49 大南洋を南下する
陽が落ち、あたりは完全にまっ暗になった。ミスティたちは竹が生えていない崖っぷちに立ち、大南洋を眺めた。
海面は真っ黒で、波の音は聞こえるが、波しぶきは見えない。水平線より上の空には無数の星々が瞬いている。しかしそれ以外に変わったところはなかった。
「ナレーシャ、謎の発光現象とはどんなものだったの?」とターニャ姫がナレーシャに尋ねた。
「はい。ここで野営をした騎士たちの話ですが、夜中に沖の方を見ると、水平線から青白い光が立ち上っているように見えたとのことです。しばらくして光は消えました。それほど明るい光ではなかったので、夜中ならともかく、昼間なら見えない程度の明るさだったようです」
「今夜は何も見えないわね」とターニャ姫。
「この世界ではそのような光はよく見られるのですか?」とミスティが聞いた。
「いいえ、私たちの誰もそんな光を見たことがないと思うわ」とターニャ姫が言い、メイムたちもうなずいていた。
「とにかく今夜はもう寝て、明日の朝、南に向かって飛んでみましょう」とターニャ姫が言ったので、ミスティの従者以外の全員が馬車の中に入った。
密林に獣がいるので、メイムの天翔軍降臨は夜寝ている間も解除されなかった。翼龍は夜中には襲って来ないとの話だった。
ミスティは馬車の中で眠ったが、従者たちは馬車の外で横になっていた。実際は辺境伯邸のベッドで眠っているのだろう。
翌朝になると、朝食の後、再びミュリとリュミの飛天龍舟に馬車ごと乗り、さっそく大南洋に向かって飛びたつことになった。
「どこまで行くか決めてないけど、とりあえず今日一日は南に飛んでみましょう。そこで引き返すか、さらに南に行くかを決めましょう」とターニャ姫が言った。
「翼龍が襲ってくると思うので、攻撃できる人は防御をお願いします」とナレーシャが言った。
飛天龍舟が崖から飛び出ると、すぐに接近してくるたくさんの翼龍。ナレーシャやマリアナ、コナ、そしてホムラたちが炎の攻撃を各々放って撃退する。
翼龍を落としはしないが、何度も熱い目に遭わせているうちに、崖から離れたこともあって、まもなく襲ってくることはなくなった。
「あんな化け物は、こっちの世界では見なかったな」とホムラが言った。こっちの世界とはグェンデュリン辺境伯領がある世界のことだ。
「ただ、海の中には同じような怪物がいるみたい」とミスティが海面を見下ろしながら言った。
海面に黒い塊が一直線上に数個並んでいるのが見え、しかも波打つように海面に沈んだり浮上したりしている。
「あれは大海竜そっくりですね」とトアラが言った。
「大海竜?」とトアラに聞き返すナレーシャ。
「こちらではあれを海竜と呼び、特に大きなのを巨大海竜と呼んでますよ」
「あの海竜と似たような怪物で、もっと口が大きい大鯨竜と戦ったこともあります」とトアラが言った。
「海面ごと凍らせようと思いましたが、砕けたところから黒いもやのようなものが噴き出してきました。おそらくその大鯨竜は影人が操っていたものだったのでしょう」
「影人・・・闇の力を持つ暗黒教徒のような存在ね」とターニャ姫が言った。
「普通の海の怪物、つまり生きている怪物なら凍らせてから砕けば倒せるけど、黒いもやになってしまうと大変ね」
「その黒いもやは炎の攻撃で簡単に焼き尽くすことができましたよ」とホムラが自慢げに言った。
しばらく飛んでいるとコルシニア王国南岸の崖も水平線の下に沈み、どの方向にも海面しか見えなくなった。ミスティたちを中心に円形に広がる大洋。しかもターニャ姫の国、ザカンドラ皇国からは太陽は常に南側に見えていたが、いつの間にか太陽が舟の後方、つまり北側に昇っているのに気がついた。
「海が丸く見える。・・・この世界は丸いの?」と不思議がるココナ。
「そうなのよ。この世界は丸いの」とターニャ姫が答えた。
「丸いと言っても円形ではなく、球の形をしているのよ」
