【第四部:学園の年中行事】前編
学院の掲示板の前で、アレンとリリアーヌは同時に絶望の声を漏らした。
張り出された『マグヌス祭実行委員会・運営補佐』の名簿。その最上段に、不吉なほど太い文字で二人の名前が並んでいた。
「……何かの間違いだ。なぜ僕が、祭りの喧騒を仕切るなどという非生産的な役に」
「私のセリフですわ! 私の貴重な放課後を、こんな雑務に費やせというのですか!?」
二人が抗議のために学園長室へ乗り込もうとした瞬間、背後からイザベラ先生の涼やかな声が響いた。
「あら、不服かしら? これは学園長からの『社会奉仕活動』という名の強制指令よ。これまでの破壊活動と不毛な喧嘩の免罪符だと思って、謹んで拝命しなさい」
抗弁の余地はなかった。
その日の放課後。実行委員会の会議室には、各クラスのエリートたちが集まっていた。アレンとリリアーヌは、会議室の両端に分かれて座ったが、契約の鎖は容赦なく相手の不機嫌を自分の中へと流し込んでくる。
「……では、今年のマグヌス祭の基本方針について議論を」
委員長であるヨアヒムが眼鏡を押し上げ、議題を切り出した。
「ヴォルザード君、伝統派の視点から意見はあるか?」
「……学園の創設を祝う儀式である以上、古典的な儀礼魔法の披露に重点を置くべきだ。派手さは不要、質素かつ厳格なマナの調律こそが美徳だ」
アレンの言葉が終わるか終わらないかのうちに、反対側から扇子の閉じる鋭い音が響いた。
「退屈ですわね! お祭りに必要なのは、人々を圧倒する輝きと活気ですわ! 黄金の魔導花火を打ち上げ、広場を最新のイルミネーションで埋め尽くすべきですわよ!」
「貴様……。聖域である学園を、成金の夜会のように汚すつもりか!」
「あんたこそ、お葬式のような湿っぽい行事にして、商機を逃すつもりですの!?」
会議室の温度が急上昇した。
アレンの「伝統の意地」が冷たいマナとなって室内の酸素を凍らせれば、リリアーヌの「成金の誇り」が熱いマナとなって空気を膨張させる。
板挟みになった他の委員たちが、青ざめた顔でヨアヒムを見た。
「……ヨアヒム、止めてくれ。あの二人、座っているだけでこっちの魔力感知が狂いそうなんだ」
「……やれやれ。ヴォルザード君、ゴールドベルクさん。君たちの『夫婦喧嘩』は、運営予算の審議が終わってから外でやってくれないか。今は公務中だ」
ヨアヒムの「エリートな正論」が、二人を物理的な沈黙に追い込んだ。
アレンはリリアーヌの「パレードへの熱望」が胸に焼け付くのを感じて吐き気を覚え、リリアーヌはアレンの「厳格なこだわり」を頭痛として受け取りながら、不本意な共同作業の幕開けを呪った。
放課後の廊下。
「……貴様、パレードの予算案、一ミリでも妥協しなければ、その黄金の杖を叩き折ってやる」
「あら、あんたのその古い儀式用の手順、一秒でも長引かせたら、私が金で時間を買い取ってスキップさせてあげますわ!」
一歩も引かぬまま、しかし除籍の剣を突きつけられた二人は、学園祭という名の巨大な戦場へと引きずり出されていった。
学園祭の準備に追われる中、無情にも『中間試験』の日がやってきた。
広々とした講義室には、一定の間隔を空けて座る生徒たちの緊張感が満ちている。だが、アレンとリリアーヌにとって、この試験は通常の難易度を遥かに超える地獄となった。
(……くっ、集中しろ。僕の脳内術式を回すんだ……!)
アレンは耳を塞ぎたい衝動を抑え、解答用紙にペンを走らせる。
しかし、契約の回路を通じて、隣の列に座るリリアーヌの「焦り」が津波のように押し寄せてくる。それだけではない。彼女が必死に思い出そうとしている教科書の図形や、間違った公式のイメージが、アレンの視界の端に「ノイズ」として強制的に投影されていた。
(邪魔だ……! ゴールドベルク嬢、その間違った変数計算を僕の頭に流し込むな! 答えが、正解が濁るではないか!)
