第四投:リタイヤ知らず・イザベル
ワタルとシブシソは、互いのストーンを前後にぴったりつける【風除け】作戦に成功。消耗を抑えて、大きく距離をあけられていた先頭集団に追いつくことができた。
「なにこれ?! 海が凍ってる!?」
先頭集団でワタルを待っていたのは、氷に覆われた白い海。ストーンが乗ると割れる薄い氷と、割れない厚い氷の二種類がある。重量が重い大和錦は跳ねる度に氷を踏み割ったり、氷の上を滑ったりして思うように進めないでいた。
「ぜんっぜん速度が出ない! でも、他の選手もきっと同じ……」
辺りを見回すと、シブシソのギフトは砕氷船のごとく、厚い氷すらも踏み割りながら前進。イザベルのラリー・ダカールは、海面もしくは厚めの氷の上を跳ねている。アーデルベルトのビスマルクはコース選択が巧みで、氷が特に薄い箇所もしくは凍ってない箇所を進み、速度低下を防いでいた。
「う。みんな上手い、どうしよう。大和錦は重いから上をひょいひょい進むのは厳しいし、かと言って全部割って進むのもしんどいし……」
悩んでいるうちにも大和錦は、不器用に氷を踏み割りながら、ラリー・ダカール付近まで進んだ。
近づいたワタルに、イザベルが皮肉っぽく話しかける。
「あら。ここは子どもの遊び場ではなくってよ?」
最初の頃の、シブシソの反応と同じ。イザベルはワタルを見ずに、茶色フレームの眼鏡をかけ、タブレット端末を操作した。金髪縦ロールが風になびいている。
同じ反応には同じ対応ということで、ワタルは元気よく返事した。
「オレは水切ワタル、十二歳! 出場に年齢制限はないし、ちゃんと国内予選を勝って日本代表になってるよ! お姉さん、お名前とお歳は?」
「ご丁寧にどうも……。ワタシはフランス代表のイザベル。今年でにじゅう……って、何言わせようとしているのよっ!」
イザベルは眉間に皺。わかりやすく怒った。
ワタルは、いたずらっぽく舌を出す。
「ごめんっ。フランス代表イザベル選手、十九歳で出場した前回大会が初グレートジャーニー。出場試合は全て完走する粘り強いレースが持ち味で、【リタイア知らず】の異名を持っているんだよね」
「うんうん、よく知っているわね……って。それじゃあ、年齢バラしてるようなもんじゃないっ! と言うか、知っているなら聞かなくていいでしょ!!」
「バレちゃった? じゃ、オレは先を急ぐから!」
ちょっとやり返した良い気分でワタルは前進、しようとした。
「……良い度胸してるじゃない」
横を抜き去ろうとするワタルに、イザベルは眼鏡を外しポツリと、それでいてハッキリ強い語気で呟く。
「このワタシが、世界の厳しさを教えてあげるわ……!」
数分後ワタルは、口は災いの元の意味を身に沁みて理解することとなった。
――日本・ワタル宅――
『~~続いてはグレートジャーニーの情報です。現在ワタル選手は九位ながら、先頭集団に追いついています。四位マリーナ選手の大技【凍土障壁】に苦戦しているようですが、八位イザベル選手を捉えており~~』
空調のきいた涼しい茶の間。モニタに映される、グレートジャーニーの速報を伝えるニュース番組。四角テーブルの前で座椅子に座るミキリは、湯気の立つ熱い茶を湯飲みに注いだ。
「なんだかんだついていってるみたいね。……それにしてもあのお嬢さん、どこかで──」
小声で記憶を辿りつつお茶を一口、と同時にまだまだ熱い茶に反射で頭を引く。僅かな間をおいて、ハッと思い出した顔。
「熱ッ……。……あっ! あのお嬢さん、もしかして~~」
――先頭集団後方――
「〈まずい展開になりましたね、ワタル君〉」
「うん。どうしてこんなことに……」
保坂からの通信に、どんより気分で返すワタル。大和錦は、二、三メートル後方を跳ねるトリコロールカラーの大型ストーン、ラリー・ダカールから執拗に追い回されていた。
