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魔法使いのいる街  作者: 水瀬 瑞希
第一章 DAY BEFORE
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第一話 覚醒した力

「私たちに任せて、君は逃げるんだ!」


 おじさんがそう叫んだ。

 隣にいたおばさんは微笑みを浮べる。

 俺は恐怖に震えながら何度も頷き、逃げることしか出来なかった。

 後ろから二人の悲鳴と大きな爆発音が響き、意識を失うまで。

 


「こんなクソ展開はイヤだ!」


 俺の叫びが深夜のコンビニに響く。周りのお客が一斉にこちらを向いた。

 鼻息を荒くし、俺は立ち読みしていた漫画の週刊誌を勢いよく本棚に戻す。

 誰かを助けるために、誰かが犠牲になる展開は苦手だ。それこそ、周りが見えなくなるくらい。


「あのな、赤羽あかばね。作り話のフィクションだ。そんなキレんなよ?」


 隣から呆れ気味に話しかけてきたのは、同級生でもあり、バイト仲間でもある、戸田とだ 康生こうせいだ。

 長めの髪と大人びた端正な顔立ちは、ホストでも始めればすぐにでも指名が入りそうな、羨ましい容姿。同い年の高校二年生には見えない。

 バイト帰りの少々気怠い空気の中でも、戸田は俺をなだめながら、涼しげな笑顔を浮かべ、俺が投げ出した漫画を読んでいる。


「一人だけ逃げるとかないよな。代わりに主人公が死ねば面白くなったのに」

「……それって話、終わるんじゃねえ?」


 確かに、主人公が死んでしまったら、物語にはならない。


「なら、全員死ぬとか?」

「もっとひどくねぇ!?」

「だったらみんな助けて欲しいよな。理不尽な状況に追い込んでおきながら、主人公だけが助かるのは見てて気分が悪い」

「…………はいはい、ご都合主義乙」


 呆れ声の戸田。漫画に没頭しているらしく、どうでもいい様子だ。

 俺は小さく舌打ちし、時計を見た。すでに二十四時近く。

 明日も学校だ、そろそろ帰るべきか。


「おい、戸田。もう帰ろうぜ」

「……ちょっと待ってくれ、今いいところなんだ。あと五分だけ!」

「たくっ、しょうがねぇな」


 戸田は訳あって一人暮らしをしている。

 早く親元を離れたい俺としては、非常に羨ましい境遇なのだが、コンビニで時間をつぶして帰る姿を見ていると、家に帰って一人というのは、ことのほか寂しいのかもしれない。

 戸田を待ちながら、何気なく窓の方に目を向けると、反対側の歩道からこちらに向かって、大きな何かが飛んできていた。


「な、ななっ――――!」


 俺は思わず屈め、腕で顔を覆う。それと同時にガラスの割れた音が派手に響き、冬の冷たい風が一気に流れ込んできた。

 何かが俺のほんの一メートル隣の窓を突き破り、レジに突っ込んだようだ。

 立っていたのがあと少し、レジ寄りだったら直撃していただろう。背筋がゾクリと震える。

 ふいに甲高い反響音がどこかから聞こえ、驚いて周りを見渡すと、さっきまで隣で漫画を読んでいたはずの戸田の姿がない。


「え? と、戸田……?」


 いや、戸田だけじゃない。

 コンビニの中から、俺以外のすべて人間が消えてしまったのだ。


「な、なんだ? なんだ?」


 何が起こったのかさっぱりわからず、俺は何度も辺りを見回す。

 レジカウンターに激突した物体が、ふいにごそごそと動き出した。

 俺は身構えつつ、目をこらすと、それは人間のようだ。

 長い黒髪に隠れているために顔は見えないが、黒いハーフコート、黒いセーターに黒いショートパンツ。おまけに黒いニーハイソックス。ブーツまで黒い。

 全身黒ずくめでありながら、美しいと思えるシルエット。

 線の細さと胸の膨らみから若い女なのがわかる。

