【第二部:授業と実技のプロレス】前編
学園長からの『除籍宣告』という名の最後通牒は、アレンとリリアーヌをかつてない窮地へと追い込んだ。
だが、この二人が手を取り合うなど、太陽が西から昇るよりも有り得ない。
「……セバス、いいか。ゴールドベルク商会の帳簿の裏を洗え。あいつの放漫経営の証拠さえ掴めば、学園長もあのような成金の方をこそ追放すべきだと理解するはずだ」
放課後、校門の外で待機していたセバスに対し、アレンは車窓から声を潜めて命じた。
一方、その数メートル先。豪華な魔導駆動車の中では、リリアーヌがベルに詰め寄っていた。
「ベル、ヴォルザード家の『不名誉な記録』を一つ残らず掘り起こしなさい。あの男がいかに学園の品位を汚しているかを突きつければ、私一人が除籍を免れる道が開けますわ!」
主たちの命を受けた二人の従者は、無表情に一礼し、それぞれの馬車と車を見送った。
――数十分後。
学園近くの落ち着いた喫茶店の隅で、セバスとベルは向かい合って座っていた。
テーブルの上には、安価な白湯(セバス用)と、最高級のハーブティー(ベル用)が並んでいる。
「……お宅の主人は、相変わらず無茶を言いますな。没落貴族の執事に、商会の帳簿を盗めとは」
「こちらこそ。お嬢様は、ヴォルザード家の埃を叩けと仰せです。……叩いても出るのは本物の埃だけだというのに」
セバスが深く溜息をつき、ベルが微かに眉を寄せた。
主たちが互いを「蹴落とすべき敵」と見なす中、実務を担う従者たちは、既に「共倒れ」という最悪のシナリオを回避するために結託していた。
「除籍宣告……学園長の本気度は高い。あの二人を放っておけば、意地を張り合って共に退学届にサインすることになるでしょうな」
「同感です。お嬢様はアレン様の『精密な制御』がなければ、最新魔導具をまともに動かせない。そしてアレン様は、お嬢様の『リソース』がなければ、理論を具現化するための資金が足りない」
二人の従者は、主たちの「チートではない、純粋な技術的相性」を既に見抜いていた。欠けているのは、歩み寄るためのほんの少しのきっかけと、巨大すぎる自尊心の削り方だ。
「……では、まずは『偽の情報』を流しましょう。主たちが、お互いを『利用価値のある道具』だと思い込むように」
「よろしいでしょう。お嬢様には、アレン様が『実は商会の最新技術に深い関心を持っている』と伝えておきます。……実際は、ただの分解欲求でしょうが」
「私からは、リリアーヌ様が『ヴォルザード家の伝統様式を金で買い取りたがっている』と伝えましょう。坊ちゃまは憤慨し、交渉のために彼女に接触せざるを得なくなる」
従者たちは、主人の誇りと欲望を絶妙に操る「毒」を調合し終えると、静かにカップを置いた。
「それにしても、セバス殿。本日のアレン様の制服、背中の術式がかなり限界のようでしたよ」
「お恥ずかしい。リリアーヌ様が、もう少し魔力を『散らさずに』放出くだされば、余波で術式が解けることもないのですがな」
主たちが「偵察」と「弱点探し」に血道を上げている裏で、物語は従者たちの手によって、不本意な共同作業へと引きずり込まれようとしていた。
翌日。アレンとリリアーヌは、互いの従者から「敵の弱点」と称する偽の報告を受け、邪悪な笑みを浮かべて学園へと向かっていた。
「ふふふ……あの傲慢な成金め。まさか我が家の伝統様式を喉から手が出るほど欲しているとはな。交渉の席につかせて、資金を絞り出してやる」
「おーっほっほ! あの意固地な没落貴族、本当はゴールドベルクの最新技術に心酔していますのね。道具さえ与えて飼い慣らせば、私の奴隷も同然ですわ」
歪んだ期待を胸に登校した二人を待っていたのは、イザベラ先生の無情な宣告だった。
