オンボロ橋の向こう側
あたしは、黄色い帽子をかぶって、真っ赤なランドセルを背負っていた。自慢の長い髪を二つに結ってリボンをかけている。あたしが首を振るたびに、赤いリボンがひらひらなびいた。
「嘘じゃないもん! 本当だもん!」
あたしが叫んでいた。向かいに立つ女の子は、あたしを見てバカにしたように鼻を鳴らした。
「由依ちゃんってば、嘘ばっかり。パパがサンタさん? そんなわけないじゃん。サンタさんは真っ白なおひげのおじいさんだよ」
「だからアルバイトしてるんだもんっ。お手伝いしてるんだもんっ。ママがそう言ってたもんっ」
それから少し悩んで、付け足した。
「パパがサンタさんを、うちに連れてきたことだってあるもん!」
「由依ちゃん家って、ママまで嘘つきなの? もういいよ」
女の子がそう言って去っていく。しかし全員というわけではなく、何人かはあたしの周りに残ってくれた。
「由依ちゃん、泣かないで。ね? 早希ちゃんはちょっと意地悪だよね。きっと羨ましいんだよ」
「うん……ありがとう」
「でもパパがおうちにいないと寂しいよね。早く戻ってくるといいね」
「……うん」
ぐすぐすとあたしは鼻をすすった。パパが戻ってきてくれれば、お話たくさん聞けるのに。パパが戻ってくれれば……。
そのとき、あたしの頰に強烈な違和感が走った。何これ、あたしどうしちゃったの? いたいいたいっ。
「いたいっ」
「リスさんっ!」
あたしの頰を、コマドリちゃんがばさばさ叩いていた。あたし。そう、シマリスのあたし。
「リスちゃん、気分はどう? 大丈夫?」
どうやらあたしはヘビちゃんの体にもたれかかって気を失っていたらしい。あたしの頭のすぐ後ろから、気遣うようなヘビちゃんの声が聞こえた。
「だ、大丈夫よ。平気。うん。大丈夫」
まだ少し混乱しているけれど、大丈夫。あたしはリス。シマリスよ。
「どんな夢を見た?」
問いかけるキツネちゃんの真剣な眼差しを見ながら、あたしは答えた。
「小学生の女の子。由依って子になってたわ。お父さんがサンタのところでアルバイトしてるって言って、同級生の女の子に嘘つきって言われてた」
「ごめん、何言ってるかわからない」
「ごめん、あたしもよくわからない」
あたしは、いや由依って子は、クマちゃんほど明確にそれらの言葉の意味を理解していたわけではなかったようで、あたしもなんとなくの意味しか理解できなかったのだ。
日本出身のダイゴならわかるかしら。解説を頼もうと彼のほうを見ると、彼は驚いたのか、目を普段の倍の大きさに広げていた。ちょっと怖い。
「リスちゃん、その子の特徴を教えてくれ!」
今にも掴みかかってきそうな勢いに気圧されながら、あたしはこくこく頷いた。
「え、ええ。いいわ。
由依は、小学一年生の女の子で、長いストレートの髪が自慢の、少しつり目の可愛い子よ。髪は二つ結びで、赤い水玉模様のリボンで結んでたわ」
あたしの答えに、ダイゴは首を振った。俯き加減に「いや、まさか、そんな……」とブツブツ独り言を言っている。
「一体なんなの?」
眉をひそめて問いかける。すると彼は予想だにしなかったことを言った。
「……由依は、その子は……俺の娘だ」
「娘……?」
「ああ、そうだ。
話していなかったけど、俺はここに来る前、病気で入院中でね。娘には心配をかけないように、もうじき冬だったこともあって、サンタさんのところでバイトをしているから、家には帰れないと伝えてあったんだ」
「待ってよ。あの子があなたの娘? あたしが見たのは、あなたの娘の記憶? ……じゃあ本当に今、まさにこの瞬間に、実在する人ってこと? 間違いないの?」
あたしの言葉に、ダイゴは頷いた。
由依は、厚い服を着ていた。(服ってのは、毛皮みたいなものよ。たぶん)ということは、寒い時期で間違いない。それにサンタさん(子供好きのおじいさんよ。詳しいことはわからなかったわ)が来るのは十二月(十二月ってのは……ああもう面倒臭い、今から少し後のこと!)だから、おそらくあの光は、由依の少し前の記憶。
「これで、謎が解けてきたね」
キツネちゃんの前足が、彼の顎に触れている。彼は自分でも突拍子も無いことを言っていると理解しているようで、でも状況的にこれしか考えられなくて、少し苦笑いしながら言った。
「この光の正体は、ニホンのヒトの記憶。俺たちとは相性でもあるのかな、どれにでも触れられるわけじゃ無いが、触れれば記憶をのぞくことができる。それも、記憶の持ち主の主観寄りでね」
「……アライグマちゃんはこの光に触れたのね」
あたしの相槌に、キツネちゃんは大きく頷く。
「えっ、えっ? どういうこと?」
ヘビちゃんが理解できずに目を白黒させた。解説を求めるようにクマちゃんを見上げたが、クマちゃんもわからなかったのね、うなだれるだけだった。
「つまり、アライグマは乱暴者の記憶を覗いてしまって、その記憶が混濁したまま、僕たちの前に現れたってことだよ。わかるかな、レディ」
「……そっか、さっきのクマちゃんみたいになっちゃったのね!」
「そういうことさ。賢いレディ」
謎が一つ解けたのだ! あたしたちは互いに前足を取り喜んだ。しかしキツネちゃんとコマドリちゃんの顔色は優れない。どうしたのかしら。
言いにくそうに、しかしはっきりと力強く、キツネちゃんは続けた。
「そして大事なのは……この記憶の光は、オンボロ橋の向こうから来ているという事実だ」
キツネちゃんの言葉に、あたしは固まった。そうか、つまり……。
「オンボロ橋の向こうに、ニホンが……森の外の世界が、あるってことね」
言うあたしの声がかすれていた。キツネちゃんたちが重々しく肯定する。
「アライグマちゃんを探すには、あの先へ……行かなきゃいけないのね……?」
そしてあの橋を渡れる動物は、限られる。
コマドリちゃんが言った。
「無理しなくていい、リスさん。アライグマの奴は、僕がしっかり探して、きっと連れ戻すから」
ああ、コマドリちゃんは本当に優しい。彼だって、オンボロ橋は怖いはずなのに。でもこの中であの橋を渡れるのは、あたしとコマドリちゃんだけ。もしあたしが彼の好意に甘えてしまったら、彼はたった一匹であの橋を渡ることになる。
あたしがそれを良しとするとでも思った? あたしはね、守られるだけのか弱い女の子じゃないの。見くびらないで。あたしはそんなに薄情じゃないのよ。
だからあたしは余裕たっぷりに、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「あたしも行くわ」
コマドリちゃんの翼をとって、今度は優しく微笑む。コマドリちゃんの肩から力が抜ける。するとダイゴが、前足を取り合うあたしたちをひょいっと持ち上げた。
「俺も行く」
「えっ? でも……」
「俺は幽霊だから、重さはないよ。橋は落ちない。頼むよ。あの向こうに娘がいるかもしれないなら、俺も一緒に連れて行ってくれ」
「……わかったわ。ううん、言葉が違うわね。ありがとう、心強いわ」