 ガラスをぶち破ってきた際に、怪我をしたのか、あちこちが切り裂かれ、傷跡が生々しい。

 彼女はふらつきながら、手にした日本刀のような物を地面に突いて立ち上がる。

 辿々しく辺りを眺めているが、俺には気づいていない様子だ。

 話しかけることに一瞬躊躇するが、どう見ても放っておける状況じゃない。

 俺は恐る恐る近づき、声をかける。


「あ、あの……」


 女はギクリと体を震わせて、すごい勢いでこちらを見た。

 その顔を見て、俺の時間が止まる。

 卵形の顔に大きな瞳と小さな鼻。見た人間の多くが美人と言い、一部の人間が可愛いというであろう美少女。

 俺が密かに憧れているクラスメイト、雪城ゆきしろ 玲菜れいなだったのだ。


「え? ゆ、雪城……?」

「…………あ、あなたは、赤羽あかばね 春馬はるま……君?」


 息を呑み、俺たちは顔を見合わせる。だが、雪城はすぐにハッとして体を逸らし、耳に手を当てて、大きな声で叫んだ。


「メル! 何やってるの! まだ残っているわ。すぐに三番を発動させて!」


 携帯も何も持っていないのに、誰かと会話をしている素振り。

 頭を強く打って、おかしくなったのだろうか。俺の心配をよそに話は続く。


「……え? うそ……で、でも、ここに……っ、わかった、こっちで対処する」


 そこで話が終わったらしく、雪城は耳から手を離し、俺に近づいてくる。

 その顔は学校で見かける朗らかで柔らかい笑顔はなく、鋭い目つきに深い眉間のしわ。ともすれば、殺意さえ感じ取れる危機の迫った顔だった。


「ここは危険よ。すぐに逃げなさい」

「へ?」


 状況がわからず間の抜けた声を発した瞬間、コンビニの窓ガラスが割れ、またなにかが躍り込んできた。入ってきたのは全身裸の男。

 露出狂の変態かと思ったら、そいつは人間とは少し違っていた。

 顔はのっぺりとして表情はなく、各関節部分には機械が見え隠れして、そこが奇妙に稼働して動いている。まるで可動式のマネキン人形だ。

 人形の手には一メートルはあるであろう、血に染まった刃物が握られていた。


「――っ、もう来たの」


 低い声でそう呟くと、雪城は庇うかのように、俺の前に出た。


「な、なんだよ、アイツ……」

「……あなたが知る必要はないわ。巻きこまれたくないなら、さっさと逃げて」

「に、逃げろって……お、お前は、どうするんだよ?」


 雪城は人形と対峙したまま、尻目にこちらを見る。

 輝きのある大きな瞳は、血塗られていても美しさは変わらない。

 こんな場でありながらも、その眼で見つめられると、心臓が高鳴った。


「……余計な心配よ。私は大丈夫だから」


 傷だらけの奴に言われても、納得できるはずがない。

 俺は雪城の手を強引につかむ。


「大丈夫なわけないだろ、お前も逃げるんだ!」

「ちょ、ちょっとっ!」


 雪城の不満な声が耳をついた瞬間、機械のような奇妙な音を立て、人形が俺を目がけて襲ってきた。


「ぴぃしゃぎゃっっっー!」


 人間とは違う、下手な人形師が動かすマリオネットのような異質な動き。

 鳥肌が全身を伝い、眼はその薄気味悪いものに注目して、思考も判断も回避も、何もかもが手遅れになっていた。

 人形は目の前までやってきて、手に持った刃物を思いっきり俺に振り下ろす。

 死を覚悟した俺は、小さく悲鳴を上げ、目をつぶった。

 ――ドンっ

 切られた痛みとは違う、強く押された感触。床を叩く金属音。香水のような甘い匂いと血の臭い。イヤな予感がよぎり、目を開けた。

 過程はわからない。だが、結果は明らかだ。

 尻餅をついた俺を覆うように、雪城が倒れている。

 雪城が身を挺して俺を庇ってくれたのだ。


「ゆ、雪城っ!」

「……だ、大丈夫……よ」


 意識はあるようだが、ぐったりとして力がない。

 心配になり慌てて立ち上がろうとして、生暖かい液体の感触があった。


