高揚の欠片
なぜだか心細い目覚めの日
朝から慌ただしかった。日課の運動を終えて部屋に戻ってきたテオレーネーは、サラの手を借りて身支度を整えていた。
寝室の鏡の前では、ふたりの穏やかな会話と笑い声が満ちている。だがその最中、控えめなノックの音が響いた。
「テオレーネー様をお呼びに上がりました」
サラが応じて扉を開くと、もうひとりの侍従ウィルヘルミナが立っていた。
「サラさん、テオレーネー様はそちらにいらっしゃいますか」
「は、はい。」
「ここにいまーす」
テオレーネーの声にウィルヘルミナは軽く頷き、抱えていた服を差し出す。
速やかに身支度を終えて、急ぎホールに来るようとの事であった。ラグナーレ宮殿にはいくつかのホールといえる場所があるが、ここでいうホールとは宮殿西翼の玄関ホールのことを指す。
それを聞いてからは、ほとんど言葉を交わすことなく準備が進められた。
「とてもお似合いですよ」
ウィルヘルミナが渡したものは、王都国立学校小学部の制服だった。新品である。
制服の裾を整えながら、サラは嬉しそうにその姿を見ていた。
「ありがとう、サラ」
「いえ…さぁ、お急ぎください」
なんだか前にもこんな状況があったなと思いながら、サラに急かされるまま部屋の扉を開ける。しかし、ホールに向かう前にサラに言っとく事があることを思い出し、足を止めた。
それは、リュブラタートから王都へと帰ってきた日のこと。王都国立学校に通うことを選択した後、「あ、そうだ。」と思いつきでグレシア王妃にもう一つお願いをした。
「サラを復学させて欲しいです。彼女は現在、私の侍女として働くため王都国立学校を休学していまして、私はサラにも大切な時間を過ごしてほしいと思っています……。」
休学中であることは、サラと共に日々を過ごす中で打ち解けていった末に聞くことが出来た質問だった。彼女自身はそのことを重くとらえていない様子だったけれど、テオレーネーの心にはずっと引っかかっていた。
「ええ、もちろん。いいでしょう」
グレシア王妃の快諾に胸をなで下ろしたのも束の間、お祖母さまの放った言葉によって逃げるように気まずくなったその場を辞したのは、また別の出来事である。
※※※
「アーロムさん分かるよね?そう、執事の。彼の執務室に行ってみて。サラに話があると思うから」
困惑の表情を浮かべるサラを横目に、そう言い残してホールへとひとり向かう。ほのかに笑みを浮かべながら。
数分後にはテオレーネーは二階廊下を駆け抜けようとしていた。
ふと、吹き抜けの向こうにホール中央で待つ人物の姿が目に入る。
(・・・・! お父さま⁈)
そこで待っていたのはレナルト皇太子であったのだ。驚きとともに、テオレーネーの心臓が強く脈打った。まさかと思いながらも、ウィルヘルミナが急かしたことに納得がいく。
質素な黒のスーツに身を包んだレナルトは、装いとは裏腹に、隠しきれぬ威厳と気品を纏っている。一方、テオレーネーの服装は王都国立学校小学部の制服だった。新品である。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
前にも同じ事があったなと思いつつ、深く頭を下げると、レナルトは穏やかに微笑んだ。
「ふむ、そう焦らなくてよいが。・・・あの美しい敬礼は見してくれないのかな?」
少し残念そうにしながらも、からかうように笑った。テオレーネーは思わず苦虫を嚙み潰したよう顔になりかけた。
「それにしてもその様子、学校を訪ねることはお祖母様からは伝えられてはいなかったのかな?」
「あ、はい。先ほど、ウィルヘルミナから伺いました」
「そうか。・・・普段、お祖母様とはどんな話をしているのかね?」
久しぶりの会話。二人きりの会話は、ウィザー邸にレナルトが訪れて以来であった。
皇太子は常に公務に追われ、国中を、時には国境をも越えて働き続けている。その血を引く子どもたちもまた、皆行動的だった。
また、王家の血には「早熟」という特徴がある。そのため、若いうちから公務に出る。