「〈口は災いの元、ですよ。ともかく、こうなったら勝負で退けるしかありません。ご存知と思いますが、イザベル選手はテクニック重視の試合巧者です。オカルトは不得手で個々の技の威力は低め。技が組み立てる状況を見るようにしてください〉」
「了解!」
通信を終えたワタルはイザベルに視線を動かし、うんざりそうな声を上げた。
「イザベル選手は『仕かけ時までバトルは控える』んだって、ネット記事で見たよ? なんで追いかけてくるのぉ?!」
「ええその通り。でもなにより優先される信念があるわ。『ナメた態度を取るヤツは許さない』。貴方がネットに書いておきなさいね」
イザベルは腕組みでそう言い、フンと顎を上げ意思を込める。
「ラリー、【サスペンション】を使いなさい」
ラリー・ダカールの跳躍が通常より高くなった。氷上では着氷の衝撃が増しそうなものだが、不器用に氷を踏み割ったり滑ったりして進む大和錦と違い、一回り小さいだけのラリー・ダカールは、高く跳んでも氷を踏み割らない。着氷の衝撃をストーン中間の特殊クッション層が吸収、打ち消しているからだ。
さらにストーン下部には微細な凹凸加工がされており、しっかりグリップ。スリップもしない。イザベルとサポートチームで作り上げた、設計・加工テクニックの詰まった逸品。オカルトを主力にしない選手らしく手間暇をかけ、組み合わせ・接着し・叩き・研磨し・訓練することで、素材の集合体を一つのストーンにしている。
悪路をものともせず進む姿はさながら、砂丘を跳ねるラリー・カーだ。
「衝撃を吸収する素材?!」
「こんにゃく石よ、知らないの? それにしても貴方、どんくさいのね。それじゃあ優勝なんて夢のまた夢よ」
余裕を見せつけ、大和錦の横を抜き去っていくラリー・ダカール。
今度はワタルが意思を込めた。
「速度で勝てないなら技だ! 大和錦ッ、【手裏剣】!」
「ッ?! その技は……!」
大和錦から放たれた石欠片が、ラリー・ダカールを襲う。イザベルは驚き、じっと攻撃を観察。石欠片はいくらか命中したものの、大したダメージを与えられず弾かれてしまった。
全く効果の無いワタルの技。しかしどういうわけか、イザベルは声を荒げた。
「何なのよ今の技は!!! ぜんっぜんなってないじゃない!!!」
明らかに怒っている態度。
ワタルは意味がわからず、困惑する他ない。
「えぇ?? なんで怒ってるの??」
「手裏剣は、過去大会で活躍した風飛ミキリ選手の得意技でしょ!? 低レベルな再現度でパクってんじゃないわよ! いいこと? 手裏剣はこう使うの!!」
ラリー・ダカールは強く海氷にぶつかり、僅かに削ったボディの石欠片と氷を並走する大和錦へ放った。正確にコントロールされたそれらは大和錦の回転を阻害する方向に命中、速度と回転力を奪う。
その間にラリー・ダカールは高く跳躍。動きの鈍った大和錦に上から乗しかかり、海氷に押しつけた。
「ぐぅぅ……。母ちゃんに習ったのとまるで違うッ!? 大和錦【ナワ抜け】!!」
ワタルは即座に大和錦に表面を削らせ脱出。だが、のしかかりと氷への押しつけのダメージは軽くない。
一連の攻防後、イザベルは少し感心した風で頷いた。
「へぇ、防御技はそこそこね。……って。え? え?? 母ちゃん???」
しばしの無言。
言葉の意味が脳内で処理され、びっくり声に変換された。
「……母ちゃんって、あなた今そう言ったの?!」
――日本・ワタル宅――
『ワタル選手が、イザベル選手の猛攻を受けています。果たして乗り切れるのでしょうか。……現場の音声が入っていますね。「手裏剣は、こう使う~~」』
茶の間のテレビが伝える、緊迫した試合状況。
眺めるミキリは、なんとも思っていない緩んだ表情をしていた。
「あー……。向いてない技とはいえ、ちゃんと教えておくべきだったかしら。飛び道具は『当てて終わりの技』じゃなくて『当てて状況を良くする技』だって。それにしても、あのお嬢ちゃんが出てるなんて知らなかったわ。頑張ってほしいわねぇ」
