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逆さ虹と嘘つきの森  作者: 佐倉杏
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森のお化け

 その夜、あたしはどうにも眠れなくて、地面の下で何度も寝返りを打っていた。アライグマちゃんのばか。どこに行っちゃったの? どうして何も言ってくれなかったの? あたしたちのこと、嫌いになっちゃったのかしら。


 思い出されるのは、最後に見たアライグマちゃんの顔。泣きそうな顔であたしたちを詰ったあの表情。あれは、彼のSOSだったんじゃないかしら。素直になれない彼の、精一杯の「助けて」のサイン。あたしたちは友達なのに、それを見逃してしまった。


「もう、会えないのかしら」


 縁起でもないことを呟いて、あたしははっとして自分の頬を叩いた。弱気になってどうするの。絶対見つけて、仲直りするんだから。この前の悪戯だって、結局仕掛けられていないのに。


 あたしの悪戯のターゲットは、主にアライグマちゃんだった。ヘビちゃんは悪戯してもビクともしないし、コマドリちゃんだと小さすぎて危ないし、キツネちゃんは真面目ですぐに叱るし、クマちゃんはビックリしすぎて心臓が止まっちゃうんじゃないかって思うし。


 アライグマちゃんは、悪戯に引っかかると、面白いくらいに怒って追いかけてくる。あたしはアライグマちゃんから逃げながら、第二、第三の悪戯を仕掛けるのだ。最後には捕まってしまうのだけど、その頃にはアライグマちゃんの怒りも下火になっていて、顔を見合わせてふたりして笑うのだ。

 まぶたの裏に、皆で集まって楽しく笑い合った日々が浮かぶ。あの日だって、そうなるはずだったのに。


 目が冴えてしまって、もう眠れそうになかった。諦めてあたしは体を起こす。

 そういえば。夜、蛍が飛び交うと、キツネちゃんが言ってたっけ。蛍の季節ではない今でも、同じなのだろうか。


 あたしはお家の出入り口を見上げる。遠くに、細長い入り口がぽっかりと姿を現し、その向こうに黒い夜空がうっすらと見えた。


 行ってみよう。


 蛍が、アライグマちゃんの捜索に役立つかどうかは、わからない。でもどうせ眠れないのなら、行ってみる価値、あるわよね。

 あたしはまず頭だけをお家から外に出して、様子を伺った。頭の固い動物に見つかったら怒られてしまうだろう。いやまあ、見つかった時点でその子も起きてるはずだから、同罪なのだけれど。


 そろりそろりと、あたしは全身を外に出した。初めて感じる冷たい夜気に、ぶるっと体を震わせた。


「蛍なんか、いないじゃないの」


 もともとたいして期待していたわけでもないが、少し落胆した。綺麗な蛍、見てみたかったのに。

 そのままあたしは少し散歩した。いけないことをしているという背徳感からか、夜の散歩はとても楽しい。いつもと同じ場所でも、昼に見る景色と夜に見る景色では大きく違う。


「あら。逆さ虹は、夜もかかっているのね」


 あたしは夜空を見上げた。夕方に見る月や星とは比べ物にならない強烈な月光の手前に、七色の逆さ虹がうっすらと光を放っている。望んでいた蛍ではなかったが、これはこれで、禁を犯してでも見る価値があると思えるほど美しい。


 そのとき、あたしの視界に金色の光の玉が現れた。それはゆらゆら揺れて、森の中心へと進んでいく。あたしはつい、その光を追いかけた。


 それは蛍などではなかった。蛍なら本体の虫がいるはずなのに、その光に実体はない。その正体が気になって、あたしは光の後をついていった。光は進む速度はそれほど速くない。あたしでも十分に追跡できる。光はどんどん、迷いなく進む。


 時間が経つと、光の数が増えてきた。あちこちに、時折光を見つける。

 やがて草むらの中にある穴へと、光が入っていった。……え? ちょっと待って。ここって、ヘビちゃんのお家じゃない!

 あたしは慌ててヘビちゃんのお家に飛び込んだ。光は眠るヘビちゃんに近寄ると、すうっと、その体の中に取り込まれた。あたしは悲鳴をあげた。


「ヘビちゃん、ヘビちゃんっ」


 あたしは必死にヘビちゃんの体を揺すった。どうしよう、ヘビちゃんは大丈夫かしら。あの光は体に悪いものじゃないのかしら。ああ、あたしがもっと早くにヘビちゃんを起こしていたら!

