第60話 終幕~ アルカナを継ぐ者2
お待たせいたしました! アルカナ本編の続きです。なんとかGW中の投稿に間に合いました。
「なんてことを!」
爆発のもたらす意味を察した沙樹の叫びが中空に響く。しかし、その叫びは魔女には届かない。
爆発音の後に、突如吹き上げた炎が次第に大きくなって校舎を染めていく。その炎が、少女の躊躇いを責めるように揺れた。
如何なる魔法か、魔女の振るった力は校舎の一角を炎に投じた。一拍遅れて生徒達の騒ぎが風にのって聞こえてくる。阿鼻叫喚の悲鳴が、沙樹の心を掻き乱す。
魔女の瞳に、赤い炎の色が映り込む。その炎をのせた視線が、明確な殺意となって沙樹に突き刺さる。
「私は先に行くよ。覚悟を決めたら追ってきな」
対決する美しい少女に非情な宣告を告げて、ヘレナは踵を返していた。
一人講堂を後にする魔女の姿が小さくなっていく。まるで他の音が消えたかのように、ヘレナの靴音だけが響く。その音を聞いても沙樹は魔女の後ろ姿を追いかけることができない。殺意に当てられた少女の足は、思うように動かなかった。
小規模な二度目の爆発が起こったのは、直後のことだった。
「智子! 静ちゃん!!」
思わず叫ぶ友人達の名前に、沙樹の動揺が現れていた。半歩、前へと踏み出した足が震える。
「朱美ちゃん! みんながまだいるのに!!」
小さな手が震えていた。
「待て、主人よ!」
まるで夢遊病者のように歩き出そうとしていた少女を彼女の使い魔が制止する。
声にならぬ程の動揺が、主人たる美しい少女に見えていた。炎が彼女を責め苛む。沙樹の視界には、映り込んだ炎の影が揺らめいている。いつもなら青く揺らめく魔力特有の輝きが鳴りを潜めていた。
「主人よ、行ってはならぬ。御身は既に 長崎になくてはならぬ存在。無謀な真似をしてはならぬ」
「でも、みんなが!」
冷徹な蛇の声が聞こえる。
「そなたを失えばこの地は総てを失うのだ。主人よ、分かっているか?」
「で、でも!?」
混乱した主人を窘めるように使い魔の声は続く。
「今、近隣の守護者達を呼び寄せている。それまで待つのだ」
現実的な対処方法を提案する使い魔の声に、沙樹の表情が曇る。
彼女自身も理解してはいるのだ。自分ひとりが行ったところで解決など出来ないことを。
まだ心を決めきれない十代の自分がいても、足手まといにしかならないことを。
それでも、この逸る心を、感情を抑えきれないのだ。目の前に迫る炎がクラスメイト達に襲いかかろうとしている事実に、どうしていいのか分からなくなっていた。
「守護者達を呼び集め、充分な体制を整えてから対処すればよい。多少の怪我人は出るだろうが、安全と事後を考慮するならばここは最善の策を採るべきだ」
燃え盛る炎の音と、何かが焦げるような匂いが沙樹の元へと流れてくる。鼻腔にとらえた微かな匂いに、火の手が校舎を廻る想像をしてしまう。不安ばかりが大きくなる。
「私、は……」
立ち竦み、震える手を押さえながら沙樹が俯く。青く揺らめく瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「主人よ、まだ未熟なそなたが行っても誰一人助けられぬ。酷なようだが、それが現実だ。それに、主人と有象無象の者どもとでは失った場合の危険度が違う」
「そんなことないっ!」
思わず顔を上げて叫んだ言葉は、自分でも不思議なほど強く、使い魔を制していた。
「なんでそんなに冷たいことを言うの!? あなたなら、皆を助けることだって出来……」
言い放とうとした言葉に反応してか、蛇の持つ雰囲気ががらりと変わる。錯視の円環が、じわりと周囲を侵食し、威圧していた。白と黒の魔術円が視線を向けた場所から蠕動を繰り返していく。
少女は最後まで言うことができずに言葉を飲み込んでいた。
「我は支倉に仕える魔。やがて天に登り詰め、この地に竜蟠虎踞として栄える者が、我の主人たる者だ」
蛇の双眸がゆっくりと赤い光を宿していく。
「そなたが魔術の園に足を踏み入れた時から、既に権勢へと向かう昇天の気があったのだ。この地に繁栄と栄誉を齎す者よ、我の主人たれ」