「ひっ……」


 俺の手が真っ赤に染まっている。血だ。全身から嫌な汗がどっと噴き出す。

 おそらく雪城の血。背中からバッサリと切られているのだろう。

 混乱する頭を現実に引き戻すように、ガラガラと刃物を引きずる音が店内に響く。表情のない人形がすぐそばに迫っていた。

 人形との距離は三メートル程度。

 手負いの雪城を連れて逃げるのは不可能だ。助かりたいなら、雪城を見捨ててるしかない。心臓は激しく鼓動を打ち、急いで逃げろと催促してくる。

 絶望的な状況の中、不意に俺を庇って傷つき倒れた、幼なじみの血まみれの姿が頭をよぎった。

 助けに来てくれた人たちに甘え、全てを見捨てて逃げたあの日。

 今思い出しても、情けなくて泣きたくなってくる。

 恐怖に身を焦がしながらも、拳を握りしめた。


「こんなクソ展開はイヤだ!」


 さっき、漫画の主人公に向かっていった言葉。

 周りを犠牲にして、自分だけが生き残るなんて絶対に許せない。

 ご都合主義かもしれないけど、助かるなら雪城も一緒だ。

 ――俺が、俺が助ける。

 血で染まる手を強く握りしめた。

 俺は人形に目を向け、何かこの状況を打開できる方法を探す。

 その間にも人形がじわりとにじり寄ってくる。考える時間を確保するために、俺は辺りにあるものを片っ端から人形に投げつけた。

 しかし、それらを人形は軽々といなして、俺に時間など与えてくれない。

 焦りと緊張の中、手に触れた冷たい感触。

 ――雪城が持っていた刀だった。

 俺はそれを強く握りしめ、人形に向けて構える。

 ずしりとした重量、考えていたよりも遙かに重い。

 鉄の重みだけじゃない。血で濡れた刀の柄、それが命の重さに思えた。

 剣道の経験や知識なんてない。

 でも、そんなの理由にならない。やるしかないのだ。


「うわぁぁぁ!」


 俺は雄叫びをあげ、人形に斬りかかる。

 上段からの全力の振り下ろし。それを人形が手持ちの刃物で振り払った。

 それだけの動き。たったそれだけで、俺は派手に吹き飛ばされる。


「ぐはっ――!」


 壁に背中を激しくぶつけ、ずるずると崩れていく。

 つばぜり合いさえ出来ない。走っているダンプカーに斬りかかったかのような強い衝撃だった。なんて力なんだ。

 おおよそ人間の常識を遙かに超える腕力に、得も言えぬ恐怖に駆られた。

 ガタガタと震えながらも、逃げるという選択肢は選べない。

 どうしても、雪城と二人でこの場から生きて出たかった。

 恐怖を押し殺し、立ち上がると、雪城と目が合う。


「逃げて」


 声は掠れて聞こえないが、そう訴えているのがわかった。


「ばか野郎……逃げろって言うのは、俺のセリフだ!」


 強力な相手に足は震え、背中が痛みを発し、呼吸は浅く短くなる。

 構えた俺に向かってくる人形。

 どうにかしたくて、守りたくて、助けてたくて、だけどなにもできない自分。

 これじゃあの時と変わらない。目の前で幼なじみが傷つき倒れたあの日と。

 もうあんな目に遭うのは嫌だった。なんとかしたかった。どうにか変えて欲しかった。俺は声を大に叫んだ。


「誰でも、何でも、ご都合主義でもいい――俺に力を貸してくれ!」


 その瞬間、刀が激しく輝きを増した。


「――承認しました、マスター。力を解放します」


 刀からだろうか。脳に直接語りかけてくる声があった。同時に体中に力がみなぎってきて、重かった刀がまるで羽毛のように軽く感じられる。


「な、なんだこれ……」

「う、うそ……どうして、赤羽君が……?」

「ぎゃりぎゃるぁぁぁぁ!」


 奇妙な発声で人形が飛びかかってきた。

 今まで敵意すら見せなかった人形が、なりふり構わず襲いかかってきたのだ。

 まるでこの刀に脅えているかのように。