静かにお茶をすするミキリに、キッチンから男性声の返事。
「ワタルの応援もしてあげたら?」
淡い緑色エプロン姿で様子見に来る、大らかそうな大柄男性。ワタルの父【水切タカシ】。水切りは趣味で嗜むくらいで、選手だったことはない。
「でも、あのお嬢ちゃん凄いのよ? 教えてもない私の技を、意図までちゃんと汲んで再現しているんですもの。ストーンの仕様も全然違うのに」
パチリと両手を合わせるミキリ。
タカシも感心する。
「そりゃあ凄いね。【磨穿鉄硯】のミキリの技を再現するなんて。間違いなく、すっごい努力家だよ」
ミキリは顔を赤くし、手を顔の前で振った。
「もー、やめてよ、そんな大げさなの。私が言い出したんじゃないんだから」
「そう? 現役の時の君は、二つ名が似合うカッコイイ雰囲気だったよ。……おっと、そろそろかな」
話を切り上げ、タカシはそそくさとキッチンへと戻った。
「……ゴールには応援に行こうかしら」
ミキリはお茶をすすり、携帯端末に文字を入力。【福州市 美味しいもの】。
――海上・先頭集団後方――
「~~だーかーら、技は母ちゃんから教わったの! 母ちゃんの名前は水切ミキリ。結婚前は風飛ミキリ!」
ワタルはめんどうそうに言いながら、大和錦をコントロール。ラリー・ダカールの猛烈な突撃攻撃を回避させる。だが不安定な氷を問題にしないラリー・ダカールの走破性の前に、じわじわ追い詰められていた。
「認めないわ! こんな情けないオコサマが、ミキリさんのご子息だなんて!!」
イザベルは怒ったまま言い、ラリー・ダカールを何度も突撃させる。大和錦は目立った損傷こそ少ないが、先のダメージとワタルの意思のムラ(追い回された疲労も作用)で、動きが鈍ってきている。
「鈍いわね! ミキリさんは疾風迅雷・電光石火! 男性選手が有利とされていたグレートジャーニーに颯爽と現れ、美しく強力な技で強豪選手を翻弄していったのよ!」
側方や後方を縦横無尽に跳ねまわるラリー・ダカールは、まるで現役時代のミキリの再現。大和錦の隙を見つけては、衝撃を吸収する能力を逆にバネの役割で使い、突き上げる攻撃を繰り出した。完璧に命中すれば大ダメージは免れない。
「う……、母ちゃんって、そんなに……?」
苛烈さ極まる、ストーンとイザベルの攻撃&口撃。ワタルはたじたじで、手も足も口も出なくなった。
当然、イザベルは手を緩めない。
「技の強さだけじゃないわ! 強靭な精神力でピンチのしのぎ、チャンスを伺い続け……。隙を見せた者を容赦なく葬り去る戦いぶりは、現代に蘇った【くノ一】と恐れられた。そんなミキリさんの活躍から、女性選手の躍進が始まったのよ!」
自慢気で調子の良い声のトーン。
それが少し落ちた。
「どれだけ素晴らしい選手だったか。ワタシにとってミキリさんは……」
手袋を取って自分の手を見るイザベル。華やかな姿からは想像できない、シミやマメの目立つ皮膚の硬い手。過酷なストーン加工や投石練習を繰り返したのだと一目でわかる。
その手をぎゅっと握り、イザベルはワタルを睨み付けた。
「それなのに……。それなのに貴方、何も受け継げていないじゃない!!」
――日本・ワタル宅――
『認めないわ! こんな情けないオコサマが~~』
支度した料理を食卓に並べながら、タカシは眉をハの字。気まずそうにをした。
「あのお嬢さんになんだか申し訳ないよ。ワタルは僕に似て不器用だから……」
「悪い事ないわよ。確かにワタルは不器用だけど、アナタに似てなんでもコツコツ取り組める。発想だって豊かだし」
そう言ってミキリは、よそってきた普通量のご飯と山盛りご飯を食卓に。山盛りの方を自身の前に置いた。
「いただきます! いいわね、ハンバーグ。……って、あら? ひき肉足りなかったんじゃない?」
「うん。足りなかったからお豆腐を足しにしてね」
「ふわふわで美味しい! さすがね!」
ミキリは豆腐ハンバーグを一口、幸せそうに口角を上げた。