有無を言わせぬ雰囲気を放つ使い魔に、沙樹は呑まれていた。それでも、少女は使い魔を見つめていた。わずかな旬順の後に、視線を逸らして呟く。
「助けてよ……。お願い……」
ただ、その頬を涙が伝うように落ちていく。理解してもらいたかったのは、そんなことじゃないと少女は失意に暮れる。黒髪が流れ落ちて、少女の表情を隠していた。
魔力の波動を高めた蛇が、重ねて沙樹に忠告する。
「蛟竜水を得るが如く時勢を待つのだ、主人よ」
冷静な視線が、逆に少女の胸を熱くする。やるせない感情が自分の中で荒れ狂う。己の中で無力感だけが漂う気がして、沙樹は目を伏せた。
『覚悟を決めたなら、一人で追いかけておいで』
そんな時、此処にはいない魔女の声が彼女の耳に届いた。
幻聴とは思えないほどはっきりとした声が、沙樹には聞こえていた。
自律を促す声に押されて、少女の眼に理知的な光が戻ってくる。
危機的な状況は変わらないものの冷静になれたおかげか、沙樹の見せる表情に明るい朱色が差す。例え、その声が魔女の甘言だったとしても今の沙樹には天啓にも似た影響を与えていた。
意を決するまで、それほど時間はかからなかった。
「待て、主人よ。何処へ行く?」
主人に起きた変化を知ってか知らずか、使い魔が尋ねた。
使い魔が気付いた時、沙樹は既に向かうべき場所を見つめていた。
「……行くわ、私一人でも。みんなを助けに」
静かな声は決意を含んでいた。
「何を馬鹿な! 小娘だけで何が出来るというつもりだ?」
「……私にも、何か出来ることがあると思うから」
使い魔の警告を無視して主人が歩を進める。
「あなたは、此処で春香と光一君を守ってて。お願いね」
「なに!? 待て! 闇属性の防御魔法は強力だが、有視界操作が出来なければ防御範囲が設定できなくなる! 離れてはならぬ!!」
慌てたように捲し立てる錯視の蛇に、沙樹は耳を貸さなかった。
「戻れ、主人よ!」
「ウロボロス……。今まで守ってもらうばかりで何もできなかったけど、私も誰かの役に立ちたいの」
縋る使い魔を優しく見つめて、沙樹が気持ちを伝えていく。少女の驚くほど落ち着いた様子に、蛇は困惑していた。
「私も……、誰かを守る側に立ちたいの」
決意を秘めた瞳には、青く揺らめく輝きがあった。彼女の青眼に、神秘的な光を感じて使い魔が硬直化する。使い魔の精神に作用する魔眼の力が復活していた。
「頼り無いだろうけど待ってて、ウロボロス」
いまだ困惑から抜け出せない蛇の双眸に、凛とした少女の佇まいが映る。その姿に、使い魔は目を奪われる。
「なっ! 主人よ!」
かつて先代の主人であった亜也は、よく一人で戦いの場に赴くことがあった。
使い魔に頼らず、己の才覚のみで難問に挑み、様々な成果を上げて魔法界での名声を欲しいままにしてきた。その栄華に浴する者だけが持つ雰囲気を眼前の少女が放つことに、使い魔は言葉を失っていた。
(何があったというのだ!? アルカナの力が成長を促したとでもいうのか!? あれではまるで、昔の魔女のようではないか……)
赤い双眸に映る沙樹の姿は、後ろを振り返ることなく去っていった。
響く爆発音に、春香は気付いていた。
何処かで戦いが続いている。何かが焼ける匂いに、首筋がチリチリとするような感覚に襲われる。
(行かなきゃ……)
朦朧とする意識の中で、春香は言うことを聞かない身体に鞭打って音源の方向を探った。
暗い世界で、魔力波動が波打ち際のように何度も何度も繰り返し寄せてくる。不快ではないが、特有の感覚に神経が刺激される。
「あ、ぁ……。う……」
言葉を上手く発する事が出来ないのは、魔法界でも稀な奇跡をその身に受けたからか。覚醒しようとする春香の意識を倦怠感が優しく覆い尽くそうとする。
(嫌なことが起きる……予感が……する……!)
慣れない感覚に戸惑う春香は身体感覚に集中した。
戦士として教育された彼女自身の感覚が、身体に刻み込まれたものを掴み取っていく。だが、今までとの差異に慣れたはずの身体が騙される。上手くバランスが取れないもどかしさに、春香が顔を歪める。
(私が、守って……みせる! 必ずなんだから!!)
