治験
リュカの作業部屋には、新たに整えられた一角があった。そこには小さな瓶に詰められた琥珀色の液体――びわチンキの試作品が、ラベルを貼られて整然と並んでいる。
「これが……完成版なのね」
コーデリアは、試作品の瓶を一つ手に取り、光に透かして見た。
「漬け込む条件も高濃度の蒸留酒で統一した分、品質も安定してる。あとは――」
彼女は机の上に置かれた書類に目を落とした。
「使用方法、注意点、対象者、保存方法……細かいけど、これがあれば誰が扱っても大丈夫なはずよ」
それは、コーデリアが中心になって作成した
「びわチンキ使用説明書」だった。
簡潔ながら正確で、平易な言葉で書かれたそれは、識字の乏しい人々にも伝わるよう、わかりやすく絵も交えてあった。
「どんな人にも届くように、文字だけじゃなく絵でも伝えようって発想はさすがだよ、コーデリア」
ユリウスが感心したように説明書を手に取る。
「これを元に、まずは領内の診療所や孤児院に配布しよう」
アレッサンドロも真剣な眼差しで頷いた。
リュカは静かに瓶を一本、木箱に入れながら言った。
「使ってもらいながら、使用感や効果、異常がないかを報告してもらう。それを記録して、次の改良につなげていくとしよう」
「まるで前世であった治験ね」
コーデリアは微笑んで頷いた。
――その日の午後。
彼らは、まず市場の商人や洗濯場で働く奥さん、農夫、孤児院の職員など、以前湿布を試してくれた人々を訪ねて回った。
「これがチンキ……湿布のときより便利そうだなあ」
あの干しリンゴの店の頑固なおじいさんも、瓶を前に目を細める。
「肩に塗って寝たら、朝の痛みが少なかった気がするわ!」と洗濯場のルチアが声を上げれば、
「熱が出た時にも使えるのか?」と農夫の青年が質問を投げかける。
「この紙に、使ってみた日と症状を書いてくださいね。塗った場所、時間、それから変化があればなんでもいいんです」
コーデリアは仕様書と記録用紙を配りながら、一人ひとりに丁寧に説明していった。
「少しでも不安があったら、すぐに使うのをやめて、リュカさんに相談してくださいね」
ユリウスも隣で補足する。
リュカは、人々の反応を一つ一つ記録帳にペンを走らせていた。
「小さな声が集まれば、大きな成果になる。…きっとそういうことなんだな」
その日から、びわチンキの「生きたデータ」が、領地のあちこちに積み重ねられていった。
ーーー
数日後。リュカの作業部屋には、また新たな紙束が積み上がっていた。
「おや……“虫刺されに塗ったら腫れが引いた”って報告、三件もあるよ」
ユリウスが興味深そうに記録用紙をめくる。
「冷え性に良いって話も増えてきてる。指先の痺れが減ったっていう声もあったわ」
コーデリアは記録帳に丁寧に追記しながら呟いた。
「でもその一方で、“肌がぴりぴりした”という報告も数件。やはり、敏感肌には普通より更に希釈して使う必要があるかもしれないね」
アレッサンドロが落ち着いた口調で補足する。
「使用対象に“子どもと高齢者には必ず通常より薄めて使うこと”と明記しておこう」
リュカは仕様書の改訂版に赤ペンで線を引く。
「父上と母上にも報告しよう。領主として、正式に支援を受けられる形にしてもらえば、もっと多くの人に届けられるはずだ」
アレッサンドロがそう言うと、コーデリアも頷いた。
「その時は…できるだけ商品としてではなく、生活の一部として、びわチンキを紹介したいわね」
その言葉に、リュカがゆっくりと笑った。
「…もうすぐ、びわの収穫の時期ですね。新しい葉と種も、また仕入れておかないと」
「そうだな。次の試作は、“虫刺され用”に配合を変えても面白いかもな」
その時、窓の外から子どもの笑い声が聞こえてきた。びわチンキの小瓶を手に、走っていく孤児院の子どもたちの姿が見える。
「きっと、大丈夫だよ。このチンキは、ちゃんと届いてる」
ユリウスの言葉に、誰もが頷いた。




