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【完結】私が静かなのは怒っているからじゃない。あなたの殺し方を考えているから  作者: 逆立ちハムスター


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ルナリアの密輸拠点が壊滅してから二週間。ヴァルハイト領には、不穏な暗雲が立ち込め続けていた。


資金源を断たれ、裏の記録を何者かに持ち去られたレイヴィスは、急速に追い詰められていた。帝国中央の協力者であったルパート子爵をはじめとする貴族たちは、自身の汚職が公に暴露されるのを恐れ、蜘蛛の子を散らすようにレイヴィスとの関わりを絶ち始めたのだ。


追い詰められたレイヴィスが打開策として打った最後の大打撃――それが、ヴァルハイト城で開催される「新聖女お披露目の夜会」だった。


リリアナを正式に国の聖女として擁立し、その「奇跡の力」を広めることで、中央の宗教勢力と結びつき、失った求心力を取り戻そうという悪あがき。


城の大広間は、煌びやかなシャンデリアの光と、着飾った貴族たちの偽りの笑顔で満ちあふれていた。


「皆様! 本日、我がヴァルハイト家に降り立った慈悲深き光――聖女リリアナ様をお披露目できることを、誇りに思います!」


中央の壇上で、レイヴィスが声を張り上げる。その顔は粉を吹いたように白く、目の下には濃い隈が刻まれていた。強がりの笑みを浮かべてはいるが、その瞳は絶えず周囲を警戒し、苛立ちと恐怖で泳いでいる。


彼の傍らには、純白のドレスに身を包んだリリアナが立っていた。頭上に飾られた真珠のティアラが光を浴び、彼女は儚げで可憐な笑みを振りまいている。


「わたくしのような未熟な身が、聖女などと……。ですが、前公爵令嬢シレーナ様が犯された凄惨な罪、そして彼女の死によって傷ついたこの北境を、わたくしの祈りで癒やしたいのです……」


リリアナが目元にハンカチを当て、健気に涙を拭う仕草をしてみせると、集まった貴族たちから惜しみない拍手と称賛の声が上がった。


「ああ、なんて素晴らしいお方だ」

「それに比べて、死んだシレーナとかいう魔女は……身内を破滅させ、最後は地下牢で自業自得の死を遂げたというのに」


口々に私を嘲り、リリアナを称える者たち。


その大広間の二階、重厚な赤いカーテンの影から、私はその光景を見下ろしていた。


黒いシルクのドレスに、顔の半分を覆う漆黒のレースベール。かつて公爵家の象徴として身につけていた煌びやかな宝石は一切身につけず、ただ腰元に小さく秘めた黒塗りの短剣だけが、私の相棒だった。


「醜い茶劇だな」


背後から、低く甘い声が届く。


カシエルが私の肩に手を置き、レースベール越しに私の首筋へ唇を寄せた。彼の持つ異界の影が、二階の回廊全体を包み込み、誰一人として私たちの存在に気づくことはない。


「あの女……リリアナの正体を知れば、あの愚か者たちはどんな顔をするだろうな、シレーナ」


「楽しみで堪らないわ」


私は冷たく笑った。


カシエルの調査によって判明したリリアナの真実。彼女は当然、聖女などではなく、神殿の裏で麻薬を売り裁き、幾人もの裕福な男たちを毒殺して財産を奪ってきた、筋金入りの悪女だった。レイヴィスに近づいたのも、彼を利用して公爵家の財産と地位を横取りするため。私に毒を盛った自作自演も、彼女が長年愛用してきた「禁忌薬」を用いたものだったのだ。


「準備は整ったわ、カシエル」


「お前の望む通りに、あの舞台を地獄に変えてやろう」


カシエルが妖しく微笑み、細くしなやかな指先を鳴らした。


その瞬間、大広間のシャンデリアが一斉に激しく揺れ、怪異な黒い煙が大広間の天井から吹き出した。


「な、なんだ!?」

「一体何が起きた!?」


悲鳴が上がり、貴族たちが狼狽する。壇上のレイヴィスが剣を抜こうとしたその時、大広間の正面に掲げられていたヴァルハイト家の巨大な旗が一瞬で燃え上がり、その背後の白い壁面に、『影の映像』が鮮明に浮かび上がった。


そこに映し出されたのは、夜会の控え室で繰り広げられていた、密会の光景だった。


『――ふふ、レイヴィス様なんて本当におめでたい男だわ』


大広間全体に、音響魔法で増幅されたリリアナの鈴を転がすような声が響き渡った。ただし、その声には、先ほどまでの儚げな面影など一切ない。嘲笑と意地悪さに満ちた、本性の声だ。


