第五十七話 忘れモノ
旅行の準備。
どれだけ念入りに準備をしても、何かしら忘れてしまう。
時間が足りなければなおさらだ。
過去への旅立ち。それが目前に迫っている。
忘れ物を減らすために準備を始めたが、やらなければならないことがたくさんでてきた。
俺は一体、何を持って行き、何を忘れてしまうのだろうか――
過去に戻る前に、調べておかなければならないことがある。
それは俺と玲菜がいなかった空白の一日についてだ。
タイムスケジュールがしっかりしていれば、成功率も自然と上がっていくはず。
……と、玲菜が言っていた。
二十四時をすぎた時間だが、俺たちは応接室で作戦会議をしている。
「メルに聞いたことをまとめるわね。結界からの魔力供給が途絶えたのが十時、メルの身体が消滅したのが十三時よ。私たちが戻ってきたのが――」
「翌朝七時だな」
ソファーに俺と玲菜は向かい合うように、玲菜の隣には柚葉が腰掛けていた。
俺の答えを聞いて、玲菜が満足そうに頷く。
「ええ。そうよ。偉いわね。ちゃんと覚えていただなんて」
「バカにするな。俺だって、少しは成長してるんだ。それよりも結局結界は張れたのか?」
「そこは私も聞いてなかったわ。どうなの? メル」
玲菜は振り返り、後ろに控えているメルを見た。
メルはいつもの抑揚のない声で呟く。
「結界は成功しました。ですが、魔法陣からの魔力供給が止まっていては継続は不可能です」
学校の屋上にある結界に坂上が楔を打ち込んだことで、メルへの魔力供給がおかしくなった。
そんな重要な結界をなぜ、この屋敷ではなく、外に置いたのだろうか。
「なあ、学校の屋上にあった結界が重要なのはわかるけど、重要すぎないか? なんでそんな場所に雪城家の心臓みたいなのがあるんだ?」
「違うわ。別に学校の屋上にある結界が重要ってわけじゃないのよ。ただ、タイミングが悪かっただけ。私がこっちにいれば、学校の結界が何個なくなってもメルは身体をなくしてはいないわ」
玲菜は言って肩をすくめる。
あの金曜日じゃなきゃ、坂上の行動は問題なかったってことだな。
「……ってことは、過去の玲菜がいなくなっても、お前がいるからメルは消えないってことになるのか?」
「……面白い推測ね。どうなの?」
玲菜も興味を持ったらしく、体ごとメルの方を向いた。
少し考えて、メルがゆっくりと答える。
「わかりません。ですが、おそらくは過去の玲菜様がいらっしゃらないなら、玲菜様とパスが繋がるのではないでしょうか?」
「つまり、過去のメルの負担が減る可能性もあるわけね」
「そうなりますね。ご心配、ありがとうございます」
メルの言葉に玲菜は満足げに頷いて、俺の方に向き直る。
「あと他に聞いておくことはあるかしら?」
玲菜もなにか聞き忘れがないか、不安なのだろう。
確かに一度行ってしまえば、聞きに戻ることはできない。
予め、しっかり情報を集めておきたいところだ。
「一応、念のために詩子や戸田にも話聞いておいた方が良いんじゃないか?」
「……え? どうして?」
「いや、アイツらだってあの日のこと、なんか知ってるわけだし、聞いておいた方がいいんじゃないか? ……それにお別れも言っておきたいしな。過去に戻ったらもう会えなくなるわけだし……」
玲菜は眉をひそめ、表情が少し険しくなった。
「はぁ……戸田は構わないと思うけど、白峰さんはやめた方が良いわね」
「なんでだよ?」
「だって、絶対に面倒になるもの」
「面倒ってなんだよ! 少しくらい話す時間を作ってくれても良いだろ?」
「あのね……そういうことじゃないのよ」
俺をなだめるように玲菜が零す。
黙って聞いていた柚葉が、ハッとなにか思いついた顔を見せた。
「詩子……? ああ、白峰詩子さんか……うん。あたしも面倒になると思うな」
「柚葉まで……なんでみんなでよってたかって詩子にひどいこと言うんだよ……ってか、未来の詩子と知り合いなのか?」
「あ、うん。詩子さん知ってるよ。まあ、敵だけどね」