「今日の『合同術式構築』は二人一組で行います。……そうね、出席番号順でヴォルザード君とゴールドベルクさん、ペアを組みなさい」
「「…………は?」」
二人の顔から邪悪な笑みが消え、代わりに絶望が張り付いた。
実習の内容は、巨大な一枚の羊皮紙に二人で『雷撃の術式』を描き、起動させるというもの。一人が『骨組み』を、もう一人が『動力経路』を分担せねばならない。
「……致し方ない。ゴールドベルク嬢、貴様は動力だけ流していろ。僕が完璧な骨組みを描いてやる。貴様が欲しがっている、我が家の伝統様式だ」
「なんですって? 最新の黄金魔導ペンを持つ私こそが骨組みを描くべきですわ! あんたは隅っこでチマチマとマナの調整でもしていらして!」
開始早々、羊皮紙の中央で二人のペンがぶつかり合った。
アレンの筆致は、髪の毛一本分よりも細く、緻密だ。一方、リリアーヌの描く線は、豪快で魔力伝導率を重視した極太のもの。
「線が太すぎる! これではマナが逆流して暴発するぞ!」
「あんたの線こそ細すぎて、私の魔力が通る前に焼き切れてしまいますわ!」
不協和音は一ミリの隙間もなく教室に満ちた。
互いに「相手を利用してやろう」という下心があるせいで、普段よりも相手の術式に干渉しようとし、結果として術式は支離滅裂な迷路と化していく。
「くっ、術式が飽和する……! ゴールドベルク嬢、出力を抑えろ!」
「抑えてこれですわ! あんたこそ、もっと受け皿を広げなさいよ!」
臨界点に達した羊皮紙が、バチバチと青白い火花を散らした。
次の瞬間、教室内を震わせる轟音と共に、巨大な魔力ショートが発生。衝撃波が天井の魔導照明を直撃し、ガラスの割れる音と共に、教室内は完全な闇に包まれた。
「…………え?」
静寂。そして、誰かの短い悲鳴。
暗闇の中で、アレンとリリアーヌは至近距離で立ち尽くしていた。
「……貴様の……せいだ……。せっかくの術式が台無しではないか」
「……私のペンを……踏みましたわね? 弁償なさい、この貧乏貴族……」
暗闇の中でも、二人の喧嘩は止まらなかった。むしろ視覚が奪われた分、声のトーンは鋭さを増していく。
「大体、何が『伝統様式』だ。貴様のような粗忽者に教えるものなど何もない!」
「どの口が言いますの! あんたこそ、私の技術を盗もうとニヤニヤしながら近づいてきたくせに!」
暗闇の中、隣の席で様子を窺っていたカイルが、小声でヨハンに囁いた。
「……あいつら、暗闇でも正確に相手の方向を向いて言い合ってるな」
「ああ……ある意味、完璧な同調だよ」
結局、停電が復旧するまで二人の罵り合いは続き、イザベラ先生によって「停電中の風紀を乱した」という追加の罰則が与えられた。
夕暮れ。重い足取りで校門を出たアレンは、待機していたセバスを鋭く睨みつけた。
「……セバス。あの女、伝統の『で』の字も興味がなかったぞ。どういうことだ」
「おや、それはおかしな。……もしや、お嬢様もまた、あの方なりの『伝統』という名のプライドをお持ちだったということでは?」
セバスは涼しい顔で、絶妙な嘘の言い訳を並べる。
二人の従者による「不本意なマッチング作戦」は、まだ始まったばかりであった。
◇◇
学園祭の前哨戦とも言える「中等部親睦晩餐会」を控え、演習場は優雅な音楽が流れる舞踏練習場へと姿を変えていた。
この授業の目的は、魔法騎士としての教養を問う「礼法」の習得。だが、アレンとリリアーヌにとっては、互いの「品格」を叩き潰すための新たな決闘場に過ぎない。
「……ふん。ダンスとは歩法の延長。軸をブラさず、マナの波に乗るのがヴォルザードの流儀だ」
アレンはカイルを相手にしたステップ練習で、非の打ち所がない所作を見せていた。