壁面の影には、神殿の好色な高位司祭の膝の上に乗り、淫らに微笑むリリアナの姿がはっきりと映し出されていた。


『あんな男、わたくしの毒の自作自演にまんまと騙されて、シレーナを殺してくれたんですもの。公爵家の財産も、半分は神殿へ寄進してあげますわ。だからわたくしを「聖女」として推薦してくださるでしょう?』


『ははは! お前も悪よのう、リリアナ。あのシレーナとかいう高慢な女を陥れ、まんまとヴァルハイトの女主人に納まるとは』


『あんな可愛気のない女、レイヴィス様だって本当は愛していなかったのよ。わたくしのこの身体と、毒薬の快楽に溺れて、今やわたくしの言いなりなんですもの……!』


大広間が静まり返った。


静寂。息をのむ音すら聞こえない、完全なる凍結。


「な……な……っ!?」


レイヴィスの顔から、すべての血の気が引いた。彼は目を見開き、信じられないというように壇上のリリアナを見つめた。


「り……リリアナ……? お前……何だこれは……これは何の余興だ!?」


「ち、違う! 違いますわ、レイヴィス様! これは何かの罠です! 幻術ですわ!」


リリアナはなりふり構わず叫び、レイヴィスの腕にしがみつこうとした。


だが、影の映像は終わらない。続いて映し出されたのは、彼女が密売人から「無色無臭の緩慢毒」を購入した際の領収書、そして公爵家を陥れるために彼女自身が偽造した手紙の数々だった。それらはカシエルが密輸倉庫から回収し、影の力で大広間の全員に見えるよう巨大化して投影したものだ。


「聖女だと……? あの女、毒婦ではないか!」

「神殿の司祭とデキていて、公爵家を冤罪で潰しただと!?」

「我々は……ヴァルハイト辺境伯とあの女の茶劇に踊らされていたのか!」


集まった貴族たちから、激しい怒りと蔑みの声が一斉に巻き起こった。


「黙れ! 黙れ黙れ黙れぇぇぇッ!」


レイヴィスは正気を失ったように叫び、リリアナの髪を掴んで力任せに床へ叩きつけた。


「お前……! お前、私を騙していたのか!? シレーナが毒を盛ったというのは嘘だったのか! 私を……私を狂わせ、ヴァルハイト家を破滅に追いやったのはお前だったのかッ!」


「きゃあああっ! 離しなさいよ、この能無し!」


床に転がったリリアナは、ついにその清純な仮面を完全に脱ぎ捨てた。彼女は乱れた髪を振り乱し、レイヴィスに向かって悪魔のような顔で唾を吐きかけた。


「触らないでよ、貧乏くさい北境の田舎貴族が! あんたがシレーナの持つ公爵家の権力と財産に嫉妬していたから、わたくしが乗っかってあげたんでしょうが! あんたが馬鹿だからよ! シレーナに逃げられ、金も失って、哀れよね」


「この淫婦がぁぁぁっ!」


激昂したレイヴィスが剣を抜き、リリアナの首を跳ね飛ばそうと振り上げた。大広間は悲鳴と混乱の渦と化し、貴族たちは我先にと出口へ逃げ惑う。


その狂騒の真ん中へ。


二階の回廊から、ひとつの人影が静かに舞い降りた。


黒いレースベールを風になびかせ、足音もなく着地した私の姿に、殺気立ったレイヴィスの動きが止まった。


「……誰だ!?」


レイヴィスが血走った目で私を睨みつける。


私はゆっくりと、顔を覆っていたベールを押し上げた。


照明の光が、私の顔を照らし出す。右手の指には、黒い影の糸が不気味な模様となって浮かび上がっていたが、その顔立ちは間違いなく、彼が地下牢に閉じ込め、焼き殺したはずの妻――シレーナ・ヴァルハイトだった。