次々と料理を口に運ぶミキリを見て、タカシは小声。
「最近の君の体じゅ……。ボディバランスも気になるし……」
残念ながら(?)、料理に夢中のミキリには聞こえなかったらしい。
――海上・先頭集団後方――
「黙って聞いてたら色々言って! もう我慢ならないよ!!」
ワタルはグッと拳を握り、前を進むラリー・ダカールへ大和錦を突進させる。妨害にわざと踏み割られた氷の破片が飛んでくるが、回避指示もしない。
「母ちゃんは母ちゃん、オレはオレ!」
「破れかぶれって感じ? 当たってあげるほど優しくなくてよ!」
凄まじい勢いで巨岩が接近していても、イザベルは余裕を崩さない。大和錦の攻撃直前に着氷タイミングを合わせ、ラリー・ダカールを高く跳躍させた。標的を失った大和錦は海氷に突っ込み、派手に氷を砕く。
大事故の様相で、砕けた氷は先の先の海氷までどんどん飛んでいき、遠く先までモヤを広がらせた。
「策のない突進……、いよいよ失望したわ! これ以上醜態をさらしてミキリさんの顔に泥を塗らないよう、今ここで沈めてあげる!!」
空中でゆらゆらと動き、ラリー・ダカールが落下位置と速度を調整。
その下方の氷モヤを貫いて、石欠片が飛ぶ。
「いけっ! 【手裏剣】!!」
「ふんっ。一朝一夕に技術が身につくわけないでしょ!」
奇襲攻撃など予想済み。イザベルは呆れた。ゆらゆらとした動きついでに、迫る石欠片を避けさせる。
ほとんどの石欠片が上空に飛んでいった。
「まだだッ!」
「しつこい男は嫌われるわよっ、こんなものっ、いなしなさい、ラリー!」
ワタルのかけ声で、一度通り過ぎた石欠片が方向転換。雨のように降り注ぐ。しかしそれも、ラリー・ダカールは空中で回避。いくらか命中したが、体勢に乱れはない。
「この勢いで星にしてあげるわ! ラリー、【サスペンション】を──」
ある程度高度が下がってから、ラリー・ダカールは落下に勢いをつける体勢に。サスペンションを反発に使い、着氷の勢いを超強力な突進攻撃に変えるためだ。落下位置の調整はできており、下を進む大和錦は突進の射程範囲内。
「――勝負を急ぐなんてらしくないんじゃないの? イザベルさん!」
ワタルは笑みを浮かべていた。
「何が! 今に木端微塵に──ッ、これは?!」
「足元がおろそかになってちゃね! 着水するにはちょっと、勢いつきすぎじゃない?」
落下するラリー・ダカールを待っていたのは、氷が砕けた海面。氷上に降りるつもりで落下速度を上げていたラリー・ダカールは、派手な水飛沫を上げ着水してしまう。
「降ってきた手裏剣は足場を崩すのが狙いだったのね。だけどもともと海面で戦っていたのだから、突進できなくても……!」
水飛沫を纏って、ラリー・ダカールが氷上に復帰。速度は若干落ちていても、安定して前進を続けている。
「今度はこっちがお返ししてやるわ! ……?! 大和錦が、いない?!」
大和錦の姿がない。周囲を見回し、数秒。イザベルがラリー・ダカールにかかる影に気付いた時には、勝敗は決していた。
「コレで終わりだよっ【浴びせ倒し】!」
「上っ……!」
大和錦による、高空からのしかかり。空気が揺れる。
海氷に叩きつけられたラリー・ダカールから伝わる衝撃で、視界範囲の氷の全てが粉砕。辺り一面に氷のモヤが漂った。
「どうだっ、オレの合わせ技! 手裏剣は布石に使う技なんだよね? 今のなら再現できてたと、思う!!」
勝利を確信し、ワタルは渾身のガッツポーズ。
モヤを抜け開けた視界に、もとの青く静かな海が一面に広がった。
「ま、なかなかやるじゃない。不格好だったけど面白かったわよ、ワタル」
「……へ?」
声がした。後方見て、ワタルの口がぽっかり開く。視線の先には、天面にヒビ割れを起こしながらも変わらず跳ねるラリー・ダカールと、柔らかな表情を浮かべるイザベルの姿。倒したと思い油断していたワタルは、ポカンとした後、慌てて勝負の構え。