「敵? 詩子と一体何があったんだ?」
「まあ、日々殺し合いかな。理由は聞かなくてもわかるよね……?」
わかるよねって、当たり前のように言われてもわかるわけがない。
それも殺し合いとなればなおさらだ。一体どんな因縁があるのだろうか。
「理由? なんだろ……?」
「……私がアンタを殺したからでしょ。いちいち言わせないでよ」
なるほど。とんでもない爆弾だったようだ。
確かに詩子の性格なら、玲菜が俺を殺したとわかったなら、深い恨みを持ちそうだな。
それだけ絆が深い相手だ。やっぱり、挨拶はしておこう。
「詩子が……やっぱり、会っておいた方がいい気がするぞ」
玲菜は深い、どこまで深いため息を零した。
「……わかったわ。なら、出発は明日にしましょう。柚葉もそれでいいわよね?」
「う、うん。あたしもその方がいいかな。春馬さんの記憶が本当になくならないのか確かめた方がいいしね」
「ありがとう、二人とも……」
「……でも、最初に言っておくわよ。絶対に面倒になるって……」
玲菜の悲しいつぶやき。
なんで玲菜がそんなことを言ったのか、その時の俺は何もわかっていなかった。
最後の挨拶くらいはしとこうかなと簡単な気持ち。
それがまさか、あんなことになるなんて、夢にも思わなかったんだ。
※ ※ ※
翌日、朝。
夜のうちに書いておいた手紙をポケットにしまい、雪城邸の応接室にきていた。
どうも目が腫れぼったい玲菜が、俺の記憶が消えていないことを確認し、すぐに戸田と詩子を呼び出す。
玲菜に呼ばれて、二人はすぐにやってきてくれた。
応接室のソファーに座った二人に状況を告げる。
そして、あの『空白の一日』に起こった出来事を聞いた。
目新しいことはなにもなく、情報としては弱かった。
ふと、詩子が真剣な面持ちになる。
「話はわかりました。先輩を助けるためには、過去に戻ってメルさんに治してもらえば良いんですよね?」
「そうだな。だから、お前とは――」
お別れを言おうと思ったが、詩子に先に遮られた。
「私も着いて行きます。連れて行ってください」
「は? ダメだろ……」
「私も手伝います。なんでダメなんですか?」
「え、いや、だから……」
俺が言葉を詰まらせていると、ソファーに座らず、壁に体を預けていた玲菜が一歩前に出た。
「残念だけど、時間移動魔法には人数制限があるのよ。春馬と柚葉と私の三人まで。あなたを連れて行けないわ」
詩子は決して振り返らない。
ずっと俺を見つめたままだ。俺に確認をとろうとしているのがわかる。
しかし、俺だって連れていこうとは思えない。
俺が黙っていると、詩子は唇を一度だけ噛みしめた。
「……っ、だったら、雪城先輩の代わりに私が行きます。それならいいですよね?」
「バカなことを言わないで! 行ったら戻ってこられなくなるのよ?」
「別に構いません。先輩と一緒にいられるなら、それでも……いえ、その方がいいです!」
頑なな表情を見せ、詩子は聞く耳を持たない。
玲菜は大きく息を吐き、詩子を指差した。
「とにかくダメよ。連れて行けない。わかった?」
玲菜の言葉に、詩子が立ち上がって振り返る。
「偉そうに仕切らないでください! 私と雪城先輩でなにが違うんですか! あなたにできることなら、私にだって出来るはずです」
「……さすがにそれはないわ。白峰さん、あなたはバレッタも無くした。レガリアの欠片ももうない。魔闘師たちを相手にまともに戦えるはずがないわ」
「……っ、そ、それでも! なにか、力になれることがあると思います! ……先輩に会えなくなるなんて……絶対に嫌です……」
詩子は両手を前で組み、小さく震わせている。
今にも泣き出しそうな顔だ。
何か言ってあげたいが、優しい言葉は出てこない。
「俺も詩子に会えなくなるのは寂しい。でも、だからって、戻ってこられないところには連れていけない」
「先輩と一緒なら、戻ってこられなくても構いません」
「そんなこと、できるわけないだろ。連れて行けないって」
