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お湯を紅茶に見せかける没落貴族とポーションで顔を洗う成金令嬢、どっちが真のエリートか決めようじゃないか  作者: 寝不足魔王


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【第七部:共鳴する心、恋の侵食】後編

 学園長による除籍勧告を回避し、共感覚の契約を結んでから数週間。アレン・ヴォルザードは、自習室の片隅で古文書を広げていたが、ペンを握る指先が僅かに震えていることに気づいた。


(……静かすぎる。なぜ、これほどまでに落ち着かないのだ)


 リリアーヌが今、この部屋にはいない。回路を通じて伝わってくるのは、彼女が遠くの教室で受けている講義の「退屈な眠気」と、微かな「ペンの振動」だけだ。

 これまではそれを「汚染」と忌み嫌っていたはずだった。だが、いざ彼女が視界から消え、感覚の繋がりが一定のリズムで安定してしまうと、アレンは得体の知れない「心の空白」に苛まれていた。


「――ねえ、アレン様。さっきの課題、少し教えていただけないかしら?」


 不意に、クラスの女子生徒がアレンの席に近づき、親しげに声をかけてきた。

 アレンが事務的に顔を上げ、対応しようとしたその瞬間。


 ドクン、と。

 自分の心臓ではない場所から、強烈な「不快感」が逆流してきた。


「っ……、ぐ……」

 アレンは胸を押さえた。回路を通じて、リリアーヌの凄まじい「苛立ち」が伝わってきたのだ。

 数分前まであんなに眠そうにしていた彼女のマナが、突如として牙を剥いたように逆立ち、アレンの神経を激しく刺してくる。


(貴様……ゴールドベルク嬢! なぜ急にそんな怒りのマナを流す! 邪魔だ!)


 一方、別の校舎で講義を受けていたリリアーヌもまた、自分のペンを握りつぶさんばかりに力を込めていた。

 回路を通じて、アレンの周囲に「知らない誰か」の体温が近づいた感覚が伝わってきたからだ。アレンがその女子生徒に向けた、僅かな「丁寧なマナの揺らぎ」が、リリアーヌの胃を焼け付くように苛立たせる。


「……何ですの、この嫌な感じ。あんな貧乏貴族に誰が近づこうと、私の知ったことではありませんのに……っ、マナが、マナが止まらないわ!」


 リリアーヌは扇子を広げ、自分の顔が熱くなっているのを隠した。

 これは嫉妬ではない。自分の共有している領域に、不純な他者が踏み込んできたことへの、防衛的な拒絶反応だ。リリアーヌはそう自分に言い聞かせた。


 アレンもまた、女子生徒を早々に追い払い、乱れた呼吸を整えていた。

 彼女が去った後、リリアーヌの怒りがスッと引いていくのが伝わり、代わりに「満足げな拍動」が回路を潤していく。


(……やれやれ。これでは、まともに他人と会話もできん)


 アレンは溜息をついた。

 相手の熱量が、日常の境界線を、本人の承諾なく侵食し始めている。

 知らないはずの熱。認めたくない繋がり。

 二人の心は、こうした逃げ場のない不快感から、形を変えようとしていた。


 学院の放課後、人影のまばらな廊下で、アレンとリリアーヌは突き当たりの角で不意に鉢合わせた。

 普段なら即座に罵声が飛び交うはずの場面。だが、二人は同時に言葉を失い、その場に立ち尽くした。


 相手の存在が回路を通じて常に内側に居座っているせいで、実物を至近距離で目撃した瞬間、脳が予期せぬ過剰な反応を示したのだ。


(……くっ、何だ。なぜ、これほどまでに胸が騒ぐ)


 アレンは自分の鼓動が不自然に加速するのを感じた。目の前で夕日に照らされ、少しだけ髪を乱したリリアーヌの姿が、妙に鮮明に映る。

 だが、その動悸は即座に契約の鎖を駆け抜け、リリアーヌへと「暴露」された。


「……ヴォルザード様。あんた、……何をそんなに、心臓をバクバクさせていますの? 私の中に、あんたの不快なまでの脈動が流れ込んできて、酔いそうですわよ」


 リリアーヌは顔を真っ赤にし、扇子で口元を覆いながら睨みつけた。

 しかし、彼女の指摘は即座に自分に返る。リリアーヌ自身の心拍数もまた、アレンの動悸に引きずられるように跳ね上がり、その「熱」がアレンの肌を直接焼いていたからだ。


「貴様こそ、その顔の赤さは何だ。……心拍数が、僕と完全に同期しているぞ。マナを無駄に浪費するなと言ったはずだ」

「これは……これは、あんたのその、汚らわしい動悸が私に伝染しただけですわ! 私は一ミリも、これっぽっちも、意識なんてしていませんことよ!」


 二人は互いに距離を置こうと一歩下がった。だが、物理的に離れても、回路を通じて共有される『高揚感』は、逃げ場のない真実として脳に刻まれる。


(……黙れ。この心音を、奴に聞かせるな……!)