しかし、その優雅な動きの裏で、彼は冷や汗を流している。今日の制服は、セバスが昨晩徹夜で修繕したばかりだが、連日の喧嘩による疲労で繊維が限界を迎えていた。
一歩踏み込むたび、背筋を伸ばすたび、衣擦れの音に混じって「ギ、ギギ……」と不穏な術式の軋みが脳内に直接響く。
「あら、ヴォルザード様。随分と慎重なステップですこと。壊れ物を扱うような腰の引け方、見苦しいですわよ?」
リリアーヌが、扇子を優雅に揺らしながら近づいてきた。
彼女のドレスの裾には、最新の『姿勢制御補助魔導具』が組み込まれている。本人の意思とは無関係に、最適かつ最も美しい角度へ関節を矯正する高価なガジェットだ。
「……言ってくれるな、ゴールドベルク嬢。機械に手足を動かされている貴様に、真の『静と動』は理解できまい」
「なんですって? 最新の技術は、伝統が百年かけて辿り着く美を瞬時に再現しますのよ! ベル、出力最大に設定なさい!」
意地になったリリアーヌが、補助魔導具の感度を上げた。
その時、教官から「ペアを入れ替えての最終演習」という非情な号令が飛んだ。
互いに最悪な顔をしながら、アレンがリリアーヌの手を取る。
音楽のテンポが上がり、激しいワルツが始まった。
(……くっ、この動きはまずい! 背中の固定術式が……!)
アレンがリリアーヌをリードし、大きくスピンさせた瞬間、彼の背中で「パヂィィン!」と乾いた音が弾けた。
術式が物理的な張力に負け、制服の背中が縦に一文字、一気に裂けたのだ。
「っ……!!」
アレンは驚愕に目を見開いたが、持ち前の気合で表情を殺した。今、腕を離せば全生徒の前でボロ布のような背中が露出する。彼はリリアーヌを逃がさず、逆に強引に引き寄せて密着させた。
「な、何ですの急に! 近すぎますわよ!」
「……黙れ、離れるな! これは……その、新しいステップだ!」
一方、リリアーヌの魔導具も異常を検知した。
至近距離にあるアレンの「焦りと怒りのマナ」を、魔導具が「ダンスの激しい要求」と誤認。リリアーヌの脚を無理やり跳ね上げさせ、アレンの脛を蹴り飛ばそうとする。
「ちょ、止まって! 足が勝手に……! きゃあぁ!」
「痛っ……貴様、ダンスに乗じて僕を暗殺する気か!」
背中を死守するためにリリアーヌを抱え込むアレンと、暴走する補助装置によってアレンに回し蹴りや膝蹴りを食らわせ続けるリリアーヌ。
優雅なはずのワルツは、いつしか「密着状態での近接格闘術」へと変貌していた。
「離しなさい、この変態貧乏貴族!」
「離せるか! 貴様の暴走を止めるまで……くっ、足が、僕の脛が……!」
演習場の中央で、泥仕合を繰り広げる二人。
それを見ていたイザベラ先生は、額を押さえて深く溜息をついた。
「……伝統と革新の融合ね。まさか社交ダンスが、命の削り合いに見える日が来るとは思わなかったわ」
結局、二人は「礼法の著しい逸脱」として揃って居残りを命じられた。
夕暮れの校門前。
「……お嬢様。その最新魔導具、修理に出さねばなりませんね。……というか、アレン様の脛を狙い撃つプログラムなど、いつインストールされたのですか?」
「そんなのあるわけないでしょう! あの男の魔力が、私のドレスを狂わせたんですわ!」
一方、アレンはセバスに背負われるようにして馬車へ。
「……セバス。背中が死んだ。それと、脚の骨が……ヒビが入ったかもしれん」
「坊ちゃま……誇りを守るのも、命がけですな」
中等部晩餐会まで、あとわずか。
二人の足並みは、一ミリも揃わないまま夜へと消えていった。
◇◇
学園の喧騒を離れ、アレン・ヴォルザードは王都の裏通りにある「魔導ジャンク市場」を歩いていた。