「嫌です、嫌です。絶対に連れて行ってください!」
詩子の瞳が助けを求めていた。
だが、ここでいい加減な返事をしたら、余計に傷つけるだろう。
きちんと断らないといけない。
「ダメだって言ってるだろ。わかってくれ。詩子」
「ど、どうして、私じゃダメなんですか?」
「い、いやだって、ここは玲菜のところの結界を使うんだから、お前を連れて行くとダメだろ?」
「嫌です。絶対に着いて行きます! ダメだって言うなら、過去になんか行かせません!」
とうとう強硬策に出はじめた。
いつかは来ると思ったが、ここまでハッキリくるとは……
「ちょ、ちょっと……それは……」
「そして、先輩が死んだら、私も一緒に死にます。もう決めたんです!」
さすがに死ぬと言われたら、止める必要がある。
ちょっと強めに言うべきだろう。
「ちょっと、落ち着けよ。俺は詩子に死んでほしくない。そんな条件なら、黙って過去に飛ぶ。それでもいいのか?」
「……そんな……」
「詩子なら、俺なんかいなくても、ちゃんと生きていける。幸せになれよ」
「嫌です! 何でそんなこと言うんですか! 私は……私は……!」
詩子は顔を真っ赤にして、目に涙をいっぱいためて、俺を見つめる。
そして、大きく息を吸う。
「わ、私は……先輩のことが、先輩のことが……す――ぃ」
詩子の背後にいた玲菜の手のひらが、淡い光を放ちながら彼女の背中に触れていた。
ガクン、と詩子の身体から力が抜け、玲菜に支えられるように倒れ込む。
「お、おい。今、重要な話の途中だっただろ?」
キッと音が出るほど強い瞳で玲菜が俺を睨み付けてきた。
「だからなに? 仮に愛の告白だったとして、アンタはそれを受け入れるの? そして、連れて行くの? ……白峰さんはレガリアも神器ももう持ってないのよ?」
言葉はキツいが玲菜の手が少しだけ震えている。
詩子が何を言いたかったのか、わかったのかもしれない。
「それはそうだけど……きちんと話をして、別れを告げないのは違うかなって……」
「無駄よ。どんなに言葉を並べても納得しない。彼女は本気でアンタとの未来しか考えないわよ。それくらいわからないの?」
「……っ」
「だから、面倒になるって言ったわよね?」
玲菜は小さくため息をつきながら、眠る詩子をソファーへ横たえた。
俺はしばし無言でその姿を見つめた後、ポケットから一通の封筒を取り出す。
昨日の夜にしたためておいた親への手紙だ。
「……何それ?」
玲菜が不思議そうに首を傾げる。
「一応、親にな。昨夜書いておいたんだ。ただ、急に消えても探さないでくれってことだけ……直接渡すのは、ほら、色々面倒だからさ」
「ちょっと、それ変な遺書みたいな内容じゃないでしょうね? 見せなさい」
「や、やめろよ。こんなの恥ずかしくて、他人には読まれたくない!」
「……ま、まさか、白峰さんへのラブレターじゃないでしょうね!」
玲菜がジト目で睨んでくる。
「は、はぁ!? そんなもの書くかよ! 本当に親宛てだ!」
俺はソファーで眠る詩子の、心細そうに開かれた手のひらにその手紙を握らせた。
目覚めた彼女が、すぐに気づくように。
それを見た玲菜は、呆れたような、どこか酷く切ないような顔を俺に向ける。
「だとしたら……アンタは本当に、残酷なことをすることになるわよ……」
「どういうことだよ?」
「その手紙を見て白峰さんは泣くわ。アンタがいなくなったことを実感してね。そして、その手紙をアンタの親に渡すという重役まで与えられたことに気づく。どれだけ苦しむのか、考えた方がいいわね……」
眠る詩子の小さな手のひらと、そこに握らせてしまった封筒を見る。
良かれと思ってやったことが、詩子をそこまで追い詰めるなんて、思いもしなかった。
玲菜の言葉に俺が言葉を詰まらせていると、それまで黙って話を聞いていた戸田が、頭をガリガリと掻きながら溜め息をついた。
「最近なんかおかしいとは思ってたけど、なんかすげえことになってたんだな……」
