始まりの開錠
王都国立学校があるカラパル地区は、一年で最も活気あふれる祭り【聖守護祭】を明日に控えていた。
学校の敷地内外では、催しの舞台や開店を待つ店舗の設営が着々と進められていた。それらを結ぶ大通りや脇通りのあちこちには色鮮やかな装飾が掛けられ、通りは少しずつ祭りの気配を帯びはじめている。
長期休み明け最初に行われる、地域住民も参加するカラパル地区最大の行事である。当日にも勝るほどの熱気が、すでに町の隅々にまで満ちていた。そして、その中心にいるのは、この学校に通う子どもたちだった。
王国学校は幼稚部から大学までを網羅する総合学園であり、在校生は二万人を超える。王国学校の聖守護祭は、教育の一環として学年・年齢に問わずすべての生徒が主催者として運営に携わり、それぞれが催し物をする。
祭りの前日であるこの日は、活力漲る若人たちが、本場に間に合わせるため作業を進める。
テオレーネーは、その中を静かに見て回っていた。斜め後ろには護衛をする王室近衛兵がいるものの、王国学校の制服に身を包んだ彼女は、周りの雰囲気に溶け込み、誰にも気付かれる気配はなかった。王室近衛兵の彼もスーツ姿であり、特段目立つことはない。子どもたちはもちろん、学校の先生や地域の住民がそろって参加しているからであった。
レナルト皇太子には、邪魔にならないようにと忠告を受けたが、目立ちようがないとも思えた。それほどまでに彼らは絶え間なく動き回り、通りを行き交う声も足取りも軽い。その誰もが、この日を待ち望んでいたことが、見ているだけで伝わってくる。気づけば私は、いつの間にかその輪の外へ押し出されていた。働かざる者の定めか、と半ば苦笑しながら、各所を一回りしてみようと歩き出す。
懐かしさ半分、新鮮さ半分といった心持ちであった。
「お~い!テオレーネー!」
正門の先にある大広場に建てられる舞台と、それを造る生徒たちや危険がないか目を光らせる先生らの様子を観察している時、名前を呼んで近付いてくる見覚えのある女子生徒がいた。
「ミリア姉さまです」
王室近衛兵が自分の前に体を出そうと動いたのを制止する。むかってくるのは従姉のミリアであった。ちょうど現在、学校に登校してきたようで、バックパックを背負っている。
まさかの要素で目立つことになるとはと思いながら、なるべく穏便に速やかに済ませようとテオレーネーからも歩み寄った。
(あれ・・・?)
「お久しぶりです、ミリアねぇ…!うぐっ」
ミリアが、カバッと覆い被さるような勢いで抱きついてきた。年初めぶりの再会にしては、思った以上の熱烈な抱擁で、自分の足で立てないほどにのけぞった姿勢になる。
「こ、腰が……」
「……―――かわいいよぅ~~、どうして居るのかしら?」
嬉しそうな声色が聞こえる。ミリアは、抱きしめたまま体をゆらゆらと揺らし、放そうとしない。なんとかして訴えようと、ミリア姉さまの肩のあたりを指先でトントンたたく。
「あらら、ごめんなさい。ちょっと喜びすぎちゃった」
テオレーネーが苦しそうにしているのにようやく気づいたミリアは、抱擁していた腕の力を緩め、心を落ち着かせるように呼吸を整えた。それでも声色同じくにっこりと笑って嬉しそうな表情を見せている。
(あれ?こんなに表情豊かな人だっけ?)