一方、リリアーヌはさらに深刻な事態に陥っていた。
彼女が白紙の解答欄を前に唸っていると、アレンの脳内から「完成された正解」が、淀みのない川のように流れ込んできたのだ。
(あ、あんた……! 答えを、答えを直接私の脳に叩き込まないでくださる!? 誇り高い私に、カンニングをさせるつもり!?)
リリアーヌは顔を真っ赤にして、アレンから届く「正解の波動」を全力で拒絶しようとした。だが、理解したくない数式が、アレンの精密な思考と共に勝手に脳内に定着していく。
それは、努力を旨とする彼女にとって、どんな屈辱よりも耐え難い「汚染」だった。
「……っ、ふんッ!」
リリアーヌは意地になり、アレンから伝わる「正解」をあえて無視し、自分の誤った理論を突き通して筆を進める。
その「意地」に伴う苦痛が、今度はアレンの神経を逆撫でする。
(貴様……! 正解が見えているのに、なぜあえて間違った道を選ぶ! その歪んだマナの抵抗が、僕の演算を狂わせるのだ!)
アレンは自分の答えを書き込みながら、リリアーヌの「間違い」を正したいという強烈な強迫観念に襲われた。自分の感覚の一部が、隣で間違った答えを綴っている。それはアレンにとって、自分の服が目の前で引き裂かれていくような不快感だった。
試験終了の鐘が鳴った瞬間、二人は同時に机に突っ伏した。
一人は「他人の間違い」を無理やり体感させられた疲弊。もう一人は「他人の正解」を必死に追い出した疲弊。
「……ヴォルザード君、ゴールドベルクさん。試験中にそんなに激しくマナを散らして……具合でも悪いの?」
監督していたイザベラ先生が、隈の酷い二人を覗き込む。
「……先生。……脳が、二つあるというのは……呪いですな」
「……そうですわ。……隣の男の『解説付きの答え』なんて、一ミリも欲しくありませんでしたわ……」
結果、二人の点数は「リリアーヌがアレンから漏れた答えの一部を無意識に拾ってしまった」せいで、さらに僅差で並ぶことになった。
知恵熱で朦朧としながらも、二人は互いに「カンニング野郎!」と罵り合い、それぞれの従者に抱えられて帰路についた。
学園祭のクラス出し物。アレンとリリアーヌの所属するクラスが選んだのは、伝統的な『魔法迷宮』だった。
本来は生徒たちが工夫を凝らした可愛いお化け屋敷になるはずだったが、担当に指名された二人が、またしてもそれを「意地のぶつかり合い」の場に変えてしまった。
「……いいか、ゴールドベルク嬢。迷宮とは知恵の試練だ。僕が構築する『多重空間固定術式』で、客の五感を完璧に翻弄してやる。貴様は余計な色気を出すな」
「あら、あんたの作る迷宮なんて、暗くて湿っぽくて退屈極まりないですわ! 私が最新の『属性爆発魔導具』を配置して、五感を焼き切るようなスリルを与えて差し上げますわよ!」
二人は迷宮の設営中も、事あるごとにマナを散らして言い争った。
アレンが「侵入者の歩幅を狂わせる精密な重力床」を設置すれば、リリアーヌは「踏んだ瞬間に極彩色の爆光が弾けるトラップ」をその真上に重ねる。アレンが「マナを吸い取る沈黙の壁」を張れば、リリアーヌは「壁を触ると爆音で流行歌が流れる魔音石」を埋め込んだ。
精密な『静』の罠と、暴力的な『動』の嫌がらせ。
本来なら反発して壊れるはずの二人の魔法だったが、共感覚の契約によって「相手の術式の隙間」が手に取るように分かってしまうせいで、二つの魔法は互いの死角を補い合うように、最悪の形で噛み合っていった。
「……完成しましたわ。これぞゴールドベルク流、スペクタクル迷宮ですわ!」
「……ふん。我が家の術式が、貴様の騒がしいガラクタを『必殺の罠』へと昇華させてやった。……喜べ、誰も生きては帰れんぞ」