「ま、まあな。俺もあまり実感はないんだけど……」
俺には記憶がなくなっていた四日間がある分、戸田と会っていなかった期間は短い。
なんなら一日会ってない程度だ。
でも、戸田からすれば、一週間近く会っていないことになるのだろう。
そんな俺の心配をよそに、戸田はいつものようにニコッとさわやかに微笑む。
「なんにしても、もっと早く相談してくれよ。本当は今日殺されてたとか、そっちのコが未来から来た雪城の娘だとか……過去に戻らないと死んじゃうとか……めちゃくちゃじゃねえかよ」
「まあ、な」
戸田の視線が隣に流れる。
俺の隣には柚葉が座っていた。
「つーか、そっちのコが雪城の娘の柚葉ちゃん? 顔はお母さんにそっくりだけど、めっちゃ優しそうな表情してるよな。似なくてよかったな性格……」
「……戸田。アンタ死にたいの?」
玲菜が戸田を睨み付ける。
「い、いや……ごめん」
戸田は冷や汗を拭いながら、今度は俺に話を振った。
「あ、そうだ。なんかよくわかんねぇけど、その手紙は俺がお前の親に渡しとくよ。それでいいか?」
「ほんとか? 助かるよ!」
俺は詩子の手から手紙をそっと抜き取り、戸田に渡した。
それを見ていた玲菜は、ホッと息を吐く。
そして、少しだけ意地悪顔を戸田に向けた。
「戸田なら別に問題ないわね。しっかり渡して、春馬の親からの非難を浴びてきなさいよ」
「ちょ、俺への扱いがいつも悪いんじゃねえのか! 柚葉ちゃん。マジで似ちゃダメだからな!」
「戸田っ! アンタ、ホントに殺すわよ!」
「雪城とも、これで最後なんだ。最後くらい、俺にも友だちらしいこと言わせてくれよ」
「……は? アンタなんか友だちじゃないけど……?」
「マジで、ひどすぎないか!?」
戸田が本気で困惑しているのを見て、玲菜が優しく笑みを浮かべた。
「冗談よ。これから、学校の生徒会長として私の代わりを頼んだわよ」
「ゆ、雪城……っ」
「さ、これで、別れの挨拶はいいわね」
「おい、切り替えが早すぎるぞ!」
玲菜に突っ込み、戸田はゆっくりと俺を捉えた。
珍しく戸田が真剣な顔をしている。
「それじゃあ、もう会えなくなるのか? 赤羽……なんか……うん、残念だな」
「戸田……」
「けど、まあ、会えなくなるのはつれぇけど、まあ、お前が死ぬよりマシだな。なんも手伝えねえけど……過去の俺にも頼ってみてくれよ」
「ありがとうな。戸田」
抱き合いたいところだが、そんな趣味はない。
それでも、なんとなく照れくさかったが、戸田と握手を交わした。
なんとも言えない重い空気が流れる。
ふと目をやると、玲菜とメルがあまりにも普段通り過ぎた。
もうすぐ会えなくなると言うのに、これでいいのだろうか。
なんとなく気になり、玲菜に話しかけた。
「お前、メルと挨拶はしなくていいのか?」
「……ええ。昨晩、もう十分すぎるくらい話したわ……」
朝、玲菜を応接室で見たときに目が腫れていた原因がわかった。
「ああ、それで目が腫れぼったいのか……」
「うっさいわね。思いっきり泣くくらい誰だってあるでしょ……」
「え? 寝不足かと思ったら、泣いてたのか?」
「――っ。うっさいバカ! 余計なお世話よ!」
「玲菜様は大変可愛らしかったですよ」
メルにしては珍しく、どこかにやついた顔をしていた。
玲菜が顔を真っ赤にしてメルに視線を送る。
「ちょ、メル!?」
「朝方には子どものように――」
「言わなくていいから!」
少しだけ重かった空気が和らぐ。
玲菜は咳払いを一つした。
「それじゃ、空白の金曜日のタイムスケジュールははっきりしたわね」
「十時に行われた結界への楔を邪魔することだな」
「そうね。それがなければ、メルの体が消えることはなかったはずよ」
柚葉が笑顔を浮かべ、手を叩く。
「わかった。じゃあ、金曜日の八時くらいに戻ればいいね」
柚葉が意気揚々と行動を始めようとする。
そこで、助けたい、もう一人の人物を思い出す。