そんなワタルの反応を、イザベルは小さく笑って面白がった。
「フフッ、ざんねんっ。ラリーはもう巡航に入るわ。倒せたかどうかは端末を確認しないとダメよ? でないとこんな風に、逃げて立て直されちゃうから」
通信端末を指でコツコツ叩いて見せられ、ワタルはどこか嬉しそうに悔しがった。
「いつの間に巡航申請を……。やられた、さすがリタイヤ知らず、引き際が良い! それに大和錦の攻撃を耐えるなんて、ラリー・ダカールはタフなストーンだね!」
「そうね。こういう展開から立て直すのはいつものことだし、今回はしのぎきったワタシ達の勝ち──」
そこまで言って、イザベルが微笑む。
「──と言いたいところだけど、今回はワタシの負けだわ」
「えっ? 仕切り直しは得意な試合展開なんでしょ? どうして??」
不思議がり、キョトンとするワタル。
「貴方なりに考えた良い技だったから、かしらね。自分で考え、自分の手で何かを掴み取るのは、とても大切なことよ。どこまでいっても、自分は自分だから」
イザベルは昔を思い出して、ちょっとだけ苦い表情に。しかしそれもすぐ、挑発的な笑みに変わる。
「いいこと? ワタル。ワタシはこの【勝負】に負けただけで、【レース】に負けたとは一言も言ってないからね? 次は優勝争いのラストスパートで会いましょう。大和錦も元気でね」
「うん! またねっ! イザベルさんとラリーの粘り強さ、すっごく勉強になったよ!!」
元気に返し、ワタルは再び気を引き締めた。
加速の意思がこもった大和錦と、巡航で速度が落ちたラリー・ダカールとの距離が開き始める。
「あ! そうだ、ワタル。忠告しておくわ」
背を向けようとするワタルを、イザベルは呼び止めた。
「忠告?」
眼鏡をかけタブレットを操作しながらの話は、警戒と不審さを伝える口調。
「今七位の、ローブで顔を隠した男には気をつけた方が良いわ。なんだか怪しいから」
ラリー・ダカールの回転速度が緩まり、天面の欠けが視認し易くなる。攻防でボディの堅さを知っているワタルは、息を飲んだ。
「こんな深いキズを……。ラリーは大丈夫なの?」
「気にしなくていいわ。このくらいよくあるし。少し前、ルーカスから上空に撃ちあげられた後の、着水の隙をやられたの。誰かが攻撃しているストーンを攻撃しちゃいけないルールはないから、それ自体はおかしくはないのだけど……」
イザベルは手を口元にあて、考えながら続ける。
「あの時ワタシは他の選手の追撃を避けるため、だいぶ後ろに落下する軌道に調整した。だけどソイツはわざわざ下がって攻撃してきたの」
「イザベルさん達を警戒してたんじゃない?」
「残念ながら、あの場で粘着するほどの価値はないわ。ヤコブもソイツの攻撃でリタイヤしたし、もしかしたら──」
「──攻撃するのが目的だった、ってこと?」
眉間にしわを寄せ、ワタルが聞いた。
コクリとイザベルは頷いたが、一転して表情を明るくする。
「なーんてね。本当にワタシとラリーを警戒してたとか、単に判断ミスだとか。そんなものだったりして。不気味な雰囲気のせいで怪しく見えただけなのかも」
「そうかなぁ……」
「じゃ、ワタシはしばらく休むから。ごきげんよう、ワタル」
「イザベルさんも、ごきげんよう!」
巡航状態のラリー・ダカールは、海面にボディを擦る跳ね方になり、更に速度を低下させた。
二人の距離がどんどん広がる。
「最後にもう一つ!」
離れる背中に、イザベルは大きな声で伝えた。
「最後まで気を抜かないでね! 完走者はみんな、勝者なんだから!」
笑顔で手を振り返すワタル。
イザベルは爽やかな面持ちで見送り、ポツリと呟いた。
「……粘り強さが勉強になった、か。やっぱりそっちなのかしら、ワタシって」
嬉しくないのと、嬉しいのと。勝負の余韻に浸りたい気持ちをまだまだこれからのレースに戻すため、勝気にストーンへ檄を飛ばす。
