光の記憶
「お、お化けに会った!?」
あたしとヘビちゃんの話を聞いて、仲間たちが素っ頓狂な声を上げた。あたしは初めての夜更かし(というかほとんど徹夜よ。徹夜!)に疲労困憊で、仲間たちの大声が頭にキンキン響いて辛かった。
「今日の夕方、また同じ場所で会うことになっているの。みんなも一緒に来てくれない?」
「えっ。お、お化けのところに行くの? わざわざ?」
怖がりのくまちゃんが、早くも体を抱え込み、ブルブルと震えた。
「無理強いはしないわ。でもあのお化けは、この森の外から来たみたいなの。このチャンスを逃す手はないわ」
あたしの言葉に、ヘビちゃんが力強く頷く。
「もしかしたら、アライグマくんは、ダイゴさんが昔住んでた場所に向かったのかもしれないもんね。
それにね、心配しなくても大丈夫だよ。ダイゴさん、噂と違っていいひとだったもん」
ヘビちゃんの言葉に、皆渋々頷いた。特にクマちゃんはとても不安そうだったけれど、小さな声で「アライグマくんのため、アライグマくんのため……」とつぶやいて、最後には頷いたのだった。
それからあたしたちは、夜に備えて昼寝をした。それぞれ家に戻るという話も出たのだけれど、そうすると寝坊する子も出るかもしれないし、それに何より、お化けに会いに行くという恐怖から、皆一匹になるのを嫌がった。
そこであたしたちは、一番近くのクマちゃんのお家にお邪魔して、みんなで丸まって眠ることにした。
特にあたしとヘビちゃんは前日の疲れが祟ってか、体を横たえるとすぐに、すやすやと寝息を立てて眠ってしまった。
約束の時間、約束の場所。
あたしとヘビちゃんを先頭に、一行は進む。やがてオンボロ橋が見えてくると、あたしたちの緊張も一段と強くなった。二日連続で現れた逆さ虹を見上げ、あたしは氣持ちを落ち着ける。
「今日も出てるんだね、逆さ虹」
不安を煽るのはお化けか、それともオンボロ橋か。平常心を繕おうとしているのだろう、話すキツネちゃんの声はやや震えていたが、その調子は軽かった。
「二日連続で出るのは、ちょっと久しぶりだよな」とコマドリちゃん。
「でも、連続で虹が出るようになったのって、最近の話だよね。もっとずぅっと昔は、ほとんどなかった気がするなあ」
クマちゃんの意識がお化けから逸れて、逆さ虹の方に向かう。でも怖いものから怖いものに意識が逸れたところで、あまり意味はなかったみたい。クマちゃんは、彼自身よりずっと体の小さいキツネちゃんの尻尾を掴んだままだ。
いくらかの恐怖と、夜更かしによる眠気のせいで、あたしたちの頭は普段の半分も働かない。しばらくの間、全員が黙ったまま逆さ虹を見上げていた。そして。
「やあ、今日はたくさんだね。来てくれて嬉しいよ」
ハダカザルのお化けが現れて、あたしたちに向かって微笑んだ。
「遅いわよ」
「そんなこと言われても。俺だって好きで消えたり出たりしてるんじゃないんだ」
お化けは困ったように頬を掻き、それからキツネちゃんたちに挨拶をした。
「こんばんは。聞いているだろうけど、俺はダイゴ。君たちはヘビちゃんとリスちゃんの友達だね」
「よ、よろしく」
「うん。よろしくね」
ダイゴはキツネちゃん、コマドリちゃんと順に前足を合わせた。どうやらダイゴの生まれた場所では、あれが挨拶となるらしい。
クマちゃんの番になって、それまで微笑みを絶やさなかったダイゴがちょっと顔を強張らせた。ただでさえも怖がりのクマちゃんは、それを見て余計に怖くなったみたいだった。ダイゴもすぐそれに気づいて、軽く頭を振ってから、今度こそ前足を差し出した。
「ごめん、つい」
「ぼぼぼぼ僕、何かしましたか?」
「ああ、いや。違うんだ。
俺の住んでいた地域では、何年かに一度は、クマに襲われて死んだ人の話が出るからさ。気に障ったよね。すまなかった」
全員の挨拶が済むと、フレンドリーなヘビちゃんが全体を取り仕切った。
「さあ、挨拶も済んだし、本題に入ろっか。
ねえ、ダイゴさん。私たち、アライグマくんを探しているの。知らないかしら」
「アライグマ? うーん、この森でアライグマは見てないと思うなあ」