というのも、会えるのは基本的に、年に一度、年初めの行事だけというのもあるけれど、そのときは感情を露わにしているのを見たことはなかった。いつもグラート王子の陰で気配を殺していた気がする。年齢は一つしか変わらないにも関わらず、会話をした記憶ははっきりと残っていない。
「あれ? 王国学校の制服着てるのね。似合ってるわ」
ミリアは、制服をテオレーネーが着ているのに今気づいたようで、全身をゆっくりと舐め回すように見ている。
「あ、うん。ありがとう。さっき入学の手続きをしてきたの」
「ほほぅ!じぁ王国学校に通うことにしたんだ! それで制服はちょっと大きめにしたってことね」
テオレーネーが王国学校にこれから通うということが分かって、さらに嬉しかったのか、より強い抱擁を繰り出した。
(うぐっ)
先ほどから人目を気にする様子なく振る舞うミリアであるが、彼女は誰も連れていない。護衛を付けていないのである。
「ミリア姉さまはおひとりなのですか?」
テオレーネーは、なんとかミリアによる二度の束縛状態から解放されて、やっと初めに気になっていたことを聞くことができた。
テオレーネーのことがわかる人がいないとしても、王国学校の生徒や関係者であればミリアを見て、彼女であることはわかるはずである。それなのに護衛のひとりも連れていないというのは不用心なんじゃないかと、流石のテオレーネーも思わずにはいられなかった。
その問いに対して、ミリアは両手を小さく広げて周りを見渡す。
「ええ、そうよ。ここは王国学校だもの。 みんないい人たちよ」
含みのある表情で、ミリアはそう言いきった。
ミリアは、自分の家だからと安心しているのだろうか。それとも、そう言える根拠があるのだろうか。
確かに、大広場を通りがかった人たちは、今のところチラッと彼女らを見ることがあっても、近づこうとはせず通り過ぎていく。それは大人たちの教えが行き届いている証拠であろう。
それでも、多くの子どもたちが好意的にミリア姉さまを見ているように映った。彼ら王族は、崇高なる存在として伝統と秩序の象徴とされている。そんな彼女に、崇拝や畏敬だけでなく、親しみの眼差しを向ける子どもたちを見ていると、無性に安心した。
「それじゃあ、ちょっとだけになるけど案内してあげるよ。この街にはおすすめの場所がいくつもあるから」
ミリアはそう言って、テオレーネーの手を引いて歩き出す。そんな彼女の邪魔にならないように、自然と道が開いていくが、ミリア自身も多少は気を遣って進路を選択しているようであった。
「あれっ! これ、見た目は良くないけど意外と美味しいね」
ミリアの手には真っ黒な丸いお菓子が詰まった紙箱が握られていた。彼女はかなり顔が広く、行く先々で声をかけられた。それも多くが大人たちだ。現在食べてるお菓子のように何かと物を渡そうとしてくる。これでは一定の距離感を守っている子どもたちの方が遠慮という言葉を知っているといえる。
それでもミリアは律儀にお礼を言いつつ受け取っている。彼女が背負っていたバックパックの中身はそれらで埋まり、お菓子などの食べれるものはその場で対処することになった。
テオレーネーももちろん手伝わされている。この真っ黒なお菓子はグミのような食感で正直まずい。眉間にしわを寄せている顔を見て、隣でミリアに爆笑される始末である。
「テオレーネーのお口には合わなかったかー。 これはね、ゴータっていう外国のお菓子らしいよ」
(ゴータ…?!)
ミリアはゴータとやらを気に入ったようで、もう一粒を口に運んでいた。
これまでの様子を見ていて、ミリア姉さまはその年齢以上に大人びているように思えた。まずいお菓子を美味しそうに食べているから、というわけではない。ここまでの道中で見せた人々とのやり取り、その一つひとつの振る舞いから、自然とそう感じられたのだ。
堂々としたその佇まいは、大学生たちでひしめく学生街に来ても変わらなかった。私たちはいくつかの小物店を渡り歩き、気に入った品をいくつか取り置きしてもらった。もっとも、そのほとんどはミリア姉さまが選び、ミリアの名で頼んだものだったが。
学生街の終わりに近づき人がまだらになった頃、ここまでずっとテオレーネーの手を引いていたミリアが突然力を抜いた。
「テオレーネー、ごめんなさい。今日はここまでね。」
ミリアは心底名残惜しそうに、両手でテオレーネーの手を包み込むようにしてそう告げる。
「そろそろ行かないといけないの。明日は【聖守護祭】だから。私も準備しなくちゃ。……また今度、一緒に遊ぼうね。これからは、たくさん会えるものね。……じゃあね」
そう言って手を離すと、ミリアは振り返らずに校舎へと向かっていった。バックパックの重さを感じさせないほど軽い足取りだったが、その背中にはどこか張りつめたものが宿っていて、テオレーネーには不思議と大きく見えた。