「ちょっと待ってくれ。過去に戻る時間は選べるのか?」
「うん、そうだけど……あんまり無茶な移動はこの時代の結界じゃできないよ?」
「一日前の木曜日に戻って欲しいんだ……七海を助けたい」
玲菜が表情を強張らせる。
「渋谷さんを……? アンタ、また変なことを考えているんじゃないでしょうね?」
その言葉にはいらだちが込められていた。
「なんだよ。変なことって?」
「あの約束よ。私の一番になったらってやつ」
「ああ。そうだ。あれはきちんと約束したからな。助けてハッキリけじめをつけないと」
「アンタね……なんでそうやって命を投げだそうと――」
「その約束は守れなくなったって。きちんと反故にしないとな」
玲菜の瞳が大きく開いた。
戸惑いながら、玲菜が言葉を発する。
「……え? そ、それ本気で言ってるの?」
「もちろんだ。玲菜の一番になったら、殺してくれ。なんて無責任なことはもう言わない。未来のお前の話聞いたら、とてもそんな約束はできないよ」
「春馬……」
玲菜の目が何度も瞬く。
心なしか玲菜の表情が柔らかくなったような気がする。
ずっと嫌がっていたもんなこの約束。七海とけりをつけるんだ。
「そういうわけだ。柚葉頼む」
「……一日前か、だったらいいよ。時間の指定もある?」
柚葉が俺に聞いてきたところで、玲菜が身を乗り出した。
「移動先はここの結界で間違いないのね?」
「うん。そうだよ。この屋敷の結界で術式発動させて、移動先の結界に出てくる」
柚葉の言葉を聞いて、玲菜が考え込む。
しばらく考えた後にゆっくりと口が開いた。
「なら、魔闘師たちがやってきて、過去の私たちが逃げた時間にしましょう。木曜日の十四時よ」
「わかった。準備するね」
よし。行く時間が決まった。
後は行くだけだ。
元気に準備をしようとしている柚葉。
昨日出会ったばかりなのに、もう打ち解けている。
昨晩はゆっくり寝られたのだろうか。
柚葉を見ながら、そんなこと考えていると、不意にここにもう一人泊まっていることを思い出した。
伊勢島たちにやられて、大けがをした諏訪だ。
治療は終わったのだろうか。
「そういえば、諏訪はどうなったんだ? まだ寝てるのか?」
俺の質問に玲菜が呆れ顔を見せた。
「……アンタさ、あれから何日経ったと思ってるの? とっくに帰ったわよ。アンタと帰りの挨拶もしてるわよ」
「……え? そうだったのか?」
全く覚えていない。
「記憶がなくなってた間の出来事だものね。覚えてなくて当然か。まあ、結構きついことを言われてたから、忘れたままの方がいいわね」
なるほど。記憶をなくしている四日間のうちのどこかで帰ったのか。
それは覚えていなくても仕方ないな。
って、一体俺は諏訪に何を言われたんだ?
気になるが、きっと腹立つだけだな。
聞くのはやめておこう。
俺が頭を縦に振ると、玲菜は言葉を続けた。
「アイツ、意味深なことばかり言って、全く役に立たないのよね。魔法使いとしては優秀なんだから、もっと役立てて欲しかったわ」
「珍しいな。諏訪を褒めるなんて……」
「……褒めたつもりはないけど。まあ、そうね。能力は認めてるわ……で、急に諏訪の話なんかしちゃって、まさかアイツとも最後の挨拶しようとか思ったの?」
「そんなわけないだろ。諏訪となんて関わらなくて良いなら一生関わりたくないな……」
「……? ならどうして、急に話を持ち出したのよ?」
「なんでだろうな。なんか、ふと、諏訪の顔が思い浮かんだだけだ」
「なによそれ。素直になれない恋する乙女みたいよ?」
「そんな趣味は一ミリもないから!」
なぜだろう。
柚葉の笑顔が一瞬だけ引きつった気がした。
でも、すぐに笑顔に戻っているから、見間違いだろう。
立ち上がろうとした俺を、メルが呼び止める。
「赤羽様。念のために神器はすべて置いていってください。同じ時間帯に神器が二つあったら、私がどんな行動に出るのか想像もできませんので……」
過去に戻って聖印と神器の力で無双できると思っていただけに、残念だ。
