23 邪猴の大陸
従者たち全員が手を離し、馬車の外を眺めた。流れ藻の中の氷の塊は徐々に溶けていくが、流れ藻が絡み合っていて馬車が沈む心配はなさそうだった。
ホムラが馬車の外へ出て、そっと流れ藻の塊の上に降り立ってみた。
「少し弾力がありますが、この上を歩いても問題なさそうです」と報告するホムラ。
「なら、少しここで休憩しましょうか」とミスティが言い、従者たち全員が馬車の外に出た。
「足下が妙な感じ。・・・でも、けっこう安定しているわ」とティアが言った。
「ここで食事にしましょうか。・・・ミナラ、魚を獲ってもらえる?」
「わかった。水獄隆起!」ミナラが海面を高く盛り上げると、海中の魚が空中に躍り出た。
「風獄飛竜!」その魚をフワナが風を吹かせて海藻の塊の上に落とす。それをティアが「清浄」と唱え、鱗や内臓を落として大きな魚の切り身をいくつも並べた。
「焼いて食べようかな?それとも鍋にしようかな?」とティアがつぶやいた時、突然海面から細長い物体がティア目がけて飛び出して来た。
それは大海竜の幼体だった。幼体と言っても胴回りは60セテル(約60センチメートル)あり、体長は数メテル(数メートル)もあった。そんな大海竜がティアの手元にあった魚の切り身目がけて飛びかかって来た。
「加速!」その瞬間、ピデアの姿が消え、気がついた時にはピデアの木剣で首をへし折られた大海竜の幼体が海藻の上でけいれんしていた。どこまでが首で、どこからが胴体なのか誰にもわからなかったが。
「お肉も捕れたわ」と、ティアは何事もなかったように言って、馬車の中から石板を取り出してきた。この石板は長さ50セテル、幅30セテル、厚さ3セテルのもので、海藻の上にそっと置いた。
石板の上に大海竜の幼体を引きずってくると、まな板代わりにして首を切り落とした。大海竜の頭は横に置き、胴体側の首を長さ10セテルずつ輪切りにしていく。さすがに大海竜の体全体から肉を取るには大きすぎたので、切り取ったのは長さ1メテルほどで、残りは頭と一緒に横に置いた。
皮と骨と内臓を取り除くと、今度は馬車の中から細い木の枝の束を持って来て石板の上に置いた。この木の枝は半島から飛び立つ前に集めておいたものである。
いくつかの木の枝を使って魚の切り身と大海竜の切り身を串刺しにし、残りの木の枝は石板の上に置いた。
「ホムラ、火を着けてもらえるかしら?」
ティアがホムラに頼むとホムラは人差し指だけを動かして「炎獄」と唱えた。とたんに石板の上の木の枝が燃え上がる。その火を使って串刺し肉を炙り始めるティア。とたんにいい匂いが周囲に広がっていった。
肉がいい感じに焼け、石板の上の焚き火の炎がおさまってきたら、ティアは今度は馬車の中に詰んでおいた芋を持って来て熾き火の中に放り込んだ。
その頃にはみんながティアの周りに集まっていたので、ティアは串刺しにした魚肉と大海竜の肉をひとりに1本ずつ手渡し、さらに海藻に包んだ焼き芋を配った。
さっきパンを食べたばかりだったが、みんなあれだけでは足りなかったようで、肉汁がほとばしる串焼きを全員ががつがつとおいしそうに食べ進める。
ティアはさらに樽の水をコップに入れて配った。
「あと半分の距離だ。日が落ちるまでに海峡を渡り切ろう」と食べ終わったホムラが宣言し、みんながすぐに立ち上がった。
「大海竜の残りの肉はどうする?」とピデアが聞く。ティアは残りの部分から肉を大きく切り分けると、足下の海藻を引き千切ってその肉片を包んだ。
「残りは海に戻していいわよ」
ピデアたちが大海竜の残りの体を海に放り投げると、たちまち海面が激しく波立った。近くにいた魚がすぐに食いついてきたようだ。
ミスティたちは大きな海の怪物が来る前にとすぐに馬車に乗り込むと、午前中と同じように全員で輪を作るように手を繋ぎ合い、リュウレとホムラが馬車を飛ばした。
島代わりに使った海藻の塊をミスティは見下ろした。この島は時間とともに崩壊していくことだろう。
海峡の上を飛んで行く馬車。やがて日がかなり傾いてきた頃にさいはての大陸から東に伸びる半島の上にたどり着いた。