(……鎮まりなさい。こんな、……貧乏人の拍動に合わせるなんて、私の誇りが許しませんわ……!)


 必死に感情を押し殺そうとすればするほど、共感覚は無慈悲に「相手が自分を意識している」という事実を、鮮烈な熱量として突きつけてくる。

 

 廊下に響くのは、二人の荒い呼吸と、不気味なほどに重なり合った、激しい二つの鼓動の音だけだった。

 それはかつての憎悪による興奮とは明らかに異なる、正体不明の「熱」の共有。


「……セバスを、待たせている。……行くぞ」

「……ええ、私もですわ。……ベルに、この異常な熱を冷ましてもらわなくては」


 二人は逃げるように逆方向へと歩き出した。

 だが、別れてもなお、回路の向こうで自分と同じ激しさで鳴り続ける相手の鼓動を、二人は否定しきれずにいた。


 学園のテラス席。ミーナは一冊の手帳を広げ、目の前に座るアレンとリリアーヌを、品定めするような目で見つめていた。

 二人は互いに顔を背け、不機嫌を絵に描いたような顔で座っているが、ミーナの目の前にある「魔導心拍計」の針は、二人の鼓動が寸分の狂いもなく重なっていることを示していた。


「ねえ、二人とも。最近、原因不明の動悸や顔の火照りに悩まされていませんこと? ……実はこれ、学術的に非常に興味深いデータが出ているの」


 ミーナが手帳を叩き、二人に突きつけたのは『恋の病に関する魔導的考察』と題された自作の診断書だった。


「あんた、何を勝手なことを! これは契約によるマナの干渉、いわば魔力的な拒絶反応ですわ!」

「そうだ。貴様の浅薄な推測など不要だ。僕たちはただ、不本意な同調シンクロを強いられているだけに過ぎない」


 二人は同時に声を上げたが、その瞬間に互いの回路から溢れ出したのは「図星を突かれた際の激しい動揺」だった。

 アレンの脳裏にはリリアーヌの「焦り」が、リリアーヌの脳裏にはアレンの「狼狽」が、かつてない熱量で流れ込む。


「あら。拒絶反応にしては、二人の心拍の波形が『愛の旋律』と同じ周波数を描いていますわよ? ほら、アレン様がリリアーヌの指先に視線を落とした瞬間、心拍数が一〇も跳ね上がりましたわ」


「なっ……! それは、奴がまた高価な指輪を弄んで、マナを無駄遣いしていないか監視していただけだ!」

「私だって……! あんたがそのボロ布のような袖口を気にして、私の視界を汚さないか見ていただけですわ!」


 必死の弁明。だが、ミーナは冷徹にペンを走らせる。

「ふふ。言い訳をすればするほど、お互いの回路に『心地よい羞恥』が蓄積されているのが分かりますわ。……これはもう、魔法技術では説明できない段階に入っていますわね。おめでとう、二人とも」


「……何が、おめでとうだ。貴様、後で覚えていろ……」

「ベル! ミーナを今すぐ連れ出してくださる!? この女、妄想が過ぎますわ!」


 二人は喚き散らしながら席を立ったが、回路を通じて伝わってくるのは、互いの「隠しきれない意識」がもたらす、焼け付くような熱だった。

 ミーナの診断書という名の「真実」は、二人の理論武装を内側から確実に崩し始めていた。


 夕暮れ時のヴォルザード邸。セバスは厨房で、アレンに供する夕食の献立を前に、静かに眉を動かした。

 主が注文したのは、いつもの「質素を極めた野草のスープ」ではない。


「……坊ちゃま。今夜は、味の濃いソースを添えた肉料理を、と?」

「……ああ。いや、その……最近、魔力消費が激しくてな。少しばかり、……脂気のあるものが、無性に欲しくなっただけだ」


 アレンは目を逸らしながら答えた。だが、セバスには分かっていた。リリアーヌが昼間に食べていた「豪華なロースト」の感覚が契約を通じてアレンに居座り、主の味覚を「成金仕様」に書き換えていることを。