「さぁラリー、とっとと調整済ませるわよ! かなり重いのもらっちゃったから、急がないとレース、終わっちゃうからね。【リタイア知らず】のしぶとさ、見せてやるんだから!!!」
タブレットのカメラでストーンをスキャン。亀裂は天面から一ミリ深さ。怪しい男につけられた欠けの分も加味して、調整案を考える。
「バッコリ割られたってことは、大和錦が想定よりだいぶ重かったか高く跳ねたか……。どうせ欠けていたんだし、装甲は薄くなるけど一ミリ深さで全部削った方が良さそうね。……サポートの皆、聞いてたわよね?」
「〈はい、お嬢! ただちにシミュレートを行います!〉」
「ありがとう、よろしく。ワタシは少し休むわ」
指示を察して、サポートチームの男性がイヤホン越しに元気良く返事。
イザベルはシミュレートの結果が出るまでの間を小休止に、瞼を閉じた。
「(貴女は貴女で、ワタシはワタシで)」
思い返される、在りし日の思い出。鮮やかな憧れの記憶。
「(目を閉じるだけで、貴女が出た試合の、どんな場面だって思い出せる。実況のセリフだって覚えているわ)」
──
─
『~~いよいよレースも終盤。アメリカ・ニューヨークからギアナを経由、フランス・ブレストまでのおよそ一万キロメートルの旅も、いよいよ大詰めだァ!!』
ゴール地点に特設された観客席に響く、実況の声。巨大モニタに映し出される先頭集団の映像に全観客が注目した。映像の中心はフロートに腕組みで直立する、黒髪ポニーテールでツリ目の目元以外を頭巾で隠した、忍者装束の小柄な女性。
その映像を、食い入って見つめる少女がいた。キラキラふわふわの金髪と整った顔立ち、フリルのついたドレスめいた服。まるでお人形の見た目の少女の名はイザベル。当時十歳。
フランスのジュニア大会入賞者用の八つの招待席の端で、イザベルは短いギザギザを彫った小さなストーンを握りしめた。
「(今日は絶対おしゃべりして、ワタシのことを見てもらうって決めてるんだから!)」
心の中で元気に宣言したそばから、並んで座る数名の少年達を見て肩をすぼめる。
「……こんな機会、もう二度とないかもしれないもの」
弱気な言葉が零れた。仕方のないことで、ジュニア大会でのイザベルの成績は九位。入賞を逃していた。今日は入賞者の一人がたまたま欠席したため、補欠で呼ばれただけ。
『~~どういうことかァ! ゴールも近いと言うのに、三位ミキリ選手を前・左右から抑える徹底マークが続いているゥゥゥ!』
「みんなで一人をねらうなんてずるいわ! 眠る時間もなかったのに!!」
試合展開に対し、イザベルは憤りと不安な表情を見せた。応援しているミキリが明らかに不利な状況におかれているのだ。ミキリへのマークは、ゴール会場近海に到着する二日前から発生。三~六名ほどの先頭集団選手から昼夜問わず睨みを利かされ、睡眠どころか休憩すら許されないでいた。
当時は巡航ルールがなく常に競技状態で、睡眠等の長い休憩をとる際は他の選手から離れて行っていたのだが、それを封じられた。度を越して休憩を妨げるのは当時であっても、スポーツマンシップに反する大変なマナー違反行為。承知の上で、女性選手の上位を嫌がった選手達は結託・実行した。
体力的に追い詰められ、隙を見せてしまえば攻撃され敗北は必至。そんな緊迫した状況下で、ミキリは二日間も勝負を続けていた。
『まるで隙を見せない! いったいミキリ選手はいつ眠っているんだ?! まさか忍者は眠らな……違うっ、よく見るとまぶたに目が描かれている! ナイスユーモラス! 実にエンターティナーな~~』
瞼にマジックで描かれた目のイラスト。深刻さを感じさせないユーモラス。ミキリのふざけた(ように見える)対処に会場から笑いが起こる。イザベルもしばらくは楽しそうに見ていた。
「アハハッ、おっかしい! でもすごいわ! まるで平気──」
しかし気がついた。一瞬、ミキリの瞳から光が消えていたことに。
