「ああ、猫チャン!」とか悲しそうな声が聞こえるが無視だ、無視!
無理だ。このルートはダメだ。
むしろ俺をおとりにすればセレン嬢は外に出やすくなりそうだが、俺のダメージが強すぎる。
めちゃくちゃ走って、気がついたら庭園の中にいた。
どうやら兵士達はここまでは追ってこないらしくてホッとする。ただ、あいつらの肉体強化系魔術は見たことがある。騎士学校で習うヤツだ。騎士の鍛錬場所になっているのか、騎士見習いでも雇っているのか知らないが、どっちにしろ厄介な相手だ。
総合的に判断して正門突破はないと断じ、俺は裏門を探る。
しかし、こっちも意外と厄介だった。見張りはいないが、落とし鍵と錠前の二重鍵だ。鍵を手に入れないとそもそも話にならないだろうし、セレン嬢の言う通り使用人に迷惑がかからない方法を考える必要があるだろう。
「ヴィー、お帰りなさい!」
セレン嬢のもとに無事に辿り着き、彼女の部屋まで連行されて足の裏をばっちり拭かれた俺は、うーんと考え込んでしまった。
「窓から出るのは簡単だが、あの高い塀の向こうに出るのがなかなか難しそうだな」
「ええ、わたくしも何かいい方法がないかって考えていたのよ」
「ちなみにセレン嬢。外に出るときは動きやすい質素な服が必要だが」
「まぁ、これではダメ?」
「全然ダメだ」
部屋着なんだろうからセレン嬢的には質素で動きやすいのだろうが、世間で一般的に言うところのドレスだからな、それは。
「困ったわ、これ以上動きやすい服など持っていないわ」
「乗馬服とかは」
「乗馬はたしなまないの。そうだわ、申し訳ないけれどお忍びで街に行ってみたいと言って、用意して貰おうかしら」
なるほどと思ったが、もしもセレン嬢の不在を見抜かれた時に、その服がないとなったらそれなりの騒ぎになるんじゃないかと不安になった。
「……いや、服は俺が用意する。セレン嬢は自分で服の脱ぎ着が出来るようになっておいてくれ」
意外とこっそり出かけるのもハードルが高い。公爵令嬢も大変なんだな。