「少しずつ降下して行きます!」とリュウレが馬車の中に向かって叫ぶ。
馬車の後方にいるホムラはデッキから下をのぞき込んだ。
「木が密生していて馬車を降ろす所がない!木を焼き払って着地する場所を確保する!」とホムラが叫んだ。
続けてホムラが「炎獄溶弾!」と叫んで火の玉を打ち下ろした。眼下の森の一部が炎に包まれる。
「水獄巨塊!」次にミナラが水の塊を燃え盛る木々の上から落とし、ホムラが起こした森林火災を消火させた。
さらにトアラが「寒獄冷気!」と叫んで、まだくすぶっている草木を凍気で急速に冷やした。
こうしてできた円形の空き地にリュウレとフワナが馬車をそっと着地させる。
「ここが『さいはての大陸』なのね」と感慨深げにあたりを見回すミスティ。もっとも焼け残った木々しか見えなかったが。
「さっそく夕食を作りましょう。海藻の上では作りにくかった鍋料理がいいわね。ヴェラ、新鮮な野菜を生やしてくれるかしら?」とティアが言った。
ヴェラが葉野菜とデザート用の果物の木を生やしている間にティアはかまどを作り、鍋に樽の水を入れてわかし始めた。
取っておいた大海竜の肉を薄切りにし、ヴェラからもらった葉野菜と芋と、肉を包んでおいた海藻を清浄処理してから鍋で煮込む。こうしてできあがった大海竜鍋をティアが木皿にすくって従者たちに渡すと、みなうまいうまいと言ってがつがつと食べ始めた。
食後のお茶を飲んでほっとした時にホムラが、
「ここは未知の大陸だ。森の中とはいえ、何が襲ってくるかわからない。二人ずつ交代で見張りをしよう」と提案した。
やがてあたりはすっかり暗くなり、くじ引きで最初の見張りが当たったピデアとトアラ以外は2台の馬車の中に入って雑魚寝した。
焚き火を中心に見張りの二人が座り、馬車と焚き火の間に馬を休ませる。あたりがすっかり暗くなると、焚き火の揺れる炎で馬車の壁面にピデアとトアラの影が不気味に映った。その周囲には暗い森が壁のように囲い、上空には瞬く星空が広がっていた。
「ここは道がない森の中だし、木々が密生している。原住民や大型の獣が襲ってくる心配はないだろうね」とピデアがトアラに話しかけた。
その時、眠っていた馬が突然首を上げてぶるるるっといなないた。
「何だ!?」ピデアとトアラが周囲を見回すと、暗い森の中に光る点がたくさん出現しているのに気づいた。
「何か来るぞ!」ピデアがそう叫んだとたんに、1対の光点が飛び跳ねるように二人に近づいて来た。
大きくいななく馬たち。光点がトアラに飛びかかってきたので、ピデアは「加速!」と叫んでその姿を消した。
次の瞬間、ピデアの木剣で小さな獣がトアラの足元に打ち付けられていた。
「こ、これは!」トアラが倒れた獣を見ると、体長50セテル(約50センチメートル)ほどの全身に毛が密生している獣で、唯一毛が生えていない顔には1対の大きな目が開いていた。その口には凶暴な牙が生えている。がに股で、鋭い爪が生えている両手を頭の横に伸ばし、まるで小さな人間がバンザイしているように見えた。
光点が森の中からざわざわと出てくる。今倒したのと同じ獣の集団のようだ。
「ピデア、馬と馬車を守って!」とトアラは叫び、馬と馬車がいない方向の虚空に向かって「寒獄氷鏃!」と叫んだ。
トアラの周囲に小さな氷のつららがいくつも出現し、光点の集団に向かって飛んで行く。いくつもの悲鳴が聞こえて光点が消えていくが、それでもまだ多数の光点が森の中から這い出て来る。
「どうした!?」騒ぎを聞きつけてホムラが馬車の中から下着姿で飛び出して来た。手には剣を持っている。
他の従者たちも次々と馬車から出て来た。
「獣に襲われています!加速!」再びピデアの姿が消え、馬車から出て来たばかりの従者たちに飛びかかろうとしていた数匹の獣の首をへし折った。
「暗くてよく見えない!炎獄溶弾!」ホムラが剣を振り上げると上空に巨大な火の玉が出現した。その光で辺りを照らされると、何匹もの小さな毛むくじゃらの獣が火の玉を見上げているのが見えた。
「水獄飛鳥!」ミナラが鳥形の水の塊を飛ばし、馬にまとわりついている何匹かの獣を切り裂いた。