私はあまり目立ちたくなかったので、ミリアと別れて一安心していた。どこかなるべく人目の付きにくい場所で休みたいと思い、適当に近くの飲食店に入る。食欲を注がれるであろう香りが店内に満ちているが、朝食を食べた数刻しないうちに菓子を腹に入れたため、まったくその気が湧かない。ただ深く考えずにすっと入り口をくぐったテオレーネーだったが、ここまでずっと静かに後ろに付いて護衛してくれていた王室近衛兵の彼が先に動いた。
王室の紋章が入った徽章を店員に示すと、事情を察したらしい相手は直ちに態度を改め、そのまま空いている個室へと案内する。
「テオレーネー王女、どうかこちらでお休みください。私は外に控えておりますので、何かありましたらお声掛けをいただければ。」
低く抑えられた声だった。必要以上の感情を乗せない、よく訓練された響き。
「貴方、名前は何というの?」
扉に手をかけたままの背に向かって、思わずそう問いかけていた。振り返った彼の表情は、驚くほど整っていながら、どこまでも無機質だった。
「レヴィン、と申します。」
「そう…レヴィン。わかりました。ありがとう」
一礼したレヴィンによって、扉は静かに閉じられた。
そうして一人だけの空間となった個室で、テオレーネーは長椅子の背もたれに体を預け、明日のことについて考えを巡らせ始めた。
今日はお父さまと来ているため、長く滞在することは出来ないだろう。それに祭りの本番は明日なのだから、今日満喫する必要はないわけだ。
明日は、サラと一緒に祭りを観て回ろうと考えていて、それなら今のうちに計画を立てておこうと、ひとりほくそ笑んだ。
新品の制服のポケットから、何度も折り畳まれた蛇腹状のパンフレット取り出すと、テーブルに大きく広げる。それは今日、ミリア姉さまと回っている最中に道端で受け取っていたものだった。
パンフレットには、校内地図の上に色分けされた企画名がびっしりと並び、ステージ発表の時間割まで丁寧に記されていた。それらを参考に、脳内で順路をなぞっていく。まずは正門近くの通りを回って、それから中庭の屋台を抜けて講堂へ。午後の全体発表は外せない。そのあと余裕があれば、研究棟の展示にも足を延ばしてみようか。
気づけば、指先は無意識のうちに地図の上を行き来していた。明日の自分の足取りを先に確かめているように。
「・・・・のさ、ちょっと手伝ってくれ」
テオレーネー以外居ないはずの個室で、不意に彼女以外の声が発せられた。地図をなぞっていた指が止まる。その声に引き戻されるように顔を上げ、ゆっくりと周囲を見渡すと、長椅子の下から持ち上がるようにして、汚れたバケツがわずかに揺れているのが見えた。
「何これ?」
思わず声が漏れる。
急いでパンフレットを畳んだため、正しい折り順にはならず、形の崩れたまま制服のポケットへ押し込んだ。
「ん!!頼む!少し持ってくれ」
テオレーネーと特別仲のいい赫守三人衆のひとり、カミノの声だった。
「……いいけど。珍しいね、カミノが変なもの持ってくるなんて。よくこういう事するのはルスなのにぃ…?! くっ!!」
そのバケツの中には独特な匂いを放つドロっとした青黒の液体が入っていた。カミノがきつそうな声を出していたため、急いで持ち上げようとした。バケツの取っ手を掴んだが、腕だけでは短時間しか持てそうにないほど重く、思わず立ち上がる。
体全体を使ってなんとか座面の高さまで持ち上げ、滑らせるように横移動させて長椅子にバケツを置いた。
「重いねこれ。どこから持ってきたのよ」
「いや、これはルスが見つけてきた……」
ズルズルと長椅子の下からカミノが出てくる。人の目を盗むにしたって、どうしていつも普通に現れないんだろ、と思いながらその様子を見守る。
なかなかどうしてスムーズに出てきたカミノは、珍しくワクワクした表情をしながら、バケツの横に座った。
「うわぉ、よく混ざってんな〜」
カミノは、普段腕に付けている装置を外すと、袖をまくってバケツにそのまま手から突っ込み、ゆっくりと腕でかき混ぜている。
「大丈夫なの?匂い付かない?」
「え…?付くかな?」
「いや、う〜ん…どうだろ」
今更もう遅いけれど、少し引き抜いたカミノの腕は液体で青黒色に染まっていた。
「臭いかな?これ」
と、カミノは液体のついた自分の腕を鼻でスンスン嗅ぎながら心配している。
「あのさ、その液体は何なの?」
「それはね――」
液体の正体について話したのは、それを見つけた本人――ルスだった。もちろん先程までは居なかったので、登場と共にである。
天井からズズッとぶら下がるように入ってきて、ふたりの向かいの長椅子に着地し座った。
「中学部の子たちが道に塗るための塗料だよ」
(・・・!それはヤバくないか?)