「本当に? あの、ね? 疑ってるわけじゃないんだけど、もしかしたら、その。意識せずにね? 悪気なくってこともあるからね?」
「……うん?」
優しいヘビちゃんは、言葉の言い回しを考え考え、そのせいで何を言ってるのかさっぱり分からなくなっている。ダイゴも真剣にヘビちゃんの言葉の意図を拾おうとしているみたいだけれど、首をかしげるばかりだ。見かねて、あたしは口を挟んだ。
「アライグマちゃんは、いなくなる直前に様子がおかしかったの。あたしはね、お化けのあなたが、彼を呪ったんじゃないかって疑ってるわ」
「り、リスちゃんっ」
ヘビちゃんがあたしの尻尾を軽く引くが、あたしは一歩も動かずにダイゴを睨みつけた。もしこいつがアライグマちゃん失踪の原因だったら、絶対許さないんだから。
ダイゴはあたしの睨みつけるような眼差しを真摯に受け止めた。それからゆっくり目を瞑ると、首を左右に振る。
「……悪いけど、本当に分からないんだ。神に誓って、俺は誰かを呪ったことなどないよ」
あたしはそのまましばらく項垂れるダイゴを眺めていたけれど、彼の様子に嘘は感じ取れない。
「そう。疑って悪かったわね」とぶっきらぼうにつぶやく。
あたしの代わりに、今度はキツネちゃんがダイゴに問い質した。
「じゃあ、質問を変えよう。ダイゴさん、あなたはどこから来たんですか?」
「どこって?」
「逆さ虹の森の出身じゃ、ないんでしょう?」
「ああ、そういうことか。俺は日本の出身だよ」
「……日本?」
キツネちゃんが眉をひそめる。にほん、と言う場所に、あたしは心当たりがない。どうやら他の動物たちも同じみたいだ。というか、仲間内で一番物知りのキツネちゃんが分からないなら、あたしたちに分かるはずがないのだ。
「日本は、どこにあるんですか?」
「うーん。説明しにくいな。俺にはここがどこだか分からないから、説明のしようがないんだよ。
地球、北半球、アジア、太平洋、東京、大阪、京都。この中に一つでも聞いたことのある言葉はあるかな?」
キツネちゃんは残念そうに首を振る。
「そうか……。それじゃあ、俺には説明できそうにない」
「でも、あなたはここにいる」
食い下がるキツネちゃんに、ダイゴは申し訳なさそうにうなだれた。
「そうだ。けど、俺自身、どうしてここにいるのかさっぱりわからない。どうすれば日本に戻れるのかも。死んだ俺が、日本に戻っていいのかも」
今度はコマドリちゃんが口を開いた。
「日本ってのは、どんな場所なんだ?」
「日本? そうだなあ。一言で言うなら、コンクリートジャングル、かな」
「こんくりーと?」
ダイゴは目を細めて頷いた。
「そう。ここは美しい自然が広がってるね。驚いたよ。何しろ俺が住んでいた日本にはもう、これほど綺麗な自然はほとんど残っていないからさ。
逆さ虹の森は、きれいだ。とっても素敵な場所だと思う。けど、日本のコンクリートジャングルも、美しいものだと俺は思う。
日本にあるものの大半はね、人間の努力で完成させられた人工物なんだ。それを良いと捉えるか悪いと捉えるかは人によるけど、俺は、結構好きだったよ。あそこにあるものは全て、人の努力から生まれたものだから」
ダイゴの目が懐かしさに揺れた。遥か遠い地の懐かしい記憶に、ダイゴは愛を叫んでいる。
「帰りたいの?」
つい、聞いてしまった。
「……嫁さんと子供を、日本に置いてきてしまったんだ。叶うなら、もう一度会いたいと思うよ。ここがあの世なのか、俺が迷い込んでしまった不思議の国なのかも、俺にはわからないけど」
後者ならチャンスはあるかもね。そう話すダイゴはどこか寂しそうに笑っていた。
クマちゃんが、ダイゴを慰めるように背をさする。
「きっと、会えるよ。だからそれまでは、ほら。せっかくきれいな景色を見れるんだし、それを楽しんだらどうかな。ほら、蛍だよ。きれいだよ」
クマちゃんの視線の先には、柔らかく光る玉がフワフワと浮いていた。光の玉はゆっくりと空を飛び、少しずつクマちゃんの方へ移動していく。
あら? どうしてかしら。どこかで見たことがあるような。ああ、そうだ。昨晩も見たのよ。飛び交う蛍のような光。ヘビちゃんの体に吸い込まれた、きれいな光。
……って、クマちゃん!