 人形は全力で向かってきているのだろうが、なぜか、ゆっくりに見えた。

 俺は相手を迎え撃つように、刀を振る。

 人形が刃物で防ぎ、激しい金属音が響き渡った。

 さっきまでは攻めることも防ぐことも出来なかった相手だったが、今はホウキでやるチャンバラのように、簡単に受け止められる。

 刀を押し返すように突き出すと、人形が耐えきれずバランスを崩した。


「今です、マスター。なぎ払ってください」


 また声が聞こえてきた。刀から溢れんばかりの光が漏れている。

 俺は一歩踏み込み、思いっきり腰をひねり、刀を横に振るう。

 ズシャーンっ――

 金属が飛び散った音が響き、人形は真っ二つ。

 煙を上げて蒸発していく。勝ったのか、そんな安堵が零れる。

 人形の残骸から、ポロっと奇妙な白い玉が落ちた。

 それは白から赤へ、だんだんと赤みを増していく。なんだこれ。

 俺が拾おうとすると、後ろから大きな声が聞こえる。


「……に、逃げて……今すぐ逃げるのよ!」


 青ざめた顔の雪城が、無理しつつ、立ち上がっていた。

 何かとてつもないことが起こる。雪城の表情からそれが窺えた。

 状況を尋ねる間もなく、雪城が左手を耳に当てて叫ぶ。


「――っ。メル、四番! 急いで! そう、四番よ!」


 雪城は発光を増すその玉に、体を丸めて覆い被さる。

 その姿はまるで、危険から子どもを守ろうとする母親のようだった。


「ゆ、雪城――っ!」


 刹那、鈍くひずんだ爆発音と共に、雪城の服の背中部分と一緒に血だまりが飛び散った。声にならない濁った悲鳴を雪城が漏らす。

 雪城の体で覆われていたため、周りへの被害はほとんどなかった。

 俺は急いで駆け寄る。


「雪城!」


 うずくまっていた雪城は、俺の声に反応し、ゆっくりと振り返る。


「う……ぐっ……だ、大丈夫だった? ――っ、はぐ……」

「だ、大丈夫って、それも……俺のセリフだ。背中、吹き飛んでないか?」

「ほ、ほんとう? 痛いわけだ……四番使ってもこのざま……なかったら死んでたわね」


 訳の分からないことを呟きながらも、雪城の声には生気があった。

 明らかに爆発が背中を突き抜けたように見えたが、俺の見間違いで怪我は少なかったのかもしれない。

 そう安心しようとして、雪城の腹部が真っ赤に染まっているのに気がつく。

 激しい出血だ。バカか俺は、大丈夫なはずがないだろう。

 うずくまる雪城の体からは、止めどなく血が零れ、床を濡らしていく。

 むせるような鉄の臭いが、急速に広がった。絶対にやばい。


「ちょ、ちょっと待ってろ! すぐに救急車を呼ぶ!」

「その必要はありません」


 俺が携帯を取り出そうとしたところで、不意に一人の女性が姿を見せた。

 長めの金髪で背が高く、瞳は緑色。黒いローブのような格好。

 外見は二十代前半に見えるが、落ち着いた雰囲気がそれよりも上に思わせる。あまりにも日本人離れした美しい容姿に、つい身構えてしまう。

 しかし、彼女は俺に見向きもせずに、雪城に近寄った。

 雪城はホッとした顔を見せる。親しい知り合いのようだ。


「メル……来てくれたんだ……」

「はい、傷をお見せください」


 メルと呼ばれた女性が雪城の服に手をかけようとした。

 雪城は右手を軽く前に出す。


「待って、ここじゃ……戻ってからでいいかな?」

「かしこまりました。急ぎ、戻りますね」

「……処理は問題ないわよね?」

「はい。認識阻害はすでに発動しておりますし、連絡も済みです。じきに彼の記憶も消えるでしょう」


 メルの話を満足げに聞き終わると、雪城からフッと力が抜けた。

 そのまま崩れ落ちそうになったところを、メルが慌てて支える。

 傷はやはり相当ひどいようだ。救急車を呼ばなくて、だいじょうぶなのだろうか。

 メルに肩を借りた雪城が力ない顔でこちらを見る。


