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お湯を紅茶に見せかける没落貴族とポーションで顔を洗う成金令嬢、どっちが真のエリートか決めようじゃないか  作者: 寝不足魔王


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【第一部:遭遇と生活格差の提示】前編

 聖ロイヤル・マグヌス魔法学院の図書室は、知の集積地であると同時に、静寂を何よりも尊ぶ聖域だ。

 アレン・ヴォルザードは、その最奥、埃の舞う棚の前で一冊の古書を見定めていた。『マナにおける極小単位の指向性理論』――ヴォルザード男爵家が没落の淵から這い上がるために必要な、精密魔力制御の極意が記された希少本だ。


「……見つけたぞ。これで、無駄なマナの消費をさらに一割は削れる」


 アレンが指先を伸ばした、その時だった。

 棚の反対側から、装飾過多な宝石を散りばめた指が、同じ本の背表紙を捉えた。


「あら、ようやく見つけましたわ。最新の魔導出力理論を補完するには、この程度の古い資料も目を通しておかなくてはね」


 聞き流せぬ、鈴を転がすような、しかし傲慢な響きを含んだ声。

 アレンは棚の隙間から、反対側に立つ少女を睨みつけた。縦巻きロールの金髪、そして見るからに高価そうなレースをあしらった制服。リリアーヌ・ゴールドベルク。大陸一の富を誇る商会の令嬢であり、アレンが最も苦手とする「成金」の象徴だ。


「……手を離してもらおうか、ゴールドベルク嬢。それは僕が先に目をつけていたものだ」

「あら、ヴォルザード様。先に触れたのは私ですわ。没落したお家柄では、動体視力まで衰えてしまったのかしら?」


 アレンは無言で指先に魔力を集中させた。空気中のマナを極限まで圧縮し、物理的な接触を介さず本を手元に引き寄せようとする。伝統的な古式魔法の高等技術だ。

 対してリリアーヌは、勝ち誇ったように手首のブレスレットを叩いた。


「無駄ですわ。最新式、引力増幅の魔導具(ゴールドベルク製)――起動!」


 突如として、図書館の静寂を不快な機械音が切り裂いた。強力な魔導的吸引力が本をリリアーヌ側へと引き込む。


「貴様……! 静粛な場でこれほどマナを撒き散らすとは、教育に欠けるのではないか!」

「効率の悪い魔法をネチネチと練る方が、よほど時間の無駄ですわ!」


 本が左右から引っ張られ、今にもページが悲鳴を上げようとしたその時、「静かにしなさい!」という司書官の雷が落ちた。

 結局、本は一時没収。二人の手には何も残らなかった。


「……ふん。文字が読めるうちに、その野蛮な道具を捨てておくことだな」

「あら、骨董品のようなプライドを守るために、飢え死にしないようお気をつけあそばせ?」


 互いに背を向け、毒を吐き散らしながら図書室を去る。それが、二人の最悪なファーストコンタクトだった。


 翌日。屋外演習場。

 初夏の日差しが降り注ぐ中、競技魔法授業『浮遊標的撃墜』が行われていた。

 ランダムに飛び交う小型の魔導標的を、どれだけ正確に、あるいは強力に撃ち抜くかを競う。


「一撃に魂を込めよ。余剰なマナは魔法の美しさを損なう」


 伝統派のグラハム教授が教鞭を振るう中、生徒たちが順番に射線に立つ。カイルをはじめとする一般生徒たちも、それぞれの技術で標的を落としていくが、やはり注目はアレンとリリアーヌに集まっていた。

 運命の悪戯か、二人の射線は隣同士。


「……また貴様か」

「こちらのセリフですわ」


 アレンは腰の古い杖を構えた。傷一つないように手入れされているが、型は数世代前。彼は周囲のマナを、一本の細い「針」へと変換していく。

 リリアーヌは、魔石を十数個スロットに装填した、大砲のような魔導杖を肩に担いだ。


『開始!』


 合図とともに、空中に百の標的が放たれた。

 アレンの動作は速かった。最小限の予備動作から放たれる極細の魔弾。それは標的の装甲を貫くのではなく、中枢の駆動核だけを精密に撃ち抜いていく。一射一殺。


「……甘いですわ!」


 リリアーヌが引き金を引く。直後、豪奢な爆音とともに、数十発の魔力弾が扇状に放射された。それは標的の動きを予測する必要すらない。空間そのものを飽和させる「弾幕のカーテン」だ。


 ズドォォン! と演習場に土煙が舞う。


「なっ……! 貴様、僕の射線を爆風で乱すな!」

「あら、そんなそよ風程度で狙いが狂うなんて、繊細すぎて扱いに困りますわね!」


 アレンは舌打ちし、リリアーヌの弾幕が届くわずかな「隙間」を見極めた。彼女が空間を潰す直前、その針のような弾を弾幕の合間に通し、リリアーヌが狙っていた中心の標的を次々と先に仕留めていく。


