エピソード34:アルテオの料理の真価
ついに足を踏み入れたベンドア獣王国。
しかし、そこでナバールたちを待ち受けていたのは、予想だにしない冷ややかな視線でした。
知らない間に広まっていた不穏な噂。16歳の若き王ナバールは、戸惑いながらも自らの足で真実を確かめようと走り出します。
そして、一行を襲う不測の事態に、あの「恐怖の料理」が意外な形で火を吹くことに……。
魔導装甲車グラン・タウロスは、ついに目的地であるベンドア獣王国の領土へと入り込んだ。
ドラグーン王国やエタン王国との間には、人間族の国々に見られるような厳格な入国審査や、高い城壁に守られた国境検問所などは存在しない。自然の地形をそのまま境界とし、自由な交易と力による秩序を尊ぶこの国らしく、街道には冒険者や獣人の行商人が自由に行き来する、開放的で活気ある空気が漂っていた。
国境を越えて最初に見えてきた街は、巨大な樹木と石造りの建物が調和した、人間族の国では見られない独特の美しさを持っていた。
「……すごいな。建物が生きているみたいだ」
俺――ナバールは、助手席の窓に張り付くようにして外を眺めた。16歳の俺にとって、他国の文化はどれも新鮮で、王という立場を忘れて好奇心が顔を出してしまう。
「今日は久しぶりに宿に泊まろう。キャンプも楽しいけれど、やっぱり現地の皆さんがどんな暮らしをして、どんなものを食べているのか知っておきたいんだ」
俺の提案に、オーウェンが穏やかに頷いた。
「名案です、ナバール様。王たるもの、隣国の風土を知ることもまた重要な公務ですからな」
だが、宿の暖簾をくぐった瞬間、俺の胸を高鳴らせていた期待は、冷や水を浴びせられたように凍りついた。
「……いらっしゃいませ。部屋は空いていますが、騒ぎはご免ですよ」
宿の店主である虎人族の男は、俺たちを見るなり露骨に顔を曇らせた。
給仕の娘たちの対応も素っ気なく、食堂の隅に座っている獣人の客たちからは、鋭い殺気すら孕んだ視線が突き刺さる。
「……あの、俺たち、何か失礼なことをしましたか?」
俺が小声でオーウェンに尋ねると、彼は周囲を警戒しながら囁き返した。
「いえ……。どうやら人間族そのもの、あるいは我々の正体に対して、何らかの偏見があるようです。ここは下手に動かず、静かに過ごしましょう」
俺はその夜、出された簡素な食事も喉を通らないまま、居心地の悪い夜を過ごした。
翌日、街を見て回っても状況は変わらなかった。
昨日の違和感は確信に変わった。これは単なる「異種族への警戒」ではない。もっと深い、憎悪に近い何かだ。
俺たちは広場の隅で、同じ人間族の行商人を見つけ、藁にも縋る思いで話を聞くことにした。
「すみません、少しお伺いしたいのですが……。この街の皆さんは、人間族に対してあまり友好的ではないようですが、何か理由があるのでしょうか?」
なるべく丁寧な口調を心がけて尋ねたが、行商人の男は俺の顔を見るなり真っ青になった。
「……お、大きな声で話さないでください! 旦那方、知らないんですか? 今、この国には恐ろしい噂が広まっているんですよ」
行商人が震える声で語ったのは、身に覚えのない、あまりにも残酷な内容だった。
「ドラグーン王国の新王が、私欲のためにクーデターを起こして、立派な前王アラン様を殺害した……。エタンの王もそれに加担し、次は獣王国を侵略して略奪の限りを尽くすつもりだ、と……」
「……え?」
俺は、あまりの衝撃に言葉を失った。俺が……父上を殺した?