 一方、ゴールドベルク邸の食卓。リリアーヌは目の前に並ぶ極上のフルコースを前に、スプーンを置いて溜息をついた。

「……ベル。これ、下げなさいな。……なんだか、もっと……こう、素材の味が直接するような、……噛み応えのある『根っこ』のようなものが食べたい気分ですわ」


「お嬢様。……まさか、アレン様の夕食に影響されておいでなのですか?」

 ベルの冷徹な指摘に、リリアーヌは顔を真っ赤にして立ち上がった。

「そんなわけないでしょう! 私はただ、最新の健康法として粗食に興味が出ただけですわ!」


 翌朝、学園に向かう馬車と車の傍らで、セバスとベルは数瞬だけ視線を交わした。

「……ベル殿。お嬢様は、昨夜『野草の煮込み』を口にされたそうで?」

「……左様です、セバス殿。……そちらの坊ちゃまも、ゴールドベルク特製のソースを欲しがったとか」


 二人の従者は、主たちの「変容」を静かに観察していた。

 それは単なる感覚の共有を超え、互いの好みを、ひいては存在そのものを、身体が「欠かせない一部」として求め始めている兆候だった。


「……拒絶していたはずの他者の色に、自ら染まりに行くとは。……恋の毒とは、どんな禁忌魔法よりも恐ろしいものですな」

「……ええ。……ですが、あの意固地な主人たちがそれを認めるまで、あとどれほどの設備が壊されることになるやら」


 従者たちは、主人の成長を喜ぶ親のような、あるいは手のかかる子供を眺めるような溜息をつき、それぞれの役目へと戻っていった。

 

 学園の門をくぐるアレンとリリアーヌ。

 二人はまだ、自分たちの「胃袋」さえもが、既に相手に奪われていることに気づいていなかった。


 学園の放課後。夕闇が校舎を長く引き延ばし、人影が消えた演習場に、アレンとリリアーヌは二人きりで立っていた。

 かつてのように魔法を撃ち合う音はない。ただ、冬の訪れを予感させる冷たい風が、二人の間を吹き抜けていくだけだ。


「……冷えるな」

「……そうですわね。……あんたの足元から、冷えが伝わってきて不快ですわ」


 アレンが呟けば、リリアーヌが反射的に毒づく。だが、その声にトゲはない。

 契約の鎖を通じて伝わってくるのは、もはや「侵食」という名の苦痛ではなかった。アレンの指先の冷たさをリリアーヌが自分の体温で温めようと無意識にマナを巡らせ、リリアーヌの微かな孤独をアレンが静かな魔力の波動で包み込む。

 それは、言葉を介さない「共生」の完成形だった。


「ゴールドベルク嬢。……僕は、貴様が嫌いだ。その傲慢さも、金で全てを解決しようとする無粋さも」

「私もですわ、ヴォルザード様。あんたのその陰気なプライドも、一銅貨を惜しむ浅ましさも、反吐が出ますわよ」


 二人は向き合い、至近距離で互いの瞳を見つめた。

 罵り合いながらも、回路を通じて流れ込んでくるのは、相手を失うことへの耐え難い恐怖と、隣にいることへの絶対的な安らぎ。

 もはや「好き」などというありふれた言葉では、この魂の密着を表現することはできなかった。


「……だが。……この心音を止める権利は、僕にしかない」

 アレンがリリアーヌの手首、鎖の紋章が刻まれた場所を、壊れ物を扱うような手つきで握った。

「……貴様が倒れれば、僕も倒れる。……ならば、貴様が死ぬその瞬間まで、僕がその命を『管理』してやる」


「……随分と、傲慢なプロポーズですわね」

 リリアーヌは顔を真っ赤にしながらも、その手を振り払わなかった。

「よろしいでしょう。……あんたのそのボロ布のような人生、私が最高級の輝きで塗り固めて差し上げますわ。……死ぬまで、私の隣で、私の感覚に酔い痴れていなさいな」


 アレンがリリアーヌを引き寄せ、二人の額が重なった。

 回路が白熱し、二人のマナが完璧な円環を描いて溶け合う。

 

 伝統と革新、没落と成金。

 交わるはずのなかった二つの運命は、不本意な契約の果てに、誰にも引き剥がせない一対の真理へと辿り着いた。


「……セバス、見てるか。僕は……最悪の契約をしてしまった」

「おーっほっほ! ベル、聞きまして? 私、一生この貧乏人と感覚を分け合うことになりましたわ!」


 遠くで見守る従者たちに向け、二人はいつものように叫んだ。

 甘くない、けれど世界で一番深く結ばれた二人の、騒がしい「日常」は、これからもどこまでも続いていく。


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