「な……私の獲物を掠め取ったわね!?」

「効率を重視するのだろう? 僕が先に壊した方が、リソースの節約になる」


 その後は、もはや授業とは呼べない泥仕合だった。

 リリアーヌが広範囲を焼き払えば、アレンがその中心を射抜く。

 アレンが狙いを定めれば、リリアーヌが魔石を使い捨てて強引に標的ごと空間を爆破する。


「そこまで!」


 グラハム教授の声が響いた時には、演習場の標的はすべて鉄屑と化していた。

 スコアは、奇跡的なまでの同点。


「アレン。技術は美事だが、効率を求めすぎて火力が足りん。リリアーヌ。出力は圧倒的だが、あまりに粗雑だ」


 教授の冷徹な評価に、二人は同時に顔を背けた。


「……次は、そのガラクタごと撃ち抜いてやろう」

「おーっほっほ! 掃除の手間が省けてよろしくてよ!」


 学園の門を出る際、アレンはセバスが待つ、塗装の剥げたヴォルザード家の馬車へ乗り込む。

 リリアーヌはベルが扉を開ける、最新の魔導駆動車へと優雅に収まる。


 車窓越しに視線がぶつかり、火花が散る。


 ◇◇


 放課後、夕陽が差し込む学生サロンは、生徒たちが一日の疲れを癒やす社交の場だ。

 アレン・ヴォルザードは、窓際の席で背筋を伸ばし、愛用のティーカップを優雅に持ち上げていた。

 カップの中から立ち上るのは、気高く、それでいてどこか幻想的な紅茶の香り――。


「……ふむ。今日の蒸らし加減は完璧だ。この『幻影の竜牙ドラゴントゥース』、やはり香りの広がりが違うな」


 アレンが満足げに目を細める。だが、彼のカップを満たしているのは、食堂の片隅で汲んできたただの「白湯」である。

 彼は指先から微細なマナを放出し、自らの嗅覚と視覚にのみ作用する幻惑魔法を展開していた。一滴の茶葉も使わず、精神の力だけで最高級のティータイムを再現する――没落貴族のプライドが産んだ、涙ぐましい生活魔法の極致であった。


 そこへ、場にそぐわない傲慢な靴音が響いた。


「あら、鼻が曲がるかと思いましたわ。随分と……『薄い』香りが漂っていますのね?」


 声の主はリリアーヌ・ゴールドベルクだった。彼女の後ろには、銀のトレイを捧げたメイドのベルが控えている。

 リリアーヌはアレンの対面の席に勝手に座ると、ベルに目配せをした。


「ベル。本物の香りというものを、このサロンの皆様に教えて差し上げなさいな」

「かしこまりました、お嬢様」


 ベルが恭しく取り出したのは、黄金色に輝く茶筒だった。蓋が開けられた瞬間、サロン中の空気が一変する。

 それは、大陸の東端でしか採取できないとされる伝説の茶葉『黄金のゴールド・ドロップ』。一グラムで金貨一枚に匹敵する、正真正銘の贅沢品だ。


「っ……!?」


 アレンの顔が引き攣った。強烈で芳醇な本物の香りが、アレンの繊細な幻惑魔法を物理的に、そして概念的に塗りつぶしていく。

 彼の「脳内紅茶」は、本物の香りの暴力に晒され、今やただの温かい水へとその正体を露呈させようとしていた。


「どうしたのかしら、ヴォルザード様? 急にお顔の色が悪くなって。……あら、お宅のカップ、随分と澄み切った色をしていますのね? まるでただの『お湯』のようですわ」


 リリアーヌが扇子を広げ、勝ち誇ったように笑う。

 アレンは冷や汗を流しながら、必死にマナを練った。指先の魔法が震える。本物の香りと戦いながら、視覚的な偽装を維持するのは至難の業だ。


「……愚問だな、ゴールドベルク嬢。これは『透視の境地』に至った高潔な茶葉だ。凡俗の目には、ただの水に見えるのも無理はない」

「へぇー。それ、一口飲んでみてもよろしいかしら? 私の『黄金の雫』と交換で」

「断る! 貴様のような、マナを金で買う者にこの繊細な風味が分かってたまるか!」


 実際は、一口でも飲まれれば味が「ただの白湯」であることが一発でバレる。

 アレンは胃をキリキリさせながら、震える手でカップを口に運んだ。味覚魔法を全力で稼働させ、「これは紅茶だ、これは紅茶だ」と自らに暗示をかける。


 一方、リリアーヌはベルが淹れた完璧な紅茶を一口啜り、溜息をついた。


「やはり本物は落ち着きますわ。……そういえばアレン様。その『透視の茶葉』、どこで手に入りますの? ゴールドベルク商会で取り扱って差し上げてもよろしくてよ?」

「……我が家秘伝の品だ。貴様の店に並ぶような下俗な代物ではない」


 その時、アレンのお腹が「ぐぅ〜」と小さく情けない音を立てた。

 昼食を抜き、白湯で空腹を紛らわしていた代償だ。


 静まり返るサロン。

 リリアーヌの目が、三日月のように細められる。


「あら。伝統あるお腹の虫は、随分と景気の良い音を鳴らしますのね」

「……これは、体内のマナが共鳴している音だ。空腹などではない」


 アレンは残りの白湯を一気に飲み干し、立ち上がった。


「失礼する。これ以上、俗な香りに当てられては僕の感覚が鈍る」


 早足でサロンを去るアレン。その後ろ姿に、リリアーヌの楽しげな高笑いが追いすがった。

 