ここには正規店では扱われない、曰く付きの魔石や、型落ちの魔導部品が並ぶ。アレンの目的は、晩餐会で披露する魔法演武の触媒となる『翠風石』の安値品だ。
「……ふむ。表面に傷はあるが、芯のマナは死んでいない。店主、これを五十銅貨で――」
「おーっほっほ! 随分と慎重な買い出しですこと。そんな欠けの目立つ石、うちの猫の遊び道具にもなりませんわよ?」
聞き慣れた高笑いに、アレンの肩が跳ねた。
リリアーヌ・ゴールドベルクが、ベルに日傘を差させ、市場の泥を避けるように優雅に(そして場違いに)立っていた。
「……また貴様か。なぜこんな掃き溜めのような場所にいる」
「商人の娘として、市場調査は基本ですわ。それに、あんたが変なガラクタを買って学園の恥を晒さないか、見張って差し上げているの」
リリアーヌはアレンが手にしていた石を一瞥すると、店主に向かって黄金のカードを突き出した。
「店主。この棚にある『翠風石』、全部買い取りますわ。今すぐ梱包なさいな」
「は、はいっ!? お嬢様、ありがとうございます!」
アレンの顔が屈辱で歪んだ。
「……待て! 僕は今、これの交渉をしていたのだ。買い占めは商道の禁じ手だろう!」
「あら、売買が成立するまでは自由競争ですわ。あんたが五十銅貨を惜しんでいる間に、私が正当な価値(札束)を示した。それだけのことですわよ」
リリアーヌにとって、これは第3話でのパン争奪戦の「お返し」のつもりだった。あの時、エリート生徒に「独占の禁止」を説かれた彼女は、今回は「正規の商取引」という形でアレンを圧倒しようとしたのだ。
しかし、ここは学園ではない。海千山千の商人が集う市場だ。
二人の言い争いに、不機嫌そうな声が割り込んだ。
「おい、そこらのお坊ちゃんにお嬢ちゃん。うちの店先で派手にやってくれるじゃねえか」
現れたのは、腕組みをした大柄な店主だった。彼はリリアーヌの黄金のカードを鼻で笑い、アレンのボロ制服を冷たく見下した。
「お嬢ちゃん、金がありゃ何でも買えると思ってるなら、表通りの宝石店へ行きな。うちは『目利き』と『礼儀』がねえ客には、石一個売る気はねえんだ」
「な、なんですって!? 私を誰だと思って……」
「そしてそっちの坊主。五十銅貨まで値切るのは勝手だが、次に客が待ってる時に粘るんじゃねえ。市場の回転を止めるのは、それこそ商道への冒涜だ。二人とも、さっさと失せな!」
アレンとリリアーヌは、開いた口が塞がらないまま、店から文字通り「叩き出された」。
あとに残ったのは、目的の石を手に入れ損ねた空虚感と、一般平民の店主に正論で論破されたという強烈な屈辱だけだ。
「…………」
「…………」
裏通りの曲がり角で、二人はしばらく無言で立ち尽くしていた。
「……貴様のせいで、目当ての触媒が買えなかった。一〇〇銅貨をケチった罰だと言うのか、運命は」
「私こそ、あんな無礼な店主に侮辱されるなんて……あんたがみっともなく値切るから、私も同類だと思われたんですわよ!」
二人は互いに顔を真っ赤にして睨み合い、別々の方向へと歩き出した。
帰路。セバスが御者を務める馬車の中で、アレンは拳を握りしめていた。
「……セバス。金がなければ侮られ、あっても傲慢だと撥ねつけられる。市場とは、なんと理不尽な場所だ」
「坊ちゃま……。あの店主、実は筋を通す男として有名でしてな。お二人の『学園内での甘え』を見抜かれたのでしょう」
一方、リリアーヌは車内でベルに愚痴をこぼしていた。
「ベル! 次はあの店ごと買い取って、あの店主を私の専属靴磨きにしてやりますわ!」
「お嬢様。……まずは、アレン様と同じ『掃き溜め』に立ち寄ったという事実を、反省すべきかと」
一〇〇銅貨の恨みは、市場の洗礼によって、より複雑な「共同の屈辱」へと変わっていった。