「魔物の群れが村を襲っているのも、すべてはドラグーンの新しい王の差し金だという噂です。ここでは、人間族は悪魔の使いだと思われています。旦那方も、早くここを離れたほうがいい」
「そんな……嘘だ! 俺は、父上をそんな風に……!」
思わず叫びそうになった俺を、オーウェンの強い手が引き止めた。
「ナバール様、落ち着いて。……失礼、その噂、どこまで浸透しているのでしょうか」
「国境付近の街ならどこでもですよ。……お気をつけなせえ」
行商人と別れ、俺たちは逃げるようにタウロスへと戻った。
「これは、間違いなく魔族の仕業だね」
車内に入った途端、アルテオが静かに、だが怒りを湛えた声で言った。
「獣王国を内側から混乱させ、僕たち人間族との協力関係を断つ。僕たちを『共通の敵』に仕立て上げれば、彼らは魔族に攻め込まれても僕たちに助けを求めない。……卑劣な作戦だよ」
「……これ以上、父上の名とドラグーンの名誉を汚させてたまるか。一刻も早く、獣王国の王様に会って、誤解を解かなければならないんだ!」
俺は拳を握りしめ、自分に言い聞かせるように叫んだ。
だが、その時。後部座席で静かに目を閉じていたクロードが、小さく息を呑んだ。
「……ナバール様。誰かにつけられています。かなり、近いです」
「えっ!? でも、タウロスのセンサーには何も……」
「センサーを欺く術を持っているのでしょう。魔族ではない……気配から察するに、隠密を得意とする獣人族の使い手です」
不用意に騒ぐのは逆効果だと判断し、俺たちはそのまま警戒を最大にして進んだ。
そして訪れた昼休憩。開けた平原でタウロスを止め、外へ出た瞬間――森の影から7人の戦士が、弾丸のような速さで襲いかかってきた。
「敵襲!」
オーウェンが叫び、鞘を払わずに敵の攻撃を受け流す。
現れたのは、筋骨隆々の獣人族たちだった。彼らの瞳には、行商人が語った通りの憎悪が宿っている。
「待ってください! アルテオ、オーウェン、クロード! 絶対、絶対に殺さないで! 怪我も最小限に抑えるんだ!」
俺は必死に声を張り上げた。もしここで彼らを傷つければ、魔族の嘘が「真実」として固定されてしまう。16歳の俺には、この状況を収めるための知恵も力も足りないかもしれないけれど、これだけは譲れなかった。
「了解だよ。……クロード、眠らせて捕縛しよう」
「はい、承知いたしました!」
戦いのプロであるオーウェンは、相手の猛攻を紙一重でかわし、決して急所を打たない牽制に徹した。アルテオは最小限の魔力で地面を隆起させ、敵の足を封じる。
「今です! スリープ・ブリーズ!」
クロードが放つ淡い緑色の風が戦士たちを包み、彼らは心地よさそうな表情でその場に崩れ落ちた。
見事な連係で5人を捕らえたが、残りの2人は仲間が眠ったのを見て、慌てて森の奥へと逃げ去っていった。
「ふう……。殺さずに制圧するのは、全力で戦うより神経を使いますな」
オーウェンが安堵の息を吐く。
俺は眠っている獣人たちの身柄を確保したが、どうやって誤解を解くべきか頭を抱えていた。
「……目覚めた彼らに、まずは話を聞いてもらわなきゃ。でも、いきなり尋問しても、きっと頑なになってしまうよね」
すると、クロードがパッと顔を輝かせて、アルテオの横に立った。
「ナバール様、一つ素晴らしい方法があります。アルテオ様」
「なんだい、クロード?」
クロードは恭しく、それからどこか楽しげに提案した。
「ここは友好の証として、彼らにアルテオ様特製の温かいお料理を振る舞ってはいかがでしょうか? 心を込めた一皿があれば、彼らもきっと、俺たちが悪い人間ではないと分かってくれるはずです!」
「なっ…………クロード!?」
「やめろ、クロード殿! それは……それは友好どころか宣戦布告になるぞっ!」
俺とオーウェンは、あまりの恐ろしい提案に顔面蒼白になった。昨日のシチューの一撃で、俺は死んだ父上に怒鳴られたばかりなんだ。あれは「食事」の範疇を超えている。
だが、褒められたアルテオは目を輝かせてしまった。
「それは名案だ、クロード! 獣人族の強靭な体格に合わせた、最高のリカバリー料理を振る舞おうじゃないか!」
アルテオはすぐに調理器具を取り出すと、昨日のシチューをベースにした「何か」を温め始めた。
数分後、その鍋からは尋常ではない刺激臭が放たれ、空気が歪み始めた。
「……ぐ、う、うわああああああ! くさい! 鼻がもげるっ!」
「目が! 目が開かないぞ、何の毒ガスだ!」
縛り上げられて眠っていたはずの5人の獣人族が、一斉に飛び起き、絶叫した。
それは眠り魔法から目覚めた喜びなどではなかった。強烈すぎる刺激臭が、彼らの生存本能を無理やり叩き起こしたのだ。
「何の攻撃だ! 卑怯な人間族め、毒物で拷問するつもりか!」
「だ、誰だこんなものを……! 我らは王子の名にかけて、絶対に……げほっ、屈せんぞ……!」
アルテオは、ぐつぐつと深緑色の泡を立てるシチューを片手に、無邪気な笑顔で皿を差し出した。
「さあ、遠慮はいらないよ。理論上、最高の栄養バランスだ。これを食べれば疲れも吹き飛ぶし、俺たちと友好的に話をしようじゃないか」
「……くるな、くるなああああああ!」
「話す! 全部話すから、それを近づけないでくれっ!」
ナバールたちの食事用ではなく、捕らえられた獣人たちの精神を粉砕する「平和的な拷問器具」として。
アルテオの料理が、初めて歴史にその真価を刻んだ瞬間だった。
ご清読ありがとうございます。
16歳の少年王として、身に覚えのない悪評に戸惑うナバールの姿を描きました。
しかし、その窮地(?)を救ったのは、アルテオの「善意の猛毒」でした。
獣人たちの語る「王子」とは一体誰なのか……。
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