 寮の自室に戻ったアレンは、出迎えたセバスに深く溜息をついた。

「……セバス。今日の夕食は何だ」

「坊ちゃま。本日は庭で良質な『ミント・グラス』が採れましたので、そのスープにございます」

「……そうか。ならば、それを『特製コンソメ』に見せる魔法の練習を始めるとしよう」


 没落貴族の夜は、まだ長い。


 ◇◇


 学園の購買部は、昼休みともなれば魔法理論の議論よりも熱い「戦場」と化す。

 アレン・ヴォルザードは、人混みを縫うようにしてパンの陳列棚へと突き進んでいた。彼の狙いはただ一つ。前日の残り物ゆえに「一〇〇銅貨」まで値下げされた『堅焼き黒パン』の最後の一袋だ。


(……これさえ手に入れば、セバスの工夫次第で三日は食い繋げる。負けられん)


 アレンの指先が、カサリと袋の端を捉えた。

 だが、同時にその上から、白手袋に包まれた柔らかな手が重なった。


「見つけましたわ。この独特な硬さ、魔力を練る際の歯固めに丁度よろしいですわね。ベル、これをお店にある分すべて買い取りなさいな」


 現れたのは、リリアーヌ・ゴールドベルクだった。彼女はアレンの切実な視線など露知らず、扇子でパンの山を指し示す。


「……待て、ゴールドベルク嬢。それは僕が先に掴んだ。それに、買い占めとは感心しないな。他者の需要を無視するのは商人の娘としていかがなものか」

「あら、アレン様。需要があるなら、相応の対価を支払う者が優先される。それが経済の鉄則ですわ。たかだか数百銅貨の端金はしたがねで、私に説教をなさるつもり?」


 リリアーヌにとって、一〇〇銅貨は財布の底に溜まる塵に等しい。だがアレンにとっては、貴族の矜持を維持するための生命線である。


「端金だと……!? 貴様、一〇〇銅貨あればどれだけ精密な触媒が買えると思っている! マナの重みを知らぬ成金め、その無知こそが罪だ!」

「なんですって!? 効率の悪い旧時代の家計術を押し付けないでくださる? ベル、倍の値段を出しなさい!」


 二人が一袋のパンを巡ってマナを散らし、一触即発の空気が流れたその時だった。


「……お二人とも、そこまでにしてはどうですか」


 静かだが、理知的な声が二人を遮った。

 声の主は、図書委員を務めるエリート候補生、ヨアヒムだった。彼は整えられた眼鏡のブリッジを押し上げ、二人の間に割って入る。


「ヴォルザード君。君の言う『一粒のマナの重み』という精神論は、古典魔導学的には興味深い。だが、ここは公共の購買部だ。個人の家計事情を魔法技術の議論にすり替えて占拠するのは、紳士の振る舞いとは言えないね」

「っ……」

「そしてゴールドベルクさん。君の言う『対価による優先権』は市場原理としては正しい。しかし、学園規定第十二条『購買物品の過度な独占の禁止』に抵触する恐れがある。資産の暴力で他者の学習機会(この場合は栄養摂取だが)を奪うのは、真のエリートがなすべき事ではない」


 ヨアヒムの言葉には、侮蔑はない。ただ、学園の秩序を守る者としての「正論」があった。

 周囲の生徒たちも、ヨアヒムの言葉に頷く。彼らはアレンやリリアーヌを馬鹿にしているのではなく、ただ「騒がしい特別生」として冷静に、客観的に評価していた。


「……規律を乱すつもりはなかった」

「……そうですわね。少し、熱くなりすぎましたわ」


 二人がバツが悪そうに手を離した瞬間。

 横から伸びてきた別の生徒の手が、ひょいとパンの袋を回収した。


「あ、これ最後の一つ? ラッキー。じゃ、お先に」


 呆然とするアレンとリリアーヌの前で、パンは会計へと運ばれていく。


「…………」

「…………」


 目的を失った二人の間に、気まずい沈黙が流れる。


「……貴様が余計な買い占めを宣言するからだ」

「あんたが変なこだわりで粘るからでしょう!」


 結局、二人は空腹とイライラを抱えたまま、別々の方向へと歩き出した。

 ヨアヒムは彼らの背中を見送りながら、手帳に静かに書き留めた。

『ヴォルザード、ゴールドベルク。実力は認めるが、生活能力において著しく情緒不安定。要観察』


 エリートたちの冷静な視線の中で、二人の空回りする日常は続いていく。




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