「球の形?じゃあ、あなたたちは球の上に立っているの?」と驚くエイラ。
「そうなんだけどね、実際はとても大きな球で、私たちは地面や海が球の表面にあるのを自覚できないの。そして球の中心に向かって私たちや周囲に存在するものすべてが引きつけられているから、球の反対側まで行っても落ちることはないのよ」
「自覚できないのに、世界の形がよくわかりましたね?」
「私たちは古代人が作ったこの世界の地図を見たことがあるのよ。球の北側に大陸が3つ東西に並んでいて、その内のひとつに私たちの国があるの」
「にわかに信じられませんが、そちらの世界の話だと思うようにします」とヴァラ。
「それで前にあった太陽が後ろに見えるようになったのはなぜなんでしょう?」
「おそらく太陽は球の形の世界の、東西を巡る中心線の上空を回っているのよ。そして私たちはいつの間にか中心線を越えてさらに南に飛んで来たのね」
「そんな中心線が見えましたか、ミスティ?」と聞くホムラ。
「いいえ。普通の海面しか見えなかった。線なんて見てないわ」とミスティは答えた。
「中心線と言っても本当に線が引いてあるんじゃなくて、だいたい真ん中あたりってだけの意味よ」とターニャ姫。
「この世界の中心線より北に大陸が3つあるのですね、ターニャ。その中心線より南には、大陸はないのですか?」とミスティが聞いた。
「古代人の地図には、球の北側に3つの大陸が東西に並んでいるだけだったわ。南の方には広大な海、大南洋しかないはずだけど、詳しくはわからない」
「南に光が見えたのなら、何か光を発するものがあるはずね」とメイムが口をはさんだ。
「でも、南の方向を・・・大南洋の全域を詳しく調べたことはないのよ。ほんとうに海しかないのか、それとも島でもあるのか・・・」
「それがわかればいいですね」とミュリも言った。
お昼頃になると(太陽が真北に来たのでお昼と考えた)みなで昼食を摂り、その後双子の片方のリュミとコナは馬車の中に入って行った。
「夜中に舟を飛ばしてもらうため、昼寝をするんです」と説明するミュリ。
「夜が更けてきたら私と交代します。どちらかが起きてないと舟が消えてしまうので」
「同じ能力を持つ双子だから交代で舟を飛ばし続けることができるんですね」とミスティは納得した。
「ただ、ひとりきりだと眠ってしまうおそれがあるから、コナさんにも昼寝してもらって、夜中にリュミの話し相手になってもらうのよ」とターニャ姫が説明した。
その後も舟の周囲には海しか見えなかった。ところがマリアナが突然眼下を指さした。
「みんな、見てください!何か変です!」
「どうしたの?」とマリアナのそばに寄って来て舟の真下の海面を見下ろす。
海面が青黒い・・・というのが最初の感想だった。舟の後方を振り返ると、北側の海と舟の真下の海の色が違っていた。東西に延々と伸びるその境い目には、大小の渦巻きが発生しているようだった。
「海の色が変わった」とつぶやくミュリ。
「世界の南側では海に違いがあるのかしら?」と首をかしげるターニャ姫だったが、そのまましばらく飛んでいると、再び海の色が変わる境い目が見えてきた。
南の境い目よりも南側の海面の色は、北の境い目よりも北側にある海の色に近いように思われた。しかも渦巻きがいくつも生じている。
「青黒い海面が東西に長く延びている大河みたい・・・」とコナがつぶやいた。
「あれは海流かもしれません」とミュリ。
「漁師の父ちゃんに聞いたことがあるんです。沖の方には海の強い流れがあって、流れのところの海面の色が違うのでわかるって」
「私たちは以前、二つの大陸の間の海峡を飛んで渡ったことがあります」とフワナが口をはさんだ。
「その時には、はっきりと色の違う海の流れは見えなかったわ」
「広い海の中を流れる幅広い海流でないと、色の違いがはっきりわからないのだと思います」とミュリが答えた。