学園祭の前日、試遊に訪れたクラスメイトやカイルたちは、入口からわずか三メートルで、泡を吹いて運び出されることになった。
アレンの術式で平衡感覚を奪われた直後、リリアーヌの魔導具が「一〇〇倍の音量」で耳元で叫び、さらにはアレンが仕掛けた「出口が遠ざかって見える幻覚」が絶望を叩き込む。
「……おい、アレン。これはお化け屋敷じゃない。……『ガチの拷問施設』だぞ」
壁を支えに這い出してきたカイルが、顔を青くして震えていた。
「あら、失礼ですわね。最新の刺激を楽しめないなんて、感性が古いですわよ?」
「……そうだ。ヴォルザードの理論に基づけば、恐怖とは脳の活性化だ。感謝してもらいたいものだな」
二人は胸を張って言い張るが、契約を通じて伝わってくるのは「やりすぎたかもしれない」という微かな動揺と、「でも相手には絶対に譲りたくない」という強固な意地だった。
結局、イザベラ先生から「一般客が死ぬわよ」と厳重注意を受け、術式の出力を一〇分の一に落とされることになったが、それでも学園祭当日、その迷宮は「本物の地獄が味わえる」として、別の意味で長蛇の列を作ることになる。
二人の「不本意な傑作」は、またしても学園の安寧を脅かしていた。
学園祭の開会式で着用する『公式礼装』のフィッティング。
演習場の特設更衣室では、生徒たちが華やかな衣装に身を包んでいたが、アレン・ヴォルザードはひとり、自前の「勝負服」と向き合っていた。
それは没落前のヴォルザード家が新調した、最高級だが数十年ものの古着。セバスが寝る間を惜しんで魔法的な補修を繰り返した一品だが、最新の流行からは程遠く、生地の痩せは隠しようもない。
(……問題ない。僕の投影魔法で表面をコーティングすれば、一時間は新品の輝きを維持できる)
アレンが震える手でカフスを直していると、カーテンの隙間から「見ていられませんわ」と鋭い声が飛んできた。
「あんた、またその『伝統という名のボロ布』を纏うつもり? 隣を歩く私の品位まで疑われるのは御免ですわよ」
現れたリリアーヌ・ゴールドベルクは、眩いばかりの純白の魔導ドレスに身を包んでいた。彼女のドレスは、周囲のマナを吸収して真珠のような光沢を放ち、裾には温度調節機能まで備わっている。
「……放っておけ。貴様のように、一シーズンで捨てられるような薄っぺらな贅沢とは格が違うのだ」
「格、格って……、その格のせいで、あんたの肩口から『必死な節約のマナ』が漏れ出していますわよ! 共感覚のせいで、私の肌までチクチクしますわ!」
リリアーヌは苛立たしくベルを呼ぶと、手元に用意させていた予備の布地をアレンの胸元へ叩きつけた。それは、ゴールドベルク商会が独占輸入した『極光の魔糸』で織られた、最高級の肩掛け(サッシュ)だった。
「これ、予備で余ったものですわ。捨てようと思いましたけれど、あんたのその、……惨めな背中を隠すくらいには役立ちますわよ。……『貸し』にしてあげますわ!」
アレンはそれを跳ね除けようとした。だが、その布地に触れた瞬間、契約の回路を通じてリリアーヌの「意外なほど真剣な焦り」が伝わってきた。
それは彼女がこの学園祭を成功させるために、自分という「不確定要素」を本気で案じている、不器用で傲慢な律儀さだった。
「…………」
「な、何ですの。感謝しろなんて言いませんわよ。ただ、私の視界を汚さないでほしいだけですわ!」
アレンは屈辱を感じながらも、その布地の「完璧なマナ伝導率」に驚愕した。これがあれば、自分のコーティング魔法は数倍長持ちするだろう。