無理矢理、身体を動かして立ち上がろうとする。ふらつく身体を強引に動かし、平衡感覚を取り戻す。固い床に冷たさを感じる手をついて体重を支える。
「意識が戻ったのか?」
錯視の蛇の低い声に、春香は親友の不在を知った。
「……ど、こ? 沙樹ちゃ……は……何処?」
絞り出す声は、まだ力が入らないのだろう。やっとのことで錯視の蛇に届くくらいだ。
「動けぬか……。使えぬ奴等よ!」
たどたどしい言葉遣いで尋ねる春香に、錯視の蛇が吐き捨てるように告げる。
「……何処に、いるの?」
何とも表現し難い違和感が、春香の胸裏を掠める。彼女自身、まだ判然としない其れを見落としそうになっているのだ。
「主人は亜流の魔女と決着をつけに行った。手出しは無用だ」
蛇の言った事の顛末が、違和感となって春香の胸を内側から突き上げる。自分が気を失っている間に、いったい何があったというのか。なぜ親友が一人で魔女と対決するというのか。
「一人で、行かせたの!? なんで……?」
理解できないという表情で蛇を見た春香は、真剣な魔術師の顔に戻る。
そこから脱兎の如く駆け出した春香を出口付近で何かが阻止する。その見えない壁に衝突して、少女がどうと崩れ落ちる。
方膝をついた春香が見たのは、魔術による結界。講堂の出入り口に施された
不可視の魔術が、講堂から出ることを阻む。触れても痛みは無いが、魔力を込めた衝撃でもびくともしない術式に、春香は歯噛みした。
「なんで邪魔するの! 沙樹ちゃんが危ないのに!!」
沈黙を守る沙樹の使い魔に、春香が噛み付く。
「此処から出して! 早く!!」
白と黒、縞と斑の魔方陣が蠕動する。その中央に鎮座する巨大な蛇の使い魔。その使い魔は魔術による結界を引いたまま微動だにしない。主人である沙樹を助ける素振りも見せない様子に、春香の危機察知能力が警鐘を鳴らす。
(魔術的な備えもなく、公共の場所で魔力をふるうなんて……。ダメだよ!)
不可視の魔術に抵抗する春香は、万全ではないまま破魔の力を練り上げる。体力と引き替えに、強引に魔力を強化していく。
「貴様っ、何をしている!?」
錯視の蛇の叱責が飛ぶ。しかし、その声など聞こえないかのように春香は魔力を集中させていく。
「無駄な事はせぬほうが身のためだ。聞こえているのか?」
苛立つような蛇の声にも春香は両手への魔力集中を止めない。まだ本調子ではない身体に鞭打って、年若い魔術師は歯を食い縛る。
(高校で……、人前で魔法を使ったりしたら、大変なことになるよ! 絶対ダメだよ、沙樹ちゃん!)
「加藤君! あれ!!」
声をあげて空を指差す立花に加藤は何事かと視線をむける。
ただ事ではない彼女の様子に、彼も事情を察した。彼等が向かう目的地のほうから、黒い煙が立ち上っていた。空を見る加藤の動きが一瞬だが止まる。
「あれはっ!? 煙りは高校のほうから!」
加藤の驚きを美佐子が受け止める。
「急ぎましょう!」
「ええ。先輩、掴まってください!」
途端、アクセルに踏み込む力を入れて加藤が車を加速させた。彼の愛車ほどではなかったが、市街地を矢のように走る。
冷静さを取り戻した加藤の運転で、車は主線道路を駆け抜けていく。その傍らで、彼の思考に別の問題が持ち上がっていた。
(まずい! あの魔術は坂の上の館にいる本物の守護者からの参集命令だ……。空に浮かぶ二重の光輪が示す方角に亜流の魔女がいるのか!? いや、魔女は支倉のお嬢さん達が戦っているはず……。だったら、魔女の秘密に関わる大事か? いずれにせよ、僕は行くわけにはいかない。支倉のお嬢さんと春香お嬢さん達のほうへ急がないと……)
焦る加藤はハンドルを握る手に力を込め、そして脱力した。これから起こる戦いに無用な緊張は命取りになる可能性がある。冷静さを保つように周囲に気を配り、改めて現状を認識する。
車窓を流れる景色に注意を払い、最短コースで目的地へと進む。
(なんとか間に合って……。いや、間に合わせるしかない!)