 しかしあたしの心配をよそに、かなり時間をかけて起き上がったヘビちゃんは、むにゃむにゃと眠そうに瞬きをした。


「……あれぇ、リスちゃん? どうしたの?」

「ヘビちゃんっ」


 あたしはヘビちゃんに抱きついた。ヘビちゃんは何が何だかわからない様子で、目を白黒させている。

 あたしは様子の変わらないヘビちゃんに安心して、事情を説明し、お家に勝手に入ったことを謝った。


「いいよぅ。私のこと、心配してくれたんだもんね」

 ありがとうね、と続けられて、あたしは本当に泣きそうになった。


「でも、その光、何だろうね?」

「わからないわ」

「私も、見てみたいな」


 あたしとヘビちゃんは、光を警戒しつつ、外に出た。外はさっきよりも光の玉が増えている。


「光は、あっちから来るみたいね」

「行ってみよっか」

「ヘビちゃん、体調は本当に大丈夫? 無理しないでね」

「大丈夫だよ」


 あたしたちはおっかなびっくり、光に触れないように細心の注意を払いながら、光が来る方へ歩いた。この光の玉は、どこから来てどこに行くのだろう。逆さ虹の森には、たくさんの動物が住んでいる。もしかして全ての玉が、誰かの中に入っていくのだろうか。

 進めば進むほど、光の玉は増えていった。大元に近づいている証拠だ。そしてとうとう、あたしたちは光の玉の発生源へと、やってきた。


「オンボロ橋……」

 そこはオンボロ橋だった。光の玉は、橋の向こうからやってくる。


「どうしよう、リスちゃん」

 ヘビちゃんが尻込みしている。あたしもそれは同じだった。

「ど、どうするって言っても」


 ヘビちゃんはここを渡れない。行くなら、あたし一人で行かなきゃいけない。ためらうあたしを見かねて、ヘビちゃんが明るく言った。


「戻ろっか、リスちゃん」

「えっ、でも」

「光がこの先から来てるのを見つけただけでも、十分な収穫だよ。今日の冒険はもうおしまい。帰って、寝よう? ね」

「うん。そう、そうよね。そうしましょう」


 あたしたちは揃って踵を返した。オンボロ橋に背を向けると、それだけで安心して倒れそうになる。

 そんなあたしたちを、呼び止める声がした。


「ねえ待って、君たち。ちょっと話を聞かせてくれないか」


 声の方を振り向いて、あたしは顔色を失った。見れば、ヘビちゃんも全く同じ表情をしている。

 声の主は、体が半透明で、向こうの景色が透けていた。


 夜間外出の禁を犯した動物を食べるというお化けが、そこにいた。








 とっさに逃げ出すあたしたちに、お化けは縋り付くような声で「待ってくれ」と懇願した。


「頼むよ、お願いだ。話を聞いてくれ」


 ヘビちゃんが僅かに走るスピードを落とす。

「ヘビちゃんっ、何してるの」

「だって、なんかお化けさん、かわいそうだよ」

「食べられちゃうのよ!」


「た、食べる? 俺が、君たちを?」後ろから追ってきたお化けが、素っ頓狂な声を上げた。「そんなわけない。この体になってから、俺は一度だって、飲み食いできた試しがないんだ。なあ、頼むよ。絶対に危害を加えないから、話を聞いてくれ」


 その言葉を信じ、優しいヘビちゃんが立ち止まった。ああもうっ、どうしてあたしの周りはいい子ばかりなのかしら! 