「風獄螺旋流!」フワナが横向きに回転する風を吹かせ、近づいて来る獣を吹き飛ばす。
「まだたくさんいる!きりがないぞ!」と飛びかかって来た獣を剣で斬りながらホムラが叫んだ。
「森との間に壁を作ります!水獄障壁!」空き地と森の間に霧状の水滴の流れを出現させるミナラ。最初は細かい水滴だったが、徐々にくっつきあって大きな水滴となり、最終的には真横に流れる滝のようになった。
この水の流れで森の中の獣はもうミスティたちには近づけない。
ようやく馬車から出て来たミスティは地面に倒れている獣を見た。
「これは・・・まるで小さな人間の全身に毛を生やしたような獣。顔は平たく、大きな目が特徴的。・・・本で見たことがあるわ。伝説の邪猴ね!」
「邪猴!?」初めて聞く名称に驚く従者たち
「堕落した人間のなれの果てとも言われているわ。・・・この大陸は邪猴が占拠しているのかしら?」
「小さいのに凶暴で、始末に負えない奴らだ。・・・こんなのがこの大陸中にいるのか?」とつぶやくホムラ。
「馬は大丈夫よ!」とヴェラが後ろから言った。
馬にも何匹かの邪猴が取り付き、食いつこうとしていたようだが、ピデアがすぐに倒したので馬の硬い皮膚に爪痕や歯型が少し付いている程度だった。
ヴェラはすぐに地面に傷に効く薬草を生やし、その葉を馬の傷に当てていた。
一方で地面に落ちている邪猴の死体を見つめているティア。
「そんな堕落した人間の化け物なんか食べないわよ」とココナがティアに釘を刺していた。
上空に浮かんでいる火の玉が消えていき、再び周囲を夜の帳が包んでいく。焚き火の灯りだけで照らされながら、
「これからどうするの?おちおち寝ていられないわよ」と聞くエイラ。
「ミナラの水獄障壁も、私の防御も、夜通し起きてなければ展開し続けられないわよ。交代で見張る?」とエイラがミナラに聞いた。
「いい方法がある」と言ってトアラが寒獄障壁を水獄障壁に沿って展開した。たちまち水が凍りつき、高い氷の壁が空き地の周囲を囲んだ。
「これでミナラが眠っても壁は消えないわ」
「あの獣が氷の壁を超えて来ないか?」と聞くホムラ。
「大丈夫。氷の壁に触ると凍ってしまうから。・・・みんなも触らないでね」
「とりあえず朝までなるべく体を休めて、それからすぐにこの場を去りましょう」とミスティが言い、それに従うことにした。
見張り番をフワナとエイラが代わり、残りの者は馬車の中に戻って寝直した。時おり氷の壁の外側から獣の声が聞こえたが、気にせずにすぐに眠ってしまった。
翌朝、朝食を食べ終えると、これからどうするかをみんなで相談した。
「この半島に沿って西に移動して、人里がないか探しましょう」とミスティ。
「道がないのでまた空を飛びますか?」と聞くリュウレ。
「そうね。森の中に道を作るのは面倒ね。邪猴もいるし。・・・邪猴は夜行性のように見えたけど、昼間でも安心できないわ」
そこで朝方まで見張りをしていたホムラとココナには寝てもらい、残りの9人で手を繋いだ。地面の上を飛んで行くので、9人でも問題ないという判断だ。
「羽衣」とリュウレが唱えて馬車ごと宙に浮かせる。その際に下を見ると、まだ溶けていない氷の壁の外側には、たくさんの邪猴がくっついて凍りついていた。
「あいつら執念深いな」と眼下を見下ろしてピデアが言った。
「風獄飛竜!」フワナが唱えて強い横風が吹き、翼が生えた馬車は半島の上空を西へと進む。
半島は全体が森林で覆われ、人里や道はなさそうだった。しかし半島の付け根付近で木々の密度が徐々に減っていき、やがて大陸の広い草原の上に出た。
「道か建物か、文明人は見えない?」と聞くミスティ。
リュウレとフワナが下を見下ろすが、丈の高い草に覆われているだけで、人間の住んでいる痕跡は見えなかった。
「何も見えません、ミスティ」と答えるリュウレ。
「あんな化け物が棲んでいる森のそばに住む人はいないわよ」とエイラが言った時、御者台に座っているフワナが叫んだ。
「はるか前方に、城壁らしいものが見えます!」
その言葉に思わず繋いでいた手を離して前を見ようとする従者たち。馬車は大きく揺れて高度を下げ始めた。