「……シレーナ……!?」


レイヴィスの手から、握っていた剣が音を立てて床に落ちた。彼の膝が激しく震え始める。


「な……なぜ……お前は……死んだはずだ……地下牢で……ガロンたちと一緒に……焦げ尽きたと……。手紙もリリアナの策略じゃ……」


「死んだわ。あなたの妻であった愚かなシレーナはね」


私は一歩、彼に向かって足を踏み出した。大広間に残っていたわずかな兵士たちも、私から漂う圧倒的な死の気配に恐れをなし、腰を抜かして動くことができない。


「レイヴィス。あなたが見たがっていたでしょう? 絶望に狂い、己の無力を嘆く惨めな姿を」


私は床でのたうち回るリリアナと、恐怖で顔を引きつらせるレイヴィスを、冷たく見下ろした。


「いまのあなたたちの姿……とても素晴らしいわ」


「ヒッ……! ひぃぃぃっ!」


レイヴィスは後ずさりし、自分の足に引っかかって惨めに尻餅をついた。かつて私を「見苦しい」「蛆虫」と嘲笑った男が、いまや私の足元で、恐怖に股間を濡らしながら震えている。


「た、助けてくれ……シレーナ! 誤解だ! すべてあの女が……リリアナが私を騙したんだ! 私はお前を愛している! 公爵家を再興しよう! 私とやり直してくれッ!」


レイヴィスは這い寄り、私のドレスの裾に縋り付こうとした。


その手を、上空から降り注いだ漆黒の刃が容赦なく貫いた。


「アギャアアアアアアッ!?」


レイヴィスの手に刺さったのは、カシエルの長大な影の刃だった。影から静かに姿を現したカシエルは、冷酷な瞳でレイヴィスを見下ろし、その背中を力任せに踏みつけた。


塵芥ちりあくたが」


「カ……カシエル様!? なぜ……帝国の異端審問官様がなぜこのような女と……!?」


リリアナは絶望の叫びを上げた。帝国最高の処刑人が、自分ではなく、死んだはずの「魔女」の味方として立っているのだ。


「私はシレーナの影だ」とカシエルは低く笑い、私の腰を抱き寄せた。「お前たちがこの素晴らしい復讐者に与えた苦痛の全てを、清算するために来ただけだ」


「シレーナ……頼む……殺さないでくれ……! 命だけは……!」


レイヴィスが頭を床に擦り付け、血と涙を撒き散らしながら乞う。


私はそんな彼の髪を掴み上げ、その耳元で深く、静かに囁いた。


「殺す? ふふ……いいえ、レイヴィス。安心して、殺さないわよ」


「ほ、本当か……!?」


「楽に死ぬなんて、あなたには退屈すぎるでしょう? あなたが苦労して手に入れた地位も、名誉も、財産も、今日この瞬間にすべて消え去ったわ。明日の朝には、帝国から『謀反と汚職の容疑』であなたの捕縛命令が出る」


私が提示したガルドの記録により、皇帝はすでにヴァルハイト家の改易とレイヴィスの処刑を決定していた。カシエルが事前に裏で手を回していたのだ。


「あなたにはこれから、公開処刑の日まで、あの私がいた地下牢で過ごしてもらうわ。爪を剥がされ、骨を砕かれ、自分が犯した罪の重さに怯えながらね」


「や、やめろ……! やめてくれぇぇぇっ!」


「そしてリリアナ」


私は怯えて動けないリリアナに向き直った。


「あなたには、神殿へ引き渡す手配をしてあるわ。聖女の名を汚し、禁忌の毒を使った大罪……あそこの拷問室は、私の地下牢よりもずっと趣があるそうよ」


「嫌……! 嫌あぁぁぁっ! 助けて! 誰か助けてぇぇっ!」


影が二人を拘束する。

そして狂乱する二人を残し、私はカシエルと共に背を向けた。


城の外へ出ると、夜空には満月が輝いていた。


背後からは、兵士たちに引きずられていくレイヴィスとリリアナの、地獄の亡者のような絶叫がいつまでも響き渡っていた。


「見事な『復讐』だったな、シレーナ」


カシエルは私を抱き上げ、冷たい城の屋根の上に立つと、私のベールを完全に脱がせた。彼の琥珀色の瞳が、月光を受けて怪しく揺れている。


「奴らは惨めに囚われ、地獄の苦しみを味わうことになる」


「ええ……。でも、まだ終わりじゃないわ」


私はカシエルの胸に顔をうずめ、彼の心音を聞いた。冷たく、しかし確かに打たれる死神の鼓動。


「父と弟を死に追いやったレイヴィルの魂を引き裂くまで、私の復讐は終わらない」


「……いいぞ。どこまでも付き合おう」


カシエルは私の顎を持ち上げ、今までにないほど深く、濃厚なキスを降らせた。彼の影が私の全身を包み込み、私を彼の所有物として塗り替えていく。


復讐の快楽と、悪魔のような男からの過剰な愛執。


その両方に冒されながら、私は暗闇の中で静かに笑った。

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