「(──もしかして今、意識が……? 本当は平気じゃないの……?)」
そして試合は進み、いよいよゴール直前。さすがに各選手とも優勝を狙って包囲を解き、ラストスパートに入る。ミキリの実力を考えれば、優勝もあり得る状況。
だがミキリは、ストーンを加速させず速度を落とした。結果は四位でのゴール。
「~~いやー、さすがに疲れちゃって。忍者だけに耐え忍ぶとこ、見せてあげたかったけど……。今回で競技を離れるつもりだから、ちょっと悔しいな」
試合後のインタビューで、ミキリはそう答えたという。
~~
ゴールは夕方。質問攻めを乗り越えた頃には、もう日暮れ。
ミキリは一人、疲れた顔で日本チーム拠点の船へと帰路を歩いた。
「(いくのよ! いまいくのよワタシ!!)」
その背中を、インタビューの始まりから陰で見ていたイザベルが追いかける。
柵をくぐって侵入した関係者用のエリア。しかも他国の拠点。当たり前に、タラップの時点で警備スタッフに止められてしまう。
「お嬢ちゃん、勝手に入っちゃいけないよ?」
「えっと、その、ワタシはミキリ選手に……」
二人の大人に道を塞がれびっくり。イザベルは斜めかけにした水筒のストラップをぎゅっと握り、口ごもって視線を落とした。帰るよう促されるまま、何も言えないで船に背を向ける。
ちょうどその時。
「ほらほら。寄ってたかってマークされたら、困っちゃうでしょ?」
船の扉が開きミキリが現れた。驚いたイザベルは言葉が出ず、口をパクパク。
その間にスタッフが尋ねる。
「ミキリ選手?! 休まなくて良いのですか?!」
「いいのいいの。それより私、その子とお話したくて。あっちで止められてる親御さんに、そのことを伝えてもらえない?」
「わかりました。あまり遅くならないでくださいね」
ミキリは説得しつつ、柵の前で警備員に止められるイザベルの両親に事情を伝えるよう、スタッフに指示。それからイザベルの前で目線を合わせてしゃがみ、翻訳装置を操作して話しかける。
「ぼんじゅーる、かわいいお嬢ちゃん。私に何か御用?」
「あわわ、えっと、ええっと……」
イザベルは慌ててしまい、上手く話せない。
「安心して! 隠れ身の術で消えちゃわないから! そうだ、少し歩こっか」
緊張を紛らわすため、ミキリはおどけて片手を顔の前に忍者らしいポーズ。
二人で港を歩くことを提案した。
「ワタシ、イザベルっていうの! 年は十才。今日は招待席で観ていて、本当は九位だったけど~~」
歩いているうちに緊張が解け、イザベルは楽しく話した。自分のこと、ミキリのファンであること、好きな技のこと……。ミキリもまた、その話を楽しく聞いた。
「へぇ、ジュニア九位は凄い! イザベルちゃんって、けっこうづよい──ゲホッ」
「まぁ! のどがガラガラ! コレ、どうぞ飲んで」
「ありがと。……あちっ」
水分補給がまだだったのか、ミキリの声はガラガラ。気をきかせてイザベルは、水筒に入れてきた熱々の紅茶をふるまった。港の端に二人で座り、海を眺めて一つのコップで紅茶を分け合う。
一息ついたところで、イザベルは悲しげに打ち明けた。
「あのね、ワタシ……、水切りがあんまり上手じゃないの」
「どうして? 九位も立派よ! ……そうだ! イザベルちゃんの技、見せて!」
「技を? ……それなら!」
イザベルは水筒を置いて立ち上がり、海に向かって自分のストーンを投擲。周りに何もない海上でストーンはギザギザ部分を剥がし、飛び道具にして飛ばす。
ぐるりと回って手元に戻ったストーンをキャッチ。イザベルは明るく言った。
「やった! できた!」
「あれは……、もしかして私の技?」
「うん! 【手裏剣】! たくさん練習したの!」
「そっか……。うーん、えっと」
「あれ? ワタシ、ちゃんとできてない?」
ミキリの返事は、悩ましそうな歯切れの悪い言葉。
「できてないとか、そういうことじゃなくて……。だけどイザベルちゃんに私の技は向いてないだろうし……」