でも、メルが持って行かない方が良いというなら、その方がいいだろう。
「ああ、わかった」
俺は持っていた七つの神器を、静かに机の上に置いた。
よし、これで準備万端――
「あ、春馬さん。ポケットのそれも、持って行ったらダメだよ?」
術式の準備を行っていた柚葉が、思い出したように俺のズボンを指差した。
「え? これか? 携帯だけど……過去に持っていっちゃダメなのか?」
「うん。過去の自分の携帯と干渉して、電話が繋がらなくなるよ。連絡できなかったら、困ったことになるよね?」
「確かに……」
過去の俺が携帯が繋がらないって、慌てている様子が目に浮かぶ。
玲菜が呆れたようにため息をつく。
「やっぱり何も考えてなかったわね、アンタ。ほら、さっさと置いていきなさい」
「わ、わかったよ……」
俺は冷や汗を拭いながら、ポケットから携帯を取り出した。
神器のそばに置くと、玲菜もさりげなく胸ポケットから自分の携帯を出して置いた。
「おい!」
「な、なによ!」
コイツ、自分も持って行く気だったのに、よく上から言えたな。
しかし、ここで突っ込むと面倒なことになる。
ふと、俺の携帯より玲菜の携帯の方が分厚いことに気がつく。
なんか意外だ。
「お前の携帯って、結構厚いんだな」
「……なに、いきなり?」
ピクリと玲菜の視線が険しくなった。
あれ、なんか俺、変なこと言ってるのか。
「い、いや、こんなに分厚いのを胸ポケットに入れてるんだなって……」
「……私の胸に文句があるなら聞くわよ?」
「携帯の厚みの話しかしてないだろ!」
俺と玲菜のやりとりを見て、柚葉が笑っていた。
玲菜に似て、天真爛漫で、どこか憎めない可愛い女の子。
会った時からずっと気になっていたことがある。
柚葉は、未来から来た玲菜の娘。
――父親は一体誰なんだ?
俺は死んでいるはずだから、俺でないことだけは確かだ。
柚葉のふとした表情が、誰かの面影と重なる。
もしかして、父親は俺が知っている人物なのだろうか。
「なあ、柚葉。お前の、ちちお――」
言いかけて言葉を止める。
だめだ。父親の名前を聞くのが怖い。
相手が誰であれ、玲菜とそんなことになったと思ったら、正気が保てなくなる気がする。
未来の話だ。俺には関係ない。
なのに、なぜか胸の奥が妙にざわついた。
聞かない方がいいことだ。
「え? なに春馬さん?」
「い、いやぁ、なんでもない!」
「言いかけてやめるのはよくないわよ。なによ、ちちおって?」
玲菜は露骨に嫌そうな表情を浮かべ、柚葉は期待に目を輝かせている。
二人に詰め寄られ、緊張感が高まっていく。
「あ、ああ……あの、そ、その……ち、ちちお……」
「ちちお……?」
ダメだ。逃げられそうにない。
何か言わなきゃ――
「ち、ち……乳を、見せてくれ」
「……は?」
「……え?」
部屋が一瞬、北極並みの絶対零度に凍りついた。
咄嗟のこととはいえ、なんてことを口走ったんだ。
やばい。これはやばい。
「さ、さあ、出発の前の冗談はここまでだ。みんな行くぞ!」
「アンタ、さっきからなんなの、おっぱいネタは! 私にケンカを売ってるの?」
「違う! これは事故だ!」
「どこがよ!」
うつむいていた柚葉が、顔を上げたとき覚悟を決めた表情になっていた。
「……春馬さんが望むなら、あたしは――」
「そこ、その気にならないの!」
玲菜の怒声が部屋中に響き渡った。
ふいに、ソファーで眠ったままの詩子に視線が止まる。
自分がどれだけバカだったのか、ようやくわかった。
詩子のこの先の人生には、俺や玲菜とこんなバカ話することはもうないのか。
二度と会えなくなるから最後の挨拶なんて、自己満足もいいところだ。
俺は本当の別れなど、全くわかっていなかった。
玲菜の言う通りだ。
確かにこれは、面倒になったな――
「ほら、行くわよ。春馬」
「……ああ。わかった」
俺は過去へと進む。
大事な幼なじみの気持ちを忘れ物にして――