「違うわ、クマちゃんっ。それは蛍じゃない!」
あたしの声とほとんど同時に、光はクマちゃんの体の中に吸い込まれた。
「え? ……うわあっ!」
クマちゃんは悲鳴をあげ、その場で倒れこんだ。目をつむって、眠ったように蹲るクマちゃん。あたしたちはクマちゃんを取り囲んで必死に揺する。やがて、「ううん……」と呻き声を上げ、クマちゃんが起き上がった。
「クマちゃん!」あたしは叫んだ。「大丈夫? なんともない? どこも痛くない?」
しかしそんなあたしを見て、クマちゃんは喉の奥で「ひっ」と恐怖の声を漏らすと、頭を抱えてブルブルと震えた。
「ごめん! 違うんだ、俺が悪いんじゃない。だから殴らないでくれ、姉貴!」
「あ、姉貴?」
クマちゃんの口から漏れた意味不明な言葉に、あたしたちは口をあんぐりと開けた。
クマちゃんは、どうしちゃったのかしら。あたしが、お姉ちゃん? クマちゃんにお姉ちゃんはいないはずだし、そもそもあたしみたいなリスをお姉ちゃんと間違うはずがないのに。そもそも、口調がおかしいわ。まるでアライグマちゃんみたい。
あたしたちはクマちゃんの変貌ぶりに、互いに顔を見合わせていた。訳がわからなすぎて誰も何も言えない中、コマドリちゃんだけがクマちゃんの頭を突っついた。
「おい、クマ。しっかりしろよ。どうしたんだ?」
クマちゃんが顔を上げて、焦点の合わない目でコマドリちゃんを見た。恐怖一色だった顔色が徐々に色を取り戻し、少しすると、いつものクマちゃんに戻った。
彼はぱちぱちと瞬きをし、「あれ?」と首をかしげた。
「コマドリくん……? 僕、僕……あれ?」
クマちゃんは頻りに首をかしげ、あれ? あれれ? とつぶやいている。
やがて「寝ぼけてたのかな……?」と照れくさそうにクマちゃんははにかんだ。
「なんだか、ヘンテコな夢を見てたみたいだよ」
「夢? どんな?」
「えっとねえ。僕は自分のことを俺って呼んでて、姉貴……お姉さんがいたみたい。でもお姉さんがなんか怖い人でね、すぐ僕のことを殴るんだ。
僕はいつもお姉さんが怖くて、言いなりになってた。あるときお姉さんがね、えっと、しんばし? ってところで、酔っ払いからお金を盗んでこいって命令した。でも僕はそれが嫌で……お父さんと一緒にご飯に行くから無理だって、嘘をついたの。
そしたら後でそれがばれて、お姉さんが拳を振り上げたところで、目が覚めたんだ」
「よっぱらい? お金? それは何?」
初めて聞く言葉だった。たぶんだけど、逆さ虹の森には存在しない言葉。しかしクマちゃんはあっさりと、
「よっぱらいはね、お酒っていう水を飲んで、判断力が鈍った人。お金は、何ていうのかな。僕たちにとっての、木の実みたいなものかな」
「食べ物なの?」
「違うけど、食べ物と交換できるものだよ。……あれ? なんで僕、こんなにすらすら言えるんだろう? リアルな夢だったなあ」
クマちゃんがぼやくと、ダイゴがゴクリと喉を鳴らし、乾いた声で言った。
「それは……ただの夢じゃないかもしれないよ」
全員の視線がダイゴに集まる。ダイゴは大きく一つ息を吸って、吐いた。
「新橋。酔っ払い。お金。それは全て、日本に存在するものなんだ。
つまりクマくん。君が見た夢は……俺の故郷につながっているのかもしれない」
光の玉が増えてきた。踊るそれらを眺めながら、キツネちゃんが言った。
「この光は……日本の記憶?」
「……触ってみるか?」
コマドリちゃんが翼を伸ばした。初めはゆっくり。それから意を決したように、コマドリちゃんが目をつぶって、えいやとばかりに光に触れる。しかし。
「あ、あれ? なんでだ?」
光はコマドリちゃんの体をすり抜けた。そしてあたしの方に向かってくる!
「リスさん、逃げて!」
コマドリちゃんが悲鳴をあげる。
「大丈夫よ。二番手の役は、あたしが引き受けるわ」
「だめだ。可愛い君に何かあったらどうするんだ! 二番手は僕がやる」
「ありがと。でも、もう手遅れよ」
仁王立ちするあたしの目の前まで、光は迫っていた。怖いか怖くないかで言えば、もちろん怖い。でもヘビちゃんもクマちゃんも耐え切った。無事だった。ならあたしにできない道理はないわ。
さあ、どんと来いっ!