自分達が置かれた立場は、あまりに危うい。闇の精霊と噂される本物の守護者は決して温厚でも寛容でもないのだ。現状認識に齟齬をきたせば、彼に待つのは奈落の底にある破滅だけだ。
彼等が向かう先には、何が待つのか。占術を得意とする加藤にも分からない予想を超えた事態が発生していることだけは間違いなかった。
『沙樹様、よろしいですか?』
沙樹の脳裏に、あの日の黒猫の声が響く。
それは、沙樹が母の跡を継ぎ、真に魔女の後継者となった日のことだ。固い表情とは裏腹に、講堂を一人歩く沙樹の足音が外へと向かう。少女は決意を胸に秘めて歩を重ねる。
『お母様の跡を継がれ、無事に大魔方陣の継承も終わりました。あとは正統な”アルカナの魔女“となられ、沙樹様がこの地を治められるだけです』
坂の上の館に住む黒猫から、少女は秘密を教えられる。
まるで宝石のような翠の双眸が、じっと沙樹を見つめていた。
『肩の荷が降りましたが、まだ終わりではありません』
優秀な使い魔である黒猫に、沙樹は何をするのと先を勧めた。
『亜也様が造り上げた大魔方陣は、この地を守る結界というべきものですが、実は其れが全てではありません』
いつになく饒舌な使い魔に、まだあどけなさを残す主人は聞き役に回る。
『創造した亜也様にすら予想できなかった機能が見つかったからです。大魔方陣の真の効能は、契約する者が望む事象を現実世界に固着させる働きがあるのです。其れが何を意味するか、沙樹様にはまだお分かりではないかも知れません。ただ、覚えていてください。平和をもたらすものは数あれど、平和を維持するものは限られるということを』
思いの外、長く説明してくれた黒猫の瞳が、再び沙樹を見つめている。
沙樹は揺らめく輝きを放つ青い瞳を使い魔に向けた。その白い肌と赤い唇との対比も、いつになく美しい。
『何をすればいいの?』
『神と精霊との契約です』
翠の瞳を閉じて、黒猫が思案顔となった。遠い昔を振り返るように、短く言葉を選んで主人に告げる。
『古い魔術になります』
初めて見せる使い魔の表情に、沙樹は惹き付けられるように聞いていた。
『本来ならば、この契約は聖書が書かれた時代の言葉でその文言を言い表し、術者自身が奏上して自らの誓約を誓わなければなりません』
『そ、それはちょっと……』
言い淀む沙樹の気持ちを慮るように、使い魔が説明を続ける。
『心配ありません。亜也様が構築された大魔方陣は十分現代的に造り替えられています。ただ、契約の文言自体は覚えてもらわなければなりませんが……』
『それくらいなら、大丈夫かな?』
花のように微笑む主人に優しい眼を向ける黒猫は、まだありますとばかりに年若い主人に告げた。
『そして、もうひとつ……。契約の最後には“キーワード”が必要になります。沙樹様の本質に合った、神と精霊と取り交わす契約に相応しいものを選定しなければなりません』
『私の本質……?』
『はい。沙樹様に相応しいものを私のほうで選んでおります。あとで、その意味などをご自身で確認しておいてください』
黒猫の翠の瞳が、まるで我が子を見守る時の親のそれになっていた。
『きっと気に入っていただけると思います。これまで貴女を見てきたのですから』
過日の記憶が、走馬灯のように思い出される。
今はいない忠実な使い魔のことが頭を過る。あの優しい眼をもう見ることができないなど、沙樹には未だに信じられなかった。
そんな想いにふける少女の眼に、校舎を焦がす炎が飛び込んでくる。
突然の炎に見舞われた校舎と、逃げ惑う生徒達の悲鳴、炎によって焼けた匂いがはっきりと届く。
言葉を無くして校舎を見る沙樹に、魔女ヘレナの声が聞こえた。
「覚悟は決まったようだね」
自分を見つめてくる魔女の視線を正面から受け止めて沙樹がしっかりと大地を踏みしめていた。決意を秘めた表情は、凛とした美しさとともに、ある種の決別を恐れる優しい少女の一面を持っていた。
「それでこそ、私の生命を掛けるに相応しいじゃないか……」
落ち着いたヘレナの声に優しい少女が顔を曇らせることはなかった。ただ、決意を秘めた青い瞳が揺らめくような輝きを魅せていた。
「さあ、見せてもらおうじゃないか」
熱い風が、二人の姿を包み込む。熱気に当てられたとしか言えない狂気を孕んで魔女が吼えた。
「戦うしか……、本当に戦うしかないのね?」
「くどい。とうに覚悟は決めたんだ。生き残るのは、二人に一人だ」
「そう……」
沙樹の返答にヘレナの目の色が変わる。
ヘレナをまっすぐに見つめる少女の瞳に、相応の覚悟が宿っていた。
沙樹の右腕がすっと空へと伸びる。その右手は、三本の指が伸ばされていた。不穏な空気を悟ったヘレナが対抗呪文を唱え出す。
決意を胸に、沙樹の顔が魔女の其れへと変貌する。
一瞬の静寂が、その場を支配する。
そして、その静寂を破ったのは近付いて来る緊急車両のサイレンと、二人の前に乗り付けた車両から降りてきた立花美佐子の姿だった。
当初イメージしていたラストへと向けて、何とかたどり着けそうです。予定より遅れてしまったことをお詫びいたします。




