第90話 偽たくあん聖女④〜Sideクロード〜
今朝早くにリゼを起こさないようこっそりと公爵家を出た俺は、その日の夜遅くにベジタル王国を抜け、北にあるブックデルへと到着した。
馬車でノロノロ行っている暇はなかった。
一刻も早くリゼの噂について調べなければという思いで、1人愛馬に飛び乗り出発してしまったが、後になってリゼが心配しているかもしれないということに気付いた。
はぁ……絶対心配してる。
急いでいたために一言伝言を残すことしかしていないのだから。
心配で泣いてないといいけど……。
ただの噂について調べたり、研究を見学に行くだけならリゼも連れてきただろう。
『ベジタル王国に捕らえていたアメリア・カスタローネが逃げた』
そんな話を、兄上から聞かなければ──。
アメリア・カスタローネ。
リゼの双子の妹で、リゼ殺害未遂で捉えられていたが、先日、父母との面会での部屋移動の際に一瞬の隙をついて脱走。
その後行方がわからなくなっているらしい。
俺も兄上も、彼女はブックデルにいると踏んでいる。
そしてあのリゼの話に尾鰭をつけて噂を流したり、偽たくあん聖女としてたくあん(?)で人を殴って怪我をさせたり、たくあんと称した別のものを食べさせて人々に危害を加えているのも彼女ではないか。
そう俺たちの中で考えは一致していた。
最後に見たアメリア・カスタローネの様子からして、リゼのことをかなり憎んでいるようだったから、もし疑惑のブックデルにリゼを連れて行けば、彼女の身が危なくなる可能性がある。
それだけは絶対にダメだ。
だからこそ、俺はリゼに会うことなく1人で国を出た。
「いらっしゃい、お待ちしていました」
「初めまして。クロード・グラスディルです。突然のことにもかかわらず、受け入れいただき感謝します── カデナ・グラウ・ブックデル王太子」
ブックデルの王城に到着してすぐ出迎えてくれたのは、夜分遅くにもかかわらずカデナ王太子本人だった。
長い黒髪を一つに束ね、眼鏡をかけた、いかにも研究者然りといった様子の彼は、この時間でありながらも嫌な顔一つせず迎え入れてくれた。
まぁ、嫌な顔もしていないが笑顔というわけでもなく、ただただ無表情なんだが……。
「いえ。他ならぬリゼリア殿のためですので」
やっぱりこいつもリゼの人タラシにまんまとたらし込まれたうちの1人か……!!
彼にはあらかじめ、俺を受け入れてもらう連絡をした際にこちらの事情も話した上で協力を仰いでいる。
リゼの論文に興味を示して交流していたということから、彼女を害することはないと判断したからだ。
全てを知った上で俺を研究見学のためという名目で受け入れるとしてくれることには感謝せねばならないが、リゼ(の論文)に興味がある男だということでどうも警戒してしまう。
「部屋に食事も用意させます。今夜はゆっくりお休みください」
「何から何まですみません。お言葉に甘えさせていただきます」
当たり障りない話をしながら案内された部屋に入ると、俺が馬に乗せてきた荷物はすでに部屋に用意してあった。
こんな遅い時間にもかかわらず働かせてしまって、使用人たちに申し訳ないな。
「明日の案内役は私です。どうぞよろしくお願いします」
「あぁ。こちらこそ、よろしくお願いします」
俺は笑顔を浮かべると、カデナ殿は表情を崩すことなく部屋を後にした。
あの人、始終表情変わらなかったな。
明日から調査が始まる。
早急に噂の出どころを突き止めて、リゼのところに帰らなくてはな。
俺はその後すぐ運ばれてきた料理をいただいて、風呂に入り、淡々とした動作を繰り返した後、ベッドへと潜り込んだ。
「あー……早く帰って、リゼのご飯が食べたい」
1人の部屋に、俺の情けない本音だけがぽつりと響いた。