 あたしは仕方なく足を止めた。さすがにヘビちゃんを置いて、一匹だけで逃げるわけにもいかないもの。


「ああ、助かるよ。ありがとう」


 お化けは胸を押さえながらそう言った。体力がないのかしら。まあ、お化けならそれも当然よね。


 あたしはまじまじとお化けを観察した。ずいぶん変なお化けだった。たぶん、サルなんだと思うのだけれど、あたしの知るどのサルとも違っていた。まず毛が少ない。頭部にばかり毛が集中して、顔や体には産毛程度しか生えていない。そのくせ、なんかよくわからないけれど、布を体に巻きつけている。毛がないくせに寒いのかしら。なんておかしな生き物。名付けるなら、ハダカザルといったところね。

 ハダカザルのお化けは、あたしとヘビちゃんに、深々と頭を下げた。


「どうもありがとう。俺は少し前からこの森にいるのだけど、なかなか人に会わないし、会ってもすぐに逃げられてしまって、話にならなかったんだ」

「ひと?」

「あ、動物、だね」


 あたしは警戒心を解かないまま、お化けに尋ねた。ヘビちゃんの分まで、あたしが気をつけなきゃ。もしかしたらこのお化けは、アライグマちゃんに取り憑いたかもしれないのだし。


「……ねえ。あなたは一体、誰なの?」

「俺は佐伯大吾。生きてる時は、三十六歳だった」


 さんじゅうろくさい、という言葉が何を意味するのかわからなかったけれど、ヘビちゃんは特に気にしてないみたいだった。


「私はヘビだよ。よろしくね」

「あたしはリス」

「ヘビちゃんに、リスちゃんだね。覚えやすくて助かるよ。

 ところで、ここはどこだろう。俺は死んだ後、気が付いたらここにいてね。腹も減らないから困ることはないんだけど、右も左も分からないんだ」


 ヘビちゃんはお化けの長い奇妙な名前を、一生懸命に覚えようとしているみたいだった。お化けが苦笑して、「大吾でいいよ」と言った。


「ダイゴさん。よろしくね。

 えっとねえ、この場所のことを知りたいんだよね。ここはオンボロ橋のそばだよ。逆さ虹の森の、ちょうど真ん中、少し南あたりだね」

「逆さ虹……、ああ、あの虹のことか」


 お化けは空を仰ぎ、少しずつ色が薄れてきた逆さ虹を見上げた。


「そうだよ。ほら、何日かに一度は、逆さ虹がかかるでしょ。だから私たちは、この森を逆さ虹の森って呼んでるんだ」

「何日かに一度……? 決まって虹がかかるのかい?」

「え? うん、そうだよ」


「へえ」お化けは目を丸くした。「不思議なこともあるもんだね」

 あたしは我慢できなくなって聞いた。


「何が不思議なの? あの虹のことは、あなただって知ってるはずでしょ」

「いやいや。俺の住んでいたところには、あんな不思議な虹はかからなかったよ。

 俺に言わせれば、あの虹の形も変だし、数日おきに決まって虹が出るなんてのも変だ。まあ、死んだ俺がこうして存在しているってのだって、かなり変なんだけど」


「待って。あなた、虹の形が変って言った?」

「え? 言ったけど……」

「あなたの知ってる虹は、どんな形?」

「どうって……」お化けは怪訝そうにしながらも、前足でアーチを作ってみせた。「こんな形」


 あたしとヘビちゃんは、顔を見合わせ言葉を失った。そんな形の虹、あたしは知らない。見たことも聞いたこともない。もしかしてこのお化けは、逆さ虹の森の、外から来たの?

 あたしが詳しく追求しようとすると、お化けが眩しそうに目を細めた。


「あ、だめだ。そろそろ時間みたいだ」

「時間って何?」

「どうやら俺は、日中は活動できないみたいでね。幽霊の宿命かな。そろそろタイムリミットみたいなんだ」


 お化けの視線の先には、少しずつ赤らんできた空があった。朝が来ようとしている。


「まだだめよ。あなたに聞きたいことが、山程あるんだから!」


 あたしは叫んだ。逆さ虹についてもそうだし、このお化けがどこから来たのかも気になる。それに、アライグマちゃんに取り憑いたのかどうかなんて、まだ触りさえ聞けてない。


「じゃあ、夕方にまた、ここに来てくれ。そのときに、君の質問に答えよう」

「わかったわ。約束よ。絶対よ」

「改めて、ありがとう。久々におしゃべりができて嬉しかった。

 ……今晩も、楽しみにしてる」


 お化けはそう言って、その後すぐに色がより薄くなった。あっと思ったときには、お化けの姿はどこにもなく、ただ朝を知らせる鳥の声が、逆さ虹の森に響いていた。


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