「強い海流だから境い目に渦巻きが生じているのね。・・・この海流を大南洋海流と名づけましょう」とターニャ姫。
やがて周囲の海の色は元通りになり、大南洋海流も後方に見えなくなった。そしてその頃には日が暮れて始めていた。
「そろそろ夕食の準備をしましょう」とナレーシャ。すかさずティアが、「私も手伝います」と言った。ティア自身は料理を食べられないけどね。
「何を作りますか?」とティアが聞く。
「持って来た食糧は干し肉と根菜です。これでシチューを作りましょう」
「新鮮な魚肉のバーベキューはいかがですか?」
「魚肉?どこにそんなものが?」とナレーシャが首をかしげると、ミナラとフワナが舟の縁に近寄った。
「水獄隆起!」ミナラが唱えると海面が大きく盛り上がった。海面すれすれに泳いでいた大きなカジキマグロが海面の盛り上がりに沿って上昇し、その半身を現す。
「風獄昇竜!」今度はフワナが強い上向きの風を作り、海面からカジキマグロをすくい上げて舟の上に落とした。
ホムラが剣でカジキマグロの頭を落とし、ティアが包丁でマグロの身を解体する。
その様子を見てナレーシャたちはあわてて馬車から大きなコンロを持って出た。そして炭を敷き、コナが火を着けた。
コンロの上に金網を置き、炭火が熾ってきたらティアがカジキマグロの切り身とスライスしたタマネギを網の上に並べ始めた。
「適当に焼き加減を見て食べてください」とティア。
「土があればほかの野菜や果物を作れたのですが」と残念そうなヴェラ。
「今度一緒に旅をする時は、土を盛った鉢を用意しよう」とナレーシャが言った。
ほどよく焼けてきたので、ミスティたちは塩を振って、フォークで刺して食べてみた。
「おいしいわよ、ティア。ありがとう」と御礼を述べるミスティ。
「それは良かったです。・・・私たちが食べられないのが残念です」とティアが言い、従者たちはバーベキューをうらやましそうに見ていたが、
「私たちも順番に食事をいただきます」とホムラが言った。
いい匂いに気がついたのか、リュミとコナが目覚めて馬車から出てきた。
「何ですか、これは?」と匂いを嗅ぎながら聞くコナ。
「ミスティの仲間がまた料理を作ってくれたのよ」
「いい匂いですね。・・・やっぱり天翔軍にも専属の料理人が欲しいですね」とリュミも言った。
水を飲んでからリュミとコナも食べ始める。
「これは魚ですか?肉みたいでおいしいですね」とコナ。
ミュリはリュミにフワナたちの漁のしかたを説明していた。
「そんな技が使えれば、漁も楽だね」とリュミ。二人は漁師の娘なので、特に関心があるのだろう。
おいしく食べているうちにあたりは真っ暗になっていた。空には無数の星が瞬いているが、舟の上を照らすことはできない。
「暗くなったから、そろそろ寝ましょうか。リュミ、コナ、後はお願いね」
「はい」「わかりまし・・・」と二人が答えようとした時、その場にいた全員が異変に気づいた。
「あ、あの光。・・・なに?」と声が震えるメイム。
舟の前方、遥か南方の水平線から青白い光が立ち上っていた。水平線の手前の海は黒々としているが、その向こう側の空が下の方からはっきりと輝いているのだ。全員が初めて見る不思議な光景だった。
「下からの光。・・・極光ではないわね。もちろん雷とも違う」とターニャ姫。
「何なのでしょう?きれいだけど、不気味です」とマリアナ。
「けっこう強い光です。コルシニア王国の南岸から見えたのも納得です」とナレーシャも言った。
「ひょっとしたら、海の向こうに大きな穴があって、その穴の中が光っているのかも」とエイラが震える声で言った。
「大きな穴?・・・穴があるとしても、何で光ってるんだ?」と聞き返すピデア。
「きっと・・・きっと地獄に通じているのよ。地獄の業火じゃないかしら?」
「しかし炎が発する光には見えない」とホムラが即座に否定した。