「それ……返してもらって、いいかな?」


 雪城の視線は俺が勝手に使った刀に注がれていた。

 俺は慌てて刀を雪城に渡す。


「あ、わりぃ、勝手に使わせてもらった」

「……っ、なんでアンタが……なんで……」


 ぽつりぽつりと囁きながら、雪城は刀を受け取った。

 悔しそうに刀を見つめ、その眉間に深いしわが刻まれていく。

 あまりに思い詰めた表情に、俺は後じさりをしてしまった。

 今にも感情を爆発させてしまいそうな雪城に、メルが声をかける。


「玲菜様。今は治療が優先です……」


 雪城は小さく頷き、短めの息を吐くと落ち着いた顔になった。

 それから、俺に視線を向けてくる。


「ねえ、どうしてさっき逃げなかったの? 一人なら逃げられたはずよ?」

「俺が逃げたら、お前が危ないと思って……」

「私が危ないね。……自分が助かるのを優先しないの?」

「誰かを犠牲にして助かっても、後で後悔するだけだ。そんなのはごめんだ」


 昔の実体験。もうあんな思いは二度としたくない。

 俺の真剣な眼差しに、雪城は肩を竦める。


「なるほど、典型的ね。……そういうのなんて言うのか知ってる?」

「な、なんだよ……」


 雪城は小さく口角を上げる。


「バカって言うのよ。死ななくてすんだのは運が良かっただけよ。次はないと思いなさい」


 見下したような言動と態度。警告のつもりなのだろう。

 他人を助けても自分が死んだら意味がないと。

 しかし、だったら雪城も同じだ。


「じゃあ、お前もバカだな。さっき体を張って爆発から俺を守ってくれたじゃないか。あんなことは二度とするなよ」

「あ、あれは……うっさいっ! ば~かっ! ――っ」


 メルに肩を借りていた雪城の顔が苦痛で歪んだ。一刻も早く病院に連れて行くべきなのだが、どうしてもこれだけは聞いておきたかった。


「なあ、さっきのヤツ何だったんだ? お前、命狙われてたみたいだけど?」

「……忘れなさい。って、どうせ覚えてないか……」

「覚えてない? へ?」

「いいのよ。……それより、アイツは大丈夫?」


 痛みを堪えた顔で雪城が、ふいに俺の後ろを指さした。

 振り返るとそこには、たくさんの人たち。誰もいなかったはずのコンビニは、いつの間にか活気を取り戻していた。

 しかし、おかしいほど、誰もこの異常事態を気にしていない。

 それどころか、みんな、何食わぬ顔で家に帰ろうとしているのだ。

 その中には戸田の姿もあった。今まで姿を消しておいて、何も告げずに俺を置いて帰る姿には、苛立つものがある。

 俺は急いで戸田に近づき、その肩を掴む。


「おい、戸田! ちょっと待てよ」

「わりい、もう帰る。親たちが待っているんだ」

「親って、お前、一人暮らしだろ? 何言ってるんだよ!」

「待ってるから、帰んなきゃ……」


 生気のない顔つきで戸田は、俺の手を振り払い、帰っていく。

 俺は首を傾げながらも、それを見送るしかなかった。

 納得のいかない状況。何かがおかしい。


「雪城、これはいったい――」


 振り向いたが、そこには血だまりだけを残し、誰もいなかった。

 何が起こったのか、見当もつかない。

 これだけのことが起きているのに、野次馬が全く集まらないし、窓ガラスが割れ、穴が空いているのに、店員は何気ない顔で店番をしている。


「どうなってんだよ……これは」


 目眩がして、頭がおかしくなったような感覚に襲われた。

 まるで今までの出来事が全て夢だったかのようだ。

 だけど、夢じゃない。まだ俺の手に残っている刀との不思議な繋がり。何かが始まりそうで、何かが変わっていく、そんな感覚。

 俺に雪城を守る力を与えてくれたあの刀は、一体何だったのだろうか。


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