この国の政略結婚、何かがおかしい
神様、この世界の政治的婚姻に関する構造は、一体どうなってしまったのだろうか。
私が生まれ育ったこのグランドゥム帝国において、「政略結婚」という言葉の定義は完全に崩壊していた。本来、政略結婚とは何か。互いの家の利益、領地の保全、あるいは勢力均衡のために、愛も温もりもない契約を交わし、冷め切った仮面夫婦として形式的な共同生活を送るもののはずだ。少なくとも、私が幼少期に読んだ古今東西の歴史書にはそう書かれていた。
しかし、私の周囲を見渡してみるとどうだろう。
政略結婚で結ばれた貴族たちが、全員揃いも揃って、正気を疑うほどの過剰な相思相愛状態に陥り、時と場所を選ばずに猛烈な愛の交歓を繰り広げているのだ。
ある高名な神学者が、初代グランドゥム帝国の皇帝であるリバドゥリッヒ1世が、国教をシャラゼリス(愛の女神)にした事が原因ではないかと提唱している。真意は定かではないが、私もその神学者に同意だ。
一言で言うのなら、この国は正気の沙汰ではない。
「ああ、私の愛しいシルウィア! 君が淹れてくれた紅茶は、まるで神々の甘露のようだ。一口飲むごとに、私の胸は君への愛で張り裂けそうになる!」
「まあ、マルクス様ったら! そんなに褒められたら、私、恥ずかしさで頬が熟した林檎のようになってしまいますわ! さあ、あーんしてくださいな!」
爽やかな風が吹き抜ける、シルウィア男爵夫人の美しい邸宅の庭園。ローズガーデンの一角に設けられた東屋で、私は絶望的な気分で磁器のカップを握りしめていた。
目の前に座っているのは、半年前に完全なる領地利害の合致によって政略結婚をしたばかりの友人、シルウィアとその夫のマルクス伯爵子息だ。
二人はティーカップの取っ手を一緒に握り締め、お互いの瞳に映る自分たちの顔を凝視しながら、額と額を今にもくっつけんばかりの距離で微笑み合っている。シルウィアがスプーンですくった極上のイチゴジャム添えスコーンをマルクスの口へと運ぶと、マルクスはその繊細な指ごと食べんばかりの勢いで口を寄せ、うっとりと目を細めた。
「んん!……素晴らしい。君の愛が隠し味として効いているようだ。シルウィア、君という太陽がなければ、私は明日からの領地経営など到底こなせないよ」
「マルクス様……! 私もですわ、あなたの愛という光がなければ、私は暗闇の中で凍えてしまうわ!」
……頼むから、人前でそれをやるのはやめてくれないだろうか。
私は冷めかけたアーマッドティーを一口飲み、喉の奥に込み上げてくる強烈な胸やけを必死で押し殺した。本日の集まりは「ご婦人方の社交お茶会」のはずだった。しかし、なぜか妻の外出を不安がったマルクスが強引についてきて、結果としてこの有様である。
「ねえ、アウレリア。貴女もそう思うでしょう? 愛する人と共に過ごす時間は、一秒一秒が奇跡の連続なのよね!」
突然振られた振りに、私は引きつった笑顔を浮かべるしかなかった。
「ええ、とても……仲がよろしいことですのね、シルウィア」
「仲がいいなんて生易しい言葉じゃ表現できませんわ! 私とマルクス様は、前世からの魂の番なんですの!」
政略結婚の相手と前世からの魂の番。なんと都合の良い、そして恐ろしい偶然だろう。
私、アウレリア・ヴァレリウスは、この過剰な糖度で満ちあふれた社交界において、おそらく唯一の「まともな感覚」を持ち合わせている人間の一人だった。
お茶会が終わり、ほうほうの体で馬車に逃げ込んだ私は、重い溜息をつきながら自分の屋敷へと帰宅した。しかし、そこに待っていたのは癒やしなどではなく、さらなる地獄の光景であった。
屋敷のエントランスに入った瞬間、目の前の大階段の踊り場で、私の両親が抱き合っているのが目に入った。
父であるガイウス公爵と、母であるリウィア公爵夫人だ。我が家は帝国でも屈指の名門であり、この婚姻もまた三十年前に政略結婚によって結ばれたものだ。
「リウィア、今日の君も息を呑むほど美しい。朝起きた時よりも、昼に見た時よりも、今の君が一番愛おしい」
「まあ、ガイウス様。そんなにお甘い言葉をささやかれたら、私、胸が苦しくて倒れてしまいそうですわ」
「倒れそうなら、いつでも私の腕の中に飛び込んでおいで。生涯、君を受け止める準備はできている」
父は齢五十を超えているというのに、詩人のような愛の言葉をスラスラと口にし、母の腰を引き寄せてその額や頬に幾度も唇を重ねている。使用人たちもすでに手慣れたもので、「ああ、今日も旦那様と奥様は仲がよろしくて結構なことです」と言わんばかりの温かい(私から見れば狂気に満ちた)眼差しでスルーしている。
私は頭を抱えた。家の中でもこれだ。家の中に帰ってきても、甘ったるい桃色の空気に毒殺されそうなほどのイチャイチャを見せつけられるのか。
「お父様、お母様。ただいま戻りました」
「おや、アウレリア。お帰り。シルウィアのところはどうだった? ああ、でも父さんは今、お母さんの美しさに心を奪われていて、君の話を半分しか聞けないかもしれない」
「ちょっと、ガイウス様ったら、娘の前でそんな……でも嬉しいわ!」
……ダメだ。この人たちには何を言っても無駄だ。
自室に駆け込み、扉を勢いよく閉めて鍵をかけると、私はベッドの上に深々と倒れ込んだ。羽毛のクッションに顔を埋め、「あぁぁぁぁぁぁ!!!!」と大声で叫び倒した。
なんなのだ、この国は。
なぜ政略結婚をした貴族たちが、漏れなく全員「世界で一番愛し合っているバカップル」に変貌してしまうのだ。友人を見ても、親を見ても、親戚を見ても、街ですれ違う貴族夫婦を見ても、誰も彼もが相手を「私の運命」「私の太陽」「私の魂の半身」と呼んで憚らない。
……私だって、イライラしているだけではないのだ。
イライラし、あきれ返り、うんざりしているその感情の、本当にほんの少しだけ、ごく深い心の奥底において。
(……私だって、あんな風に、燃えるような恋をしてみたい……)
そんな思いが、芽生えていないと言えば嘘になる。だからこそ……イライラする。
自分の運命の相手と出会い、見つめ合うだけで胸が熱くなり、相手の言葉一つで世界が輝いて見えるような、そんな情熱的な愛。自分だけを特別扱いし、世界中を敵に回してでも愛してくれるような、熱狂的な恋。
友人のシルウィアが羨ましいのではない。両親が羨ましいわけでもない。ただ、誰もが経験しているという「胸を焦がすような恋心」というものを、私も一度でいいから味わってみたいのだ。
だが、私にはそれが永遠に叶わない決定的な理由があった。
私の婚約者、ルキウス・クラウディウスの存在である。
彼のことを思い出すだけで、私の頭痛は倍増する。
ルキウスは帝国屈指の学識を誇るクラウディウス公爵家の嫡男であり、顔立ちだけを見れば神話の彫刻のように麗しい青年だ。涼やかな切れ上がった青い瞳に、銀糸のような髪。しかし、その頭の中身は冷徹で無機質な論理と、奇怪な知識の山で埋め尽くされている。