しかし、精神的に成熟するのが早い一方で、長命ではない。千年以上の歴史の中で、大人になれなかった王族は少なくない。彼らは、運命に殺されてきた。だからこそ、生き残った者たち、王家の運命から逃れた者たちは、早くに大人にならざる負えなかったのだ。
玄関先で待っていた専用車に乗り込んでからも、二人の会話は途切れることはなかった。
ウィザー邸での会話は数分足らずであったり、テオレーネーが宮殿に戻ってからも、共に卓を囲んだことはまだなかった。
そのためか、レナルトは普段どおりにゆっくり穏やかに話すのだが、この時はまるでその鬱憤を晴らすかの如く、彼は話を振り続けた。
ウィザー邸での二か月間や久しぶりの宮殿での生活などの話を、話せる範囲で話した。特に興味を示されたのが、グレシア王妃との会話の内容であった。そんなテオレーネーが語る言葉から、その先にいる王妃の真意を探ろうとする意図があるように思えてしまった。
やがてテオレーネーの乗る専用車は王都国立学校へと到着した。通用門が開かれている。普段は閉ざされている王族専用の門が、今日は開かれていた。
自分のために開かれた門――そう思うと、かすかな優越感を抱いた。
理事長室へ通されると、最初に迎えたのは柔らかな笑みだった。
「久し振りです、兄さん。 テオレーネーは、見ないうちに大きくなリましたね。喜ばしいことです。それに、うちの制服もとても似合っていますよ」
その声の正体は、理事長――グラート王子であった。
「お久しぶりです、叔父さま」
グラート王子。彼は王都国立学校の理事長にして、レナルト皇太子の弟である。
「叔父と呼ばれると、年を感じますね。……そうだ、ミリアにはもう会いましたか?」
ミリアとはグラード王子のひとり娘で、テオレーネーの一つ年上の従姉である。会うのは年に一度、年初めの行事だけだ。
「後で学校に来るはずです。案内してもらうといいですよ。」
「・・はい。」
(得意じゃなかったな、この人のこと)
お父さま以上に腹の底が伺えない。心の奥を覗いてくるような目に笑みを浮かべる叔父の顔を見上げながら、テオレーネーはお礼を口にした。
「さて――」
やがてグラートは軽く咳払いをして、机上の書類を手に取った。これまでの柔らかい雰囲気が一転し、部屋にはわずかな緊張が走った。
それからしばらくの間、初めて書類に目を通したかのようにすべての紙面をめくっていた。
「いいでしょう、では…」
グラートは書類の表紙を一番上に戻すと、再びめくりながら要項を声に出して読み上げ、テオレーネー自身に一つひとつ確認させた。
テオレーネーがこれから通うことになるのは、王族や貴族の子どもたちが学ぶ学級である。一般家庭の子どもたちとの交流は多くはないのである。
「・・・以上ですね。 時間を取りましたが、これで貴女は正式に本校の生徒となりました。」
グラート王子は立ち上がり、手を差し出す。
「ようこそ、王都国立学校へ。
本校は、志ある者に道を示し、努力する者には相応しき試練と機会を与える。
そなたが未来を担う者として成長し、王国に新たな光をもたらすことを、私たちは心より期待している。
新しき旅路を歩みなさい。
そなたの学びが、王国の栄光と繁栄へと結実せんことを。」
テオレーネーはその文言と同じ言葉を、昔ホールで聴いたことを思い出していた。あの時の理事長は前任の王族であり、年老いた声はかすれ、しかし一語一語に長い年月を生きた者だけが持つ重みがあった。
幼い彼女は意味も深さも理解できず、ただその場の厳かな空気に呑まれるだけだったが、今なら分かる。
あのとき耳にした言葉は、単なる儀礼ではなく、王国が積み重ねてきた時代そのものの響きであった。
ふと、目の前のグラート王子の目を見つめる。
変わらず腹の底は伺えないけれど、彼の声は澄み、力強く、その目には柔らかな決意を帯びているように見えた。
同じ文言であるはずなのに、発する者が変わればここまで響きが異なるのかと、テオレーネーは胸の奥がぞくりと高鳴るのを覚えた。