「むいて、ない……?」
はっきり言われたショックでイザベルの瞳が潤んだ。
「やっぱりワタシ、ダメなのかな。いっぱい調べ物したのに……」
「ん! 調べ物? どんな??」
「技のポイントをくり返し見て、それからストーンの性質を~~」
自分らしくやってきたこと。それをミキリは楽しんでどんどん聞き、イザベルも得意になって話した。
「~~技を何度も見れば、マネできなくてもねらいはわかる時があるし、ストーンを調べれば、相手のスタイルが予想できる。自分のストーンやスタイルを考える時にも役立つと思うの。今は上手にできないけど……」
「今できなくてもだいじょーぶ! そうやってコツコツ、粘り強く取り組めるのがイザベルちゃんの──っと、呼び出しだ」
船の近くに戻った辺りで、通信端末が振動。確認してミキリは残念がった。柵の近くでイザベルの両親が待ってもいる。
「ミキリさん。今日は、ありがとう、ございます。会えてとっても、うれしかった!」
別れの気配を察し、イザベルは笑顔で挨拶。
ミキリもニッコリ笑って応えた。
「ふふっ。最初はわからなかったけど、ちゃんとあなたを見つけられて良かった。自分を見失わなければ絶対、良い選手になれるわ。また会いましょう、イザベルちゃん!」
「ワタシを、見つける……? それより! 引退しちゃうんでしょ? もう会えな──」
「──今度は私が応援に行くから! またね!!!」
そう言ってミキリは、イザベルの両親に一礼。タラップを駆けのぼる。
見送るイザベルは言葉の意味を不思議に思いながら、船の扉が閉まるまで手を振った。
「(応援って、どの大会を……)」
そこでハッとし、ストーンを強く握りしめる。
「(ううん、どこだって。いつあなたがワタシを探してもいいように、どんな試合もゴールまで走り続けるの!!)」
──
─
――第三十一回大会直前・フランスチーム拠点――
別荘の豪華さの要人歓待部屋。社会的地位をひけらかした風貌の男女数名が、酒を注いだグラス片手に談笑している。
「~~次世代までの繋ぎと思っていたけど、少しは期待できそうじゃない?」
「どうだか。強豪が都合良く潰し合ってくれでもしないとないだろう。望み薄な優勝を狙うより、どこかで目立ってカメラを集めてくれる方が良いんだがね。技量はともかく、華はあるのだし」
「間違いないですな。はっはっは」
一つ笑いが起こった時になって、要人達は話題に上げた選手が入室していたことに気がついた。が、僅かも焦らず平然と話しを続ける。
「おっと、イザベル選手。試合前にどうしたのかな?」
「お世話になっている皆様に、出発前の御挨拶をと」
「それはそれは、ご丁寧にどうも。皆で健闘を祈っているよ」
「ご期待に応えられるよう、尽力します。では、ごきげんよう」
イザベルは丁寧な所作で一礼。部屋を出た。扉の外では、サポートチームのメンバー数人が聞き耳を立てており、ツカツカ歩くイザベルを追いかけて尋ねる。
「お嬢、言い返さなくて良かったんですか?」
軽んじた発言をしていたのは、チームに出資するスポンサーや競技運営委員の要職の人達。世話になっている立場とは言え、サポートチームの面々は不満そうにした。
しかし、当の本人は気にしていない様子。
「あの手合いは、実力を見せなきゃ静かにならないでしょ。結果だけが反論になるわ」
「っ! 確かにそうですね! 我々も全力でサポートします、絶対勝ちましょう!!」
たった一言でチームの士気を高め、イザベルは粛々と競技開始に備えた。ストーンの調整は万全、意思のノリも上々、調子は良い。しかも今大会は投石地点にも恵まれ、回りに有力選手のいない好位置。
この大会は【狙える】感覚がしていた。
「(ワタシはワタシとして、必ずゴールまで進む。そうしたらいつか、貴女は見つけてくれるかしら)」
最も注目を集める大会の、最も注目を集める表彰台。その頂がイザベルの目指す場所。