「……ふん。これほど過剰な性能は不要だが、貴様の『予備』がゴミ箱へ行くのを防いでやる。……一時的に、預かっておく」
アレンがそのサッシュを肩にかけると、リリアーヌのドレスの光と、アレンの古着の重厚さが、不気味なほど完璧に調和して見えた。
「……あら。……意外と、似合いますわね」
「貴様の目が、ようやく正常な審美眼を持っただけのことだ」
互いに視線を逸らしながらも、二人は鏡の前で並び立つ。
伝統の重みに、革新の光が添えられたその姿は、本人の意図とは裏腹に、マグヌス祭の主役に相応しい輝きを放ち始めていた。
マグヌス祭のフィナーレを飾る『後夜祭の舞踏』。その練習のために解放された演習場には、イザベラ先生のスパルタな号令が響き渡っていた。
「いい、二人とも。ジェミニ杯に出場するペアが、ダンスの一つも踊れないなんて許されないわ。足並みを揃えなさい!」
アレンとリリアーヌは、これ以上ないほど不快そうな顔で互いの手を取った。
以前の礼法授業では「格闘ワルツ」を演じた二人だが、今回は『一蓮托生(共感覚)の契約』がより深刻な段階に達していた。
「……あ、あんた。私の腰を、そんなに強く掴まないでくださる!? 掌の熱が、契約を通じて脳まで直接響きますわ!」
「貴様こそ、そんなにガチガチに固まるな! 貴様の重心の揺れが、僕の三半規管をかき乱すのだ。……不快極まりない」
アレンが右足を一歩踏み出せば、リリアーヌの脳には「踏み込むタイミング」と「地面を蹴る筋力の感触」がダイレクトに共有される。リリアーヌが身を翻せば、アレンの視界はリリアーヌの「スピンによる眩暈」をそのまま拾い上げた。
一人が動けば、もう一人がそれを「自分の肉体の動き」として知覚してしまう。
脳内では罵り合いが絶えない。アレンはリリアーヌの無駄な動きを「成金の虚飾」と断じ、リリアーヌはアレンの精密なリードを「没落者の執念」と呪う。
しかし。
二人の感情がどれほど拒絶し合っていようとも、感覚の同期は残酷なまでに「完璧」だった。
「……あ」
アレンがリリアーヌを大きく旋回させた瞬間、二人の動きは一つの円を描いた。
アレンが次にどこへ足を出すか、リリアーヌには考えるより早く「分かって」しまう。リリアーヌが次にどう体を預けてくるか、アレンには呼吸の乱れ一つで「分かって」しまう。
罵声を浴びせ合いながら、ステップは高速化していく。
互いに「相手に負けまい」と意地になって動きを合わせた結果、それはダンスというよりも、一つの命を共有する生き物のような、異常なほどの同調を見せていた。
「……信じられない。あんなに喧嘩をしているのに、重心の移動が完全に重なっているわ」
指導していたイザベラ先生が、驚きに目を見開く。
周囲の生徒たちも、練習の手を止めて二人を注視していた。
アレンの鋭い踏み込みに、リリアーヌの華やかな回転が完璧な拍子で重なる。
伝統の強固な軸と、最新の流麗な動き。
二人のマナが混ざり合い、演習場の床に一瞬だけ、青白い幾何学模様の魔法陣が浮かび上がった。
「……ふぅ、はぁ……。……見たか、ゴールドベルク嬢。僕のリードがあれば、貴様のような素人でもまともに踊れるという証拠だ」
「何ですって!? 私が、あんたのトロい足取りを補正してあげたんですのよ!」
曲が終わった瞬間、二人は弾かれたように手を離し、それぞれの掌を自分の服で拭った。
だが、その指先にはまだ、不本意に重なり合った「相手の体温」と「魔力の拍動」の残滓が、痺れるように残っていた。
一歩も歩み寄っていないはずの二人が、ダンスを通じて、逃げ場のない「一心同体」を再認識させられた瞬間であった。