ふたりの目が合った。カミノも事態のヤバさに気付いたようだった。
「カミノの腕の塗料、このままにすると落ちづらくなるよ。 ルス、石鹸探してきて。私はお湯貰ってくるから」
「ん?カミノの腕? あ〜大丈夫だと思うけどなぁ」
「……どういうこと?」
ほら、やって。と催促するようにルスが手を振る。それを受けたカミノは、少し考えた後、心当たりがあったようでその理由に気付いた。
「ほんとか?」
それでもカミノはその心当たりに疑いを抱いたままだったが、いいから、ほら。とルスに再び促され、渋々と魔導兵装を稼働させる。
すると、徐々に変化が現れ始めた。
カミノの体内に魔力が循環すると共に、元の腕の色を取り戻した。青黒く染めていた塗料はまるで薄い膜のように浮き上がり、指先でなぞるだけで静かに剥がれ落ちていく。
「まさか、 『 なの?」
「なるほど、これ 位相干渉材 か!」
「名前はね、 』て言うの」
三人が同時に、この塗料の正体口にした。
声が重なった瞬間、誰もが言葉を失った。残ったのは、互いの顔を見合わせる沈黙だけだった。
やがてカミとルスの視線が、揃ってこちらへ向く。
「・・・知ってるのか?テオも」
【位相干渉材】、軍用として開発された処理剤であり、まず市中に出回ることはないものだ。しかし、それ自体に大した危険性はない。
着色がしやすく、またカミノがやってみせたように魔力に反応すると簡単に脱色することが出来る。さらに塗料も脆くなり剥がれやすくなる。
「…うん」
「ハハッ、まじか…? ルスもよく判ったな。これが位相干渉材だって。 でもそうか、、これの入手経路から奴らに近づけるかもしれない」
その閃きに、ルスは彼女らしい得意気な表情を浮かべながら、腕を胸の前に組み、頭を大きく上下に振っている。
ルスも同意見らしい。
「じゃあ俺たち、ちょっと聞き取りしてくる。後で戻ってくるから、それまでこれ、テオが預かっててくれ」
カミノは塗料の入ったバケツをテオレーネーの方へ静かに押しやると、彼が個室に入ってきた入口へ向かって身をかがめた。それに続くように、ルスも長椅子から脚をほどき、軽く床に足を下ろす。わずかに伸びをしてから、何でもないことのように後に続こうとしていた。
「ち、ちょっと待って!ふたりとも!」
なんだか自分だけが話について行けてないと感じたテオレーネーは、慌てて引き止めようとして大きな声を出してしまった。
外には王室近衛兵のレヴィンが待機しているというのに、個室内にテオレーネー以外の人物がいると気付かれてしまうところだった。
あっ、と反射的に手で自分の口を塞いだテオレーネーであったが、外での動きは見られなかった。
「テオ、どうしたの?」
動きを止め、顔色を窺うようにこちらを見つめるふたりに顔を近づけたテオレーネーは、これまで以上に声を潜めるようにして話し掛けた。
「このこと、タカセに話したほうが良いんじゃないかな? なんだか大事になる気がするんだよね」
「タカセさん? う〜ん…けど今日いないしな」
ルスは頭をポリポリ掻きながら、困ったように答えた。
(やっぱり……)
「それなら、わたしに後でわかったこと教えて。 ふたりだけで踏み込みすぎないようにね。いい?」
「りょ〜かい」
軽い調子で応えるルスとは対照的に、カミノは硬い面持ちのまま静かに頷いた。その様子を見て、テオレーネーはようやく少しだけ安心することができた。
カミノにはすでにニ度、助けられている。タカセら大人たちと比べたら足りない部分はいくつもあるのだろう。それでも、彼の向ける眼差しと、そのまっすぐな心持ちは、それだけで十分すぎるほど頼もしかった。
コンコンコン
個室の扉にノックされる。
「どうぞ」
テオレーネーは、少し乱れていた制服を整えながら、入室を許可する。
「失礼いたします、テオレーネー王女。」
そう言って入ってきたのは、外で控えていたレヴィンであった。
「皇太子殿下がお呼びしております。宮殿に戻られるとのことです。」
「…わかりました。すぐ行きます」
赫守のふたりはまだ帰ってきていなかった。ここで待っていたほうがいいのか迷ったが、お父さまの指示のほうを優先すべきと結論づける。
問題は、ふたりが置いていった塗料の入ったバケツである。
塗料によってバケツがかなり重く、レヴィンに持ってもらいたかったが、中身が証拠品なり得るためであり憚られた。
今すぐにでもふたりが戻ってこないものかと願ったが、その期待もむなしく、テオレーネーは腰を落としてバケツを抱え上げた。
持ち上げた瞬間こそ、思っていたより軽いと感じたが、それも束の間のことだった。いざ歩き出そうとすると、その重みと不安定さに足が止まりかける。歩くという行為そのものが、ひどく難しく思えた。バケツの中で揺れる塗料は、一歩踏み出すたびに波打ち、何度も縁を越えそうになっては、今にも制服へとこぼれ落ちようとする。
テオレーネーは思わず息を詰め、慎重に足を運んだ。
「私がお持ちしましょうか」
レヴィンからすれば、突然現れた得体の知れないバケツだったはずだ。それでも彼は不用意に触れようとはせず、ただ静かに手を差し出してくる。
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。中身が少し不安定なので……お任せするのは、かえってご迷惑かと」
そう言って、テオレーネーはわずかに首を振る。これ以上は関わらないでほしい――そんな意図を、言外に滲ませながら。
(やっっば――い!!)
内心では、新品の制服を汚しかねない状況に、ほとんど悲鳴を上げていた。バケツの中で揺れる塗料は、今にも縁を越えそうになっている。




