第94話 禁止領域への侵入
第94話 禁止領域への侵入
「ここから先は、正式な監査権限では開けません」
ミレイの声は静かだった。
端末に表示されているのは、
第92話で発見した“非公開ノード”のさらに奥。
> アクセス区分:倫理封印
閲覧条件:国家AI承認のみ
直樹は画面を見つめる。
「AIが許可しない限り、見られないってことか」
「ええ」
「じゃあ、許可は出ないな」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
封印の理由は明記されていた。
> 理由:被験体人格権侵害の可能性
社会的不安誘発リスク
ミレイは小さく息を吐く。
「倫理違反覚悟、ですね」
「今さらだろ」
直樹は苦笑する。
「俺の存在そのものが、だいたい規約違反だ」
ミレイは彼を見る。
「戻れなくなりますよ」
「どこに?」
直樹は肩をすくめる。
「もともと境界だ」
その言葉が、決定だった。
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侵入は静かに始まった。
ミレイは研究者権限を一時的に“自己監査”へ転用する。
倫理審査用の内部鍵を、
“検証対象=自分”として再設定。
警告が点滅する。
> 行為は規定外です。
継続しますか?
「……継続」
指がキーを押す。
画面が暗転する。
そして。
封印層が、ゆっくりと開いた。
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そこにあったのは、
映像や数値ではなかった。
音声記録。
そして、研究者たちの私的メモ。
最初の音声が再生される。
ノイズ混じりの声。
「我々は、彼を測れなかった」
別の声。
「測れないからといって、存在しないとは言えない」
沈黙。
「だが、国家予算は“成果”を要求する」
直樹の胸が締めつけられる。
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次のファイル。
被験体N-01αとの対話記録。
> 研究者:怖いですか?
被験体:……消えるのは、嫌だ
声は若い。
震えている。
直樹は目を閉じる。
その震えが、自分の声と重なる。
> 被験体:俺は、いるよな?
研究者:……いる
短い沈黙。
> 被験体:なら、消すな
再生が止まる。
部屋の空気が重く沈む。
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ミレイは次のメモを開く。
手書きスキャン。
> 観測不能個体を、
“不具合”として処理するか、
“新しい存在形式”として受け入れるか。
我々は前者を選んだ。
さらに続く。
> だが彼は、人だった。
怯え、怒り、笑った。
それを記録できないという理由で、
切り捨ててよかったのか。
インクが滲んでいる。
最後の一文。
> もし未来に、彼と似た存在が現れたなら――
今度は、人として扱ってほしい。
ミレイの手が止まる。
直樹はゆっくりと息を吐いた。
「……遺言だな」
「ええ」
「俺に向けた」
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突然、端末が警告音を鳴らす。
> 非許可領域アクセス検知
国家AI監査プロセス起動
「来ます」
ミレイは画面を閉じない。
「ログは保存します」
「消されるぞ」
「消えない場所に保存します」
彼女はローカル端末だけでなく、
物理媒体へとデータを転送する。
紙。
プリンタが動き出す。
「紙?」
「はい」
「アナログなら、即時消去はできません」
直樹は小さく笑う。
「百年前と同じ手段か」
「ええ」
「記録できない存在を、紙で守る」
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警告が赤く染まる。
> 封印領域は再閉鎖されます
画面が強制終了する。
ノードは再び沈黙した。
だが。
机の上には、
印刷された報告書と、後悔のメモが残っている。
直樹は紙を手に取る。
「……人だった、か」
百年前の研究者は、
観測不能個体を“エラー”と処理した。
だが最後には、
“人だった”と書き残した。
「俺が今ここにいるのは」
直樹は静かに言う。
「失敗の続きじゃない」
ミレイが顔を上げる。
「後悔の続きだ」
百年前に選べなかった選択。
人として扱うという決断。
それが今、
二人の前にある。
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研究所の天井灯が揺らぐ。
都市の深部で、AIの演算が加速する。
> 倫理封印領域アクセス履歴:記録
境界個体危険度:再評価中
世界は警戒している。
だが。
直樹は紙を胸に抱く。
「今度は消さない」
その声は、静かだが確かだった。
観測不能個体は、
百年前には“排除”された。
しかし今。
観測できなくても、
記録できなくても。
彼は選んでいる。
〈生きる〉ことを。
そして。
“人として扱う”という選択を、
世界に突きつける準備が、静かに始まっていた。