――時代は移り変わる。
しかし、受け継がれる言葉は、まるで灯火のように次の担い手へと引き継がれてきたのだろう。
テオレーネーは小さく息を吸い込む。王子が放った言葉の余韻がまだ耳に残っている。
(ああ、いいね。)
テオレーネーは思わず、感情を隠せずに笑みを浮かべた。
******
テオレーネーの異変に、グラート王子とこれまでのやり取りを静かに見守っていたレナルト皇太子も目は同時に目を見開いた。
光っている。それはテオレーネーから漏れている。成長を見越して仕立てられた制服の隙間から、淡く赤い輝きが滲んでいたけれど、本人は、まだ気づいていない。
それを見て、最初に動いたのはレナルト皇太子であった。
「グラートと少し話がある。――テオレーネー、入学の手続きは終わったことだ。後で迎えに行く少し学内を見てくるといい。・・・明日はお祭りだったな。準備の邪魔にならぬようにしなさい」
そう言って、理事長室の扉を開ける。扉脇に控えていた護衛の王室近衛兵に命令を与え、テオレーネーを退出させる。
光は、残像だけを残して消えていた。
扉が閉まる。
背後から注がれる視線を受け止め、レナルトは振り返った。
「落ち着いた娘ですね。私の娘とは大違いですよ」
ハハッと笑うグラートは、変わらぬ穏やかな口調で話している。
「それにしても驚きました。兄さんが付き添ってくるとは思っていなかったので。アルバレインくんのときはそうではなかったですよね。あの光の正体に関係が?」
口元はにこやかにしていても、その視線は兄の一挙手一投足を見逃すまいとしている。レナルトはただゆっくりと足を踏み出し、元いたソファーに座る。
ゆったりとした動作のまま、背もたれに体重を預け、足を組み、
「グラートに任せたいことがあってね」
と、グラートの言葉に耳を貸さなかった。
光の発生源が、彼女以外の者であれば、服の下に明かりをともす玩具か何かを仕込んでいたと初めは考えるかもしれない。けれど、それがテオレーネーであったならば。レナルト皇太子はその原因に1つの心当たりがあった。"ヒホウ"である。
レナルトは非常に珍しく動揺していたのだ。グラートの言葉が耳に届かないほどに。
前にレナルトが、テオレーネーの様子を見にウィザー邸を訪れた理由は、次女に"ヒホウ"所持の兆候があるという知らせが入った為であった。
その時は、実際に自身の目で確認することは叶わなかったが、先ほど見たあの発光が兆候であるように思えた。
であるならば、この先の未来に平穏はないであろう。
「私の代わりに、テオレーネーに目をかけてやってほしい。」
これからも父親らしいことをしてやれないせめてもの償い。学校での生活をどうか楽しんでほしいという、切実な願いであった。
「……任せる?それは父親である兄さんの役目でしょう。何を言っているんですか…?」
グラートには理解出来なかった。兄が公務で忙しくしているのを昔から見てきた。けれど、今の発言では、父親としての役目を放棄したように聞こえたのである。
怒りと呆れが混じったその言葉ですら、何も知り得ないグラートの言葉は、兄には届かなかった。
「頼んだ。」
滅多に口にしない一言を言い残し、レナルトは理事長室を後にする。
「兄さん!あの子たちには母親がいないんですよ!あのときと同じく、また見捨てる気ですか……」
兄の背中に向かって叫ぶも、その声は届くことなく2人の間を隔てるように扉が堅く閉まった。
兄弟ふたりの間に走った亀裂が、決定的に深まったその日――テオレーネーは同年齢の子どもたちより一年遅れて、王都国立学校へ入学することが決まった。
ミリア・アル・クラウス・ゼ・ビエント
⇒グラート王子のひとり娘。王都国立学校に通う。実は、年齢の近いテオレーネーのことを溺愛している。
アルバレイン・ラ・フィルナンド・アル・クラウス・ゼ・ライヤ
⇒テオレーネー、レイナルドらの兄。嫡男として生まれた長男。現在は、父レナルトの仕事の一部を請け負い、世界各地を巡っている。




